憑依された青年
定期検診の次の日、目を覚ましサンドラちゃんの様子を見ようと辺りを見渡したが、彼女は外出中のようだった。
朝早くから一人で外出なんて珍しいなと思いながら紅茶を飲んでいると、すぐに彼女は帰宅した。
いや、彼女達というべきであろうか。
彼女の傍には、今最も会いたくない人であろう人物が立っていた。
「隼人くん、この子って隼人くんの妹さん?」
「…お兄さん」
「…」
まさかの再会。近いうちに会うとは思っていたが、まさか定期検診の次の日だとは思っていなかった。
「…お久しぶり」
「…」
「隼人くん、見えてるんだったら返事したらどう?」
サンドラちゃんらしい質問が飛び、僕は欝陶しいと思っている感情を全面に出しながら挨拶をする。
「…おう」
「お兄さんとルームシェアして下さっているんですね。私はお兄さんの妹の三咲といいます。よろしくお願いします」
「私はサンドラ。隼人くんとは仲良くさせていただいてます」
堅苦しい挨拶の後は沈黙が続く。コミュ症三人の謎の沈黙は辛い以外の何物でもなかった。
その空気を察してか、三咲が僕に話を振ってきた。
「お、お兄さんもこんな素敵な人と仲良くなれて羨ましいなあ…。私だってこんな素敵な人とお会いできたらいいのに…」
「…僕もサンドラちゃんと仲良くなれたことは光栄に思っているよ」
「まあ、私は妹さんが思ってるほど素敵な人間じゃあないんだけれどね。私も隼人くんも、短い命の人間だから」
「…サンドラちゃん」
「口を滑らせてしまったかしらね」
案の定サンドラちゃんの失言を三咲は鋭く聞き返してきた。
「…お兄さん、どういうこと?」
「三咲には関係ないことだろ」
「隼人くん」
サンドラちゃんは首を横に振っていた。
僕はため息を吐いて診察結果を言う。
「僕は、すぐじゃないが近い内に死ぬらしい。もうすでに右肺は機能しなくなっているらしいから、体内外の空気の換気も自由に出来ないらしくてな」
「…え?でもお兄さんはしばらくしたら退院できるって」
「あれは、嘘だ」
「嘘?」
嘘という言葉に三咲は反応して僕を睨むように目を細める。
その仕種は懐かしかったけれど、安らぎは生まなかった。
「お兄さんは、私に嘘なんてつける人じゃなかった」
「僕を憎むというのかな、三咲」
「憎むなんて言ってないわ。でも、お兄さんは嘘なんてつけるような人じゃなかったはず」
「じゃあ僕が三咲のお兄さんじゃないのか、それとも三咲の想像が現実と化さなかったのか。どちらかだね」
「…お兄さん、本当に変わってしまったのね」
三咲はそう言い残すと立ち上がって薄く微笑んだ。サンドラちゃんが心配そうに見る中、喉から捻り出すように「また来月」と言い、ドアを開けて去って行く。
去って行った三咲を横目で見つめながら、サンドラちゃんは僕に言った。
「追わなくてもいいの」
「サンドラちゃんは家族との温もりというものを知らないと言っていたね」
僕の発言に彼女は頷く。そこで僕は微笑んだ。
「じゃあ、僕が今感じている家族との温もりを引き裂く度胸の中に隠された苦しみを、サンドラちゃんは分かりはしないだろうね」
「…」
「僕は追えない。追うことが出来ないんだ。三咲をすぐにでも突き放さないと、僕は我を失って彼女に呑まれてしまいそうになる。僕は彼女に呑まれたら、もう二度と帰ってくる事の出来ない気がする」
「…三咲ちゃんに?」
「…それは違う。僕を飲み込もうとしてくるのは正体不明の一人の少女だ」
彼女は首を傾げる。
僕は説明しようとして自分の語彙力の無さを歎き笑った。
「僕の病気は客観的に見ればそれほど恐ろしい病気ではないらしい。それなのにどうして僕がこれほどまで苦しめられているのかというと、僕の中にいる一人の正体不明の少女が、僕を飲み込もうとするからなんだ」
「正体不明の少女…」
僕は頷いて続ける。
「彼女は僕にしきりに声を掛けて来て、僕に何かを気付いてもらいたいようにしてるんだ。だから、僕も彼女に気付いてあげたいと思う。彼女が抱え込む、深い闇にね」
「それは隼人くんが考え込む深い闇よりも解消すべき問題なの?」
「…そう言われれば確かにそこまで重要視する必要は無いような気もするけど、僕は彼女が淋しい存在であるような気がするんだよ。彼女はまるで、サンドラちゃんと出会う僕のように孤独の波に溺れている」
僕自身彼女の事はよく分からない。
だけど知りたいとは思わなかった。
ただ、彼女を孤独から救うことが出来るなら。
サンドラちゃんは悩み込むような仕種で僕に言い放った。
「貴方はその子の被害者なんじゃないの?それなのに、どうして?」
「…サンドラちゃん、僕はサイコじゃないよ」
「…え?」
「僕は自分に害を為す人間を全て害悪な存在だとは認識しないということさ。僕を理由なく戒める人は沢山いたけど、彼女はそうじゃないように見えるんだ。それなら、僕だって彼女を責める訳にはいかないよ」
彼女を殺したいと思うほど憎んだことは、正直ある。
自分の中に自分以外の何かがいる、そして時々その何かが僕を蝕む。
聞くだけでは、寄生虫のような存在で、僕は彼女を憎み嫌っていた。
だけど、彼女は世間的にもよい存在ではなかったけれど…。
――――――僕に酷似していた。
「僕は彼女に飲み込まれて自我を失うというのなら、彼女を追い払う決心はしてある。でも、彼女はそうじゃないんだよ。僕を追い払うというよりは、僕に同化する事を望んでいる気がするんだ」
「隼人くんと同化したら、彼女の人格も継いでしまうという訳じゃないの?」
「分からないよ。だけど僕に捨てるものなんてサンドラちゃんとの鎖しかないんだ。家族の絆も、友との友情も、希望も、夢もなにもかも捨ててやれる」
「私との鎖以外を?」
「それ程まで長くない命だよ。そんなはかない命に寄生してしまった彼女を、僕は可哀相に感じるんだ。どうせすぐに散る命なら僕はくれてやってもいい」
僕はそう言って微笑んだ。
サンドラちゃんの苦笑いも、見なかったことにして。
「僕らは知らないうちに、フィナーレに近づいてしまっていたんだね」
夏なのに酷く冷たい風が僕らの間を通り抜けていったように感じた。