現在への旅
スクルージは、自分の発する怖いぐらいに大きないびきで目を
覚ました。そして彼は、ベッドから体を起こして頭を少し振り、
完全に目を覚まそうとした。というのは、もうそろそろ時を告げ
る鐘が夜の一時を打つ頃だと分かっていたからだ。
ジェイコブ・マーレーの言っていた次に来る精霊を出迎え、交
渉するには、ぎりぎりの時間に起きてしまったとスクルージは思っ
た。しかし、今度の精霊はベッドの周りのどのカーテンを引き寄
せて入って来るのだろうかと、それが気になりだすと、どうも気
味の悪い寒さを背中に感じたので、彼は自分の手でカーテンを残
らずわきへ寄せた。それからまた横になると、鋭い目をベッドの
周囲に放ちながら、じっと警戒していた。というのは、今度は彼
のほうから精霊が出現するその瞬間に、戦いを挑んでやろうと思っ
たからだ。
スクルージは、また不意打ちされないようにと、冷静さを保っ
た。
そこはスクルージの部屋だった。そのことについては疑う余地
がなかった。ところが、そこは驚くべき変化をしていた。
部屋には、壁にも天井にも生々した緑の葉が垂れ下がって、完
璧な森のように見えた。そして、いたる所に明るく輝く果物が、
まるで露のようにきらめいていた。
柊やヤドリギやツタのさわやかな葉が光を照り返
して、さながら無数の小さな鏡がちりばめられているように見え
た。
スクルージが住んでいる時でも、マーレーが住んでいた時でも、
また、なん十年という過ぎ去った冬の間にも、この石と化したよ
うに忘れ去られた暖炉が、今まで経験したことのないような、そ
れはそれは盛んな火炎を煙突の中へゴウゴウと音を立てて燃え上
がらせていた。
七面鳥、ガチョウ、獲物、家禽、野猪肉、肉の大きな関節、仔
豚、ソーセージの長い環、ミンチパイ、プラムプッディング、カ
キの樽、赤く焼けている栗、桜色の頬のようなリンゴ、ジューシー
なオレンジ、甘くて美味しそうな梨、巨大な十二段のケーキ、泡
立っているパンチボールなどがそれぞれの美味しそうな湯気を部
屋中にあふれさせ、一種の玉座を形造るように、床の上に積み上
げられていた。そして、その頂にあるソファの上に、見るも愉快
な、陽気な巨人がゆったりとかまえて座っていた。
巨人は、その形からして豊穣の角に似ている一本の燃え立つトー
チを片手に持っていたが、スクルージがドアの後ろから覗くよう
にして入って来た時、その光を彼に振りかけようとして、高くそ
れを差し上げた。
「来なさい!」と、巨人は叫んだ。
「来なさい! そして、もっとよく私を観察すればいい、旦那!」
スクルージは、まるで他人の家に来たように、おずおずと入っ
て、この巨人の前に頭を下げた。その姿は今や以前のような強情
な彼ではなかった。だから、巨人の目は明らかに親切だったけれ
ど、巨人がそれに満足しているような好意はなかった。
「私は現在のクリスマスを盛り上げる精霊だ」と、精霊は言った。
「私をよく見るんだ」
スクルージは、恐る恐る精霊の座る高台を見上げた。
精霊は、白い毛皮で縁取った、濃い緑色の簡単なローブ、ある
いはマントのようなものを身にまとっていた。その衣装は体にふ
わりとかけてある感じがした。そして、それ以外はなにも身につ
けていない裸のようで、大きい胸板が見えていた。
精霊は、それ以外の衣装など必要ないといった野生的な雰囲気
をかもしだしていた。
衣装のすその深いひだの下から見えているその足も、やはり素
足だった。ただ、その頭には、いたるところにピカピカ光るつら
らの下がっている柊の花で作った冠があった。
精霊のこげ茶色の巻き毛は長く、そしてゆるやかに垂れていた。
ちょうどそのにこやかな顔、キラキラしている目、開いた手、元
気のよい声、くつろいだ態度、楽しげな雰囲気のように無造作だっ
た。
よく見ると、精霊の腰の周りには古風な刀の鞘をさしたベルト
を巻いていた。しかし、その鞘の中に剣はなかった。しかもその
古い鞘はサビてぼろぼろになっていた。
「旦那はこれまで私のような姿を見たことがないんだ!」と、精
霊は、驚いたように叫んだ。
「もちろん、ございません」と、スクルージはそれに応えた。
「私の一族の若い者達と一緒に歩いたことがなかったかい? 若
い者達といっても、(私はその中で一番若いんだから)この近年
に生まれた私の兄さん達のことを言っているんだが」と、精霊は
聞いた。
「そんなことがあったようには覚えてませんけど」と、スクルー
ジは応えた。
「どうも残念ながら一緒に歩いたことはなかったようでございま
す。ご兄弟が沢山いるのですか? 精霊様」
「千八百人以上はいるよ」と、精霊は応えた。
「恐ろしく沢山のご一族ですね。食べさせていくにも・・・」と、
スクルージは口の中でつぶやいた。
おもむろに精霊は立ち上がった。
「精霊様!」と、スクルージは率直に言った。
「どこへでもお気の向いた所へ連れて行って下さいませ。昨夜は、
しかたなくついて行きましたが、その体験で、私の心にしみじみ
感じることのできる教訓を学びました。今夜も、何か私に教えて
下さるのなら、どうかそれによって有益な時間にして下さいませ」
「私のローブに触ってごらん!」と、精霊は言った。
スクルージは言われたとおりにした。そして、しっかりと精霊
のローブを握った。
柊、ヤドリギ、赤い果実、蔦、七面鳥、ガチョウ、獲物、家禽、
