紬さんは我慢できなかった
紬が唐突に思いつきで始めた『思い出の場所めぐり』だが、それなりにジンとあちこち出掛けた記憶があるといっても、基本的には徒歩で行ける近場ばかりだ。
一番遠いところで、夏に大勢で楽しんだ『ハリネズランド』か。
しかしこちらはバスに乗らなくてはいけない。
雪のため交通が混雑している事情もあって、紬は早々にランドは除外した。だいたいふたりきりで遊園地なんてまるであれだ。デートとかそういうのになるじゃないか。
周囲からはすでに『カップル』をすっ飛ばして『熟年夫婦』扱いされているなんて事実は露知らず、そこは紬の照れが勝って無理だった。
すると自ずと、行ける場所は限られてくる。
ジンが打ち合わせについてきたファミレス。
ジンと一緒によく買い物をするスーパー。
ジンとふたりでついつい長居をしてしまう本屋。
エトセトラ。
もしかしたら道中、雪にも関わらずフラついているマオにバッタリ出くわすかも……と紬はうっすら想定したが、特にそんな偶然は起こらなかった。
つまるところ結果的に、『思い出の場所めぐり』なんて大袈裟に銘打ったものの、これといって変わり映えしない生活圏を回るコースになったのである。
まあそれでも、ジンが始終ニコニコと楽しそうだったので、紬としても「もうこれでいいか」となったわけだが。
「はあ……コンビニのおでんとは、どうしてこんなに美味なものなのだろうな。家で作る味とはまた違う。ぶよぶよのハンペン美味い。味の染みた玉子とか永遠に食える。分厚いさつまあげが神がかっておる……」
「汁が美味しいんですよねー」
「オマケにいつもは買ってくれない、80円高い『ジャンボ特大ビッグ肉まん』を買ってくれるなんて、今日の紬は太っ腹だな!」
「それは……ささやかなサービスです」
夕刻になると、荒れた空模様は徐々に落ち着きを見せ出した。
今年は記録的な大雪らしいが、いまはチラホラと粉雪が舞っているくらいだ。
紬とジンは最後に、帰り道にある小さな公園に立ち寄った。
その前にコンビニで肉まんやらおでんやらのホットフードを買い込み、いまは公園の屋根付のベンチに並んで腰掛け、雑談を交わしながら舌鼓を打っているところだ。
はむっと紬は勢いよく肉まんを齧る。
熱々の中身が飛び出してきて、口内が旨味で満たされる。
雪の中で食べる温かいコンビニフードは格別だ。
紬の方は『ジャンボ特大ビッグ肉まん』などという、どれだけ大きいことをアピールしたいんだとツッコみたい商品ではなく、普通サイズではあるが。
「むみゃっ! に、肉汁があふれてきたぞ! アチチだぞ、アチチだ!」
「あーもう! 子供みたいなことしない!」
垂れてきた肉汁に慌てるジンに対し、紬はすかさずおしぼりを差し出す。仕方なくベタベタの手も紬が拭いてやった。
こういうところが『夫婦』と呼ばれる所以のひとつなのだが、知らぬは本人たちばかりだ。
「ありがとうだぞ、ツムギ! やはり人間界は刺激にあふれておるな」
「肉汁で? 魔界の方がどう考えても刺激にあふれていそうですけどね」
「そうだろうか、生まれ故郷だからわからぬな」
故郷。
ジンにとっての、帰る場所。
わかりきっていた事実がジワリと紬の胸を蝕む。
誤魔化すように缶のコーンスープに口をつけたところで、「その……実はな、ツムギよ」とジンが戸惑いながら切り出す。
「我はな、今夜マオマオと魔界に帰ろうと思っておる」
――ああ、来たか。
紬は缶を持つ手に力を込める。
「言うの遅いですよ。とっくに知っていますから。……昨日の夜、ジンさんとマオさんがベランダで話しているの、聞いちゃいましたし」
「なっ! そ、そうなのか!?」
ちゃんと気付いていたマオに比べ、ジンはまったく気付いていなかったようだ。
そういう抜けっぷりがなんともジンらしい。
「そういうのは決めた瞬間に話してくださいよ。こんなに時間経っちゃって。いきなり言われた方が可哀想だと思いません?」
「う……すまぬ。切り出し方がわからなかったのだ。ツムギと最後までいつも通りでいたかったというのもある……」
ほら、ジンの考えなどぴったり予想通りだ。
紬は「仕方ないなあ」と力なく笑う。吐いた白い息が、羽のようにふわっと散って消えた。
「まあもともと? ジンさんとは期間限定のお付き合いでしたから。頼れるアシスタントがいなくなるのは困りますが、魔人が魔界に帰るのは当然ですし。マオさんとなにやら大変そうな話もしてましたもんね。魔界大戦争とかそれこそ漫画の世界みたいですよ。怪我には気をつけて思う存分、敵軍をぶっ飛ばしちゃってください。こっちの世界で原稿でもしながら応援してます。ああ、私のことは気にしなくていいですからね? 新しいアシスタントだってその気になればすぐに雇えますし、ひとりでも平気です。別にいままでの生活に戻るだけで……」
込み上げる様々な感情を押さえられないまま、紬はツラツラと喋り続けていたが、途中で「うっ」と言葉に詰まる。
目元が知らぬ間に潤み、ポロッと飴玉でも転がり落ちるように涙が出た。
泣くつもりなんて微塵もなかったのに、ポロポロと涙が止まらない。
「ツ、ツムギ……!?」
ジンは飛び上がらんばかりに驚いて、先ほどの肉汁など比ではないほど慌てている。
「ど、どうした、そんなに悲しいのか!? ツムギが泣いているのは我のせいか!? お、落ち着け、まずは涙を拭くのだ!」
「う、ううう、うううう」
「こんなところで泣いては危険だぞ! 涙が凍ってしまう!」
凍るわけねぇだろ……と鼻声で呟きながら、紬はもう限界だった。
プライドなんて知らない。
悲しい。
寂しい。
嫌だ。
「いなく……ならないでくださいよお、ジンさん……っ!」
コーンスープの缶が地面に落ちる。
若干残っていた中身はすべて足元にぶちまけられた。
なりふりなどかまわず、紬はジンの胸にすがり付く。





