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お姫様は肉食系

作者: ナツメ

 とても陳腐に聞こえてしまうかもしれないが、聞いて欲しい。

『私』の生まれ故郷であり、暮らしている国家は、偉大である。

 特に、お姫様が最高に素晴らしい。

 世界でも、唯一無二の皇女様だ。

 あのお方は、至高の存在である。



 場所はマルセリーナ王国。その中心である王都、バルバリの僻地。

 モリナロ王を頂点とし、絶対君主制が敷かれたバルバリの毎日は、穏やかなものであった。季節による寒暖の差こそ激しいものの、苦しい時期には必ず国が備蓄食食料を配給しており、他国からは『飢えないバルバリ』として、高名を轟かせている。

 そんな恵まれた国に生きるとある男の人生は、平々凡々を絵に描いたようなものであった。

 特別な才覚もなく、大勢の者らと足並みを揃え、それを疑問にすら思わなかった幼少時代。人並みに勉学に励み、農業を営む両親を手伝い、後を継ぐことを当然のように思った青年時代。女性との縁には未だ恵まれていないまでも、日々の合間にホッと息をつける程度には稼げるようになった今。


 その男は何一つ、自身の人生に疑う所などなかった。

 ただ一つ、男が人と違う面があるならば、それは――。


コランタン:「……ん、うまい」


 男――コランタンは収穫したトマトを囓り、満足げに頷いた。

 彼が育てた、数々にして色とりどりの野菜達。身体が不自由になった両親から受け継いだ農地にて、コランタンが心血を注いで育てた宝物であった。

 両親からの教えを、コランタンは一日たりとも忘れたことはない。


コランタンの父母:『命は大事に』


 誰もが共有する、当たり前の価値観。だが彼の家では、その教えは通常よりも遙かに厳格なものであった。


コランタンの父母:『肉を口にする事勿れ』


 それが、代々受け継がれてきたコランタンの家に伝わるもう一つの家訓である。事実、コランタンは生まれてから一度たりとも、牛肉、豚肉、鶏肉問わず、肉と呼ばれるものを口にした事はなかった。

 コランタンはそれを当然だと思っていたし、命を決して粗末にしない己が血脈を誇りにすら感じている。

 だから、コランタンは平気で肉を命を口にする周りの人間達に、嫌悪感に似た感情を抱いている事を否定はできなかった。

 当たり前の顔をして尊い生命を手にかける悍ましき人間。

 憐れな命を想像するだけで、コランタンの胸裏から怒りが顔を覗かせる。

 だけど……。


コランタン:(「そんな事……肉食をやめろなどと、わざわざ口にしてどうなる?」)


 単純に、コランタンには度胸がなかった。平凡に生きてきた彼には、何か大それた行動を起こす気概など、相当なきっかけがなければ沸き起こるはずもない。ゆえ、命を粗末にする大多数に彼ができたこと言えば、内心で軽蔑する事だけ。


 しかし、ある日――。


 コランタンの元へ、一通の手紙が届いた。届いた手紙には、コランタンの命に対する考え方に、深く共感するといった内容が書かれていた。

 コランタンは、困惑した。

 何故ならコランタンは臆病であり、外で個人的な主張など一度だってした事がなかったからだ。友達の少ない彼には、本心を語れる相手も多くはない。


コランタン:(「一体……誰なんだ?」) 


 コランタンは不審と、若干の興味に胸を疼かせた。

 その後も手紙は、定期的に届いた。

 内容はいつも似たり寄ったりで、だが必ず、男の琴線に触れる一言が書いてあった。


謎の女:『人間の欲望のために、命が粗末に扱われて、本当にこれでいいのでしょうか?』


 命を大事に。その想いは一緒だと、いつからか会った事もない手紙の主に、コランタンは心を揺り動かされるようになった。

 そしてコランタンは初めて――。


コランタン:「今まで無視しておいて、突然の返信を謝罪する。だが、これだけは言っておきたいんだ。自分も気持ちは同じだ! って。命が粗末に扱われていいはずがないんだって事を!」


 本心を隠すことなくしたためた手紙を返送することにした。

 手紙を書き終えた瞬間、コランタンはとても気持ちが良かった。胸がすく想いだった。今まで自分がこれほど鬱屈した感情を抱いていたのだと、コランタンは初めて知った。送る手紙は束で、いつの間にか二十枚を超えていた。

 コランタンは、祈るような気持ちで返事を待った。初めて明かした本心を相手に引かれていないかと心の底から恐れた。しかし、それはどうやら杞憂だったようで、返事は二週間後にやってきた。


コランタン:「……これは?」


 手紙の内容は、いつもとは少しだけ違っていた。白い綺麗な便箋の中央に、住所だけが書かれている。


コランタン:「行ってみろ……そういう事なんだろうか?」


 迷ったが、手紙の相手を親友のように感じ始めていたコランタンは、暇を見つけて書かれてあった住所へと足を伸ばした。

 そこには、多くの牛が飼われていた。

 恐る恐る入ってみると、職員が現れ、何故かコランタンの名前が呼ばれた。笑顔で応対する職員に、コランタンは何が何やら分からぬうちに施設を案内された。

 奥に連れて行かれる。

 そこには銃を持った人間と、牛がいた。銃を持った中年の男は、何気ない仕草で牛の頭を打ち抜く。

 崩れ落ちる牛。

 その様を呆然と見つめるコランタンの時間も止まっていた。

 やがて喉と肛門からナイフを入れられ、牛は吊される。血抜きをしているのだろう事が、なんとなくコランタンにも分かった。驚くことに、牛はまだ暴れている。それが苦痛の証明なのか、筋肉の痙攣なのかの判別はつかなかったが、コランタンはまるで自分の肉体を切除されているような痛みの錯覚を覚えた。

