『文章を書く、とは』
私たちには文章を書いて、己の内面に浮かんだ葛藤や悩み、感動やこの世に対する思いを表現する権利を持っている。絵でも音楽でも彫刻でも、自分の中から引っ張りだして外界に存在させる、という点では文章を書くことと同質であり、意義がある。果たして文章を書くことに、個人の意見を述べることに資格がいるのか。幼稚園児だから、小学生だから、中学生だから、不登校だから、無職だから、何の地位も持っていないから。人殺しだから、犯罪者だから、政治家ではないから、ただの一般庶民だから、病人だから。これが自分の内面世界を外の世界へ顕わすことの妨げになり得るのか。なり得るとするならば、この世界で発言できる人物はほんの一握りとなってしまう。金を持ち、権力を持ち、階層社会の上位にいる人達を尊い存在として、人々は丁重に扱う。私もああなりたい、と願い焦がれる。彼らの発言がさも正しいかのように人々は大きく扱う。同じ人間なのに、上位層の発言は下位層や中間層の発言よりも尊重されるべきなのか。政治家や医師の表現は金のように重く、会社員の発言は銀で、病人や犯罪者や貧しい人の発言は石ころなのか。もしそうならば世間で上手く泳げない人達の意見は路傍の石として軽視され、雨風にさらされ、やがて砂となるだろう。権力を持ったら発言しよう、だとか。私は立派な立場ではないから表現できない、だとか。君の意見は君の意見として尊重されるべきではないのか。人の意見は、人の意見として尊重されるべきではないのか。君の口から、内面から出た言葉や感情は、価値のないものなのか。外に出すことをためらった君は、いったい何時まで自分を抑圧し、殺すのか。他人に評価されないと君は自分の意見を述べることすらできないのか。もしそうなら、君は断じて悪くない。悪いのは、君を殺してしまった環境だ。君の言葉は、君の感じていることは。決して価値の無いことではない。駄目と、どれくらい言われてきただろう。おかしい、とどれほど思っただろう。それは思い違いではない。この世の中は、この世界は矛盾だらけだ。そんな矛盾を目の前にして、君や私にできること。それは書き留めることである。おかしいことはおかしい、と言わなくてもいい。言ったら攻撃に晒されてボロボロになる。しかし苦しくなったら、チラシの裏にでも書き散らせば良い。なんでもいい。自分の意見を外に書いてみることだ。発表しなくてもいい。表現は発表とは等線で結ばれない。絵でも、音楽でも、もちろん文章でも。なんでもいいから外に出すことだ。しかし人にぶつけてはいけない。負の感情は巡り巡って自分へと帰ってくるだけでなく、伝染していく。紙は破いてもいい。しかし人を破いてはいけない。もしかしたらその人が世界を変えるかもしれない。それが信頼、というものだ。もしできるのなら、人には温かいものをあげるといい。そうするとそれを受け取った人はその温かい気持ちを他の人にもあげるかもしれない。自分に返ってくる可能性もある。人を救うのはいつだって人だ。人を殺すのは、いつだって人だ。表現も同じだ。人を救えば、人を殺す。その力が文章にもある。文章は己を生かし、他人を生かし。己を殺し、他人をも殺しうる。その文章をどう使うかは使う人次第だが、ただ一つ確かなことがある。
貴方には自分の心の内を表現する権利があるし、私にもその権利がある。権利のない人なんていったいどこにいるんだろう。私はそんな人はいない、と思っているし、そう願っている。私は貴方の意見が聞きたい。貴方がどんな立場かは知らないが、そんなことは関係ない。人の意見は人として尊重されるべきであり、それは同意されるべきということとは違う。世の目に触れた瞬間に、それは論議の的になりうる。正しい、間違っている。真実は常にその区別がつかない。ただし、世に出してしまえば自分を見てくれる人がいる。無存在から存在へ。貴方はやっと土俵に立ったのだ。自分の進む道は、土俵に上がった後に決めるのか。それを決めるのも貴方だ。怖いと思った意見は出さなくてもいい。思いやりの心を持っていれば、人は烈火の如く攻撃しないものだ。真摯に自分に向きあって、言葉を紙に書き出していく。必要があれば、それを世に表わす。それが文章家というものであり、自由人という人達だ。貴方も自由人として活躍してみませんか。誰だって書いていいし、誰だって筆を置いて良い。私はただ、それだけが言いたかった。この世界は矛盾に満ちているけれど、もう少しあがいてみることにする。ここまでなんとか生きてきて、これだけは言える。
無価値な人間など、世界中どこを探してもいない。
はっはー、長編の設定作りでこちらは頭から湯気が出そうです。皆様はいかがお過ごしでしょうか。長編むっず!半端ないです。山北篤先生の資料を読みながら、(。_。)って顔で頑張ってます笑。えっ、早く上げろ?お願いします!もうちょっと待って(半泣き)
さて、文章を読んでくださりありがとうございました!今回は...今回も長かったですね。すいません。ただ伝えたいことはしっかりと詰め込むことができたと思います。今は「伝わったかな 伝わるといいな」って心境です。声も上げずに死ぬくらいなら、私は声を上げて死にたいなぁと色々ニュースを見て黄昏れてます。皆様ももし良ければ文章書いてみてください。きっと面白いので。
もし良ければ御意見・御感想戴ければこの文月、家の前で子猫を見つけたかのように喜びます。比喩表現じゃなく。鈴蘭さん、ムラカワアオイさん。感想今日中にお返ししますのでしばしお待ちを!すいません泣