表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白きドレスに淡き永遠の孤独  作者: うみゆき
淡い花火は儚く散って。
4/12

嘘には死を

「ついたわよ」

「…ん?」


僕らは暫く歩く事約10分間(サンドラちゃんが自動販売機に並んでいたジュースを飲みたいと僕に駄々をこねた時間は省く)。僕らはサンドラちゃんの目的地と思われる場所の前で立ち尽くしていた。

僕らの目の前には、見慣れたレストランがある。


「ここがサンドラちゃんの言っていた大人の食事が出るレストランなのかな?」

「そうよ。すごく美味しいの」

「うん、確かに美味しいとは思うよ。でも僕の期待を平気で裏切られたような気がするのは僕だけかなあ」

「食べて見れば分かるわよ?」

「いや、そういう問題じゃなくてさ」


僕は近所迷惑にならない程度に出来る限りの声量で叫んだ。


「ここ、ファミリーレストランだから!」


人気ファミリーレストラン、その名もガス〇。家族連れがよく来るレストランで、僕も子供の頃はここのハンバーグをよく食べてたことを覚えている。

大人気料理チーズインハンバーグは大人まで楽しめる料理ではあるが、今まで一度もハンバーグを大人の料理と思ったことはない。


「ちなみにサンドラちゃんは朝ごはんにどのモーニング料理を選んだの?」

「…ん?ハンバーグ定食よ」

「…そのままだね。朝からスゴイネ、何か尊敬するよ」

「でも開いてないなんて意外だったわ。どこか別の場所で昼食をとりましょ」

「財布持ってきてない立場でよく言えるね…!」


彼女は僕の側を抜けて右方に歩いていった。その足取りは軽いように見えた。

彼女は僕といる空間を居心地よく感じているのだろうか。

それとも、単に自分の孤独を隠すのに好都合な場所を手に入れたと浮かれているだけだろうか。

そのどちらかは分からない。

でも、内心前者であってほしいと思っている自分がいた。

僕は払拭する。

僕は信じない。

誰も信じずに、自分も信じずに生きなければ。

僕の心の空白を二度と埋められないように。

それが僕の本心の意志と異なっていたとしても、僕にはそうすることしか出来なかった。


「どうしたの、行くわよ」


彼女は振り返る。

彼女の短髪が風に揺れる。

早朝の光が彼女を照らす。

紅い頬。

光る焦げ茶色の髪。

垂れた瞳。

途端に何かが僕の首を強く絞めるような錯覚に襲われた。


「…うッ、うあああああああああああああああああッッ!」


彼女は僕に微笑んだ。

フラッシュバック。ふらっしゅばっく。

頭の中で卓球の球が跳ね回るような痛みが走る。

記憶が音を立てて割れる。

忘れていた世界が僕を見つめて笑っていた。


『どうして?』


彼女は僕に聞いた。

僕は必死に首を振る。

それでも彼女の幻覚は視界に映り僕に笑い続けた。


『どうして?』


違う。

違うんだ。

意味のない否定を繰り返す。

それが彼女に通じない事を認識していたとしても。

彼女は泣きそうな笑顔で小さく僕に問いただした。


『どうして私を見捨てたの?』


時計が音をたてて割れ、時が世界に包み込み止まる。

夢を見ているときに広がるような世界で、僕は膝をつく。

ただただ、溢れ出てくる無力感に打ちのめされるだけ。

彼女はそう言って、僕の側から去っていた。

最後に振り返った時の表情は、なんだか酷く淋しげに見えた。


「どうしたの!?どこか痛むの?」


気づけば目の前にサンドラちゃんがいた。

その背景には真っ青な空。

僕は地面に横たわっているようだった。

身体に強い痛みはない。ただ、何かを忘れてしまった。

大切な記憶と認識される何かを。


「…大丈夫。心配かけてごめんね」

「生き返った」

「…へ?」

「どうして、倒れたの?」


彼女は心配そうに僕を見ていた。

僕だって分からない。

ただ急に気を失って、誰かに話し掛けられるのだ。

その相手は誰かは分からないし、何よりこうやって気が戻る際に気を失っている世界で起こった何かを全て忘れてしまうのだった。

しかしそうする度に、「ああ気を失っちゃった」で終われば良いものを僕の身体はかなり腐食されているようで、19歳だというのにそのせいで身体年齢は50歳を越えているらしい。馬鹿な話だが。


