ジンさんは準備を欠かさない
「ツムギ、タオルは持ったか? 本日はなかなかの猛暑日と聞く。人間は魔人と違って脆弱な生き物だからな。熱中症対策は欠かせぬ」
「替えも含めて二枚持ちましたよ」
「日焼け止めは? 十代からの紫外線カットが、未来の綺麗な肌を作るのだぞ。ちゃんとバッグには入れたのか?」
「ジンさんがわざわざ買ってきてくれたやつを、しっかり携帯済みです」
「ペットボトルの水は? 園内で購入すると、おそらくだが若干お高い。なくなった場合は致し方ないが、事前に一本持っていくのは基本だぞ」
「ジンさんが冷やしてくれたやつがここにありますよ」
「うむ。それから……」
「……あの、もう行ってもいいでしょうか、ジンさん」
やってきた日曜日。
遊園地へのお出かけ当日。
支度をしてそろそろ出掛ける段階になって、紬は玄関で足止めを喰らっていた。ジンによる持ち物チェックが、はじめての遠足に行く我が子相手並みに細かいのである。
「あとこれ、この凶器にできそうな分厚さのこのパンフレット……もとい『ジンの遊園地完全攻略マップ』は置いていってもいいですか? 重い、嵩張る、便利だけど」
紬は右肩に掛けたリュックから、よいしょと冊子を取り出す。大判サイズで週刊連載漫画雑誌より厚みがあるそれは、ジンの手製のハリネズランド攻略本だ。
パンチで穴を開けて黒紐できゅっとまとめてあるところが、手作り感が出ている。中身はジンがネットで調べた、ハリネズランドの見所が、アシスキルで培ったイラストつきで丁寧にまとめられている。おススメコースから穴場の休憩スポットまでバッチリだ。
それが軽く300ページ以上。
抜いただけでリュックの膨らみは萎み、一気に軽くなった。
なお本日の紬の恰好は、オフショルダーの水色トップスにショーパン、スニーカーに水玉柄のリュックという、動きやすさを考慮したスタイルだ。
髪型はいつもの一つ結びだが、シュシュも明るい黄色を選び、全体的に爽やかで健康的なイメージを心掛けてみた。
「せっかく遊園地で遊ぶのに身軽なファッションにしたのに、このマップはちょっと……いや本当に便利なんスけど。てか、こんなものいつ作っていたんですか」
「貴様が学び舎に行っている間、家事とアシスタント業務の合間にちまちまと製作したのだ」
ジンは「巻末にはオマケ四コマもついているぞ!」と自慢気に腰に手を当てている。
表紙のロゴも遊園地のイラストも、すでにクオリティが高すぎておかしいが、中身をパラパラめくると、さらにその作り込みの深さに脱帽する。
例えば251ページ。
『ハリネズランドといえば、マスコットキャラのドクバリくんとマチバリちゃんが二大人気キャラだ。彼等はよく、午後は観覧車からゴーカートに続くルートのあたりに出没するぞ!
もし見つけたら、必ず握手を求めよう!
ドクバリくんは己の身体の針のせいで人を傷つけてしまったという、悲しい過去のあるキャラだ……やさしく、やさしく接するのだぞ。そうすれば、彼も心を開いてくれる。
近くに青いハットを被ったスタッフのお姉さんがいれば、さらにラッキー!
ドクバリくんたちと握手をした良い子のお友達には、ハリセンボンキャンディーを無料でくれるぞ。対象年齢は小学生までだが、そこは諦めずに粘ってみよう。我なら粘るぞ!
~ジンさんポイント~
売店で売っているトゲトゲペンダントは、マスコットキャラと写真を撮る場合には、事前に購入しておくのが無難だ。並ぶと自分もトゲトゲになって、彼等の一員になった気分を味わえることだろう。なに、630円(税込)だ。そう高い買い物でもない。我の分も買ってきてください』
どうやって調べたんだ、こんなもん。
そしてさりげなくお土産の要求まで織り交ぜてやがる。
紬は「やっぱ置いていきます、便利ですけど……!」と、ジンにマップを突き返した。
すると、あからさまにジンはしゅんとした。竜のような尻尾は項垂れている。それに紬は心がチクチクと痛むものの、持っていけないのだから仕方がない。
「夜なべして……作ったのだがな……」
「う……」
「けっこう、頑張ったのだがな……」
「うう……」
「でも、仕方ないな……重い、ものな。パンフレットも、我の気持ちも……」
ヤンデレ気味の彼女かよ……!
紬は精神的にやられ、思わず「わかったよ!わかりましたよ!」と負けそうになった。しかしその前に、ジンはふうと息をつく。
「じゃあこちらを……抜粋してお手軽サイズにした、ポケット版だ。こちらなら嵩張ることもないだろう……」
「ポケット版あるなら最初から出せや!」
ジンが懐から出した文庫サイズのそれを、紬は引ったくった。ジンは「完全版を持っていって欲しかったのだ!」と抗議しているが知るか。
だが、これでようやく出掛けられる。
……と、思った矢先に、紬のポケットに入れておいたスマホが鳴った。
取り出し、着信欄の『心田さん』の名前を見て、ツムギは「わお」と頬を引き攣らせ、出るのを若干戸惑う。
なお別に紬は、オフモードで仕事の電話をしたくないとか、そんなことを思って躊躇しているわけではない。紬もプロの漫画家だ。仕事が優先である。
そうではなく、ここですんなり電話に出れないのは、彼の『ベタ漫画体質』の影響が怖いからだ。
心田の例の体質は、ときに周囲の人間をも盛大に巻き込む。特に彼と相性のいい者は、そのベタ攻撃を直に喰らう場合が少なくない。
紬もデビュー時からの付き合いで、すでに何度か被害に遭い済みである。
それでも普段の『日常』の中でならまだいいのだが……今の紬は、『これから友達と遊園地に行く』という、如何にもなシチュエーションの最中。
『遊園地』なんてそんな、格好の事件を起こしやすいロケーション。
どんな形でベタワールドが展開されるかは予測不可能だが、電子を超えてその体質の影響がこちらまで来たら、確実に面倒な事態になるだろう。
安全平和に遊んで帰りたい紬としては、なるべく避けて通りたいところだ。
かといって無視するわけにもいかず。
……仕方がなく、紬は通話ボタンを押した。





