三
先生はとても観察しやすい職業です。
今もこうして皆の前で立っている。私達は座っている。注目しやすい存在。
出席番号一番の人から順に自己紹介しているのを先生は黒板と教卓の間に立って聞いている。私はそんな先生を見ている。自己紹介している人なんて全然見ていません。
しかし、私の前の席の人が立ち上がると次は自分の番だと気づきました。
前の人が自己紹介を終え座ると、十分に空気が整っている中、私は気負いなく立ち上がりました。
「綿貫つかさです。用がある時だけ話しかけてください」
私はそう言うと座りました。
源城先生が私に驚いた顔を向けています。私は先生を観察しているのでもれなく目が合います。私の発言のせいでざわついた教室を二人の視線だけが静かに横切っています。
源城先生の今日の服装はスーツではなく、ワイシャツに黒いウールのセーターです。サイズは身体に合っており、普通に似合っています。そこに昨日のような滑稽さは無く、隙も無く、私の観察欲を削ぎ落していきます。
なんだ、ただの教師ではないか。
「皆、静かに」
先生が皆に注意します。
私のせいと分かっていますが、引け目など感じません。私はこの学校の人達と親しくなりたくない。
ざわめきが徐々にひいてゆく中、先生が私を真っ直ぐに、しかし、微妙に視線を合わせずに口を開きます。
「綿貫…さん。あなたの主張は結構ですがそれを貫き通せますか?グループを作って授業する事もありますし、秋には文化祭もあります。最初から皆を突き放すような発言は円滑な学校生活を邪魔しますよ。それはあなただけの問題じゃなく、このクラス全員も少なからず関わってきます」
数学の教師らしい、理にかなった助言です。
私の不本意な現状に対する最後の意地は見過ごされる事なく、源城先生に捕まったようです。罪を認めざる負えない悪寒が背中に走り、私は観念して釈明をしようと立ち上がりかけました。
それに蓋をするかのように先生が「しかし…」と、言葉を続けます。私の腰は椅子に押し戻されます。
「高校は自主性の練習にもってこいの場です。自分の意見が通るか通らないか試すのもいいでしょう」
源城先生はそう言って、私に謝る機会を失わせたのです。
捕まえた罪人をすぐに放つ。そこに意味はあるのでしょうか?
試させているようで試されている。ふとそう思いました。
「皆さんも綿貫さんみたいに宣言してみてもいいですよ」
先生が促す。しかし、そうする人は誰もいない。
「いつでもかまいませんからね。じゃあ提出物がある人は出してください」
再び教室が騒がしくなります。
私も提出する書類などを鞄から出し、教卓まで持って行きます。先生をちらりと見ると、何やら質問している生徒と話していて後頭部しか見えませんでした。私ははっきり言って自分の発言を貫き通す気などない事に気づいています。だから、先生にさっきの事は冗談ですから、と一言、言っておきたかったのですが……
話が終わりそうにないので、私は仕方なく書類を教卓に置いて自分の席へ戻ろうとした時、わずかに先生がこちらを向いたのです。
横顔でした。眼鏡の奥から私を見て、少し微笑みます。
時が焼き付いたようにその場面が私を動けなくさせました。しかし、実際は一秒あったでしょうか。先生はすぐに質問している生徒に顔を戻します。私もそれと同時に踵を返しました。
席に着くと、訳の分からない気持ちになりました。なんだか落ち着かないのです。
あたりまえのことかもしれませんが、小学校、中学校と合わせて九年間先生と関わってきました。色々な先生がいましたが、特に何もありません。勉強を教えてくれて、楽しいこともつらいことも、叱られたり褒められたり、可愛がられたり関わりが少なかったり。それは先生の仕事だから、私、つまり綿貫つかさという生徒は仕事の一環なのです。
冷めた考えとは思いません。それは事実だからです。
そのおかげで私は健やかに育ってこれたのです。希望の高校に行けなくてあんなことを言ったのも、諦めの悪い最後のあがきにすぎません。ちゃんと謝る折を源城先生に言われなくても探すくらい私はできます。ひねくれも度が過ぎると更生が難しくなるのは他人を見て知っています。
そんなことを取り留めもなく考えていると一つの閃きに行き当たりました。
私はどうやら源城先生に不信感を抱いているみたいです。
サイズの合っていないスーツや目を見開く表情がそう思わせるのかもしれません。私を試そうとしている疑惑もあります。
そんな不信感で観察欲が再び満たされて、私は背筋を伸ばしました。