「よくあるんだ。僕が病院に住んでる理由の一つがこれでね」

「辛くない?」

「辛くない訳ではないよ。でもこの身体が僕自身であるかぎり、僕は自分を憎まないよ」

「自分の事が好き?」


彼女は立ち上がった僕の背中についた土を払ってくれる。

本当に出来た子だ。


「人に好きだなんて感情は個人的に持たないようにしてるんだ。僕は僕自身の事を何とも思わない。それに、僕は他人には基本的に嫌いという印象しか持たないからね」

「それなら私の事も嫌いなのね」

「僕は人間が嫌いなんだ。だから、サンドラちゃん個人に限ったことじゃない」

「でも私は貴方が好きよ。貴方がどう私の事を思っていても」

「…僕もサンドラちゃん程喋った人がいたかと問われたら黙っちゃうね。サンドラちゃんといること自体は、結構好きかもしれない」


彼女は薄い笑みを浮かべた。

泣いているのだろうか。

笑っているのだろうか。

彼女はやはり分からなかった。

だけど僕は他人を分かりたくなかった。

だからこそ、僕はサンドラちゃんに何も抵抗を感じないのだろうか。


「私は利口な人間じゃないわ。でも、今私の側にいるのは貴方だけなの」


彼女は優しく微笑んだ。


「だから、貴方には最低限私の事を知って欲しいの」


サンドラちゃんを知りたいとは思わない。

だけど、彼女の言う事は正しいことである。

これから僕と彼女はルームシェアをすることになる。

だからこれから彼女は自分の事を知って欲しいという。

当然の事だろう。

所詮は表面上の関係に過ぎない。

彼女がどれだけ僕と仲良くなっても、どれだけ僕を信用しても、僕は彼女を信用しないし裏切ることもあるだろう。

だけど僕は自分自身を裏切ってはいない。

そんな永遠の孤独の中で生きる以外に、僕の存在意義はなかった。


「わかった、サンドラちゃんと仲良くなりたいと僕も思っていたんだ」


嘘じゃない。

彼女なら僕を救ってくれるかもしれないと真剣に思った。

でも、僕は救われてはいけないのかもしれない。

永遠に続く孤独の中で僕は中身の無い笑いを生み出しつづける必要がある。

それに、僕は救われたいとも思わなかった。

短い命の中で、大切な人はもう作りたくなかった。

別れが、ただただ怖いからだろう。


「約束よ?じゃあ貴方がもし破ったら…」


彼女は不敵な笑みを僕に向けた。


「私は、貴方を殺すから」


有り得ない言葉を言われても、僕は何とも感じなかった。

彼女は本当に言っている。

それはわかった。

でも、誰かが殺してくれると言ってくれるのが快感だったのだろうか。

僕は笑って頷いた。


「わかった、じゃあ僕は殺されないように頑張るね」


もしその場に他者がいたら、狂ってると感じるだろう。

彼女だって、そう感じたのかもしれない。

勿論僕らは狂っている。

永遠に、狂っているだろう。

だけどその狂いは、僕と彼女の数少ない共通点なのかもしれなかった。

朝日が出たようで、僕の身体をぽかぽかと暖める。

彼女も、太陽に照らされているのかなと一瞬疑ったが、その答えを見つけたいとも思わなかった。


『孤独は愛へ』


最後の一滴までカップに注ぐ。

より濃厚に出来上がった紅茶を、僕は二つのカップに入れて少量の砂糖を加えた。彼女はさっきから僕の手つきを見て感嘆定型文を発するだけであった。