 最後にようやく、牛の頭が切り落とされる。

 職員の男は笑顔でコランタンに何やら説明をしているが、彼の耳には何も入らない。

 コランタンは、魅入られたように落とされた牛を頭を見つめていた。

 牛は、優しげな顔をしていた。

 しかし、その瞳は悲しみに塗れているようにも見えた。

 コランタンは、ぎゅっと両手を握る。


コランタン:(「世の中を、変えなければいけない。なんとしても」)


 平凡な男であったコランタン:の胸中に、強烈な使命感が宿る。

 案内されたそこは――屠殺場だった。







 メイドの朝は早い。

 早朝五時に目を覚まし、最低限の身嗜みを整えてから、朝食の準備を手伝う。その後、自室に戻り、主人に見せても恥ずかしくないよう、しっかりメイクをしている内に、ようやく目が覚める。それが、いつものルーチン。目が覚めると、待っているのはご褒美の時間だ。


アイシャ:「…………」


 その部屋に入る前、彼女はいつも緊張する。まるで、恋をするように胸が高鳴っていた。

 甘い感情、甘い記憶。そのどれもが走馬燈のように過ぎ去り、己が幸福を実感するのだ。


アイシャ:「……おはようございます。姫様」


 メイド姿の少女は問いかけた。長い前髪で表情の大半を隠しながらも、その奥から覗く瞳には強い意志が入り交じっている。

 白く細い腕が、ドアを叩く。

 金で細工が施されたそのドアは、一見成金趣味のような出で立ちであるのに、不思議と品というものをさ感じさせられる。細工師の優れた才覚か、それとも部屋の主のオーラがドアを伝って漏れ出しているのか……。真偽の程は分からないが、ともかくそのドアは、城内のどのドアとも一線を画した豪華さであった。


 城――そう、そこは確かに城で会った。

 マルセリーナ王国、マルセリーナ城。

 実にシンプルな名称であるが、難攻不落を誇る威風堂々とした装いに、無駄なユーモアの介在する余地はない、という事なのだろう。


アイシャ:「……姫様? まだお目覚めになれれていないのですか?」


 メイドの問いに、返答はなかった。いつもの事である。むしろ、ここで素直に返事があった方が、メイドは目を見開いて驚いたことだろう。


アイシャ:「……失礼してよろしいでしょうか?」


 改めてメイドは問いかける。十秒、二十秒。刻々と時は流れ、またしても当然のように返事はない。そうした遣り取りを経て、ようやくメイドはドアノブに手をかけた。

 やがて回されかけたドアノブは、鈍い音を立てて途中で止まる。


アイシャ:「……きちんと鍵はかかっているようですね」


 メイドは、ドアがきちんと施錠されている事を確認する。それもまた、いつもの行動。万が一、億が一不届き者が城に侵入したのなら、その狙いはこの部屋の主か、若しくはその父君――すなわち皇帝となる。毎晩、この部屋に鍵をかけるのはメイド自身だが、こうして毎日確認する事で、己が傍に居る存在の大きさを実感する事ができた。早い話が、これもまた、メイドのルーチンの一つである訳だ。

 メイドは、無言でメイド服の前ポケットから鍵を取り出すと、手慣れた様子で解錠を済ませる。

 そして、音を立てることなくドアは最低限開くと、その隙間に身体を滑り込ませた。


アイシャ:「…………っ」


 部屋の中は、薔薇の香りがした。甘く、脳が蕩けそうになる匂い。夢の世界にでもやってきたのかと、メイドは一瞬、普段の無表情さを忘れ、陶然とした表情さえ浮かべてしまう。


アイシャ:「……姫様? そろそろお目覚めのお時間ですよ?」


 メイドは一歩、足を踏み出す。その度に、甘い香りはさらに濃密さを増していく。やがて、その元凶である部屋の主がメイドの視界に収まった。

 華やかな白銀がベッドを泳ぎ、胸元はすぅすぅと寝息と同期して上下に鼓動を繰り返している。

 メイドは、その絵画から抜け出してきた妖精のような少女の姿をじっと永遠に見ていたい衝動に駆られた。

 だが、実際にはそうもしてはいられない。

 今日を生きるためのご褒美の時間はもうおしまい。また、メイドにとって受け入れがたい憎き現実が、今日も始まるのだ。


アイシャ:「姫様、起きてください!」


 触れれば壊れそうな細い肩をメイドが揺する。すると――。


シルヴェーヌ:「……んんっ……ぁ、……ア、アイシャー?」


 愛らしい寝ぼけ眼で、部屋の主はメイドの名を呼ぶのだ。






シルヴェーヌ:「アイシャ、着替え」


 ウェーブがかった美しい銀髪。宝石のような碧の瞳。括れた腰に相応しく、全体的に華奢でありながら、女性らしさの象徴である胸とお尻は少女の性をはっきりと示唆している。


アイシャ:「かしこまりました」


 対して少女に付き従うメイドの少女は、一言で言い表すならば地味であった。

 黒髪、黒目。顔立ちは整っていて、体型もスレンダー寄りながら標準以上と言えるのだが、どちらもワンパンチ足りない印象を抱かせた。もしかするとその原因は、彼女の常に傍に居て比較対象とされる相手が、あまりにも図抜けた容姿の持ち主であるせいなのかもしれない。ともかく、メイド――アイシャは、王宮内でも外出先でも、とにかく目立たない存在であった。


