九
ベルヌーイは乳母の左手首に巻いてある組紐を見つめる。数本の色のついた紐を交互に固く結んで願い事をかけたそれは、以前ストドラ姫が自分と乳母のために作ってくれたものである。乳母が嬉しそうに手首に巻いてもらっていたのを、覚えてる。
ベルヌーイもしてよとストドラ姫がお願いするのを断ったことを思い出す。ベルヌーイの分はラトゥーの城の部屋に今もある。
「ベルヌーイ殿は、ラトゥーの代表として」
フェノールがここにきた理由を話し出す。
「私、フェノールは、流の代表として来ました」
「我が国の皇帝があなたを流の後宮に迎えたいと考えている」
乳母が驚いた声を出す。
「わたしがですか?」
ベルヌーイが頷く。
「流の皇太子、クリープ王子に妃が二人いるのですが」
「そのうちの一人、アフィン妃のところに来てほしいのです」
「…わたしはラバールの人間ですよ」
乳母は驚いてそう言ったが、
すぐに、
「流国に住んでいる者が、断れないですよね」
「参ります」
フェノールに向けて、そう言った。
「お願いがあります」
「ラバールのストドラ姫の眠る場所を探してもらえませんか?」
↩
ラバールのストドラ姫は亡くなると、遺体はドラバルと共に王宮に向かった。
「ラバールの王と王子が迎えるはずでした」
「国王はすでに亡くなっていたようで…」
「王子は行方不明だそうで」
「何がどうなっているのか」
「帰ってくるはずのドラバルもそのまま行方不明では何もわからず…」
「ラバールの王は暗殺された、との報告がありますが」
フェノールの問いに、
「わかりません」
乳母は小さく答えた。
「国王暗殺の首謀者が誰か、心当たりはありますか?」
「ありません」
乳母はまっすぐフェノールを向いて、
「ラバールは神殿都市、神殿国家です!」
「そのラバールの国王は、両眼に神眼をお持ちです」
ストドラ姫と同じオッドアイの目を持っていた。ストドラ姫よりも左右の色の違いがはっきりしていた。
「ラバールの王は王族ではありません」
「神なのです」
「…」
フェノールもベルヌーイも何も言えない。
「でも、もし、神を殺したものがいるとしたら、ストドラ姫をどのように葬ったかわかりません」
「探してほしいのです」
「…それは、ストドラ姫が王族の墓に埋葬されていないということですか?」
フェノールが訊く。
「ラバールに王族の墓、というのはありません」
「神なのですよ」
「神の眠る場所は」
「…」
フェノールとベルヌーイはラバールの代々の王族がどこに眠っているのか全く知らなかった。
「所縁の場所に新しく土を盛り、森にした山です」
「!!!」
↩
数日が経ち、身辺を整理し終えた乳母を後宮に送っていく役はベルヌーイとなった。
「もともと家具は家を借りたときに一緒にあったので、そのままでいいと聞きましたが」
「確かこの茶道具はストドラ姫から下賜されたものではなかったですか?」
何かの祝い事に数回使っただけで、乳母にあげてしまったのを知っていた。
「流のお妃様のところで、使うわけにはいかないでしょう?」
そう微笑んだ乳母の左手首には組紐はもうなかった。
「アフィン妃という方はどんな方?」
乳母の片手で持てるだけの荷物を受け取ると、ベルヌーイは乳母の手を取って馬車に乗せる。
「とても素朴な可愛い方ですよ」
乳母はもう新しい世界に興味を持っている。ストドラ姫の話を持ち出すのははばかられた。
「ただ、お妃という立場になられる予定ではなかったので、後宮での様々な行事ごとに戸惑っておられるようです」
「あら、まあ。うふふ。」
乳母が珍しく楽しげな声を出す。
「昨日、アフィン妃ともうひとりのお妃様、ラーソン妃と一緒にショッピングに行ったのですが」
発案はラーソン妃だったのだが、いくら女性とはいえ、ラーソン妃がうきうきとベルヌーイとショッピングに行くのを快く思わなかったクリープ王子がアフィン妃にも声をかけた。
↩
「ラーソン妃は流行に敏感なのですが」
「アフィン妃は素材などを気にするくらいで、流行に左右されないものを選んでいらっしゃいました」
はっきり言って、2人は対局にいるのだ。