「出来上がったよ」


部屋に甘い香りが広がる。懐かしいけど、自発することは好きじゃないので彼女の様子を観察することにした


「おぉー」


小さなスプーンで彼女は自分の紅茶を掻き交ぜる。そして僕から奪った砂糖を自然な動作で大量に挿入した。

僕は慌てて彼女を静止する。


「ちょ、ちょっと待ってよサンドラちゃん。砂糖、砂糖入れ過ぎだから!」

「私甘党なのよ」

「僕も甘党だけど紅茶に砂糖は少量しか入れないから!エスプレッソの黒珈琲でもそんなに入れちゃ駄目だよ」

「そうなの?いつもは家族に入れてもらっていたから分からなくて…」

「いい家族だね。僕なんてかなり前から家族という存在には縁が遠いよ」

「…うん」


彼女は無言で紅茶を飲み始めた。

返事など期待はしていなかった。

でも無言は怖くて、僕はふと失言をしてしまった。


「でも僕にはサンドラちゃんがいるから淋しくないよ」

「…えッ?」


彼女はが紅茶から口を離して僕を見つめてくる。


「ん?どうかした?」

「う、うん…?う、うんそうだね」


彼女は狼狽えて紅茶を口にする。

そしてむせたようで何度も咳をした。


「大丈夫?」


彼女の小さな背中を摩る。

本当に小さな背中だ。

その背中を懐かしく感じた。


「…むせたわ」

「いや、それは分かるよ…?」

「美味しいのね。初めて飲んだかもしれない程」


彼女はまた口につけて目を閉じて味わう。

僕も自分の入れた紅茶を舌の上で転がす。昔よりも粘りは強く、味は落ちていると思われた。

しかし、彼女は少し興奮気味に僕に言った。


「これなら夢を叶えられるじゃない」

「…」

「これだけ美味しければ、みんな満足してくれると思う。私が保証するわ」

「いや、僕はもう夢を持つのは止めたんだ」


彼女は首を傾げる。

僕は薄い笑みを作った。


「夢なんてものは、どうせ叶わないんだ。僕はそう知っているんだよ」

「貴方は自分の夢から逃げたの?」

「逃げた?逃げてなんかないよ。僕は夢なんて作った自分に笑ったんだ」

「ならどうして夢を作ろうと思ったの?」


彼女は僕を真剣に見つめていた。


「矛盾してるよ。貴方は夢を信じたんでしょ?」

「サンドラちゃん?知った振りはよしてくれないか。胃が痛いよ」

「貴方が喫茶店を経営するといった時は、なんだか淋しそうだったわね。それはどうして?夢を忘れきれていないから?」

「…」


彼女の連続の質問が突き刺さる。

僕の夢。僕の夢を。

どうして破ったのか。

どうして破らなければならなかったのか。


「私は応援するよ。この紅茶なら必ずみんな喜んでくれる。誰かが貴方に救われる」


どうしてだろうか。

どうしてだろうか。

どうして…。


…涙が溢れてくるのだろうか。


誰も認めてくれなかった。

誰も僕の夢を応援してくれなかった。

誰も、誰も。

僕がいるという事実を虚空として認識してくれなかった。

彼女の視界には確かに僕がいる。

彼女はそう必死に伝えてくれた。

なら、僕も。


「…ありがとう、サンドラちゃん」

「…泣いちゃダメよ」

「初めてわかった、初めてわかったよ。孤独とは何たるか、幸せとは何たるかを。僕は孤独を知らなかった。平和に住む人が平和とは何たるかを知らないように、僕は孤独とは何か知らなかったんだ。でもようやく分かった」

