一
静かな住宅地の片隅、あまり人通りのない家の前に50代の女性二人が立っている。
「本当にここなの?」
一人の女性がもう一人の女性に尋ねる。訊かれた女性は軽く頷くだけである。
「なんだか、人が住めなさそうな古い家に住んでいるのね」
そう言って軽く笑う。
「別にいいけど」
あたしは話を聞きたいだけだし、と続けて、女性は玄関扉にある錆びた鉄の輪をそのあたりにあった適当な布でつかんでガンガンガンと鳴らす。
奥の方で、はあーい、と言う声が聞こえるが、その後の誰かの足音やらは全く聞こえない。
一人はこうなることをある程度予想していたのか、イライラ待たされている女性を一人玄関に残し、この家の手入れがされていない小さな庭を眺めている。
「まあまあまあ、ようこそ」
15分ほど待たされてから出てきたこの家の主は、50代くらいの女性で、頭には若い子しかつけないような簪((かんざし))が何本も差さっていた。
「ごきごんよう。ベンチュリ様」
先ほどまでのイライラを眉根にだけ出して、笑顔をつくる。
「プラントル様とプラントル様のご友人の方ね」
「レイリーとお呼びになって」
そう言って、レイリーは手に持っていたお土産をベンチュリに渡す。
「話を聞きながら、ベンチュリ様と一緒にいただこうと思ってお持ちしたの」
ベンチュリはすかさず品定めをする。
↩
「まあ、これはよく知ってるわ」
ベンチュリは一瞬だけ馬鹿にしたような顔をしたが、すぐに隠して笑顔を見せた。
「子供の時に、使用人たちが食べていたのをもらったことがあるわ。」
「しばらく食べたことはないけど、とても懐かしいわ。子供の頃って味覚が未発達だから、食べられたのね」
「よく知ってるお菓子で良かったわ」
気にせず、レイリーが応える。
「わたしは食べたことなくって、きっと驚くかもしれないと思って。よかったわ」
「…」
「…」
しばらく無言で笑顔を見せあう。
「あ!ブラントル様、どうぞあがって。」
「あ、じゃあ、お邪魔します」
レイリーがベンチュリを押すようにして、室内に入る。
「ああ、もう。あんなひとで本当にわたくしの英雄伝が書けるのかしら」
「ベンチュリ様、始めますよ」
「ああ、そうね。」
ベンチュリが一人だけいる手伝いの女性の名前を呼ぶ。現れた若い女性にレイリーからの土産を渡す。
「ベンチュリ様、わたくし、故郷に戻ることになりましたの」
プラントルのその一言に一瞬、手伝いの女性が驚く。
「まあ、そうなの」
ベンチュリはあまり残念そうな様子を見せず、
「ああ、さっさと用意してちょうだい」
手伝いの女性を追い払うようにした。
「確かすごい田舎だったわよね。プラントル様の故郷って。ふふ。」
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「ええ、ベンチュリ様が楽しめる場所ではないでしょうね」
「ベンチュリ様、始めますよ!」
レイリーが苛立たしげに呼ぶ。
「急なことで用意しなくてはいけなくて、今日はここで失礼しますわ」
プラントルが帰って行くのをベンチュリは気にしない。
「で、それで?どうなったの?」
「ええ、それでわたくし、すぐにラトゥーの姫があのベルヌーイだって気づいたのよ。」
「ええ、すっごーい。で?」
「これは何か起こるって確信したの。ほんとそういう時は勘が働くのよ」
「国王妃としての資質の一つよ」
「へえ~」
「ベンチュリ様、ありがとうございました。すぐに草稿を書きますね」
「ええ、お願い。楽しみにしてるわ」
ベンチュリとレイリーが部屋から出てくると、手伝いの女性の気配を感じない。
「やだ。帰ったのかしら。あのこ、使えないわ。カスね。」
「あら、ベンチュリ様、こわーい」
ベンチュリは気にせずに、レイリーを見送った後、部屋に戻っていく。
「どうだった?」
ベンチュリの家から少し離れたところで待っていた男にレイリーは声をかけられる。
「だめだわ。全然情報ないわ。あの女」
レイリーが応える。
「それよりも、ちょっと気になることがあるの。手伝いの女性が消えたのよ」
「え?」
「…すぐ離れよう」
男はレイリーの手首をつかんで、無言でそこから去って行った。
↩
