担当さんはベタ漫画体質
小脇にバッグを抱え、クールビズ仕様のスーツ姿で現れた担当さんは、「遅れてすみません」と小さく頭を下げてから紬の対面に座った。
遅れたといっても待ち合わせ時間の5分前だ。紬たちが早めに着いただけで(ジンに振り回されながらもちゃんと15分前には着いた)、別に遅刻というわけではない。
それでも、普段はきっちりしている彼が遅めに来たことで、紬はあえて尋ねてみる。
「あの……もしかして『また』、なにかに巻き込まれました?」
「うん。実はね……」
ハンカチで額の汗を拭いながら、彼は困ったように口を開く。
「実はここに来る途中、道で具合の悪いおばあさんを見つけてね……。慌てて駆け寄ったら、なんとおばあさんのお孫さんは話題の天才ヴァイオリニストとかで、無理して上演を見に行く途中だったらしいんだ。病院に付き添ったら、そのお孫さんが演奏会を抜け出して駆け付けてきて、関係者が追いかけて来ての一騒動に巻き込まれちゃって……でもね、お孫さんが病院でヴァイオリンを弾いたら、たちまちおばあさんの具合が治ったんだよ」
いやあ奇跡的だったねぇと、のほほんと笑う担当さん。
嘘つくならもっとマシな嘘つけよ、と通常なら思うだろう。
だがこの人に限って、これは紛れもなく真実である。
紬のデビュー時からの担当である心田誠一さんは、現在32歳。
中肉中背、人の良さそうな童顔に丸眼鏡、無難に切り揃えた黒髪短髪で、見かけは至って普通の真面目な青年だ。
――――しかし、彼は『ベタ漫画体質』という、一風変わった星の元に生まれている。
曰く、中学時代。
曲がり角でパンを咥えた女の子と遭遇したこと、計5回。パンは食パンだったりコッペパンだったりしたらしいが、そのうち三人が転校生として心田のクラスにやってきている。ついでに言うなら現在お付き合いしている女性は、その時にアンパンを咥えていた子らしい。
曰く、高校時代。
生き別れの妹なる存在が唐突に現れ、雨の日に段ボールに捨てられた子猫に傘をさす不良と友達になり、「おーほほほほ!」と笑う縦ロールヘアーの大財閥のご令嬢に惚れられたことがあるらしい。
曰く、大学時代。
サークルメンバーで泊まった旅館で殺人事件が起き、ちょうど嵐の日でライフラインは都合よく絶たれ、たまたま居合わせた名探偵という幻の存在の、即席助手を勤めた経験があるらしい。
彼の嘘のようでマジな武勇伝はまだまだある。
とにかく心田の周りでは古今東西、ベタなことが起きまくるのだ。
初めて心田と顔合わせをした際、バナナの皮で滑って転ぶ人間というのを、紬は初めて目撃した。転び方も見事で漫画の一コマみたいだった。
心田の現在の就職先の出版社も、電車で席を譲った相手が後に編集長だとわかり、その繋がりでスカウトされたというのだから、展開もベタベタだ。
「ちなみに温玉カレー丸先生はヴァイオリンの演奏とか聞く? お詫びにって、次の講演のプレミアムチケットもらったんだけど」
「いえ、遠慮します……」
「そうか、じゃあこれは編集部で配ろう。……それとさ、ついでに関係ない報告、しちゃっていいかい?」
「なんですか?」
「僕ね、この短編の企画が無事に終わったら、けっこん……」
「それ心田さんだけは何があっても言っちゃダメですからね!?」
死亡フラグだから! と、紬は全力で阻止する。
こんなやり取りもお互い慣れたものだ。そのうちトラックに轢かれて異世界転生したり、朝起きたらタイムリープしてたりしないか紬は不安である。
「ふむ。温玉カレー丸先生の担当さんは、少々変わった御仁だな」
「一番変わっている人……ていうか人ですらないジンさんに変人認定されるとは」
後ろの席でデラックスマンゴーパフェをスプーンでつつきながら、ジンはボソボソと小声でコメントを紬に伝えてくる。
ジンに変人扱いされたらおしまいな気がする。
いや、正確には心田自身は決して変人ではないのだ。おっとりしているがこう見えて仕事は出来る。紬へのアドバイスも客観的で分かりやすいし、よい漫画を世に出したいという情熱もある。
基本的に善良な好人物だ。
ただそう、彼の生きている時空が時々おかしいだけで。
「さて、そろそろ本題の、新作の短編についてなんだけど……っと、その前にこれも言わなきゃ。前回の話、すごく評判良かったよ。アンケートも好評だったし」
「え、ほ、本当ですか!?」
「うん。物語が盛り上がる場面だったのはもちろんあるけど、いつも以上にキャラ一人一人に力が入っていたというか。そういえば、新しくアシスタントさんを雇ったんだっけ? それで余裕が生まれたのかな。しかもかなり腕の良いアシさんだね。背景や効果も丁寧で上手い。かなりのベテランアシスタントなのかな?」
「……この世界に来てまだ日の浅い魔人です」
「ん? マシン?」
「いえ、お気になさらず」
いつも助かっています……と紬が水に口をつけつつ呟けば、後ろでパアアア! と喜色あふれるオーラが放出されるのを感じた。
ジンの周りに花でも満開に咲いてそうだ。もし尻尾が今出ていたら、ぶんちょぶんちょと激しく振られていたことだろう。
「ツムギ、褒められたぞ!」
「ジンさん、ステイ。あ、これ、電話でちょっと話していた、短編のプロットなんですけど……」
「うん、見させてもらうね。ん? あれ、眼鏡、眼鏡。拭くのに外したあと、どこに置いたっけ……」
「心田さん、頭の上です」
こんなとこもベタである。
一悶着あったが、こうしてなんとか打ち合わせは無事に始まったのだった。





