11、ジークさまの申し出
「クリスタはこの私が引き受けます」
ジークさまの突然の申し出に、わたしは目を丸くし、リタは泣くのをやめ、おばさまは口をぽかんと開きました。
夜風が野をわたる音が聞こえます。さわさわと草をなびかせ、かすかに、りりと虫の声が聞こえました。ジークさまの馬が、澄んだ虫の声に耳をぴくりと動かします。
沈黙が長すぎたせいでしょうか。御者が「奥さま、いかがなさいました」と問いかけるほど。
「引き受けるって、あなた。どういう意味か分かっているのでしょうね」
「無論です」
「クリスタは未婚の若い娘ですよ」
「存じております」
「ああ、もう、そうよ。婚約者に捨てられたあわれな娘は、この先いい縁談などないでしょうから、ですから私は彼女を修道女にと。それが最善の策と考えたからこそ」
おばさまは頭が混乱しているという風に、なんどもなんども首をふりました。
「ええ、分かっておりますわ。あなたは伯爵家の次男でいらっしゃるもの。爵位を継ぐことはできずとも、今では騎士団の副団長も務めておられるのですから、紳士であることは存じております」
「では、認めてくださるのですね」
「決めるのはクリスタです」
それまでの迷いをふり払うように、おばさまはきっぱりと断言しました。そしてわたしに向き直るのです。
これは、真剣な話だと察しました。
座っていては失礼だと、立ちあがろうとしたとき。するどい痛みが足首に走りました。
「……っ」
声を噛み殺し、なんとかこらえますが。ひとりで立つのも苦しいほど。
リタが体を支えてくれるのですが、さほど身長が違わない彼女もよろけてしまいます。
すると、ジークさまがわたしの腰に手をそえたのです。
とっさのことで、避けることもできませんでした。
わたしの体をほんのわずかに持ちあげるように腰を押さえて。ですから足首の痛みを感じることもなく、むしろ片足が少し浮いた状態で支えられて立つことができました。
自然に、さりげなくわたしに手を添えてくださるジークさま。
このかたは、女性を、子どもを、病める者を、弱き者を護る騎士であり、さらには副団長でいらっしゃるのだと実感したのです。
立ったことで、おばさまの目の位置が近くなりました。
「クリスタ。あなたはどうしたいの? むろん、とつぜん修道女になれと言われても困るでしょう。ですが、あなたのような娘が一人で生きていけるほど世の中は甘くはないのですよ。分かってください」
「わたしは」
口を開いたその時、ジークさまの大きな手に力がこもるのを感じました。
ぴぃんと弾けば音がしそうなほどに多くの星がきらめく夜。
月はなく、それでも星明かりと馬車にさげた灯りでも、見あげたジークさまの表情が緊張しているのが分かります。
どうしてそんなにわたしの今後に、気持ちが張りつめていらっしゃるの?
久しぶりに、ほんとうに久しぶりに再会しただけの娘に、こんなに優しくしてくださるの?
わたしは、あなたの親切に甘えてもいいのですか。
深呼吸をして、おばさまの顔をまっすぐに見つめます。
「修道院には入りません」
「そう。では、どう考えているの」
「ジークさまのお世話になってよろしいのでしたら、そうしたいと存じます」
ほっと息をつく音。
おばさまではなく、リタでもなく、それは間近から聞こえました。
リタはわたしと共にと言ってくれましたが、今のジークさまのお家には使用人部屋がないそうです。
結局、おばさまの家の仕事のかたわら、ジークさまの家に通うということでリタは納得してくれました。
「お嬢さま。これをお返しします」
絹のハンカチを取り出したリタは、包みを開き、なかから若くやわらかな緑の葉に似た色のペリドットを取りだしました。
「いいえ。それはあなたが持っていてね。はなむけですもの」
ようやく納得してくれたリタは「必ずすぐにおうかがいします。家事はまかせてください」と。なんどもなんども繰り返すのです。
家事だなんて、あなたは侍女で、レディースメイドなのだから、お料理やお掃除が専門ではないのよ。
そう言いかけて口ごもりました。使用人の数が少ないので、リタもわたしも多少の家事はこなしているのです。それでも決してうまくはありませんが。
ジークさまに呆れられて「やはりクリスタには修道女になってもらおう」なんて、追い出されないようにがんばらなくては。
窓から身をのりだして、いつまでもわたしを見つめるリタ。
ブローム家の馬車が小さくなり、闇に消えてゆくまでわたしはずっと見送っていました。