「…孤独」

「僕には、サンドラちゃんが必要だったんだ。僕の側にいてくれる誰かが」


彼女は無言でまた紅茶に口を付けた。

砂糖を多量に零した、甘ったるい紅茶に。

僕の味なんてその紅茶に分かるはずがないのに。

僕は気を使われていると知っていても嬉しかった。


「私は貴方と出会ってまだ24時間も経っていないけれど、少し貴方になら心を開けそうだわ」

「へへっ、そうかい」

「でも私は何度も心を開いてきた。でも、誰も相手にしてくれなかったわ。私はいつも孤独だった。みんなが笑顔の輪の中にいたから」

「…」

「でも貴方は孤独だもの。私たちは孤独同士だって言ったでしょう」


暗黙の了解。

僕たちはお互いの孤独について触れないつもりだった。

でも彼女はその暗黙の了解に一歩踏み出した。

それは、一つの僕への敬意だろうか。

それとも、僕とのそのような関係が欝陶しくなったのか。

僕にはわからない。

だけど、分からないからこそ僕は幸せだった。

僕たちはお互いを知ろうと表面上では思いながら本心では理解しがたいものと分別し、他者との関係を保つ。

それが間違った行為だとしても。正しい行為だとしても。

僕らにとってはそれが無難だった。


「孤独が二つで、孤独じゃないのかな」


彼女はそうぽつりと言った。

それは間違っているよ。

僕は彼女を否定した。

僕はその答えを知っている。


孤独は二つで、孤独が二つになるだけだということを。

なにも変わらないということを。


「そうだね、僕らは二人だから孤独じゃないね」


表面上の笑み。

いつしか僕の癖となってしまった。

彼女も見抜けないだろう。

僕の闇に包まれた本心には。


「でもそういう場所が、私は欲しかった」


彼女はそう言った。


「孤独であって、孤独でない。誰かと孤独を分かち合えるような、そんな境界線のような場所」


孤独とは、誰も周りにいない自分しか感じることのできない場所を言うのだろう。

なら、僕らは孤独ではない。

でも僕らは各々孤独だった。

矛盾が僕らを駆け巡る。

彼女の微笑みが優しい影を作っていた。


「じゃあ僕は孤独じゃないんだね。それなら淋しくなくていいよ」

「でも貴方は淋しそう」

「淋しくないよ、本当さ」


僕は彼女の空になったティーカップに紅茶を注いで言った。


「僕は本当にサンドラちゃんに出会えて良かったと思う」

「…過去形ね」

「…え?」

「貴方の発言では、まるで貴方が明日にでも死んでしまうみたいに見えるわね。いやよ、そんなの」

「ああ、そうだね。悪かった。僕がいなくなったら君は孤独になっちゃうもんね」

「それだけじゃないわ」


僕が彼女の顔を覗くと、彼女は頬を染めて顔を背けた。


「…え?」

「な、なんでもないし!どうでもいいでしょう、もう…ッ。…ゴホッゴホッ」


どうやらまたむせたらしい。よくむせる少女だな。

僕は自分の紅茶に口を付ける。

これで誰かを幸せに出来るのだろうか。

確かになんだかほんのり暖かい気はした。

でもそれは本当に僕の紅茶のおかげなのか。

それと僕の隣にいる小さな太陽のおかげなのか。


「サンドラちゃん」

「…?」

「サンドラちゃんはどうして入院しているの?」

「…」

「聞きたいんだ。サンドラちゃんの事、もっと知りたい」

「…それっておかしいよ」

「…?」

「私は君の名前も知らないんだよ」

「僕だって知らないじゃないか」


彼女は頬を膨らませた。


「私はサンドラだよ」

「じゃあ僕はのびただ」

「ドラえもんじゃないのよ!」

「知ってるよ」


彼女のティーカップを覗くと、その底には砂糖が溶け残っていた。相当な甘党だということが分かった。


「分かった。私の病気の事を教えるわ。それなら貴方は名前を教えてくれる?」

「うん」

「じゃあそっちからで」

「いや、サンドラちゃんから頼むよ」

「普通そっちからだから!」

「えーとなんだったかなあ…僕の名前。しばらくしたら思い出せると思うんだけど」

「…本当に卑怯なのね」

「よく言われる」


彼女はわざとらしくため息を吐いて語り始めた。


「コルサコフ症候群って、知ってる?」


聞いたことは、ない。今すぐ端末で調べようかと思ったが、失礼にならないようにやめた。


「聞いたことはないね」

「あんまり有名じゃないから知らなくても仕方ないと思うわ。簡単に言うなら、記憶が消える病気」

「記憶が、消える」

「消えるといっても更新されて消える訳じゃないのよ。ただ昔の記憶がぽっかり飛んでしまったの。記憶といっても思い出なんだけど」


彼女はなぜか笑っていた。

それが僕には無理矢理な笑みにしか見えなかった。


「だから、私は空っぽなのよ。中に何も入っていない壷のようにね。病気は治ったんだけれども、失った思い出は帰って来ないの」

「じゃあ僕が新しい君の人生を導いてあげるよ」

「…え?」


僕は無意識に口を動かしていた。

ただただ彼女が可哀相で。

彼女を救ってあげたくて。

彼女の間の虚空を埋めてあげたくて。


「君の消えた記憶なんて存在さえも忘れてしまえばいい。君はこの部屋で生まれて、これからこの部屋で育つ。君の知ってる人は僕だけでいいよ」


余命が決まってる人はそんな嘘を付けるだろうか。

だけど僕は嘘をつける。

永遠に彼女といれると。

僕が去る時は近いというのに。


「…ありがとう」


僕は彼女を見る。

彼女は下を向いていて僕からは表情を伺えなかったが、なんとなく明るくなったような気はした。


「じゃあさ、教えてよ」

「ん?何をかな?」


彼女は僕に頬を膨らまして言った。


「名前」

「ああ、そんな約束をしていたね」


僕の名前。

ナマエ、ナマエ。

長年僕の名前を口に出したことはなかったから忘れているかと思ったが、流石に覚えていた。


「僕は藤堂隼人。いや、二宮隼人だ」

「ご家族は離婚したりしたの?」

「そうだねえ」


僕は藤堂隼人だ。

でも、僕は二宮隼人でいたかった。


「わかった、私はこれから隼人と呼ぶわ」

「お好きに」

「だから、私の事はサンドラと呼び捨てでいいわよ」


そう言う彼女に僕は微笑んだ。


「僕はサンドラちゃんという言い方が好きなんだよ。別にサンドラちゃんを自分より下の立場だなんて思ったりしてない。サンドラちゃんと呼べば、僕はサンドラちゃんに近い存在のように感じられるから」