最初は自分の咳き込む音だった。室内は乾燥しないように気をつけているのに、なぜ咳が?と気づいて、ベンチュリは目を覚ました。
その時に一瞬、
「やだ。なんの臭い?」
嗅いだことのない臭いを感じ取った。
嫌な予感が一瞬だけした。けれど、すぐにそんなはずは絶対ないと確信した。ゆったりとお茶でも飲んで気分を変えたいくらいだった。けれども、部屋の外から、シュウシュウと音が立っているのが聞こえ、ぱちぱちと何かがはじけるような音もした。
「火事かしら?いやねえ」
けれども、まだ他人事として考えてていた。
「そうだわ、あの香水どこかしら?」
嫌な夢を見たときは、起きた時にとびきりの香水をつけるマイルールがあった。
戸棚のいつもの定位置にある高級香水は、流国の都から取り寄せたものだ。薄いガラスはいつも冷たく感じるくらいなのに、今はそう感じない。
「暑いわ」
窓の外、少し明るい。
「やだわ。まさかうちじゃなでしょうね」
お気に入りのガウンだけを羽織って、お気に入りの香水瓶だけを左手に持って、部屋の扉を開ける。
「!」
驚きすぎて、声もでなかった。寝室からリビングに来て、リビングから反対側の窓越しに庭を見ると、雑草だらけで全く手入れのしていなかった庭がキャンプファイヤのように燃えていた。
↩
足が震えだす、こんなことは初めてだ。
「誰がこんなことをしたのよ!」
思わず大声で怒鳴ると、左手からするりと高級香水瓶が滑り落ちて、床にあたる。
「あ!」
ガっという鈍い音がしたのは、高級香水用の瓶が厚手にできていたからだ。それでも、瓶の底が少し欠けてしまった。
「ああ!もう!」
急いで高級香水瓶を拾って、リビングを背にして向きを変える。寝室の隣のキッチンのところから庭とは反対側の外に出れる勝手口へ向かう。
「誰か!誰か!」
外に出てながら、声を大にして叫ぶ。集落まで行って、誰かを呼んでこなくては。まさか、庭だけで家までは燃えないと思うが、のんびりしている暇はない。
「あ!誰か出てきたぞ!」
大声で指をさしながら、男性の声が響く。
「まるで見世物のようだわ」
お気に入りのガウンが汚れないように気をつけながらベンチュリは歩く。足元は室内履きのサンダルで、こうして外を歩いてしまったので、もう捨てるしかないだろう。
「早く消してちょうだい」
ベンチュリは苛立たし気に、火事を見に来た男たちに命令する。
「はあ?何様のつもりだ」
男のひとりが笑う。
ベンチュリは男をにらむ。
「わたくしはウォッベの王妃よ!」
「ああ、夫殺しの王妃ね」
「なんですって!!」
ベンチュリがさらに何かを言おうとしたところ、男は別のことに気づく。
「村長!人数集めてきました!」
「おお。さっさと始めてくれ。早く鎮火させねえと、村に被害がでる」
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村長と村民によって、火事は2時間足らずで鎮火した。鎮火さえ終わると、呼び出された村民は笑顔でベンチュリの家を後にした。
ただひとり、ベンチュリは呆然としていた。
家の壁は黒焦げ、あちこちに放水をかけられて、雨でぬれることのないところが水浸しであった。リビングの窓ガラスの一部が壊れ、リビングの中も水浸しであった。鎮火させたただけで、後始末など、何もせずに帰っていく村民を憎らしく見送るだけであった。
「ちょっと!ちょっと!」
慌ててベンチュリが村長を捕まえる。
「わたくしの家がもう住めないわよ!どうするのよ!わたくし一人なのよ!」
「はあ?あんた、この前の男はどうしたんだ」
「え?誰のことを言ってるの?ポアソンのこと?」
「名前まで知らんが」
「ポアソンはもう帰ってこないって言ったじゃない」
「そんなことは知らんが」
「ねえ!わたくしはどこで休んだらいいの?」
「あんたの火の不始末が惨事を起こしたんだろうが」
「どうしてわたくしのせいなの!意味がわからないわ!」
ベンチュリが怒りながら、家の裏に向かって歩き出した。
「村長、ちょっといいですか」
村長は現場検証をしていた軍部のひとりに声をかけられる。
「おう、どこが一番燃えていた?」
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