「とりあえず、アフィン妃のところで」
「家具の配置がおかしかったりするのでそこからはじめて頂き」
「連れてきた侍女も何もわからず」
「礼儀作法はもちろん、イベントに苦手意識があり」
「フォローをお願いしたいのです」
「あら、まあ」
「一般の女性がお妃になってしまったんですね」
「ええ、2人とも。」
「ラーソン妃はお一人で何とかしておいでですが」
「いずれ彼女のところにも」
「ええ、そう、ああ、なるほどね」
お仕事盛りだくさんです。
「ベルヌーイ様」
「私一人では、無理ですわ」
「そう、おっしゃると思いました」
「あと、何人必要でしょうか?」
「見知った者を数人、さらに追加の侍女を」
「10人」
「欲しいのですが、可能でしょうか?」
「ストドラ姫のところにいた方たちなら探せますが」
「ええ、だけど、私、連絡先を知らないわ」
「大丈夫です。流のネットワークとラトゥーのネットワークがありますので」
ベルヌーイが微笑むと、乳母は少し驚き、
「やっぱりあの時、ベルヌーイ様をお呼びすればよかった」
呟いた。
↩
乳母がアフィン妃のところに挨拶をし終えた途端、
「ああ!何故ここに、花梨の椅子が1つだけなの!」
「あ、便利で」
侍女たちがお互いを見てるのに気づいて、アフィン妃が応えると、
「もう一つあったはずです。対に置かなくては」
「ああ、もう、どこかしら?」
「こちらです」
侍女が案内した先で、
「まあ、どうしてこんな使い方を!」
乳母が戻ってきて、
「ホントもうびっくりだわ!」
ベルヌーイに言う。
「では私は一旦失礼します」
追加の人員探しをしなければ。
「ベルヌーイ様、お茶飲まないんですかあ?」
侍女たちがうきうきと用意し始めたが、
「あんたたち!こちらで手伝いなさい!」
乳母の声で一瞬で固まる。
「また、様子を見に来るね」
右手をひらひらさせて微笑むと、侍女たちは寂しそうな顔をした。
流のネットワークはさすが、という一言に尽き、ストドラ姫のところにいた侍女を3人見つけて来てくれた。ベルヌーイ自らが訪ね、事情を話すと後宮に来てくれることになった。
「流の後宮にいれば、ラバールの神官とはもう会わなくて済むし」
侍女の一人がベルヌーイにそっと告げる。
「侍女が何人か行方不明になってるそうなの」
ベルヌーイのファンである彼女が教えてくれる。
「国王付きですか?」
「いいえ」
「それがね」
「亡くなった国王の侍女でもなく、王子の侍女でもなく」
「神殿にいた侍女たちなの」
あまりに不気味でずっと流国内に隠れるように過ごしてきた侍女は、ベルヌーイからの申し出がとても助かったという。
↩
「神殿にいた侍女が行方不明?!」
ベルヌーイは一瞬驚くが、
ベルヌーイ一人で何とかなる問題ではない。
名探偵ではないので。
それに、ラバールが混乱状態になってから、嫌というほど"噂"が溢れている。それら全てが真実ではないだろうと思う。真実もあるかもしれないが。
"神殿"、"侍女"、"行方不明"。なるほど。人が驚くキーワードを上手く使っている。
ベルヌーイは先程の侍女の話を全く信じていなかった。何故かというと?その侍女と彼女は全く面識もなく、名前も知らず、詳細も知らず、
"神殿"の"侍女"が"行方不明"、らしい、だけである。
どこかの噂をまた、ご親切に広げているだけに過ぎない。ストドラ姫の侍女ともあった人間が、浅はかな、とは思うが、その程度の仕事をしていただけなのだろう。
ストドラ姫のこともあまり気にしておらず、ストドラ姫の侍女をしていた頃に知り合ったラトゥーの姫騎士にまた会えてラッキー、くらいなのかもしれない。
それでも、乳母の指示通りに仕事をする、ということで呼ばれたのかもしれない。
こういった"噂"は、オリフィスやクリープ王子のところには膨大な数が舞い込むことだろう。中には信じ切って、早急な対応を求める輩もいるだろう。
「バカな女は嫌いなんだよね」
もう二度と会うこともありませんように。
↩
流の王宮、正確には後宮から遠く、ほぼ離宮に近いような客人用の家に戻るとラトゥーから荷物が届いている。
少し顔をニヤつかせて荷物を確認すると、