「それなら私も隼人くんと呼ばせて貰おうかしら」

「ははは、それはまるで恋人のようじゃないか」


「…永遠に続け」


僕はサンドラちゃんを見つめて言った。


「え、今なんて?」

「いや、確かに恋人に見えるわよね。恋人に見えちゃ、隼人くんは嫌かしら?」

「むしろ光栄だよ」

「あら、無理矢理感が察知できるのだけれど」


もし、僕らが恋人ならば僕らは二度と離れることはないだろうか。

互いの手を握って、二度と話さないように。

強く強く強く。


…柔らかい。


「どうしたの、隼人くんはもう恋人気分かしら?」


気づけばサンドラちゃんの手を握り締めていた。

それに、強く。


「う、うわえわったたッ!」


すぐに手を離す。

すると一瞬彼女は僕の離れる手を求めるような動作を取り、その動作に僕が気づくと恥ずかしそうに手を膝の上に揃えた。

そういう仕種を見せられると僕まで恥ずかしくなってくる。

そこで沈黙がやって来た。

だけど僕はこの沈黙なら我慢できた。

むしろ、心地良かった。

彼女とこうして座っていられる事が。

永遠に続かないだろうか。

誰にも、何にも僕らを妨げることのできないようなそんな世界で。

この、沈黙が。

この、距離が。

この、世界が。


この、生命が。


二度と感じることなんて無いと思っていた。

二度と願うことなんて無いと思っていた。

生きたいなんて。

半面死にたいと思ったことはいくらでもあったけど。

僕なんかが命を望んでいいのだろうか。

生きたい、生きたい。

でも生きたいよ。

死ねよ、生きたいよ、死ねよ。


「死にたくない、死にたくないよぉ…ッ!」


涙が溢れてくる。

今まで堪えてきた涙が。

死にたいと思う度に蓄積されてきた涙が。

頬を伝って、地に落ちる。

生きたい、生きたかったんだ僕は。


死を望んでいたけれど。


僕は生きたかったんだ。


何かが僕を包み込んだ。

僕の小さな身体を、抱擁した。

彼女は。彼女は。


「心配しないで」


僕を、彼女は。


「私がいる。隼人くんの側には、私がいるんだから」


愛してくれたのだ。


「私は不器用だけど、隼人くんを何としても救ってあげる。これは私の独りぼっちの作戦」


彼女は肩を揺らしていた。


「私には、もう隼人くんしかいないから」


彼女は孤独に泣いていた。

彼女は孤独に堕ちていた。

彼女は孤独に溺れていた。

彼女は愛を渇望していた。

彼女は夢を渇望していた。

彼女は友を渇望していた。


僕は、彼女を愛していた。


僕は、彼女に溺れていた。


「僕にも、もうサンドラちゃんしかいないんですよ」


僕らは孤独であって孤独でない。

僕らの間に空洞はない。

だけど僕らの間には割ることのないガラス板があった。


僕らは、愛し合っていて、拒絶しあっていた。

どこか正直になれない僕らがいた。


だけど、間違いなく僕らは愛に溺れていた。

死に溺れていた。

孤独に溺れていた。


だからこそ、二人で愛を分かち合う必要があった。

だからこそ、二人で死を分かち合う必要があった。

だからこそ、二人で孤独を埋め合う必要があった。


「隼人くん、私の側にいて。ずっと、私から離れないで」


自然と涙は止んでいた。

僕はそれでも抱擁を解かなかった。

もう少しだけ、人の温もりに触れていたかった。


「勿論さ、僕は死ねない。君を孤独にする訳にはいかないもの」


どちらかが欠けた時点で僕らは孤独に溺れ死ぬ。

僕らはそんな藁にも縋るような人間だった。

僕らが弱いことはお互い知っていたのに、改めて知らされた気がした。


だけど、僕にはリミットがあった。

彼女の側から離れるまでのリミットが。


彼女は僕の言葉を信じ込み、一筋の涙を零した。

僕は彼女の涙を見てはいけない気がして、必死に自分の目を擦った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