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17、まぶしい朝

 参った。

 俺はどうしてよいか分からずに、だからボタンを留めてくれたクリスタの頭を撫でて「ありがとう」と言うことしかできなかった。


 俺のシャツを寝間着がわりに着たクリスタは、袖がやたらと長くあまるせいで、袖を折っていた。

 なのに俺のボタンを留めるときには、その袖口には似あわぬたおやかな、白樺の若木の枝のような清々しい腕を見せて。

 布越しであっても、俺のみぞおちから首元へと、華奢な指が今にも触れそうになるから。


 こぶしをぎゅっと強く握りしめて耐えることしかできなかった。

 今にも、彼女の背を抱きしめてしまいそうになったから。


 たとえそれ以上のことはしなくとも、一瞬にして彼女の信頼を失ってしまう。そんなことはできない。


 雲が月をおおったのか、窓からさしこむ檸檬色の月影が色を失う。上空では風が強いのだろう、すぐに床には光が戻った。


 しずかな夜。クリスタにとっては最悪で最低の日だったろうに、俺にとってそれを幸運と噛みしめるのはやはり後ろめたい気持ちになる。

 

◇◇◇

 

 涼しい鳥のさえずりが耳をやさしく撫でます。顔がほんのりと温かいのは、太陽に照らされているからでしょうか。


 うすい瞼を通して、橙色の光が満ちています。

 ゆっくりと目を開くと、眼前にジークさまのお顔がありました。


「……っ」


 悲鳴をあげそうになるのを、両手で口を押えることでなんとかこらえました。石鹸のにおいの白いシャツの袖は長く、わたしの唇に木綿の布の感触が触れます。


 もしかして……そうっと視線を動かすと。ああ、やはり。

 わたしはジークさまの腕を枕にしていたのです。


「おはよう」

「お、おはようございます」


 声が裏返ってみっともないのに、ジークさまはお笑いにはならないの。


 ただ優しく微笑んで「あなたの服や日用品を買うついでに、外で朝食をとろう」とおっしゃいました。


 彼の背中に触れて、彼のボタンを留めて、あれは月夜が見せた夢ではないのです。

 この指は、まだ苦心しながらボタンを掛けたあの感触を覚えています。

 このてのひらは、無遠慮に触れてしまったジークさまの背中や肩甲骨の形を覚えています。


「あの、腕を。申し訳ございません」

「ん? 気にしなくていいぞ。ひとつの枕でふたりが寝るには、少々せまいからな」

「腕はしびれていらっしゃいませんか?」

「多少はな。まぁ、勲章ということにしておこう」


 ジークさまは指を開いたり、曲げたりして苦笑なさいました。

 

 頻繁に着替えるには服が少ないので、昨日と同じものを着なくてはなりません。


 上衣とスカートがひとつづきのこの服は、遠くからは灰色にみえます。

 ですが、縦糸と横糸にちがう色を使ってあるので、長めのスカート部分が揺れるたびに銀や青藍せいらんの色がゆらいでいます。

 その光沢は、夕靄のかかった夜に向かう空の色。


 おなじ灰色の糸で、袖やすそに刺繍がほどこしてあり、近づいて見ないとわからないのですが。花や葉が模様としてあしらわれています。


 ジークさまは改めてわたしの服をご覧になり「さすがに質が良いな」とうなずいていらっしゃいました。


 褒められると恥ずかしいです。

 だって、妹のモニカは「地味なネズミ色。お姉さまにお似合いよ」と馬鹿にしていたのですから。


 表に出ると、隣の家までは遠く、町のはずれであることが分かりました。

 早朝の風は涼やかに、顔を洗ったばかりの肌をさらりと撫でてゆきます。


 朝になって、ジークさまが再び薬をぬって、足首の包帯を巻きなおしてくださいました。


 再会してからは、落ち着いて、けれどどこかはにかんだジークさましか存じ上げませんでしたが。

 こうして陽の光の下で、まばゆく目を細めるジークさまは夜のなかで見た彼とは違い、朗らかで、日灼けした肌さえも日光に愛されているように思えたのです。


 かつて足をくじいた時にジークさまが使用していたという杖を貸してくださり、歩くのもこれで難儀ではありません。


 彼の愛馬のアルナイルに二人で乗り、市場へと向かいます。

 朝露の香りと、馬のにおい。


 石畳の道を進むと、しだいに民家が増えてきました。

 薄いスレートの石の屋根を葺いた家や、みっしりと詰まった茅葺きの家、二階まで達する薔薇が、華々しく咲き誇る家。


 朝の爽快な風に、いろんな庭からただよってくる花の香りに、我が家を思いだしました。


 ラベンダーを摘みたかったのに、蜂蜜色の小花をふんだんに咲かせる木香薔薇もっこうばらに、お水をあげたかったのに。


 園丁のおじいさんの仕事を、モニカやデニスは軽んじないかしら。彼ひとりで庭仕事がまわるのかしら。

 一度、庭が荒廃してしまったら、再生するにはあまりにも時間がかかりすぎるのに。


「大丈夫かい? 足が痛む?」


 頭上からいたわる優しい声が降ってきました。それは天気雨のように、晴れているのに花や緑を癒すような声でした。


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