ジンさんは紬さんと一緒にいたい
「か、帰らなくても、別にいいじゃないですか……っ。ずっと、わ、私の部屋の押し入れにでも住んでれば……!」
「ま、待て。まずは落ち着くのだ、ツムギよ! 深呼吸だ、深呼吸!」
「他のアシスタントをすぐに雇えるなんてのも嘘ですよ! ジンさんほど優秀なアシなんて、そうそう見つかるはずがないじゃないですか!」
「え……優秀?」
「喜ぶな! でも悔しいことに本当ですよ! ばか、ぼけ、おたんこなす、爬虫類!」
「だから爬虫類ではないぞ!」
「うるさい! とにかく私を寂しくさせないでください! ジンさんのくせに!」
「ええ……」
ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、理不尽な罵倒を吐き出す紬はもはや駄々をこねるお子様状態だ。わかっていても止められない。
自分は感情が昂ぶると、こんなふうに子供返りするのだということも今初めて知った。
「う、ううむ」
ジンはどうしたものかと困り果てていた。
ひとまず、紬の髪に付着していた雪を優しくはらってやり、目許の涙はコートの袖で拭ってやる。それでも収まらない様子を見ると、ジンはその背中をあやすようにポンポンと撫でた。
だがその一連の行動は逆効果だ。
紬の涙腺は余計に決壊してしまう。
この人間ではないはずなのに、子供体温で暖かいジンのぬくもりが、手元から無くなるのがたまらなく嫌だった。
ワガママなんて、言いたくなかったのに。
「ジンさんは、私と離れても寂しくないんですか」
「も、もちろん寂しいぞ! だがな……!」
「じゃあなんで魔界になんて帰っちゃうんですか! このままこれで永遠にお別れなんて……嫌ですよ、私は。ま、まだまだジンさんと一緒にいたいんです」
ぎゅうぎゅうと、離すもんかと言わんばかりに身体をジンにくっつけて、紬はすがる腕を強める。
正常時の彼女ならば絶対に出来ない行動だ。
だがそんな紬の必死の懇願に対し、ジンは「ん?」と深い紫色の瞳を瞬かせている。
「永遠にお別れだなんて、我の方がもっと嫌だぞ。ツムギとさよならなんて絶対無理だしご勘弁願う」
「でも……ジンさんは魔界に帰るんでしょうが……」
「ああ、こちらの時間で一年ほどな」
「――は」
今度は紬が瞳を瞬かせるターンだった。
「い、一年……?」
「うむ。マオマオと我の話を最後まで聞いていなかったのか? 確かに魔界にいったん戻って、マオマオの敵を一掃する手伝いはするが、そんなものはマオマオと我が揃えばさほど日数などかけずに片付く。後始末も含めてな。あとはこちらに来る魔力さえ回復すれば……これが一番時間がかかるだろうか。しかし条件さえ整えば、我はツムギのもとに普通に帰ってくるつもりだが」
なにか問題でも? と、ジンはさも当然のような口調でそんなことを言ってのけた。
『帰ってくる』という言葉通り――ジンにとっての『帰る場所』は、すでに魔界ではなく人間界の、とある街の小さなアパートの、もっといえばひとりの女子高校生漫画家の傍になっていたのだ。
紬はじわじわと、ジンの言葉を遅れて消化していく。
一年って、一年?
たったの?
カレンダー使いきったら再会できるの?
てっきり二度ともう会えないものかと……。
動揺がまだまだ収まらない紬に対し、ジンは「気分的にはちょっとした出張だな!」とかあっけらかんと胸を張っている。
「確かにマオマオには魔界住みに戻るよう促されたが、そこはキッパリお断りしたぞ! 魔人と人間は一緒にはいられない……などということも言われたが、『共にいたい』と思うならば、可能な限りいればいいだけであろう? ややこしいことを考えるのは、我は楽しくないのでノーセンキューだ!」
「そうでした……ジンさんって、頭はいいのにバカでしたね……」
そう、この魔人の脳内は、紬が思うよりも単純明快でシンプルな造りをしているのだ。
「だから我は必ずツムギのもとに帰ってくるし、なにより約束したではないか」
「約束……? なんかしましたっけ……?」
「忘れたとはひどいぞ! 『ジンさんは私を裏切らないで、離れていかないでくださいね』と言ったのはツムギであろう? 我はそれに快く了承を返した。ならば実行せねばならん。魔人は交した約束は必ず守るぞ!」
それは紬の過去話を兄である貴一に明かされたとき、おぼろげな意識の中で紬が口にした戯言だ。
本人はすっぽり記憶が抜け落ちていたが、ジンはきっちり聞いて快諾までしてくれていたらしい。
つまりは、すべて紬の早とちり。
ようやくすべてを理解して、「はあああああ」と深い深い海よりも深い息を吐き、紬の体から力が抜けた。
ズルズルと倒れ込む紬をジンは難なく受け止める。
「おっとと……大丈夫か、ツムギよ?」
「大丈夫じゃ……ないです……」
悪いのはひとり暴走した己だとは理解していても、心配そうにこちらを覗きんでくる綺麗なお顔に、紬は渾身のデコピンを食らわしてやりたい気分だった。
デコピンで頭蓋骨まで揺さぶってやりたい。
ベンチからずり落ちないように気をつけながらも、ジンの腰元あたりに頭を埋めたまま、もう一度溜息をひとつ。なんてことはない、安堵の息だ。
……ジンと永遠のお別れじゃなくて、本当によかった。
「絶対に一年後には帰ってくるんですよね……?」
「うむ。もし敵軍の方がねばってくれば、一年とちょっとかかるやもしれぬが……」
「塵ひとつ残さない勢いで殲滅しろ」
「きゅ、急に物騒であるな!」
勘違いで恥ずかしい言動を散々とった自覚があるので、誤魔化すように紬は「ふんっ」と鼻を鳴らした。敵軍なんて蹴散らしてさっさと帰ってこい……と言外に目で訴える。
ジンは伝わっているのかいないのか、「紬がくっついてきてくれるのは嬉しいから、まあなんでもいいがな」と何故か上機嫌だ。
とにもかくにも、離れてもまた、ふたりは一緒にいられるらしい。
紬は視線だけを空にツッと向ける。
いつのまにか、すっかり降っていた雪は止んでいた。