アイシャ:「…………ふぅ」


 アイシャは真面目だ。日々黙々と、仕事を熟す。

 アイシャの主君足る姫君。シルヴェーヌ皇女殿下の身の回りの世話こそが、彼女の仕事だった。

 シルヴェーヌの瞳の色と同じ、碧のドレス。肌の弱いシルヴェーヌため、肌触りに拘りぬいて作製されたそれを淀みない手順で着付けていき、その仕事はものの数分で完了した。


アイシャ:「……終わりました、姫様」

シルヴェーヌ:「……ん」


 シルヴェーヌは仕事完了の合図に、軽く頷く。そして、鏡の前で一回転して見せた。

 次いで、一言。


シルヴェーヌ:「悪くないわね」

アイシャ:「ありがとうございます」


 アイシャは、毎日のドレス選びを任されていた。時に気分によってシルヴェーヌが自分で選ぶこともあるが、それは稀な出来事。細かく付け加えるなら、ドレスの大半はアイシャの手縫いだ。


シルヴェーヌ:「それじゃあ出かけましょうか」

アイシャ:「姫様の御心のままに……」


 自分の縫った服を着て、アイシャの親愛なるシルヴェーヌが一日を過ごす事。

 それが、アイシャにとっての、何よりの幸せでもあった。





コランタン:「命を奪うことは! 絶対に許されぬっ!」

信者:「「「許されぬ!」」」

コランタン:「人は肉を食わなくとも、生きていけるのだ!」

信者:「「「いけるのだ!」」」


 月に一度の街の視察に、シルヴェーヌは自らの足で訪れる。月のどの日に訪れるかは、完全にシルヴェーヌの気分次第であり、街の市民達の一部は戦々恐々としているとの噂があった。ともあれ、シルヴェーヌは市民には人気があるので、大半の者達にとっては、歓迎すべき訪問だ。

 しかし、そんな平和な世の中にも、道から外れた不届き者は存在するもので――。


シルヴェーヌ:「……なにあれ?」


 シルヴェーヌは、目を丸くしていた。

 市街地の中心は、普段は人で溢れている。その活気を目にすることが、シルヴェーヌの密かな楽しみでもあった訳だが……。


アイシャ:「近頃は、連日のようにああいったデモ活動が行われているようですね」

シルヴェーヌ:「……デモ?」

アイシャ:「集団で行う意思表示のようなものです」

シルヴェーヌ:「ふーん」


 少し興味を引かれたのか、シルヴェーヌの瞳に邪気が宿る。


シルヴェーヌ:「で、あの人達はどんな意思表示をしているの?」

アイシャ:「巷で聞いた話によりますと、彼らは菜食主義者のようですね。動物を殺して食べる行いを批判しているものと思います」

シルヴェーヌ:「えっ、何!? あの人達、肉を食べないの!?」


 シルヴェーヌは驚愕に目を見開いた。


アイシャ:「……そのように聞いております」

シルヴェーヌ:「まじで? ……信じられないっ! ……ありえないでしょうよ、それ……? 気持ち悪っ!!!!」


 シルヴェーヌは身震いしながら、茫然の中に嫌悪を込めて呟く。


アイシャ:「……別にそこまで気にすることでもないと思いますが……? あと、口調が乱れております」

シルヴェーヌ:「黙っていればね。でも、ああやって思想を押しつけようとする輩は気持ち悪さ三割増しでしょうよ。それと、口調についてはアイシャの前でくらい気を抜かせてちょうだい」

アイシャ:「それは、……まぁ」


 アイシャは主人に次いで、目を血走らせながらシュプレヒコールを繰り返す扇動者の集団を眺める。血気盛んに、周囲の全てを威嚇するようなその態度には、酷く暴力的な雰囲気を否が応でも感じとってしまう。

