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18/24

18、町で

 翌日は、目まぐるしく一日が過ぎてゆきました。


 街のカフェでまずは朝食をとることになりました。

 そういうお店があるのは知っていたのですが。

 自邸以外で食事をするとなると知人の家で催されるパーティか、公園や川辺を散策がてらのランチが一般的です。


 籐のランチボックスにサンドウィッチ(透けるほどに薄く切られたキュウリが、挟むフィリングとしては最適です)や、ざっくりとしたスコーンに、こってりと濃い黄色のクロテッドクリームに蜂蜜、あるいは深い赤の苺ジャムを詰めたものを用意して。


 あさみどりの柳の葉がそよそよと風にそよぎ、草の香りと澄んだ涼しい水の匂いのする川辺でお食事をいただいたことはあります。

 ですが、お店で食事というのははじめてです。


 まず注文をするのですよね。

 わたしは周囲に目を向けました。お料理のお品書きがあると、聞いたことがあるのですが。どこでしょう。

 

「ここは朝食は一種類しかないから、むずかしく考えなくてもいいよ」

「は、はい」


 小さいテーブルにジークさまと向かいあわせに座ります。外にもテーブルがあるのですが、目立つのも困るだろうからとジークさまは店内の席をえらんでくださいました。


 歴史のあるお店のようで、ふるいガラス窓には外のテラス席と街路樹が映っています。

 運ばれてきたのは紅茶の入ったポットに、ぱりぱりと焼かれた茶色いビスケットに似た薄いパン。


 牛が干し草や穀物を食べていた冬のあいだとはちがい、春から夏のバターは黄色が深くて、けれどかるい味で食べやすいのです。

 冬の白くて濃いバターもおいしいのですが。

 放牧がはじまった春から夏にかけてが最高だと、料理長が教えてくれたことがあります。


 平パンにはバターとコケモモのジャムを添え、かりかりのベーコンと、とろけそうなオムレツ、焼いた野菜がお皿にのっています。


「ベーコンって、初めてです」

「そうだなぁ。俺も実家を出てから、初めて食べたな。慣れないと、すこし塩からいかもな」


 貴族の家では、加工したお肉をいただくことはほとんどありません。

 燻製の風味が強く、塩味も強いのですが。オムレツに添えると、脂の強さもほどよく中和されました。


 さらに運ばれてきた橙色のジュースをひとくち。

 オレンジジュースだとばかり思っていたのですが。甘くも酸っぱくもなく、とろりとした奥にほのかな青くささ。

 これは人参? 


 首をかしげていると「オレンジは南国からの輸入だから。町ではあまりジュースとして飲まないんだよ」とジークさまの言葉。


 そうなのですね。

 これまで籠の鳥のように、子爵家から出ることもなかったわたしにとって、外は知らないことばかりです。


 店内では、さっと朝食をとって立ちあがるお客さまが多いようです。

 ジークさまは気を遣って、わたしの食べる速度にあわせてくださっているご様子。ふだんよりも急いで、わたしは朝食をいただきました。


 その後はいろんなお店に立ち寄って、わたしの日用品を揃えました。


 服は手持ちの分のほかにいずれ仕立て屋で誂えるとしても、生活するのにカップやお皿やカトラリー、タオルに石鹸、歯ブラシに髪を梳かすブラシ、寝間着と数えあげればきりがありません。


 杖をつきながら足をかばって歩くと、すぐに遅れてしまって。

 広い背中が見えたと思うと、ジークさまはすぐに立ちどまって歩調をあわせてくださるの。


 人の流れが縦横にいりまじり、ぶつからないように立ちどまることも多かったのですが。ジークさまが前や横に立ち、かばってくださるのが嬉しくて。


 ずっとこの方と一緒にいられたらいいのに、と願わずにはいられないのです。


◇◇◇


 ふだんから街を出歩かないクリスタは、今はさらに足を挫いているせいもあって、歩みが遅い。

 彼女は気づいていないだろうが、主に男性がクリスタにぶつかろうと迫ってくる。

 ある者は邪魔だと、ある者は興味から、そしてスリもいる。


 まったくこれから一緒に暮らすうえで、俺がいない時はひとりで外に出ないように注意しておかないといけないな。


 そう考えて我知らず苦笑する。

 まるで独占欲の強い恋人だ。


「あの、今日はありがとうございます。お食事も日用品も、お支払いしますね」

「ん?」

「といっても、いまは手持ちはないので。しばらく待っていただけると助かるのですが」


 もしかしてこのお嬢さんは、俺が代金をたてかえたと勘違いしているのか?


 見上げてくるクリスタは、初めての街に好奇心を隠せないらしく。きらきらと目を輝かせて、ああ、ほらそんな風に無防備な表情をするから。また男が寄ってきたではないか。


 派手な妹にけなされてきたからか、華美を是とする輩に妹と比較されてきたからか。

クリスタは、自分がしっとりと落ち着いた魅力をそなえていることに気づいていない。


 ぎらつくダイヤモンドや紅玉ルビーのような派手さはないが。まろやかにとろける瑪瑙や、針葉樹の森の涼やかな緑をとじこめた翡翠の美しさ、あるいは瑠璃の静謐さ。

 本当に放っておけないんだ。


 ふと道の端を見遣ると、新聞を読んでいる男性がいた。

 新聞といっても政治色のうすいタブロイド紙だ。

 センセーショナルな事件や、ゴシップ報道を載せた大衆紙。


 目が吸い寄せられたのは『ローゼンタール子爵家』との文字が書かれていたからだ。

 さほど大きい記事ではない。


 だが確かに『子爵家の長女、クリスタ嬢の婚約者である貿易商デニス・テルメアン。次女のモニカ嬢と結婚。捨てられた姉のゆくえは?』と記されている。


 俺は体の位置を変えて、背中でその新聞を隠した。

 まったく。なんということだ。

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