お兄さんは隠れ過保護
「自信を取り戻して、明るくなって再スタートを切れたのはいいんだが、書いている漫画の内容が『アレ』だろう?」
「恋ギガは歴史に残る名作だぞ!」
「おっとジンさんあの漫画のガチ勢だった。いやでもな、世間的にはちょっと大っぴらにしにくいとこもあるわけよ。ページのいたるところで高確率でパンチラするんだぜ」
「書かせたのはキイチでは?」
「まあ書かせたのは俺だけど」
ふうと、貴一はため息をつく。
「せっかくいい友達もできたっぽいのに、紬はそこだけは隠してんじゃん? そういう隠し事って話せる相手が一人でも傍にいないと辛いだろう? 前までは俺がその『相手』だったけど、いつのまにか反抗期に入って、紬はお兄様に対してツンツンになっちゃったし……やれやれだぜ」
わざとらしく肩を竦めたかと思えば、わりと真面目な話をしている途中なのに、ポテチを二枚口に挟んで「いへめんあひうぐち(イケメンアヒル口)」とかふざけ出す貴一。
こういうところが紬の神経を逆撫でしているのだろうが、おそらく貴一はわかってわざとやっている。
本当は陰でけっこう過保護なクセに、当の妹を前にするとついついからかってしまう素直ではない兄である。
「でもいまはその『相手』、ジンさんが担当しているみたいだし」
「我がか?」
「そうそう。紬、ジンさんには気を許しまくってんじゃん。一度裏切られた経験からか、アイツって見えないとこで警戒心強いんだけど、ジンさんのことは心底信頼しているみたいなんだわ。……だからまあ、なにが言いたいかというと」
これからも妹をよろしくお願いするな。
そう貴一はジンに向かって頭を下げた。
さすがにポテチからは手を離し、口調は軽いながらも声は真剣さの滲むトーンだった。
ジンは目をパチクリさせたあと、こちらもポテチに伸ばしかけていた手を引っ込める。
「……やはり過保護だな、キイチは。あとあれだ、わかりにくいがシスコンだな」
「うるせーうるせー。ラノベに出てくる妹がいる系の兄貴キャラなんて、みんな等しくシスコンなんだよ」
「キイチはラノベも嗜むのだな……ふむ」
ジンも改まって、コホンと咳払いをひとつ。
「ツムギのことは我に任せよ! よろしくお願いされたんだぞ!」
自信満々の返答は、狭い室内でやけに明瞭に響いた。
ジンの答えに対し、貴一は爽やかな相貌をゆるめて、どこかホッとしたふうに笑ったのであった。
「ただいまー……って、あれ? ジンさんだけですか? 人を買い物に行かせといて、あのクソ兄貴はどこに行ったんですか」
「おお、おかえりなさいだぞ、ツムギ!」
紬がスーパーから帰宅すると、玄関で出迎えてくれたのはジンひとりだった。尻尾と角が普通に晒されていることから、貴一はすでに帰ってしまっていないことがわかる。
「なにやら友人たちとの飲み会が急遽入ったとかで、早々に退散していったぞ。その前にアニメショップに寄りたいとかも言っていったな。推しキャラのSSR水着姿の抱き枕が本日待望の発売だそうだ」
「相変わらずリア充なヲタクしてんな……どうすんの、このおぞましいゲテモノアイス」
紬はミニテーブルにドサッと袋を置く。
中から覗いているのは、貴一がご所望した未知なる新商品『カップアイス~期間限定キムチ味~』だ。フタには『激辛だけど激甘!』とかもはや破綻したキャッチコピーが載っている。
レジに持っていったときの、店員の信じられないものを見る目を紬は当分忘れられそうにない。
店員にも明らか異物扱いされているじゃねえか。
「ふむ。なんだかんだ文句を言いつつも、ツムギはキイチに頼まれたものをしっかり買ってきたのだな」
「べっ! 別にたまたま冷凍コーナーにあっただけですから! 誰も買ってなくて大量にあったから嫌でも視界に入ったというか! けっしてあの顔だけで生きているムカつく兄貴のためじゃないです!」
「ツンデレ兄妹だな」
「よくわかんないけど角引っこ抜きますよ」
とりあえずアイスは冷凍庫に放り込んだところで、紬はクッションに座って一息ついた。
床には行儀悪くも開封されたポテチの袋が放置されている。〆切が近い時の非常食用に取っておいたそれの、蹂躙された無惨な姿を見て、紬はすぐに誰が犯人なのかを悟った。
ここにはすでにいない兄に「あの野郎……」と呪詛を飛ばす。
黙って見ていた共犯なので露骨に顔を逸らすジン。
そこでふと空白の間が落ちて、紬はおずおずとジンに視線を送る。
「それで、ジンさん。その……貴一から聞いたんですよね?」
「な、なにをだ? ポテチのことは知らぬぞ!」
「そっちじゃねえよ」
「ではどっちだ?」
「…………私の胸くそ悪い話の件です」
ああ! とジンは一房だけある三つ編みを跳ねさせて手を打った。
彼がなにかを言う前に、先手を切って紬が口を開く。
「い、言っておきますけど、ぜんぶ過去のことですからね! 相手からはなぜか後で謝罪の手紙が届いたし、私はもうまっっったく気にしていませんから! ただジンさんには、えっと、なんとなく知っておいてもらいたかったというか。自分から話すのは気まずかったので、貴一に託したというか。でも私としては秘密を打ち明けておきたかっただけで、気を遣ってほしいわけでは一切ありませんので! そもそもいまにして思えば、あんな些細なことで人間不信になった自分が恥ずかし……」
「――ツムギ」
矢継ぎ早に喋る紬を、いつもはハエのように小うるさいジンが珍しく静かな声で止めた。こうして聞けば人外美形なジンは声も低くて艶のある美声だ。
ちょいちょいと手招きする動作をしたかと思えば、彼はバッと無駄に長い腕を広げる。
その意図がわからず、紬は困惑顔だ。
「ええっと、ジンさん。それはどういうボディランゲージでしょう? 唐突なエクササイズですか?」
「違うぞ! あれだ。ハグだ、ハグ」
「ハグ? ああ、ハンバーグの略称の」
「それはいささか強引ではないか!?」
ぎゅーっとするやつだぞ! と、ジンは腕を広げたままブンブンさせる。
やっと正しく意味を理解した紬は「は!?」と顔を真っ赤にさせた。





