五
神殿国家ラバールの中心に、白く光り輝く特殊な石で作られた宮殿がある。この特殊な石は昔、まだ流がラバールの一部であった頃に、流のある山から採掘されたもので、流が立国してからは輸入していた。昔はラバールの方が物価が高く、流の地方から取り寄せていた石はそんなに高くなかったが、少しずつ流が豊かになってくると、由緒正しい歴史あるラバールの代名詞ともいえる石の単価は高くなり、それが少しずつラバールの財政を悪くしていったという。
”ラバールは、神が治める国家である。流よりも、ラトゥーよりも、豊かである。”
オレオ姫の姫騎士として訪れたラバールの王宮で何度も聞いた。その言葉を今、思い出しながらラバールの神殿の一番高い塔を見上げる。
「言葉もないだろう?」
ベルヌーイの後ろで、ここまで案内してきた若い男が説明する。
「あの一番高いところにあった、金箔が全部はがれてから雨漏りするようになって、一気に石が崩れ始めたんだと」
最初は雨漏りをバケツなどで受けていたが、雨期に雨漏り程度では済まなくなり、今は立ち入り禁止になっているそうだ。そうして、次第に宮殿のあちらこちらが立ち入り禁止になり、全体が立ち入り禁止になって、放置されてしまってからは誰も近寄らなくなった。
ベルヌーイが後ろにいる若い男を振り返る。
「こんなところに住んでいて危なくはないのか?」
「全然。」
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数年ほど前に計画されたとおりに、軍人としてではなく、旅行者としてラバールに入ることになった。メンバーは、ベルヌーイ、アスピレーター、ブンゼンバーナーの三人である。少し腹が出てきた、ブンゼンバーナーを軍人と間違えるものはない。
行程は事前に決められた通りに進む。この行程にベルヌーイの意見は何一つ盛り込まれなかった。
「少しでも外れた行動をしたら、すぐ後ろで待機している軍に回収されるからな」
まるで修学旅行のようだ。いや、学生ではないけど。そして、
観光地とはおよそ言えない場所である。
ラトゥーの新年祝賀の日と、死者の魂を祈念する日が毎年あるが、その前日もしくはその日の夜によく似ていた。暗い、明かりのない道。閉まったままの扉。声ひとつ聞こえなく、遠くに草が風に飛ばされないように泣くような音。
さらにひどい。
固くしまったはずの扉はよく見れば一部損壊されていた。道の側には片目を失った人形がほこりにまみれ、着ていたはずのドレスもなく、ナイフが刺さっていた。
「ひでえことしやがる」
珍しくブンゼンバーナーがつぶやく。今気づいたが、ブンゼンバーナーの声を記録に残したのはこれが初めてである。ウォッベの潜入の時から登場しているのに、意外だった。
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旅行者が馬を連れているというのもおかしなことで、ラバールに入った時からずっと徒歩である。ラトゥーの王子様がこんなところにいるのもおかしなことで、三人ともお揃いの簡素な身なりである。
「それでも行くというから、ついてきたのだが、本心はやっぱり行くのやめたとか言ってほしかった」
というブンゼンバーナーの方をベルヌーイは向く。
「一人では行かせてもらえないということはわかっていたが、まさか」
「アスピレーターとブンゼンバーナーが来るなんて思わなかったんだよ」
ベルヌーイとしては、自分の騎士団の中で誰かを見繕うつもりだった。
「あいつが来るに決まってるだろうが!」
あいつ…。多分あの野獣のことだろう。いやいや、ラトゥーの大事な国王さまである。
「かわいそうに。泣きつかれたのか」
「いや、面倒な騒ぎをひとつ減らすため志願した」
「おお。ありがたい」
そしてブンゼンバーナーとベルヌーイがこんなたわいない話をしている間、アスピレーターは足元で何かを始めている。
「よし、行こう」
まるで靴の紐でも直していたかのように振る舞い、そしてその後はまた三人とも無言で歩くだけである。
しるしは後続の軍のためのものであるが、後続に軍がいることを知らせてはいけない。
慎重に周りを警戒しながら、旅行者は宿を探す。
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ラバールの首都のぎりぎり外、郊外と言われる場所で、治安のよかった地域での宿探しを指定された。
