斜め上から飛んできた
「もしもし、悠由? なにかあったの、急に電話なんて……」
「あ! 紬ぃー! 紬は今どこにいる? 一大事なんだよ!」
「まだ家にいて、これから遊園地に向かうとこだけど……一大事って?」
紬はドアの取っ手に掛けていた手を離して、切羽詰まった悠由にどうしたのかと眉を寄せる。
背後にはメルヘンな音楽(ハリーハリーハリーアップハリネズミーという間の抜けた歌声入り)が聞こえていて、うっすら凛子っぽい声もする。
どうやら悠由たちは、少々早いがもうハリネズランド前にいるようだ。
「私と凛子は早く来すぎちゃって、正面入り口で紬とオギハギコンビ、あと星野を待っていたんだけど、その星野が大変なの! なんか来る途中で急な体調不良に襲われて、今日はお休みするって!」
「ええ!?」
急展開に紬は驚きの声をあげる。
実は当日になった今でも、紬はまだ学校一のチャラ男くんである星野とは面識がないが、彼は今回の遊園地イベントの企画者であり、一番やる気があったはずだ。
それなのに休むなんて、余程体調が酷いのだろうか。しかも遊園地に向かう途中で急になど。
「なんかね、ついさっきまでは元気バリバリだったのに、かみなし神社の前でハリネズランド行きのバスを待っていたら、いきなり原因不明のものすごい歯の痛みに襲われたらしいの!」
「は!? あ、言い直すね。歯!?」
「でしょ? 歯!? って思うでしょ!? 私も星野から最初に電話来たときは、『キシリトールガムでも噛んでろよ』って思ったんだけどさ、もう星野ったら泣きそうな声で……! よほど酷い虫歯が急に疼いたのか、なんらかの病気で歯からやられたのか……」
歯痛と聞いて一瞬軽んじてしまった紬だが、重い病気に繋がることだってあるし、歯の痛みだって酷いものは決してバカには出来ない。
頬を押さえて悶え苦しむ星野を想像し、とても心配になるが、次いで「ん?」とあることに気づく。
「…………ごめん、悠由。星野くんがいきなり体調を崩した、というか歯の痛みを訴えたのって、『かみなし神社』前でバスを待っていた時なの?」
「うん、そうなの! しかもあまりの痛みに幻覚まで見えたらしくてさ、『く、黒いモヤを、追いかける空飛ぶ白いキツネがっ! 陰陽師が! 歯が、歯があああああ!』とか意味不明なことまで言い出して!」
悪鬼じゃん……!?
心田のベタワールドにより物語が開始してしまった、陰陽師たちが逃がした悪鬼の仕業じゃん!?
紬は今度は別の意味で青ざめた。
間違いなく、星野の歯の痛みは疫病を振り撒く悪鬼とやらの仕業だろう。
疫病、なぜか歯限定の局部攻撃だが。
「一回通話を切ったあとに、星野のお姉さんを名乗る人から、代理で電話がかかってきてさ。お姉さんが死にかけの星野を保護して、とりあえず医者に診てもらったらしいんだけど、やっぱり原因はわからなくて……」
「それたぶん、病院よりお祓いに行った方がいいかもしれない……」
「え、おはらい?」
「う、ううん、なんでもないよ! 星野君、大丈夫かな……?」
紬はまさかこんな形でベタワールドが飛び火するとは思わず、改めてその恐ろしさに、暑い夏なのに冷や汗を流す。
今はただただひたすら可哀想な星野の、逸早い回復を祈るばかりだ。
「でもね、最後まで原因は特定できなかったけど、お姉さんいわく、今の星野はちょっと前の苦しみようが嘘なくらい落ち着いたみたいよ」
「あ、そうなんだ……! それならよかった!」
陰陽師たちが頑張ったのだろうと、紬はホッと胸を撫で下ろす。
本当に悪鬼とやらの仕業であったかは判断しかねるところだが、深くはもう掘り下げないことにした。SAN値が下がる。
「ただ大事を取って、今日は家で休ませますってお姉さんが……いやあ、チャラ男の星野に、あんな声や喋り方だけで美人オーラがあって、めちゃめちゃ優しそうなお姉さんがいるとは驚きだったよ」
「でも結局、星野くんは欠席なんだね……」
「そう! そこなの、問題は!」
悠由の高めの女の子らしい声が、キーンとスマホから鳴り響く。
「夕方のイベントは男女でのペア参加じゃん? もう事前申し込みもしてあるのに、星野がいなくなったら男が一人足りなくなるんだよ! オギハギコンビにも連絡回して、私と凛子でも知り合いの男どもに当たっているんだけどさ、もうみんなことごとく今日は忙しいらしくて……! 今のとこ全滅! そんなわけで、紬も誰か呼べそうな男いない? すぐ軽い調子でOKして、遊園地とかノリノリで来てくれそうなやつ!」
「遊園地とかノリノリで……すぐ来てくれそうな……性別オス……」
紬はチラッと横目で、玄関で佇んだまま、己の作った遊園地マップ(分厚い完全版の方)を真剣に眺め「渾身の出来だ……」と呟いてているジンに視線を遣る。種別は人外だが性別は奇しくも♂だ。
この流れ事態も、なんだかベタというか、作為的なものを感じてしまうのは気のせいだろうか。
しかし、悲しいかな。
元引きこもりで、今でも基本はディスコミュニケーションな紬のアドレス帳には、そもそもろくに登録がない。
悠由と凛子(登録したときには名前が輝いて見えた)。
仕事相手の心田(罪なき今回の原因)。
両親と、可能な限り連絡など取りたくないクソ兄貴(手が滑って削除しかけること幾万回)。
あとは行きつけの美容院やたまに使うタクシー会社、連絡頻度は一番高いアニメショップなどの切なくなる番号くらいなのだ。
呼べる男など、はなから目の前の魔人しかいなかった。
「こ、心あたりが、ないこともない……かもしれない」
「本当!? その人に一応当たってみてくれる?」
「う、うん、まあ当たったら100、いや200%来ると思うけど……」
「なになに、そんな暇人なの? そこまでノリがいい人なら大歓迎! わかったらすぐまた連絡してー!」
プツンッと通話が絶たれた後に、玄関先でプープーと虚しい音が小さく響く。
紬は深い深いため息を吐き出してから、ドアに向けていた体をくるりと回転させた。ジンは紬と目が合うと、「今日は温玉カレー丸先生のお電話が大忙しだな」と魔人の癖に邪気のない笑みを浮かべる。
その手には、遊園地の完全マップ。
……一時的とはいえ、歯痛に苦しんだ星野には大変、もうそれは大変後ろめたいが、 必ずたくさんのお土産をみんなで買ってあげようと思うが、紬はほんの少しだけ、これから言うお誘いにジンがどれほど喜ぶのかを想像して楽しくなってしまった。
「あのですね、ジンさん」
「なんだ、ツムギ」
――アトラクション、なにから一緒に乗ります?
次回は可哀想な星野くん視点をお送りします。





