第5話 好きと語彙力
「シロハさんから反応がない」
スマホと睨めっこすること1時間。
時折飛んでくる生存確認ひゃっはーリプを確認しつつ、ひたすらシロハというイラストレーターからの返事を待ち続けていた。
「シロハさんから反応がない」
「わかった! わかったから!!」
「やっぱ突然仕事の依頼とか送ったから嫌われたのかな」
「チャンネル登録者200万人超えの歌い手がこんなことでうじうじ悩まないでよ! 堂々としててよね!」
と、卯乃香は言うが、気になるものは気になる。
「シローハーさんかーらー連絡が来な~い~」
「無駄にいい声で歌わない!」
「はい」
ダメだ。
気になって仕方がない。
ここはひとつ別のことに打ち込んで……。
――その時、DM通知に電撃走る……ッ!
「ッ、来た!!」
「ホント!? どれどれ!?」
*
さて、シロハこと藤白彩絵が返信に時間を要した理由を見ていこう。
まず、彼女は帰宅後、翌日の予習を手短に済ませ、英単語の小テストの予習を済ませ、やるべきことを済ませたのちに動画サイトを開いた。
検索ボックスに指定するキーワードは、もちろん学校で知った歌い手の子午だ。
「わっ、すごい。どれも100万再生超えてる」
とりあえず再生回数順で並び変え、一番人気の曲を聞いてみる。
耳につけたイヤホンから、子午という人物の歌声が届けられる。
(え、今、空気が……!)
歌い出し、ワンフレーズ。
彩絵の肌に衝動が駆け巡る。
世界に、引き込まれる。
(なに、これ。技術? 熱量? 気迫? 違う。そのすべてを前提条件だと踏み越えていくような、強者の風格?)
彩絵も一人のクリエイターだ。
いいものと出会えば、自分の糧にするために、どこが優れているのかを分析しようとする癖がある。
だが、それでも。
それを言語化するにはあまりに厳しすぎた。
「すごい……」
怒涛の4分33秒。
聞き終えてから余韻にたっぷり10秒。
彩絵の口からこぼれた言葉はそれだった。
今日のお絵描きの作業用BGMにしようかな。
それくらいの軽い気持ちで聞いただけだったのに、たったの一曲で魅了されてしまった。
あるいは、最初のフレーズを聞いた時点で心を奪われていた。
さらさらと、メモでも取るように24インチの液晶タブレットに楽曲を聞いた印象を走り描く。
鮮度を保ちたいインプットを、アウトプットという工程を経て自分の記憶に定着させる。
「本当に、すごい。他のはどんな感じなのかな?」
それからも、一曲聞いてはガリガリと筆を走らせて、一曲聞いては筆を走らせてと繰り返した。
「彩絵ー、そろそろお風呂入りなさいー」
「え? まだ早くない――」
一階から聞こえる母の声。
お絵描きを初めてからの体感は、ほんの数分。
だけどふと時計を見ると、1時間半以上も時間が進んでいると気づく。
「え!? もうこんな時間!? 嘘!?」
没入していた。
時間の経過なんて気にならないほどに、のめり込んでいた。
「~~ッ」
抱いた感情は複雑だった。
聞き手としての憧憬。
表現者としての敗北感。
創造者としての仲間意識。
そして何より。
(いつか、食らいつくしてやる!)
生来の負けん気が、燃え盛っていた。
「あれ? DM届いて……ッ、子午さん!?」
風呂に向かう前に確認したスマホに、想定していなかった相手からの連絡が届いている。
まず、抱いた感情は恐怖。
現時点においてシロハからみた子午は天上の存在だ。その人物からお声がかかれば、警戒するなというのが無理というもの。
だけど、それより強く押し寄せたのは、抑えがたい好奇心だった。
自分がすごいと思ったクリエイターが、自分に関心を抱いてくれている。その関心のベクトルがどうであれ、一秒でも早く処理したかった。
『はじめまして。シロハさん。子午と申します』
『イラスト拝見させていただきました。好きです』
(語彙力……)
彩絵は自分も曲を聴き終えた後に「すごい」の一言しか出てこなかったことを棚に上げた。
というか、いいものに出会ったら語彙なんて喪失するものである。
柳宗悦曰く『真に価値のあるものは、常に新しさを含んでいる』。いいと思ったものを言葉にできないのは当たり前なのだ。
もし「いい」を言語化できるとすれば、それは所詮既知の延長線上にあるものでしかないのだから。
『この度、オリジナル楽曲を作成して動画を投稿する予定なのですが、そのイラストをシロハさんにお願いしたいのです』
(……!)
だが、好きの度合いを表現するのに語彙はいらない。
どんな衝動にかられたか。どんな行動に出たのか。
それを表現するだけで好きの度合いは十分に届けられる。
ある人が言った。
『本音は建前に隠される。本心は行動に暴かれる』
子午という人物はシロハのイラストを見て、大事な楽曲のイラストを任せると言ってくれたのだ。
それだけで、シロハの生み出したものを高く評価してくれていると伝わる。
(ど、どうしよう……!)
その下には依頼の詳細、つまり納期や予算、求めるイラストの概要などが記されていて、シロハから改めて聞き返さずとも十分な情報が提示されていた。
ゆえに、道は二つに一つ。
引き受けるか。
尻込みするか。
それだけだ。
受けたいと思う反面、疑う気持ち半面。
どうしてこんな実績のないお絵描きアカウントに――。
「彩絵ー? お風呂はー?」
「――ッ、はぁい! いま行くー!」
呼吸を止めて、指を動かす。
次に息を吸えば、迷いが生まれてしまいそうだったから。
決断ができたこの瞬間に、返信を。
『ぜひ、お受けさせてください』
後悔は後ですればいい。
それが彩絵の座右の銘だった。