紬さんのお兄さん
「で、いきなりなんなの、貴一? 電話とかしてこないでっていつも言ってるじゃん。……『お兄さま』とか呼べないし。貴一をお兄さま呼びするくらいならチンパンジーを兄扱いした方がマシ。『にーに』も却下! 『おにいたま』とか論外、殺意湧くわ。マジなんなの、もう切るからね!」
それはいたっていつもどおりの、平穏な日曜日の昼下がり。
紬は部屋でジンと並んで、撮り溜めたアニメをのほほんと観ていたのだが、不意にかかってきた一本の電話により、彼女の平穏は無事に終焉を迎えた。
「はあ!? いまからうち来るってどういうこと!? 絶対来ないでよ! 来ても入れないから! マジで来んな! あっ、ちょっ! ……切りやがった、あの野郎。ふざけんなバカ貴一!」
「ど、どうしたのだ、紬よ? 荒れておるな」
ドスの利いた声で舌打ちする紬に、ジンはビクビクと反応を窺う。
紬がここまで嫌悪を丸出しにするのも珍しいことで、さしもの魔人も普通にビビる。尻尾は完全に竦み上がっている。
紬はたっぷり間をあけて返した。
「………………うちのボケナス兄貴からの電話です」
「ツムギの兄上殿の?」
きょとん顔をさらすジン。
ジンからすれば、それはそんなに殺気立つものなのかわからない。
仲が悪いのかと尋ねれば、紬の顔は般若になった。
「ひいっ!? ツ、ツムギ、その顔はアウトだ! 放送禁止だ! よい子は暗いところで離れても離れなくても視ないでね!」
「うるさいですよ、ジンさん。仲がいいとか悪いとか、そういう次元ではないんです。奴は一言で表すならウザさの化身。妹をオモチャだと思ってる顔だけが取り柄のクソ野郎です」
「い、いったいどんな人物なのだツムギ兄は」
「待ってくださいね、確かここらへんに……」
紬は床を這ってそこらへんにあるカラーボックスを開けた。中から取り出したのは、雑に丸めてあるメンズのファッション雑誌だ。
「む。こういった書物は、漫画の資料用にしか読まぬな。これがどうしたのだ?」
「えーと、たしかここらへの……ああ、このページです。ここに載ってるのがうちのアホ兄貴です」
ペラペラとページをめくって、紬が指し示したのは『街で出会ったイケメン特集!』という見出し。その下に一番でかく写真が載っている一人の男性と、尺が異様に長いインタビュー記事だった。
――――紬の兄・壬生貴一は、自他共に認めるイケメンである。
涼やかな二重の目許に、鼻筋の通った綺麗なお顔。程よく筋肉のついたバランスのいい体型は、流行りのどんな服でも様になる。
アッシュブラウンに染めた髪は自然にセットされ、キャッチコピーは『道行く女性がみんな振り返る! 爽やかモテボーイ!』だ。
現在は県内の国立大に通う二年生。
こうしてメンズ誌の読者モデルになることは決して初めてではなく、ミスターコンなどでも優勝経験あり。ついでに運動神経抜群、頭脳明晰。
平凡顔な父に似た紬と違い、近所で美人奥さんと名高い母親に似た貴一は、まさしく勝ち組中の勝ち組であった。
以下、インタビュー記事から抜粋。
『趣味ですか?
読書と、冬はウィンタースポーツですね。スノボーが得意なんですよ。本はなんでも読みますが、主に好きなのは古典ミステリーです。近所のカフェで早朝に一人、ゆっくりコーヒーを飲みながら読むのが好きなんです。
特技はピアノかな。大人になって始めたんだけど、音感がいいみたいで。先生にも初心者とは思えないって最初にびっくりされたっけ。
え? なんでも出来ますねって?
ははっ、俺も人間だし、出来ないことだってもちろんありますよ。具体的に出来ないこと……んー、まあ、今はちょっと思い付かないけど。
彼女はいませんね。
男友達で集まって遊ぶ方が楽しいというか。あ、もちろん欲しいとは思っているんですよ?
好きなタイプは明るくて優しい子……というか好きになった子がタイプ、かな(以下、延々とこの調子で続くが省略)』
「ふむ……なんとなくであるが、紬が嫌う理由がちょっとわかった気がするぞ。あれだな、絶妙にイラッとくる記事だな」
「そうでしょう!? しかもこれ、決して嘘ではないんですけど、本当でもないとこがいやらしいんですよ!」
貴一は天才肌のため、確かにスノボーもピアノもできる。読書だって古典ミステリーも読むし、パーリーなピーポーの男友達だって多い。
だけど彼の本性は……紬と同じヲタクだ。
厳密に言うならわりとディープな萌え豚系ヲタクだ。
「スノボーは昨年一回行っただけで、主に冬コミの準備で冬は終わるし! 読書は一般小説二割、あとラノベだろ! その音感を主に音ゲーで使ってるくせにどの口が! 男友達も実はネットで知り合ったヲタ友が隠れて多いし! 最近の彼女は無料アプリのギャルゲー『もえゆるガールズボンバー』のみゆみゆだそうで! 死ぬほどどうでもいい!」
紬はバシーンッと床に雑誌を叩きつける。
この雑誌も、いらないから送ってくるなと言ったのに、一週間ごとに数十冊ずつ送ってくるという陰湿な嫌がらせをされ、根負けして一部取っておかされたやつだ。
紬より分厚い擬態をした隠れヲタク、そして妹への嫌がらせに命をかける、外面はどこまでも完璧な男。
それが壬生貴一であった。
「アイツにジンさんの存在を知られたら地獄です……念のため某猫型ロボットよろしく、押し入れとかに潜んでいてもらえますか」
「それは構わぬが……しかし前に聞いた情報によると、その兄上殿が、紬が今の漫画を書くに至った要因の人物ではなかったか? 出来ればご挨拶をしたいのだが……」
「あーいいです、いいです。そういう人間同士の礼節とかアイツに必要ないんで。とにかく、いますぐ押し入れに……」
ピンポーンと、そこで高らかにチャイムの音が鳴り響く。
紬は「来たか!」と身構えたが、次いで聞こえてきたのは「こんにちはー宅配便でーす!」という間延びした声だった。ホッと気が抜けると同時に、ジンの目が輝く。
「おお! これはもしや、ママゾンからではないか!? 注文したキラスペのフィギュアが届いたのかもしれぬ! 我が出てくるぞ!」
「あっ、ジンさん待ってください! ハンコを忘れて……」
角と尻尾を瞬時に消し、嬉々として玄関に向かうジンを追いかけながら、紬は「あれ?」となぜか唐突に嫌な予感に襲われた。
例えるならば、すぐそこに危険が迫っていることを察した、野生の小動物の勘。
「ま、待ってください、ジンさん! ドアを開けないで……!」
「む?」
しかし、時すでに遅し。
ジンはドアノブを回し、すでに外の人物を迎え入れるところだった。
――――そして、紬の嫌な予感は的中する。
「どうもー……宅配便、もとい愛しいのお兄様が会いにきてやったぞ、妹よ」
さあ、さっさと中に入れろ。
そう告げて、ドアの隙間から顔を出したキラキラスマイルに、紬はホラー漫画のヒロインさながらの悲鳴をあげたのだった。





