お兄さんはなんでも知っている
「へえーじゃあジンさん、紬のアシスタントしてるんだ。しかも同棲とかやるな。我が妹ながら隅におけないぜ生意気な」
「うむ。我はツムギには大変お世話になっておるぞ。温玉カレー丸先生の大ファンでもあるので、アシスタント業も嬉々としてさせてもらっている」
「うっわ! なんか久々に聞いた気がするなその酷いペンネーム! 誰が考えたんだろうなーまあ俺だけど。好物から完全に思い付きで決めたんだけどさ、こんなウルトライケメンが『温玉カレー丸』とか口にするとウケるな。ジンさんのイケメン度マジ高いし。俺の次くらいに」
「キイチもなかなかのものだぞ。我の次くらいに」
「俺たちもしかして?」
「テッペン取れちゃう?」
「お、ノリいいね! ジンさん最高!」
「いえい」
――――ぶん殴っていいかな?
パチンッとハイタッチをしている目の前の奴等に、紬は額に青筋を立てて拳を握った。
世にこれほど不快指数の高い会話が他にあるだろうか。いやない。
けっして広くないスペースで大の男が二人、ミニテーブルを囲んでなにやらくだらない話に花を咲かせている。
紬の抵抗虚しくズカズカと部屋に押し入ってきた貴一は、最初はジンの存在に驚いていたものの、二言三言交わしてほんの数分で打ち解けてしまった。
久しぶりに会う兄は変わらず、雑誌に載っていたとおりの爽やか好青年な容姿を引っ提げて、ニヤニヤと紬の神経を逆なでしてくる。
タイトパンツに秋物のメンズセーター。長めの前髪は、カジュアルさがあってお洒落なのだろうが、紬からすれば鬱陶しいだけだ。
紬は正面の貴一をギラリと睨む。
「で、マジでなにしにきたの。用がないならさっさと帰って。用があってもさっさと帰って」
「なんだなんだ? ちょうど近くに来たから、わざわざ妹の顔を見にきてやったんだろう。そうしたらこんな面白いネタがあって……帰れるわけないし。なっ、ジンさん」
「ツムギよ、兄妹なかよしが一番だぞ!」
ジンに同意を求めるとこも腹立つ。
しかし紬の苛立ちなど何処吹く風で、貴一は棚に置かれたフィギュアを目に止め、「お! キラスペじゃん!」とヲタクの本性を覗かせている。
「ジンさんはさ、キラリンスペースガールズ、通称キラスペの中では誰推し? 俺はまみのん。ツインテールにニーハイは鉄板だよな」
「貧乳もすてがたいぞ。我はさゆりん推しだ」
「わかりみしかない。さゆりんもいいよな、いやジンさんとは最高のフレンズになれそうだわ」
「なに意気投合してんの!? 帰れってば!」
「そういうお前は誰推し?」
「なみなみ推しですけど!?」
いっこうに帰る気配のない兄に、紬はすでに疲弊していた。昔から妹の話など聞かないのだコイツは。このまま夕飯まで居座られてはたまらない。
しかし本人は夕飯まで食べる気満々のようで、「温玉カレー作れよ紬」とか催促してくる。
もし自分に漫画のような戦闘力があったら、真っ先にコイツから始末する……と紬の険は増すばかりだ。
「ふむ……ツムギとキイチは、なんというか噛み合っているような噛み合っていないような、不思議な空気感のある兄妹だな。だがキイチこそが、ツムギが漫画を書くにいたった要因なのだろう?」
「あーそうですね。そのあたりのことを明かすとなると、ツムギの中学時代の話をしなきゃなんですが……」
「――――貴一!」
紬は思わずテーブルをバンッと叩いて声を荒げた。
ジンがビクッと一房の三つ編みを飛び跳ねさせる。
途中から訳あって引きこもりの不登校になってしまった中学時代は、紬にとってもっとも忌むべき時期である。
その時期があったからいま現在漫画家をしているのだが、大っぴらにはしてほしくない。
特にジンに対しては、明かしたいような明かしたくないような、実に複雑なところなのだ。
苦い顔をする紬に、ジンはアメジストの瞳をパチパチさせ、貴一は「ふーん」と思案気に頬杖をついている。
やがて貴一は紬ににじりより、ボソボソと耳打ちした。
「お兄ちゃんはなあ、仮にも一緒に住んでいる相方には、あのこと話しておけばいいと思うぞ? おまえ、かなりジンさんのこと信頼してるみたいだし。隠し事、もともと苦手だろ」
「……だからなに。貴一には関係ないし」
「お前が本気で『いや』なら、兄の温情で言わないであげてやるけどな。つーか『お兄ちゃん』か『おにいたま』って呼べって言ってんだろ。せっかくの妹属性なんだから」
「属性とか言うなし。バカ貴一!」
紬はふんっと唇を尖らせて立ち上がった。
しばしの逡巡のあと、ジンをじとりと睨みつける。それから財布をパーカーのポケットに突っ込み、玄関に向けてずんずんと歩み出した。
「ひえっ!? な、なんで我はいま睨まれたのだ!? 我はこう見えて繊細なのだ、心臓への負荷はやめてやさしくして! ど、どこへ行くのだツムギよ……?」
「…………夕飯の買い出しに行ってきます。ちょっと遠いスーパーに行くので、ジンさんは『ごゆっくり』貴一と胸くそ悪い話でもしていてください」
「胸くそ悪い……?」
「おー、カップのアイス買ってきてくれ。新発売で期間限定のキムチ味」
「期間の途中ですでに販売中止になりそうなヤバイアイス誰が買ってくるか滅びろ。――――行ってきます!」
バタンッと激しい音を立てて玄関のドアを閉め、紬は出掛けて行った。
残されたのは、なにがんだかよくわからない置いてけぼりの魔人と、「アイツも素直じゃないなー」とやれやれと肩を竦めている貴一だけだ。
「紬はいったいどうしたのだ……? 人間の細かな感情の機微は、ときおり我にはわからぬぞ」
「おっ! いいねぇ、ジンさん。そのセリフ、なんか人外キャラっぽい」
「わ、わわわ我はニンゲンだぞ! ニンゲンっていいなあっていつも思っている立派なニンゲンだ!」
「いや逆にそれ人間じゃないから。やっぱジンさんおもしれえな」
まさかの身バレフラグ(?)にきょどるジンに、貴一はケラケラ笑っている。かと思いきや、急に真剣な雰囲気に切り替わった。
ジンに向き直り、真面目なトーンで語りかける。
「ツムギはですね、たぶんいつかはジンさんに話しておきたかったんでしょうけど、タイミングを逃していたっぽいんですよ。でもこれを機に、俺から話しておいてくれーって感じですかね」
「う、うむ?」
「と、いうわけで」
そしてニコリと雑誌の中で見せたスマイルを一つ。
「アイツ曰く、『胸くそ悪い』話でもしましょうか?」