「これは、いい。」
首元からまっすぐ足元に向かって太めの青色のラインが入った白地の上着に、金の刺繍が上品に施されていた。
「ラトゥーの皇太女が流に来る」
久しぶりに皇太女の姫騎士としての仕事。
「こっちのが落ち着く」
流の官吏服から着替えてみると、やはり落ち着く。
普段持ち歩かない細身の剣を腰にまいて、鏡で全体のバランスを確認する。
「オトコマエ」
数日後、流の国賓として皇太女のオレオ姫がやってきた。
「姫!」
ベルヌーイがオレオ姫のもとにかけより、軽く抱擁する。
「少し痩せたかしら?」
ベルヌーイの腕の中で、オレオ姫は右手でベルヌーイの頬を撫でる。
「日に焼けて、そう見えるかも」
ベルヌーイはオレオ姫の髪飾りの1つをもてあそぶ。
久しぶりの再会の時は、大体こんな感じなのだが、ラーソン妃とアフィン妃を両脇に座らせたクリープ王子から痛い視線を感じる。
「久しぶりで、2人きりで過ごしたいだろうが、会談の予定が詰まってて申し訳ないね」
クリープ王子が無表情に会食のスケジュールを告げる。
「今回は経済、主に流通についての会談なの」
↩
ラバールへの流通はすでに止まっている。けれど、そこに購入希望者がいれば、また再開させたいし、賊などがいて、治安に不安があれば迂回も検討しなくてはいけない。
「わたくしが全て考えなくても、担当がいるからいいのだけど」
細かく逐次検討を重ね、流と調整をするのは自分になる。
「やっとラバール対策本部が立ち上がれそうなの」
「そこのトップは誰になるんですか?」
ベルヌーイも関わりのあること、ベルヌーイの頭に様々な顔が浮かぶが、
「ベルヌーイ、あなたよ。」
「だから、あなたを流に派遣したのよ。」
「…」
「ラトゥーに戻ったら、正式に公爵位をあげるから、がんばってね。」
「…公爵位なんていらないんだけど」
「紙一枚くらい、邪魔にならないでしょ?」
公爵位=紙一枚。
皇太女は気にせずに、さくさくと他の案件もクリープ王子と調整をしていく。
「さて、時間が余ってしまったね」
クリープ王子が書類を管理官に渡しながら、オレオ姫に告げる。
「ラバールについていろいろ噂があふれているけど」
「キミが気になってるものはある?」
クリープ王子が気になってる噂があるのかもしれない。
「殆どは、フェイクニュースでしょうね」
「その中で真実を見つけることは、とても、難しいわ」
けれど、全てを無視するわけにもいかない。
「神殿の侍女が行方不明というのは、知ってるかしら?」
↩
やはり皇太女の耳にも。
「嘘くさい噂ではあるけど?」
クリープ王子の耳にも。
「続きがあるの」
「その侍女は王宮内の社近くに埋められてるそうよ」
「おやおや」
クリープ王子が軽く笑う。
「キミが気になるのは?」
「意図的に誰かが一生懸命、噂を触れ回ってることよ」
「なるほど」
さすがです。
「何が目的かしら?なんだか気になるわ」
「神殿、王宮内の社。関心をもたせたいのはそこね」
「ストドラ姫の眠る場所と関係があるのかしら?」
現在まだ混乱中で、王宮には行くことは出来ない。
クリープ王子との会談はそこで終わり、食事は全て国賓扱いの食事会でオレオ姫と二人きりになれたのは就寝時刻になってから。
「皆、元気ですか?」
「今回、スパッタも行きたがって大変だったわ」
明日迎えに来るそうです。
「オリフィスも何か考えてるみたいよ」
オレオ姫が含み笑いをする。
「…ああ、帰りたい」
「なあに?愚痴?」
「人がたくさん居すぎて、疲れる」
「そうね、人口密度高いものね」
「ラトゥーの天才姫騎士様でも都会で疲れた、て?」
「さすがに多すぎる」
「ふふふ」
ベルヌーイは皇太女のためのベッドに横になる。就寝時に何かあっても困るので、ラトゥー国外ではいつも二人で寝ている。
「高級食材にヤラれて、胃腸の調子も良くないし」
「薬膳料理にしたら、効きすぎて夜寝られなくなるし」
「なに贅沢なこと言ってるの」
「単身赴任てこんな感じかなあ」
「なるべく流国との繋がりをあなた個人が持っていてほしいの」
「仰せのままに」
オレオ姫の声が優しい子守唄のように響く。