十一
エルボに連れて来られた先は、
「げ。花街」
「こういうとこ、苦手?」
「偏見かもしれないですが、こういうところでどれくらい自分が、モテるかを見せびらかしたい男性の集まるところで」
「その上を二枚も三枚もいく女性が、懐を空っぽにさせたり」
「上手く立ち回れなかった女性が暗いところで死んでいく場所だと思っています」
エルボは何も言わなかったが、聞きたくもないし、どういう表情かも、はっきり言って興味なかった。
「最悪の気分」
ベルヌーイが吐き捨てると、
そんな彼女を予想してなかったエルボが小さな声で、
「ごめん」
謝った。
一軒の大店と思われる派手な屋敷につく。
「消毒薬と香水の混ざった臭い」
「…」
「最近こういう花街を舞台にした芝居が流行ってるみたいですね」
「華やかな衣装と純愛で人々を惹き付けてるらしいが」
「裏のドブに捨てられた少女の遺体を拾ったこともないんだろうな」
流国の第二王子エルボの客人として、屋敷の玄関に入れば、
「きゃあ!どなた?」
華やかな衣装をまとった若い女の子たちが迎える。
「ラトゥーの皇太女の姫騎士、ベルヌーイと申します」
キラキラな外交官になる。
きゃあきゃあと騒ぐ女の子たちに囲まれて、にこやかに対応していると、
「あんたたち」
階段を降りてくる若い女性がいた。
「部屋に戻りなさい」
「うふ」
「ベルヌーイ様」
階段を降りきった彼女はまっすぐベルヌーイのところに来た。
「あたしが呼んだの」
↩
「きれいな女性にまで名前を覚えて頂いて」
「ありがとうございます」
ベルヌーイがにこやかに対応する。
前線で戦う自分やオリフィスはこういう場所には来ない。瞬時に誰と誰がどういう関係かを見極める必要があり、心理作戦を伴う裏世界は前線で戦えない者たちの得意分野でもあった。
「こういうところは、苦手?」
するりとベルヌーイの腕に自分の細腕を巻きつける。
彼女の顔と豊かな胸が客の視線に入るように。
女性と扱われるのも微妙な、男性と扱われるのも微妙な場所である。
「酒は飲めないので出さないでくださいね」
「あら、残念。いい酒があるのに。」
こんなところで、どんな酒が出てくるかわからない。
前線に女子供はいない。前線よりも厄介な場所だった。
「エルボ様、私を暗殺するにはいい場所ですね」
「…」
後ろから黙ってついてきたエルボは、
大きくため息をついて、
「ここでキミを暗殺なんて」
「あら!」
「やぁだ、そんなコワイこと企んでたの?」
ベルヌーイに巻きついてた女性が驚いた声を出すと、
左右の部屋の障子戸が少し開く。
部屋に一旦戻らされた他の女性たちが興味津々に覗き始める。
「もうっ早くこっち来て!」
「エルボがチーズのためにいい部屋、予約したから」
チーズ、というのが彼女の名前らしい。
↩
抗えば、簡単に振り払える彼女の細い腕に引っ張られて、辿り着いた広間に足を入れると、
一斉に振り向く幼い子どもたち。
きゃあ!わあ!とそれぞれが表情豊かに騒ぐ様子に、
「…」
言葉はない。
「え。」
「なに。」
幼稚園の発表会待ちしているような雰囲気。
「なにって、ほら、僕の初恋の話。」
エルボが呟く。
「ごめんねえ」
チーズが子供たちの一番前に立って説明する。
「この人、ほんとベルヌーイ様のこと、わかってなくって」
「母親の旧姓まで知らないよ」
「この子たちは、ラバールから逃げてきた途中で親と別れてしまったの」
言い方は優しいが、つまり、亡くなったか、捨てられたかのどちらかだ。
「あたしの働きだけではこれだけの人数は養えないから」
「この人に寄付してもらってるんだけど」
「ベルヌーイのお母さま」
「ああ、やはり。知ってるんですか」
ベルヌーイの母親は花街に産まれた。
「ええ、オイラー様がつくったオイラー財団から」
「この子たちの養育費を出してもらってるの」
「なるほど」
よかった。ここで暗殺される確率はかなり減った。
安心すると、すぐに座り込んだ。座り込むと、空腹なのを思い出す。
↩
「きししゃま」
座り込んだベルヌーイの周りを幼い子供たちが囲む。
「苗字のない子どもには、オイラー姓をいただけると」
「ええ、おかげで母方のきょうだいがたくさんできました」
たくさんのきょうだいたち。
「わたしもオイラー姓なの」
チーズが微笑む。
「なるほど」
「それでわたしが呼ばれたんですね」
ベルヌーイが納得する。
だけど、
「わたしは花街は嫌いです」
「母も嫌ってはいたけれど、縁が切れなかった」
水から揚がれた自分が水の底に今も沈んでいる誰かを救おうと水面を掻く。
「複雑なんです」
愛する母の故郷だけれども、あまりに悲しい。
「このひとね」
チーズがエルボに向かっていう。
「わたしにすごい夢中なんだけど」
「ここにこれからも大金を落としてほしいので」
「わたしは別の男性と一緒になることにしたわ」
他の常連客の後妻に収まるという。
ベルヌーイの脇をすり抜けてエルボの肩に細い腕を巻きつける。
「あたしのお願いなら」
「なんでもきいてくれるんでしょう?」
殺して、て頼んだら、きっと一緒に死んでくれるだろう。
「うん」
自分だったら、オリフィスを殴る。そう確信できる自分はエルボには何も言えない。
それが恋だと。
それを夢見させる場所なのだと。
母の悲しい言葉を思い出す。
「帰っていいですか?」
↩