 その証拠に、周囲を歩く住民達は、明らかに集団を避けて行動していた。子供などは特に顕著だ。恫喝じみた大音量の声に、泣き出す者までいる。


アイシャ:「確かに、そうかもしれませんね」


 思想は人それぞれ。

 だけど、それを表現するならば、やり方というものがある。

 人間は、品位があるからこそ人間なのだ。


シルヴェーヌ:「アイシャもお肉、好きでしょう」

アイシャ:「はい」


 アイシャの返答は淀みない。


シルヴェーヌ:「好きなものは好き。嫌いはものは嫌い。それでいいのよ。むしろ、それ以外必要ないのよ。あんな大声で好き勝手して、私の街の美観を壊すなんて……」


 アイシャには、メラメラとシルヴェーヌの背に怒りの炎が上がっているように見えた。アイシャはメイド服の前ポケットから、メモを取り出して確認する。


アイシャ:「……一応、市街地の使用許可は出されているようですね。姫様の名前で」

シルヴェーヌ:「……え?」


 シルヴェーヌは、ポカンとする。


シルヴェーヌ:「それ、本当?」

アイシャ:「……はい。間違いありません」

シルヴェーヌ:「…………ぁ~」


 一瞬の沈黙。

 やがて、シルヴェーヌは集団に背を向けた。


シルヴェーヌ:「仕方ない。今日の所は帰りましょう。この様子じゃ、普段通りの街の視察なんてできっこないわ」

アイシャ:「……かしこまりました」


 最後にシルヴェーヌは、一度だけ集団へと振り返り――。


シルヴェーヌ:「どうせ、こんなのに影響されるお馬鹿なんて、私の国にはいないわよ」


 そう吐き捨てた。


 アイシャは「あのお馬鹿集団も、一応この国の国民です」という言葉をグッと飲み込んで、


アイシャ:「そうですね」


 シルヴェーヌの望む言葉を告げて、その後に続くのだった。






フィン:「……なぁ、提案があるんだが、肉を食べるのはやめにしないか?」

シルヴェーヌ:「……はぁ?」


 楽しい晩餐の席。

 シルヴェーヌにとって、婚約者との幸せな逢瀬――になるはずだった夜。


シルヴェーヌ:「今、なんて?」

フィン:「だから、肉を食べるのはやめにしないか、と言ったんだ」


 その幸せな空気は、当のシルヴェーヌの婚約者であるフィンの一言によって、無残にも崩壊した。


シルヴェーヌ:「何を言ってるのよ……貴方まで」 


 シルヴェーヌは頭を抱える。


シルヴェーヌ:「ていうか、貴方だって、ついこの間まではお肉を当たり前のように食べていたじゃない」

フィン:「ああ……それについては深く反省しているよ……。だけどな、気付いたんだ気付いてしまったんだ! 肉食の罪深さに……!!」


 フィンは深く懊悩するように、テーブルに肘をつく。

 まるで、悲劇の主人公にでもなったかのようだった。


フィン:「必要のない命を……俺達は奪っているんだ。殺される動物を見たことがあるかい? 牛は自らの最後を悟ると涙を流すとさえ言われているらしいじゃないか! 彼らは最後の瞬間まで、生きようと足掻くんだよっ! 生きているんだ! 死んで良いはずがないじゃないかっ!」


 舞台の上で観客に向かって語りかけるように、フィンはそのような事を熱く語って見せた。

 しかしその言葉の中で、シルヴェーヌや給仕をしているアイシャに届くようなものは何一つとしてなかった。

 シルヴェーヌはフィンの話を聞き流しながら、牛肉を口いっぱいに頬張る。国策として何世代にも渡って品種改良されてきた牛肉は、蕩けるように柔らかく脂も甘い。


シルヴェーヌ:「ああ、美味しい」

フィン:「俺の話を聞け!」

シルヴェーヌ:「……聞いてるってば」


 シルヴェーヌはフィンを無視している訳ではない。ただ、右から左に通り過ぎてしまうだけだ。

 シルヴェーヌは、訳もなく誰かを批判したり、文句を言ったりは決してしない。シルヴェーヌは彼女にとって都合の悪い話のすべてを聞き流し、すぐに忘れるという特技を持っているからだ。


アイシャ:「恐れながら、シルヴェーヌ様と議論をなさろうと考えているなら、無謀かと存じます」


 見ていられず、アイシャは忠言する。

 議論とは、対立する両者がいてこそ成り立つものだ。その点、シルヴェーヌは対立者には決してなり得ない。何故なら、彼女の世界には、自分の意見と、それに近い意見、そして聞くに値する意見と、それ以外しかないのだから。

 彼女はあらゆる意見を排斥しない。しかし、それ以外に分類された瞬間、少なくともこの王国内において、その意見は最初からなかったことになってしまう。

 だから、もしもフィンがなにかしら答えを求めるならば、もっと単純明快な問いにすべきだ。

 アイシャの知る限り、シルヴェーヌとフィンの関係は長い。

 アイシャは、十の時に親に捨てられた所をシルヴェーヌに拾われた。その時、すでにシルヴェーヌとフィンの二人は婚約者同士だった。ゆえに、シルヴェーヌの事をフィンはよく分かっていた。


フィン:「シルヴェーヌ! お前は明日も肉を食べるのか?!」


 シルヴェーヌは肉を口いっぱいに頬張りながら答えた。


シルヴェーヌ:「当たり前。死ぬまで食べるわ」


 その迷いの僅かもない、いっそ清々しい返答に対してフィンはカッと目を見開くと――。


フィン:「ならもういい! お前とは婚約破棄だっ!」


 勢いに任せて、そう言い切った。

 シルヴェーヌはというと……。


シルヴェーヌ:「貴方、どちら様でしたっけ?」

 

 そう真顔で平然と、フィンに言い放つのだった。

 こうして長年同じ時を過ごし、将来を誓い合った二人は、姫君と最初から存在しなかった何かとなった……。






アイシャ:「姫様、苦情が多数来ております」

シルヴェーヌ:「苦情?」

アイシャ:「ええ、例の菜食主義者達のようです」

シルヴェーヌ:「…………市街地の使用許可はもう出してないはずだけれど?」

アイシャ:「それが、ここ数日は朝昼夜問わずに街中の家を強引に訪問しては、肉食がいかに悪逆かを長々と話しこんで、多額の寄付金を要求しているようです」

シルヴェーヌ:「……なにそれ、こわい。新手の詐欺じゃないの」


 詐欺にしては、あまりに大胆不敵……どころか、隠す気もない。

 きっと、フィンのような単細胞な人間が、話しに影響されて多額の金を貢いでいるのだろう。それで、味を占めてしまったのだ。最早、菜食主義者から、拝金主義者に鞍替えしたといってもいい。


