ジンさんは万能
まさかの人外との同棲生活で、まず一番に困ったのは寝床の確保であった。
紬の住むアパートはお世辞にも広いとは言えない。体格のいいジンが快適に眠れる場所など……と紬は悩んだが、ジンは率先して押入れに入った。
「我はここでいい」
「え、いいんですか」
「うむ……ちょっと魔界みたいで落ち着く」
ジンの認識は押入れの中=魔界であった。
紬の中で魔界のイメージがショボくなったことは言うまでもない。
そこから、押入れ暮らしのジンとの日々が始まったのだが。
最初は紬の所持している自作以外の漫画やラノベ、アニメDVD等に興味津々のジンは、紬がいない間やお仕事中は、それらを大人しく堪能しているだけだった。
魔人なので人間のような食事も必要なく、紬が適当につくったり買ってきたりしたお惣菜を、たまにわけてもらって食すくらい。
服なども指パッチンひとつでどうとでもなる。
……これをすると魔力を消費するので、紬は兄から適当な言い分けをして、ジン用の服を分けてもらったが。
基本的にこの時点では、ジンは非常に手のかからないただの同居人であった。
しかし、魔人さんは思ったより義理堅い生き物だった。
「ツムギよ。ふと思ったのだが、今の我はこのラノベの主人公と同様、『にーと』というものではなかろうか」
「微妙に返答しづらい質問……ま、まあ、人間界的に言えば?」
むしろヒモな気もしたが、紬は口にするのは止めておいた。
「む。やはりか。温玉カレー丸先生にご迷惑をおかけするわけにはいかぬ……我にもなにか出来ることはないか」
「出来ること……えーと、じゃあ、これの消しゴムお願いしていいですか?」
試しに、紬は原稿の消しゴムかけを頼んでみた。
下描きの鉛筆線を消してもらうだけだし、ジンでもイケるだろうと。
「あ、魔力使ってやるのはダメですからね。ズルと見なします」
「心得た」
なにかとホイホイ魔人マジックを使いたがるジンだが、それではいつまでたっても帰宅用MPがたまらない。
『〆切厳守』と書いた壁の貼り紙の横には、新たに『魔力のムダ遣い、ダメ絶対』と掲げられている。
素直に了承したジンは、紬のデスクとは別に、ミニテーブルに原稿を置いた。正座して消しゴムを手に取り、粛々と作業を開始する。
角と尻尾の生えたイケメンが、ひたすら原稿用紙に消しゴムをかけ続ける光景はシュールであった。
「出来たぞ」
「はやっ! ……綺麗ですね」
消しゴムかけは単純作業だ。故に性格が出る。
ジンの仕事は丁寧であった。
「我はここにある書物は、すべて読破したからな。『猿でも描ける漫画の作り方』から『みんな同じ顔とはもう言わせない!~人物描きわけのコツ~』まで、余すことなく読み込み暗記した」
腰に手を当て、渾身のドヤ顔を晒すジン。魔力など使わずとも器用なだけでなく、知識の吸収具合も人外仕様なようだ。
紬はジンのぐるぐると渦を巻く角と、彼が消しゴムかけを終えた原稿を見比べた。そして思った。「もしかしてこの魔人、わりと使えるのでは」と。
だが簡単な消しゴムかけだけで、その力量を推し量るのは早計だ。少しずつ、紬はジンに頼むことを増やしていくことにした。
そして――――ジンの万能アシスタントとしての才能は開花したのである。
「ジンさん! こことここのベタ、すみませんがお願いします!」
「任せろ……終わったぞ」
「ああ、なんてはみ出しのほとんどない綺麗な塗り!」
「ジンさん! 枠線と吹き出しのペン入れを頼みます!」
「容易い……出来たぞ」
「新記録! 早い上に丁寧! 文句なし!」
「これはちょっと難しいですよ? トーン貼り!」
「よし。原稿を渡せ」
「はい! えっと、まずこのページのここに……」
「ふむ……44番くらいか。ここは61番、こっちは742番のトーンと見たがどうだ?」
「マジかよ合ってるし!」
「温玉カレー丸先生のトーンの使い方を分析すれば、この程度の予測は可能だ。……仕上がりを見てください」
「カッターの使い方がすでにプロ! もちろん完璧です!」
進化に進化を遂げ、現在のジンは背景に小物、モブキャラまで描けるようになった。絵柄のタッチも、バッチリ紬に合わせてくれている。
極めつけはこれだ。
「あ」
ぐうううと、地響きのような音が部屋中に響き渡る。慌てて下書きをしていた手を止め、お腹を押さえるが時すでに遅し。
紬の腹の音は、ミニテーブルで作業をしていたジンの耳に届いてしまった。
「なんだ。腹が減ったのか、ツムギ」
「うう……お恥ずかしながら」
学校が休日で一日引き込もって漫画を描いていると、時の流れを忘れてしまう。もう夕方だが紬は朝から何も食べていなかった。スイッチが入ったときの集中力には、兄からも手放しで褒められたほどだ。
でも人間だから腹は減る。
減らない魔人は、「ふむ」と腕を組んだ。
「冷蔵庫にまだ食材があったな……我がササッと在り合わせで作ってやるぞ」
「え、料理なんて出来るんですか、ジンさん」
「我を誰だと思っている、魔人だぞ」
「魔人だから不安なんすけど……それに賞味期限ギリギリのハムとか、辛うじて残っている卵とかくらいしかないですよ?」
「十分だ」
ジンは尻尾を使って、床に積まれた本のタワーから一冊の漫画を抜き出した。神秘的な光沢を持つ尻尾なのだが、ジンが人間界に来てから便利なマジックハンドと化してる。
「この道影正人先生の『魔法使いのワープごはん』で、お手軽料理の知識は得させてもらった」
道影正人著、『魔法使いのワープごはん』とは。
紬と同じ漫画雑誌で連載中の、ファンタジーとグルメものを掛け合わせた人気漫画だ。
人間界で修業中の見習い魔法使いの女の子が、同じく見習いの料理人の少年と出会い、魔法で様々な世界の住人のもとへワープして、その場にある材料で調理していくという内容だ。料理を通して、現地人と交流を深めていくハートフルストーリーでもある。
絵柄は萌え系なのに、調理シーンだけ妙に劇画タッチになるのが特徴。若干のラブコメ要素も含み、読者アンケートは毎回好調らしく、次巻発売頃にはドラマCD化も決定している。
紬は一度だけ道影先生にお会いしたことがあるが、気の良さそうな小太りのオッチャンだった。
「でもあれ、出てくる料理は世界観が広すぎて、まともなのとゲテモノ系が半々なやつ……五巻の単行本の帯で『とんでも飯漫画』って公式で認めたやつ……ほ、本当に大丈夫なんですか?」
「基本的な料理の知識さえ手に入れば、どうとでも出来る。しばし待て」
そう言って、紬の不安気な視線など意にも介さず、ジンは尻尾を揺らめかせながら台所へと消えた。