序章
流国の第一王子、クリープに教えられた通りの道を進んでいくと、山道を通り抜け、突然、白壁に薄い青屋根のかわいらしい建物が出てきた。建物としてはそんなに大きくはない。どこかの金持ちの小さな別荘という第一印象を受けた。
馬で歩を緩めながら、フェルメールは小さな屋敷の外装に納得がいっていた。
「ベルヌーイ殿の雰囲気によく合っている」
玄関先には馬をつないでおく簡単な馬のための休息所があり、これもまた、ベルヌーイの軍人相手の気遣いを感じられ、
「ベルヌーイ殿らしい」
ここがベルヌーイ、ラトゥーの皇太女の元姫騎士の屋敷であると確信を持ち、屋敷の玄関を強めに叩く。ドアの向こうに人の気配を感じながら、玄関扉をよくよく観察してみると、剛健な木製扉に流線の鉄製の飾りがついており、それが見た目には美しく、簡単には破られない扉の実質的な強固さがあることに気づく。
「さすが」
会ったらまず、この扉を話題にするのもいいかもしれないと待っていると、
フェルメールの目の前に現れたのは、長いロングのコートのようなシンプルなドレスを着たベルヌーイであった。
「久しぶり」
「…」
「どうした?」
「ああ、すまない、少し寝ていたからこんな格好で」
「いや」
「とにかく中にどうぞ」
↩
フェルメールはベルヌーイになかば強引に引きずりこまれるように屋敷に入る。ベルヌーイに促されて、屋敷内に入ると、外観のイメージ通りの内装で、装飾も可愛らしく、柱の隅にはウサギの彫刻が掘られており、
「…メルヘン」
思わず呟くと、
ベルヌーイは苦笑気味に、
「どうも、私の家にはこういうのがいいと聞かなくって」
「おとぎ話に出てくる王子様のような家になってしまったよ」
応える。
そして思い出す。
「ああ、そうだ」
「ラバールの近況を報告してくれてありがとう」
丸みを帯びたデザインの椅子やテーブルがあるリビングに通される。
「なかなか返事もできず」
「ラバール調査にも参加できず」
「申し訳なかった」
「ここ半年はほぼひきこもり状態でね」
「馬にも乗ってないから、まずはそこから始めないと」
「銃にも触ってないわけではないから、安心してくれ」
そう言って微笑むベルヌーイは以前会ったときの雰囲気をそのまま残していた。
流の第一王子で皇太子であるクリープから詳しい情報を得られず、逆に現在どうなっているか聞いて来てほしいと言われて来ているので、
先ほどからベルヌーイの様子に違和感しか感じない。
「どこか怪我か病気していたのでしょうか?」
「え?ああ、うん、そうだな」
手紙でやり取りしていた時とおなじように、途端に曖昧になる。
「ラトゥー国内でも、公表はしないらしいんだけど」
「クリープ王子やエルボ王子には隠せるとは思ってないよ」
↩
最後にベルヌーイと会ったのはいつだろう。
「ラバールに調査に行ってみたいな」
確かベルヌーイがそう提案したと聞いている。
その場に自分はいなかったが、クリープ王子やエルボ王子の提案により、久しぶりに流の王宮に呼ばれた。
「ベルヌーイ殿とラバールに調査に行ってきてほしい」
武装せず、旅行者として軽く市場調査の予定だった。
予定を立てて、行程を念入りに打ち合わせしていた矢先、ベルヌーイの不参加が伝えられる。
「詳細はよくわからないんだけどね」
クリープ王子も少し困惑しているようだった。ベルヌーイとの連絡が突然途絶え、ラバールへの調査も延期となった。
今、フェルメールの目の前にすらりと立つベルヌーイは、ラトゥーの国だけでなく、流国の女性も魅了していた美しさをそのままにしていた。
「一般的に、病気とは言わないそうだ」
「だけど、体力は削られるね」
「今すぐにラバールに行けるような状態ではないんだ」
「だけど、そのままというわけにもいかなくてね」
「正直言うと、アスピレーターやブンゼンバーナーからの情報を聞いていてじっとしていられないんだ」
流国の第二王子エルボに連れられて行った花街、そこで知り合ったチーズから、ラバールの最新情報を得ることができた。ベルヌーイ自身が再びあの店に行くことはなかったけれど。
↩
ラトゥーには外交担当のブンゼンバーナーがベルヌーイの後を引き継ぎ、チーズのところにいた子供たちから受け取ったいくつかの折り紙、そのうちの一つに、ラバールの最新情報を提供するという言葉が書いてあった。場所柄、様々な情報が行きかう場所でもあった。そのほとんどが機密事項であり、外部にもれたら、簡単に彼女たちが消されてしまう危険もあった。
ベルヌーイから、彼女たちに依頼することは絶対なかった。
チーズ自身も危険があることは承知であるが、すでに花街から離れることが決まっているため今ならぎりぎり入手したての情報を出すことができたのだろう。
もしくは、チーズの常連客の中にベルヌーイ、もしくはラトゥーとかかわりを持ちたい客がいたのかもしれない。
そういう外交的な事情も、正直ベルヌーイにとっては面倒なことで、
剣を振り回していたほうがまだましだった。
「ということで」
「ラバールにいつ行くかをいうことを決めようと思う」
「なるほど」
チーズから得た情報と、流国からの情報、ラトゥーからの情報、それらをすべて確認し、ラバールのどこにいつ頃行こうかという日程から再度練り直しである。
と、その時、どこか遠くで子供の泣き声がしだす。
ふあああん、と泣くその声に、ベルヌーイが一瞬顔を扉の向こうに向ける。その様子に気づいて、フェノールも扉の向こうに顔を向ける。
↩ベルヌーイの屋敷以外に近くには他に家はなかった。誰の子供だろうか、と思った瞬間に、
「泣きやまないな」
ベルヌーイが席を立つ。
と同時に部屋のドアが開き、背の高い大柄で若い男性が小さな乳児を抱いて現われた。
「ベル」
と呼びかけた男性をフェノールはどこかで見たような気がして、それが誰かを思い出そうとした。
「おむつじゃなかった」
そう言って、ベルヌーイに子供を渡すと、ベルヌーイが入れ替わるように部屋を出て行った。
「話の途中で悪かったね」
若い男性がベルヌーイに説明しようと机に広げていた資料に目を落として、
「悪いが、私にも説明してもらえるかな」
「フェノール」
まっすぐに自分を見つめる眼差しに、
「まさか、ラトゥー国王がこちらにいらっしゃるとは思いませんでした」
思わずフェノールが呟くと、オリフィスは、ふふふと笑い、
「ここは私個人の別荘をそのまま移築させていてね」
「とても気に入っているんだ」
↩