アイシャ:「どうされますか?」

シルヴェーヌ:「どうするもこうするも、やめさせるしかないでしょ」

アイシャ:「手段はいかように?」

シルヴェーヌ:「私の親衛隊を使いなさいな。ただし、関係者は一人も逃がさないこと。一人でも逃がしたら、こういう輩はゴキブリのようにまた増殖するんだから」

アイシャ:「御意に」


 アイシャは慣れた様子で、親衛隊各方に向けてシルヴェーヌの指示を伝える。

 すると、ものの三日ほどで例の集団のアジトを発見し、捕らえたという報告が、親衛隊から上がってきた。

 そして、今日、尋問と相成った訳だが――。


シルヴェーヌ:「肉を食えとは言わないわ。ただ、黙りなさい。そして、募った寄付金とやらを全額返済しなさい」


 無機質な石作りの部屋に集められたのは、菜食主義集団の主要メンバー三名ほどだった。アイシャには、その顔によく見覚えがあった。どれも、市街地の査察に出向いた折に、最前線で大声を出していた人物であった。

 一人の男――名をコランタンというらしい――と、残りは若い女二人。コランタンは意気揚々に吠えているが、さすがに女性二人は怯えを隠せない様子だった。


コランタン:「断る! 我々は国の圧力に、決して屈することはない! 寄付金に関しても、合意の上でのものだっ!」

シルヴェーヌ:「合意じゃないから被害届が出ているんじゃないの。けっこうな数が来てるのよ? ……私の仕事を増やさないでっちょうだいな」

コランタン:「黙れ! 命を粗末にする悪魔共めっ!」


 自分を尋問しているのが自国の姫君だと知っても、コランタンの勢いは止まらなかった。話が通じる気がしないので、シルヴェーヌは相手を女性二人に変更する。

 その際に、コランタンがまたギャンギャンと吠えたので、一人だけ別室に移動となった。


シルヴェーヌ:「やっと五月蠅いのが消えたわね……。で、貴女たちも彼と同じ考えなの?」

信者の女A「それは……」

信者の女B「えっと……」


 緊張しているのか、どうも要領を得ない。

 それでも、辛抱強く待っていると、ちゃんと口を開いてくれた。


信者の女A「……私達は普段舞台で役者をしております。ですが、昔から太りやすい体質で、体調管理ができていないと、以前から監督に怒られてばかりで……」

信者の女B「そんな時に彼と出会って、痩せるには肉食という罪を絶つのが一番だと……」


 二人は、同じ劇団の同期らしい。似たような悩みを抱え、それを解決するため、コランタンに縋った。

 確かに、二人とも役者だけあって美人だった。

 だけど――。


シルヴェーヌ:「で、痩せたの?」


 シルヴェーヌが、どこか興味津々に問いかける。

 肉食をやめるつもりは毛頭ない彼女であるが、女性として実際の効果の程は気になる様子であった。

 やがて二人は、僅かに戸惑った後、おずおずと頷く。


信者の女A「はい。痩せるには痩せたのですが……」

信者の女B「その……今度はスタイルが崩れてしまって……」


 そう――二人は確かに痩せているのだが、魅力的な肉体とは言えなかった。首筋も、頬も、服から伸びる足も、枯れ木のようで生気に欠けている。青白い肌は、まるで病人のようだった。


アイシャ:「栄養不足ですね」


 アイシャが言った。


アイシャ:「きちんとバランスのいい食事をとらなければ、脂肪だけでなく、筋肉も落ちてしまいます。体重が落ちても、肉体の土台である筋肉が落ちてしまえば、肌は弛んでしまうものです」

シルヴェーヌ:「詳しいじゃない?」

アイシャ:「……私も一応女ですので。いろいろあるのです、姫様」


 悪戯っぽい笑みを浮かべながら聞いてくるシルヴェーヌに、アイシャは苦笑で返す。

 アイシャの人生は、地味なようで波乱に満ちているのだ。


信者の女A「やはり、そうなのですか……」

信者の女B「薄々、勘づいてはいたのです」


 女性二人は、揃って肩を落とした。

 目線を合わせるように、シルヴェーヌが二人の前に立つ。


シルヴェーヌ:「無知は罪ではないわ。徐々に知っていけばいいの。もし、これから貴女達が菜食主義を貫くとしても、私達は止めない。だけど、公衆の面前で騒いだり、金品を要求する行為をやめてくれないかしら?」


