ジンさんとの最後の一日?
翌朝である。
冬の刺すような寒さの中、学校が冬休みに入ったというのに、早い時間に目覚めてしまった紬は、どことなく重たい体を引き摺ってベッドから出た。
台所からはジュージューとなにかが焼ける音と、ふんわり香ばしい匂いが漂ってくる。
そっと覗けば、おかんよろしく真っ白な割烹着を身につけたジンが、片手にフライ返しを持ってコンロの前に立っていた。どうやら朝食の目玉焼きを作っている最中のようだ。
「あの、ジンさん……」
「うきゃ!」
いや、『うきゃ』って。
どの漫画から飛び出してきた萌えキャラだ。
尻尾をピンと立てて過剰に驚いたジンは、やけにおそるおそる紬の方を振り向く。
「お、おはようだぞ、ツムギ! 今朝はまったくお寝坊さんだな!」
「まだ朝の七時ですし、学校も休みなので特に寝坊ではないですけど……」
「そ、そうであったか? いまモーニングセットを用意しておるからしばし待て。本日は米ではなくパンだぞ。あとはこの目玉焼きを皿に乗せれば完成だ」
「それ皿じゃなくてお盆ですけど……」
「おっと、丸いから間違えてしまったぞ! いやあ、それにしても今日はとてもよい天気だな!」
「外は大雪なんですけど……」
「食パンに塗るものはマーガリンとイチゴジャムどちらにする?」
「ジンさんが並べているの味噌と紅ショウガなんですけど……」
反応がぎこちなさすぎる。
おそらく、ジンはジンで昨晩のことがあって気まずいのだろう。もしかしたら、魔界に帰る旨を紬にどう打ち明けようか悩んでいるのかもしれない。
だからといって、いくらなんでも挙動不審すぎるが。
尻尾が小刻みに震えまくってる。相変わらず嘘がつけない魔人である。
紬はこちらまで居た堪れなくなってきた。
「あー……えっと、マオさんはどこにいるんですか? 姿が見えませんけど」
「マオマオはなにやら、朝の五時くらいから出かけたぞ」
「はやっ」
おじいちゃんかよ。
「なんでも人間界滞在最後の一日は、マオマオは単独行動で気ままに人間界を練り歩くことに決めたらしい。図書館に行ったり、近所の雪まつりに参加したり、デパ地下の試食めぐりに繰り出したり、仲良くなったホームレスの皆さんとカードゲームで遊ぶ予定だそうだぞ」
「相変わらずアクティブですね……」
「マオマオからの伝言によると『ジンジンもセンセイも、今日はふたりだけでのんびり過ごせよ』とのことだ」
……それは、マオなりの配慮だろうか。
マオにとって『人間界滞在最後の一日』であるように、またジンにとっても『人間界滞在最後の一日』になるかもしれないのだ。そして紬にとっては、『ジンが傍にいる最後の一日』だ。
色濃くなる『サヨナラ』の気配に、紬は暗い目をして俯く。
だが気分ごと首をもたげたのは束の間のことだった。
「なんか息苦しい……というか、コゲ臭い?」
顔を上げれば、ジンの背後からもうもうと立ち込める黒い煙が。
「ちょっ……! ジンさん! 目玉焼き! 目玉焼き焦げてます! 大惨事!」
「な、なんと!? 我のあずかり知らぬ間に木炭が錬成されてしまったぞ!? なんと黒々しい。これは暗黒物質か? 魔界ではお馴染みの!」
「言っている場合か! 速く火を止めて……なぜ逆に火力を強くする!?」
「間違えたぞ!」
「堂々と胸を張るな! あー、もう!」
最後の日になろうとなかろうと、朝っぱらからこの大騒ぎである。
ジンが料理においてここまでミスを繰り返すのを、紬は初めて見るが、この騒がしさはかえって彼女を安心させた。
なんとなくホッとする。目玉焼きは完全に死んだが。
「うう、すまぬ、ツムギよ……我はメシスタント失格だ。フライパンは犠牲になったのだ……」
「卵もな。もういいですよ、さすがにこの目玉焼きは食べれませんけど、ウィンナーだけでも十分ですから。あとは食パンがあれば」
「ジャム! ジャムは我が塗ってやるぞ!」
「だからそれ紅ショウガな!」
そんな一悶着もありつつ、ようやく落ちついて紬とジンは食卓についた。
飲み物はジンが淹れてくれたインスタントコーヒー。皿に並ぶのは、目玉焼きよりはマシだがこちらも若干焦げたウィンナーと、悩んだ末にマーガリンを塗った食パンだ。
もそもそと朝食を取りながらも、交わす話題は無難に仕事のこと。「あのトーンがそろそろ無くなりそう」とか、「どこどこのシーンの台詞が決まらない」とか、「結局のところ新キャラの扱いはどうするよ」とか。
だが時折、軽快な会話の間に、不自然な沈黙がポッと挟まってしまうので、紬はいい加減に辟易してきた。
自分とジンに、こんな空気は似合わない。
このまま妙な雰囲気でシコリを残してお別れするなんて、紬は絶対に御免だった。
「――よし」
食べかけのパンを置いて、クッションの上で居住まいを正す紬。
そんな彼女に対し、ジンは「きゅ、急にどうしたのだ?」と首を傾げている。
「ジンさん、今日は夜まで私と、思い出の場所でも巡りましょうか」
「おもいで?」
「はい」
この調子だとジンはおそらく、陽が傾いてギリギリになるまで、魔界に帰ることを紬に明かさないつもりなのだろう。そうしていつもどおりの時間を、最後の最後まで維持する算段なのだ。
一緒にいた時間はマオより遥かに短くても、紬にはジンの考えなんて手に取るようにわかる。
なんといっても相棒だから。
そっちがその気ならそれでいい。
紬は紬なりに行動することにした。
「さあ、そうと決まれば、さっさとご飯を食べて行きますよ! 一分一秒も無駄には出来ません! 時は金なり! タイムイズマネー!」
「う、うむ。イマイチまだついていけておらんが、我は紬に従うのみだ。了解したぞ!」
心なしか苦く感じるコーヒーを飲み干して、紬は無理やり気合を入れた。
書籍版発売日はいよいよ明日です!
ただこんなご時世なので、もしお求め頂ける方がいたら、なにとぞご無理のない範囲でよろしくお願い致します……!
明日は発売日なのでちょっと多めに更新、土曜日には完結予定ですー!





