担当さんはファンタジーもイケる
紬が電話に出ると、担当である心田は相変わらずの害のない声と口調で、「あ、お疲れ様ですー」とのほほんと話し出す。
だが紬は気を抜かず、玄関先で戦場のような緊張感を保つ。
余談だが、紬は彼からの着信音を、今期のとある覇権アニメで敵が迫る際のBGMに設定している。
なんとなくだ。他意はない。
「いやあ、ちょっと来月分の原稿で、サブヒロインの台詞に不明な箇所があったもので。意味がよくわからないというか……今確認取らせてもらってもいいですか? 手短に済むので」
「え、本当ですか? どこだろう、えっと……」
紬はチラッと腕に巻いたビタミンカラーの時計を確認するが、まだ急いで出掛けなくとも、約束どおりの時間には遊園地に辿り着けるだろう。
原稿を頭に思い浮かべながら、「大丈夫です」と返事をする。
仕事の出来る心田は、テキパキと確認を取っていく。紬もお仕事モードで応対した。
「なるほど、そういう意図の台詞だったんですね。それならこのままいきます。お手数おかけしました」
「いえ、こちらこそ。よろしくお願いします」
無事に電話を切れそうなことに、紬は密かにホッとする。
この分なら、彼のベタワールドの影響を受けずに済みそうだ……と油断したところで、「あとですね」と心田がおまけのように付け加える。
「実は外回りの途中で神社の前を通ったので、温玉カレー丸先生のヒット祈願に絵馬をかけてきたんですよ。短編も連載も人気取れますようにーって」
「神社……?」
「はい。かみなし神社です」
かみなし神社といえば、街の外れにある小さな神社だ。かみなし=神無しという風に取られ、いまいち御利益を心配されている。あと髪無しとも考えられて、頭皮に不安がある人も近寄らない、マニア向けの神社である。
ついでに、神社からハリネズランドは目と鼻の先だ。
神社前からハリネズランド前に止まるバスも出ている。
紬はなんだか嫌な予感がした。
「その、お気持ちは大変嬉しいんですが……絵馬をかけて、何事もなく帰れたんですよね? なんか変なことに巻き込まれていませんよね?」
スマホに向かって、紬はおそるおそる問いかける。電話の向こうの心田は「いやだなあ」とカラカラ笑った。
「そんな毎回、非日常的なことが起こるはずないじゃないですか。漫画じゃあるまいし。僕は至って平凡な男ですよ?」
ここまで説得力のない言葉も珍しい。
先日も彼は、行き倒れの謎の金髪美女を家で介抱してあげ、後日「実は、私はとある王国の王女なのです。政略結婚を迫られてここまで逃げてきて……どうか私の国に、婿として来てくれませんか?」と懇願されたらしい。丁重にお断りしたそうだが。
国ってなんだどこだと紬は思った。絶対地図上に存在しているのかも微妙な国だ。
その前も、ヒラヒラびらびらの魔法少女風のコスプレをした少女が、ファンシーなステッキを持って街中を駆けるのを見たとも聞いた。「~だポポン!」と話すマスコットキャラを肩に乗せ、屋根の上を飛び去っていったらしい。
たぶんモノホンだ。
「……ん? でも前の魔法少女みたいに、コスプレしている人達にはまた、神社の鳥居のとこで出会ったよ」
「どんな!? どんな人物でしたか!? 詳細を! 詳しく!」
「えらい食いつきますね、温玉カレー丸先生。なんか陰陽師みたいな格好をしていましてねえ。『くっ、結界が破られたか……! このままでは、疫病を振り撒く悪鬼が町に……!』って、お札みたいなのを構えていましたよ」
現代和風陰陽ファンタジーの、プロローグ的展開に巻き込まれかけているじゃねぇか……!
「…………もしかして、相棒っぽいデフォルメされたキツネとかもいませんでした? こう、式紙とか神使として、王道和風ファンタジーといえばな感じの……」
「すごい! よくわかりましたね。なんか宙に白いキツネが浮いていたけど、あれってホログラムかな? 最近のコスプレはシチュエーションまで凝っていますよね。陰陽師風の男の子と目が合ったときも、『バカな、俺たちの姿は常人には見えないはず……気のせいか』とか呟いていてさ。設定も守っていて気合い入ってるなあって」
自分の遭遇したものの事の重大さを「若いっていいねえ」の一言で片付ける心田に、紬は戦慄を禁じ得ない。
唐突にそういうファンタジー要素をぶっ混んでくるのはそろそろ止めて欲しい。彼の場合は中二病だなあで済まないのだ。
世界、滅びる、いつか。
「あー、あとですね……」
「いえもういいですわかりましたわーすごい貴重なお話だったなー参考になるーありがとうございました原稿の件はよろしくお願いいたします私は予定ありますので本日はこれにてでは」
ノンブレスで言い切って、紬は通話終了のボタンを押した。
このくらいの強制シャットダウンは、いつものことなので大丈夫だ。身を守るための術である。
これ以上聞いていたら、紬まで謎の王女様の婿探しに協力させられたり、「魔法少女ツムツムになって欲しいポポン!」とか語尾が不安定なマスコットキャラにムリヤリ変身させられたり、悪鬼とやらに襲われかねない。
ガチファンタジーはどこぞのおかんな魔人だけで十分である。
玄関でスリッパを履いたまま、黙って通話中の紬の様子を伺っていたジンは、「担当さんはご無事であったか?」と聞いてくる。
「無事か無事じゃないかと聞かれれば無事じゃないですが、これが通常なんで問題ありません。非日常が日常茶飯事。仕事の話も終わったので、私もそろそろ出掛けますね」
「うむ。遅刻は厳禁だからな。心して定刻の十五分前を目指し、くれぐれも事故などに気を付け、安心安全にハリネズランドへと向かうのだぞ。遊園地でもはしゃぎ過ぎぬようにな。もし体調に支障をきたしたら?」
「すぐさまジンさんに連絡」
「もし悪辣な輩に絡まれでもしたら?」
「すぐさまジンさんに連絡」
「もし帰りが遅くなりそうだったら?」
「すぐさまジンさんに連絡」
「イベントに参加し勝利を得て、見事に賞品をゲット出来てひゃっほーいとなったら?」
「すぐさまジンさんに連絡…………これ要ります?」
「いる。欠かせぬ。超大事。我だって電話越しだろうと、紬と共にひゃっほーいしたいのだ」
イケメンの無駄遣いなキメ顔でそう言われ、紬は「はいはい」と呆れつつリュックを背負い直した。紫色の鱗つきの尻尾は、どことなく名残惜しそうにジンの背後で揺らめいている。
……出来れば今日、ジンさんも遊園地に連れていってあげられたらよかったなと、紬は今更ながらにしんみりした。
しかし、本日はメンバーも決まっているし、ジンのお留守番は仕方がない。
紬は「お土産もちゃんと買ってきますから」と言い残して、今度こそドアを開けて踏み出そうとする。
――だがこの時点で、紬は心田のベタワールドの威力を甘く見ていた。
「あれ? また電話……?」
ショートパンツのポケットに仕舞ったスマホが再び鳴る。紬は首を傾げた。
お相手は、これから落ち合うメンバーの一人、悠由だった。