 姫君に真摯な態度に、面食らったように女性二人は目を見合わせた。

 そして、二人は、瞳に涙を浮かべながら、揃って――。


信者の女A・B「「……はい、申し訳……ありませんでしたっ……」」


 深々と、頭を下げるのだった。






 二人の女性に、すべての事情は聞いた。

 なんとコランタンは、二人からも奉納金として多額の金銭を受け取っていたようだ。加え、あまつさえここ最近では身体の要求すらしていたらしい。

 幸いなことにまだ未遂だったらしいが、シルヴェーヌは鬼の形相で男の前に再び立っていた。


シルヴェーヌ:「話はすべて聞かせて貰ったわ」

コランタン:「……何のことだか分からんな」


 コランタンは、己の所業をこの期に及んで認めてはいない。


シルヴェーヌ:「まぁ、そう簡単に認めるとはこっちも思ってはいないわ」


 しかし、それもすべて、想定内のことだ。

 強情から生まれてきたようなこの男には、こちらも強情を持って答えるしかない。


シルヴェーヌ:「ねぇ、貴方? 私とゲームをしない?」


 ニッコリと笑って、シルヴェーヌは言った。


コランタン:「……ゲームだと?」

シルヴェーヌ:「ええ、これから二週間の間、貴方がある事を我慢することができたなら、私は貴方を全面的に認めるわ。もちろん、今回のことも無罪放免と見なします」

コランタン:「ほう?」


 興味深そうに、コランタンが眉根を寄せる。


コランタン:「で、その内容は?」

シルヴェーヌ:「それは言えないわよ」

コランタン:「……なんだと?」


 男が目を見開く。


シルヴェーヌ:「そもそも、貴方の信者だった女性二人の証言や、被害者達の被害届だけでも、貴方の事を問答無用で罪に問うことはできるのよ? その内容がどうであれ、これは貴方にとって一方的に有利なゲームに他ならない。違う?」

コランタン:「……いいだろう」


 しばしの思案の後、コランタンはゲームを受諾した。

 まずは一歩前身。シルヴェーヌは、満足げに頷いた。


シルヴェーヌ:「なら行きましょう? ゲームのステージへ」

親衛隊「立て!」


 コランタンが親衛隊によって、強引に立ち上がらされる。

 そして無言で、シルヴェーヌの後に続いた。


シルヴェーヌ:(「面倒は、一度で終わらせてしまうに限るわよね」)


 例え、男が此度の件で有罪判決を受けたとしても、数年もかからず出てくることができる。そうなれば、このコランタンのような輩は、十中八九、罪を繰り返すだろう。ならば、ここで心を砕いておくのが賢明だろう。シルヴェーヌはそう考えていた。


コランタン:「…………っ」


 コランタンは、無言のまま連行され、小さな牢屋に入れられた。しっかりと牢屋に施錠を施されると、男は少しだけ焦ったような表情を浮かべる。そこには薄汚いベッドと、樽一杯に詰め込まれた水。

 そして――。


 部屋の隅には、怯えたように丸くなる、一羽のウサギの姿があった。


コランタン:「お、おい! こ、ここはっ、一体……」


 事態を呑み込めず、コランタンが言い募る。

 しかし、シルヴェーヌは既に男に対して背を向けていた。

 シルヴェーヌは顔だけ振り向いて、告げる。


シルヴェーヌ:「それじゃあ、二週間後に会いましょう」

コランタン:「ど、どういう意味だ!?」

シルヴェーヌ:「言った通りよ。貴方には二週間をそこで過ごして貰うわ。大丈夫。水があれば、人は二週間程度生きていられるから」

コランタン:「ふ、ふざけるな!」


 コランタンの怒声もどこ吹く風といった体で、シルヴェーヌやアイシャ、親衛隊の面々と共にはその場から離れていく。


コランタン:「お、おい! 待てっ!!」


 やがて大きな一枚の鉄扉がギィィという金属音と共に締められると、男の声は完全にどこからも聞こえなくなった。 


シルヴェーヌ:「そこで、命の重さを思い知りなさいな」


 最後にシルヴェーヌは、振り向くこともなく、吐き捨てるように言うのだった。






 ――命を奪うことは罪である。


 そんなことは、誰だって、ある程度の年を重ねれば子供ですら当たり前に知っている事だ。

 しかし、人は大きな矛盾も抱えている。

 命を奪わなければ、生きていけないのだ。

 それは、コランタン達のような、菜食主義者だって等しく同じ。

 野菜や穀物を作る際には、どうしても昆虫やその他の命を奪っている。

 極論を言えば、植物だって生きていると言えなくもない。

 どう努力した所で、一生を命を奪わずに生きていくことなんて不可能な相談だ。

 でも、菜食主義者の主張自体は、正しいと、認めなければいかない。

 奪う命は、少ないにこしたことはないのだから。

 菜食主義を貫くその姿勢は、賞賛に値する。

 しかし、その正義は自分だけの正義だ。

 人に押しつけてはならない。

 ましてや、人を欺くなんて、もっての他だ。


シルヴェーヌ:「私がお肉を食べるのは、お肉が好きで、美味しいからよ」


 シルヴェーヌは、牢の前で小さく呟いた。

 シルヴェーヌの言葉通り、ただ、それだけの理由でしかない。

 正当化したこともないし、これからやめる気もない。

 その一国の姫という生まれから、シルヴェーヌはある程度、命の重みを知っているつもりでいる。敵国から命を狙われることは日常茶飯事だし、シルヴェーヌは国政にも深く関わっているから、不用意な発言一つで、国を危機に陥れる可能性があることも重々自覚している。