「あるとも思わなかったが、ないとも思っていなかった」
地域で見つかった宿は以前は公職者、いわば公務員宿舎が簡易モーテルに代わっていた。しかし、すでに水道は止まっており、瓶にはいった水を宿泊手配の時に買うことができただけである。
「部屋のトイレは壊れている」
と言われ、部屋を確認すると、鈍器で破壊されたトイレの残骸が残っているだけであった。
「何があったかなんて考えるなよ」
アスピレーターがベルヌーイの後ろからのぞき込んで注意する。
部屋には薄いスプリングマットが並んでいた。
「ここに3人は狭いな」
アスピレーターがベルヌーイを見る。
「トイレも食事も寝るときも常に俺らと一緒だと言われた時に断れよ」
「何故だ?アスピレーターとブンゼンバーナーと三人一緒に縄でくくられても」
「私は気にしないよ」
ベルヌーイが微笑むと、
「俺らが気にするんだよ!」
怒られる。
男性集団の中で女性ひとりが女性であることを隠しながら、どきどきハラハラしながら過ごすという小説を読んだことがあるが、ラトゥーの姫騎士である自分は最初からそんなどきどきハラハラな状況に置かれなかった。騎士団の団長、ではあったが、食事や行動は常に皇太女と一緒で、騎士団と共にあることの方が少なく、自分は皇太女の侍女として扱われた。
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「周到な計画通りに動けば、行かせてくれると信じていたからね」
ベルヌーイが行きたいところを行かせてもらえるような場所でも状況でもないことはよくわかっていた。けれど、
「フェノールが来れないとは思わなかったな」
「ああ。うん、まあ」
ブンゼンバーナーが推していたことは知っていた。外交で培った人相学なのか、初対面に近くても、瞬時に人選することができる。
「流の人間を避けたかな」
というのがベルヌーイの考えでもある。
「飯行くぞ」
時計を見ていたアスピレーターが告げる。
修学旅行ではないが、食事のタイミングも決められている。
夕食をどこでとるかまでは決まっていない。場所や状況柄、予約はできない店ばかりなので。が、このモーテルを探している時に大体、店は何軒か見てきたのでその中で一番無難な場所をある程度決めていた。
「いらっしゃい」
簡易的なテントのようなところが厨房になっていて、三階建ての建物の一階で食事を提供している店の前で足を止める。
「中でも食事ができるよ」
が、何かあったときに中は怖い。すぐに逃げ出せないし、外の様子はわかりにくいし。
「いや、そこのテーブルと椅子でいいか」
大将らしき男性にアスピレーターが声をかける。
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大将が無言で頷くと、適当に三人が座る。しばらくして奥から若い女性が出てきた。手には簡単なメニューを持ってきた。それを机に置くと、
「上の階でマッサージもやってるよ。どう?」
三人の中で一番男前のベルヌーイの両肩に両腕を滑らせる。自然に背中と肩に女性の豊かな胸があたる。
「いや、私は必要ない」
そのしぐさですぐにわかる。こんな物騒な世相のなか、2階に上がる客は少ない。それで、2階では別のサービス業を行っているのだろう。
「あ、そう。」
女性はすぐにベルヌーイから離れた。客にならないヤツにサービスはしてくれないらしい。
「ねえちゃん、俺でもいいか?」
ベルヌーイが離した魚をブンゼンバーナーが捕まえる。
「じゃ、後で声かけて」
うきうきと女性は去っていった。アスピレーターが近くにいる大将に直接、食事の注文をし出す。
ある程度食べてしまうと、ふらりとブンゼンバーナーは姿を消した。ベルヌーイは気にせずに、酒しか飲み物がなく仕方なく頼んだ、一番アルコールの少ないドリンクを飲む。
「ラバールの若い世代に人気の高かった安くて味のいい発泡酒が」
「こんな値段になったんだな」
ありえないインフレ後の値段が正規の値段になっている状況を嘆く。
「大人しくラトゥーにいてくれよ」
アスピレーターが呟く。
ベルヌーイは通りを眺めているだけで無言だった。
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