15、手当て
「足を見せてごらん」
お茶を飲み終わったわたしの前に、ジークさまがひざまずきます。
床においた木の箱を開くと、中には包帯や軟膏のはいった丸い缶がきちんと収められていました。
つんとする消毒薬のにおいが、部屋に残る香りたつカモミールのにおいと混ざりあいます。
「あの、手当てでしたら自分でできますから」
「いや、無理だろ」
「失礼」と断りを入れると、ジークさまは有無を言わさずわたしの絹のソックスを脱がせました。
素足になった右の足がすうすうとして、春の夜の寒さを感じました。
「足首が腫れている。それに、ああ、可哀想に。長いあいだ歩いたからだな、かかとも小指も赤くなっている」
「……見ないでください」
わたしの声は今にも消えいりそうに、窓のそとで鳴く虫よりも小さいのです。
顔を隠したところで、素足は見られています。いえ、それどころかジークさまの膝に右足を載せている状態です。
こんなはしたない格好、恥ずかしくて耳がちぎれそうに熱いんです。
わたしはなんとか背を丸めて、両手で右足と隠そうとしました。
「お願い、します。もう、はなしてください」
「医者が手当てをしていると思えば、恥ずかしくはないよ」
淡々としたジークさまの声。でも、ジークさまはお医者さまではないんですもの。
憧れの、ずっと憧れていた騎士さまで。
ああ、そうだわ。わたし、ジークさまに焦がれていたの、だからあなたからの手紙をずっと大事にしていたの、今も持ってきているの。
「大丈夫。手当てしかしないから」
耳に染みいる声だったので。耳だけではなく心にまでじんわりと滲んでゆく柔らかい声だったので、わたしはそうっと両手を外しました。
「犯人を見つけだして、半殺しにしてやる」
地の底から響く声に、わたしははっとしました。
ですが、ジークさまは「ん?」という風に笑顔を浮かべていらっしゃるの。空耳だったのでしょうか。
◇◇◇
長椅子で眠るというクリスタを説得し、なんとか寝室のベッドに寝かせることができた。
寝間着がわりに俺のシャツをはおったクリスタは、そうとう疲れがたまっていたのだろう。もともとおとなしい子だが、静かになったと思ったらもう寝入っていた。
「毛布をかぶらないと、さすがに寒いぞ」
あどけない寝顔を、窓から射しこむ四角い檸檬色の月光が照らしている。
薄い瞼、長い睫毛の濃い影。柔らかそうな耳の形やくぼみにも影が落ちている。
頬にかかる金の髪を指で触れようとして、ためらって手をとめた。
「すまない。あなたにとっては家を追い出されたことは不幸でしかないのに。俺にとっては、あの阿呆との婚約が消えたことが嬉しくて……」
人の不幸を喜ぶわけではないが、あの貿易商は結婚しても女遊びをやめないことは自明だ。
明日には市場に行って、それから店にも寄って、クリスタのものを揃えよう。
彼女が、ここをうちだと思ってくれるように。安心して暮らせるように。
「俺の手紙をずっと持っていてくれたんだな。大事にしてくれていたんだな」
曲げられた指の間に握られていた封筒を思い出すと、せつない思いがこみあげてきた。
いい年をした大人なのに、まるで少年のようではないか。
俺の中ではクリスタは、ずっと子爵家の小さなお嬢さんで。レディとなってからは、挨拶くらいしかできなかった。
こんな風に十年もひょいと飛び越えて、俺の前に現れてくれるなんて。
足の手当てを終えてから、クリスタは飲み終わったカモミールティーのカップを洗っていた。洗い物は明日でいいと言っても、気になるのだろう。
汲んである井戸水を使い、手際よく洗っていく後ろ姿は両親が亡くなってからの彼女の生活を彷彿とさせた。
水音がやけに寂しく響くのは、夜のせいなのか。
子爵家のお嬢さんが、メイドのように洗い物をして暮らしていたなど。考えるだけでもつらい。
きっと妹は、ローゼンタール家が貧しくなり使用人が減ってからも、家事など手伝わなかったことだろう。
食べた後の皿やカップ、汚れた衣服ももしかするとクリスタに洗わせていたかもしれない。
彼女を不幸に陥れたデニス・テルメアンを許すことはできないが、幽閉しなかったことだけは感謝しよう。
一つのベッドで背中合わせに眠っていると、自分よりも温かな体温を布越しに感じた。
クリスタの温もりが心地よくて、俺は意外とすんなりと眠りに落ちた。