 シルヴェーヌは、王族としては珍しく、一人娘だ。

 母はシルヴェーヌを生んですぐに亡くなり、父は再婚することも、愛人をつくることもなく、今日に至る。それが原因で、他に有力な候補もいない事から、シルヴェーヌは時期女王になることが既定路線とされていた。

 いずれシルヴェーヌは、何千、何万という国民の命をその小さな背に背負うことになるのだろう。だから、シルヴェーヌは、身に染みてよく分かっていたのだ。


 ――命が、とても、すごく、言葉にできない程に重いということを。


 それらをすべて承知した上で、肉も、穀物も、変わらず命を頂いているということを。

 健康に、一日でも長く、生きるために。

 シルヴェーヌも、そしてもちろん国民も。


シルヴェーヌ:「……命の重さ、少しは分かった?」


 シルヴェーヌは、牢の中で蹲る男に問いかけた。

 元から枯れ木のようだった男――コランタンは、生気を失っていた。それでも、ちゃんと生きている。人間の凄さを目の当たりにし、シルヴェーヌは薄らと笑った。 

 コランタンの傍には、皮と骨だけになった、血塗れのウサギの残骸があった。残骸の骨を元に戻そうと試みたのか、奇妙なオブジェのようになり、牢の隅に鎮座している。

 男は己のやった事を何一つ認めようとも、反省すらもしなかったが、彼の語った内容には、一つ真実があった。


コランタン:『命を奪うことは! 絶対に許されぬっ!』

コランタン:『人は肉を食わなくとも、生きていけるのだ!』


 男が菜食主義者であるという事実だけは、確固たる真実であった。

 恐らく、男は自意識を抱いてから、生き物の肉を口にするのは初めてだったのだろう。その証に、男はウザギのオブジェに向かって涙を流していた。


コランタン:「ぅ……ぅぅぅっ……!」


 生きるために、男は肉を口にしたのだ。シルヴェーヌが口にした命の重さ。それは、自身の命の重さに他ならない。肉食を拒否していた男は、土壇場で、自分の命をとった。それは、何よりも重い、答えだった。


シルヴェーヌ:「貴方の言っていた事は間違ってないわ」


 シルヴェーヌが、男の前にしゃがみこむ。


シルヴェーヌ:「命を奪うな。当たり前の事よね? でもね、人間は奪わなければ生きてはいけないのよ。考えてもみて? 同じ人同士ですら、奪い合ってる。食欲、美味しいものを食べたいっていう欲求は、人間の原罪なの。誰しも生まれ持っていて、死ぬまで付き合って、その中で受け入れるしかないものなのよ」

コランタン:「…………ぅ」

シルヴェーヌ:「だから、貴方のやったことは、確かに罪だけど、人間なら誰しもが持っている罪なの」

コランタン:「……誰しもが……」

シルヴェーヌ:「そう、貴方だけじゃないのよ」

コランタン:「……っっ!」

 コランタン男が泣き崩れた。

 シルヴェーヌは構わず言う。


シルヴェーヌ:「だけど、それ以上の罪を犯してはダメ。罪を憎む貴方になら、本当は分かっているはず……そうでしょう?」

コランタン:「……ぁぁぁっ! ああっも! 申し訳ありませんでした! 申し訳っ!」


 コランタンが、繰り返し謝罪する。

 シルヴェーヌはニッコリと微笑んで、


シルヴェーヌ:「いいのよ。罪は、償えるものなんだから」


 天女のように、そう告げるのであった。






 シルヴェーヌは自室の戻ると、だらしなくソファーに身を預けた。


シルヴェーヌ:「あー……だるい」

アイシャ:「姫様、言葉遣い」

シルヴェーヌ:「いいでしょう? ここは私の部屋よ?」


 紅茶を所望されたので、アイシャは主人の望み通り、美味しい紅茶をカップに注いで、机の上にそっとのせる。

 それと同時に、アイシャは一つ、気になっていたことを聞いてみた。


アイシャ:「さっきのお話……」

シルヴェーヌ:「んー?」

アイシャ:「菜食主義者の男性に話されていた内容は本心ですか?」


 問うと、シルヴェーヌは破顔して、


シルヴェーヌ:「まさかー!」

 と、一笑に付した。


シルヴェーヌ:「あれはあの男を洗脳するためよ。心が折れた人間に、新しい思想という名の傷薬を処方する。よくある手ね」

アイシャ:「なるほど、相手の弱みにつけ込む……という訳ですね」

シルヴェーヌ:「そう言われるとなんだか納得行かない気もするけど……概ねそうね」


 アイシャはシルヴェーヌに見られない位置で、ホッと息をついた。あれが本心だと言われると、アイシャとしては、酷く混乱していただろう。男を優しく諭すシルヴェーヌが、気味が悪くて見ていられなかった身としては。


シルヴェーヌ:「ま、ともかく、これで菜食主義なんて露骨に言い出す人間はいなくなるでしょう」

アイシャ:「そうですね」

シルヴェーヌ:「でも、ま、気になるのは彼の証言よね」


 シルヴェーヌは、観念したコランタンの語った内容を思い出す。概ね、シルヴェーヌ達が聞いた話と合致していたのだが、一点だけ、コランタンはある主張をしたのだ。


シルヴェーヌ:「デモをやろうと持ちかけてきた相手……ねぇ」

アイシャ:「気になりますか?」

シルヴェーヌ:「そりゃ、気になるでしょうよ」


 最初、コランタンはデモをするつもりなどなかった。肉食を嫌悪すべき対象と見ていたものの、声を出す度胸がある訳でもなかった。その後の男を考えれば信じられない話であるが、親衛隊の捜査の元、確かに男の部屋に匿名で送られてきた手紙が残されているのが確認済みだ。

 男はその手紙に後押しをされ、デモとその後の詐欺まがいの行為を実行したという。


アイシャ:「ですが、そんなに気にする程の事でもないのではないでしょうか? 男に送られてきた手紙も、特に行為を直接指示するような内容でもありませんでしたし」

アイシャ:「……それも、そうか」


 シルヴェーヌも納得したようだ。どことなく、スッキリとした表情を浮かべる。


 そんな時――。


フィン:「シルヴェーヌーー! ごめんよっ! 許しておくれーー!」


 シルヴェーヌの部屋へと続く廊下から、情けない声が届いた。


シルヴェーヌ:「誰かしら?」

アイシャ:「恐らくは、フィン様かと」

シルヴェーヌ:「フィン? 誰、それ?」

アイシャ:「…………」


 何やら主にフィンにとって不穏なやりとりをしている間にも、声は近づいてくる。

 そして、件の声の主は無遠慮にシルヴェーヌの部屋のドアを開けて――。


シルヴェーヌ:「勝手に入ってくるな! この変態!」

フィン:「ぎゃあ!」


 フィンは、シルヴェーヌに思いっきりぶたれる。

 でも、無視はされなくて、思いっきりぶたれたなずのフィンの表情はどことなく嬉しそうにも見えた。

アイシャ:「姫様、最後に一つ、よろしいでしょうか?」

シルヴェーヌ:「な、なに!?」


 シルヴェーヌは、足下に縋り付くフィンを容赦なく蹴りつけながらも、アイシャに振り返った。


アイシャ:「姫様は、どうしてお肉を食べるのですか?」


 問うと、シルヴェーヌは、一瞬呆けたように静止した。

 しかし、すぐに口元を歪め、不敵に笑う。


シルヴェーヌ:「何度も言っているでしょ? 美味しいからよ。美味しいものは古来より食べていいってことになってるのよ」

アイシャ:「命を奪うことになっても?」

シルヴェーヌ:「簡単に摘み取られる命が悪いのよ。最も、厄介な相手でも、それはそれで食べる甲斐があるってものだけれどね」


 さすがは我が姫だと、アイシャは礼をする。

 だからこそシルヴェーヌは摘み取られぬよう、そして摘み取らさせぬよう、強くあろうとするのだろう。

 清々しい肉食系であると、アイシャは礼の下で花が綻ぶように笑うのだった。






アイシャ:「ふぅ……」


 アイシャは机の引き出しを開け、その中から紙の束を取り出した。どうやらそれらは手紙のようであった。手紙の一番下には、ある男の名前が記載されている。アイシャはその紙の束に、マッチで火を付けた。すると、たちまちの内に、紙は火に包まれてしまう。


アイシャ:「証拠隠滅完了」


 感情を込めず、呟く。

 ともすれば、アイシャは深い怒りに、発狂しそうだった。


アイシャ:「おのれ……フィンッ!!」


 でも、どう頑張っても怒りは抑えきれず、憎き相手の名が思わず口を吐いて出てしまう。


アイシャ:「何度も! 何度も何度も何度も! 姫様とようやく破局したかと思えば、ゾンビのように復活してっ!!」


 夫婦喧嘩は犬も食わないとはよく言うが、シルヴェーヌとフィンの仲はまさにそれだ。シルヴェーヌは強情だ。だから、一度なかった事にされると、意地でも認めない。ゆえに、関係はいつも初めから。初めからなのに、気付けばいつの間にかいつも通りに戻っている。しかも、その度に初々しい初恋のような甘酸っぱい空気を醸し出すものだから、アイシャにしてみれば、たまったものじゃなかった。


アイシャ:「……姫様はどうしてあんな男に……」


 フィンは、世界でも有数の乗せやすい男だ。ゆえに、材料さえ撒いてやれば、勝手に引っかかってくれる。そんな、愛すべき馬鹿であった。

 アイシャは、ベッドに倒れ込む。ベットのシーツからは、シルヴェーヌの甘い香りがした。それは、洗濯すると嘘をついて持ってきた、シルヴェーヌの使用済みシーツだった。


アイシャ:「ああ! シルヴェーヌ様の、香り!」


 そのまま数分、アイシャはベットの上で身悶えた。

 そして、唐突にガバッと立ち上がる。アイシャは椅子に座ると、眉間に皺を寄せ、考える。


アイシャ:「どうすれば、シルヴェーヌ様とフィンを引き離せる?」


 二人を別れさせる方法を。

 これまでの、シルヴェーヌとフィンの二人の喧嘩の原因のほぼ全てが、アイシャによる計画的犯行であったことを知る者は……まだ、いない。



アイシャ:

 とても陳腐に聞こえてしまうかもしれないが、聞いて欲しい。

『私』の生まれ故郷であり、暮らしている国家は、偉大である。

 特に、お姫様が最高に素晴らしい。

 世界でも、唯一無二の皇女様だ。

 あのお方は――――『私』だけの、至高の存在である。

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