野猪肉、獣肉、豚、ソーセージ、カキ、パイ、プッディング、果
物、パンチボウル、これらすべての物が瞬く間に消えさってしまっ
た。
同じように部屋も、そこにあった暖炉も、赤々と燃え立つ炎も、
夜の時間も消えてしまって、精霊とスクルージは、クリスマスの
朝の街頭に立っていた。
街頭では(寒気が厳しかったので)人々はそれぞれ、家の前の
歩道や屋根の上から雪かきをして、雑然とした、しかし、不快で
ない活発な一種の音楽を奏でていた。
屋根の上から下の道路へバサバサと雪が落ちてきて、人工の小
さな雪崩となって散乱するのを見て、少年たちが狂喜していた。
屋根の上のなめらかな白い雪のシートと、地面の上の少し汚れ
た雪だまりとの対比で、家の正面はかなり黒く、窓ガラスは一層
黒く見えた。
地上の雪の降り積った表面は、荷馬車や荷車の重たい車輪に踏
み潰されて、深いわだちを作っていた。それは、何筋にも大通り
の分岐したところで、何百ものくい違った上をまたくい違って、
厚い黄色の泥や氷のような水の中に、跡をたどるのが困難で複雑
な深い溝になっていた。
空はどんよりして、すごく短い路地ですら、半分は黒くすすけ、
半分は鉛色に凍ったような薄汚れた霧で息が詰まりそうだった。
そして、その霧の中の重い粒子のすすのようなものは、原子のシャ
ワーとなって、あたかもイギリス中の煙突がすべて一緒に火を吸
い込み、思う存分、心の行くままにすすを吐き出してでもいるよ
うに降って来た。
この気候にも、またこの街の中にも、たいして陽気なものは一
つとしてなかった。それでいて、真夏の澄みわたった空気や照り
輝く太陽がいくらがんばって発散しようとしてもとても無駄なよ
うな晴れ晴れとした空気が外にたなびいていた。というのは、屋
根の上でどんどん雪をかき落していた人々が、屋根上のふちから
互いに呼び合ったり、時には冗談で雪玉(これは多くのたわいも
ない冗談よりも気立てのいい飛道具である)を投げ合ったり、そ
れがうまく当たったと言って、ゲラゲラと笑ったり、また当たら
なかったと言って、同じようにゲラゲラと笑ったりしながら、愉
快な喜びでいっぱいだったからだ。
鶏肉屋の店はまだ半分開いていた。
果物屋の店は今が盛りと華やかさを競って照り輝いていた。そ
こには大きな円いポット腹の栗のカゴがいくつもあって、陽気な
老紳士のチョッキのようなかっこうをしながら、店先の所にぐっ
たりともたれているのもあれば、腫れたようにふくれて通りへゴ
ロゴロ転がり出ているのもあった。それに、血色のいい茶色の顔
をして、広いベルトを締めたようなスペイン種の玉ねぎがあって、
スペインの修道士のように勢いよく肥え太り、娘が通りかかるた
びに、いたずらっぽい目つきで棚の上からそっとウィンクしたり、
吊り上げてあるヤドリギをおとなしそうに見ていた。それから、
梨やリンゴなどが派手なピラミッドのように高く盛り上げられて
いた。また、その店の軒先からは、ぶどうの房が、店主の好意で、
通りすがりの人が無料で口に水分を潤すようにと、人目につくフッ
クにぶら下げられていた。そこにはまた、茶色をした榛(はしば
み)の実がコケをつけ、山と積み上げられていた。そして、その
香りは、過去に森の中の古い小道や、枯れた落葉の中を足首まで
埋もれさせながら足を引きづり引きづり、愉快に歩き回ったこと
を思い出させていた。
果物屋の店主の前には果肉が厚く色の黒ずんだノーフオーク産
のリンゴがあって、オレンジやレモンの黄色を引き立たせたり、
その水気の多い熟した物を、早く紙袋に包んで持ち帰って、食後
にどうぞとしきりに声をかけ薦めていた。これらのよりすぐられ
た果物の間には、金魚や銀色の魚が水槽に入れて出してあったが、
そんな鈍く鈍感な生き物でも、世の中には何事が起っているとい
うことを感知しているかのように見えた。そして、一匹残らず冷
静さをなくし興奮をして自分の小さな世界をグルグルとあえぎな
がら泳いでいた。
こっちの食料品屋!
あっちの食料品屋!
おそらくこの二つの店は、ほぼシャッターを閉めているので、
いずれも閉じようとしていた。しかし、その隙間からだけでも、
にぎやかな光景がいたるところに見えている!
天井からぶら下がった天秤が、カウンターの上まで降りて来て
愉快な音を立てているかとおもえば、より糸がそれを巻いてある
軸からグルグルと活発に離れてきたり、缶が手品を使っているよ
うにカラカラと音を立ててあちらこちらに転がっていた。
紅茶とコーヒーの混じった香りが漂い、本当にうれしかったり、
干しブドウが沢山あって、しかもそれはすごく高級で、アーモン
ドがすばらしく真白で、シナモンの棒が長くてまっすぐで、その
他の香料も非常に香ばしく、砂糖漬けの果物が、とても冷静な第
三者でも一口舐めれば気が遠くなって、次第にカッカとしてくる
ように、溶かした砂糖で、固めたりまぶしたりされていた。
イチジクがジュクジュクとして熟れていた。
フランスのプラムが沢山飾られた箱の中からほどよい酸味を持っ
て顔を赤らめながらのぞいていた。
なにもかも食べるにはよく、またクリスマスの装いを凝らして
いた。
それら以上に、むしろお客が皆、この日の嬉しい期待に気が急
いで夢中になっているのである、そのため、出入り口でお互いに
ぶつかって転がったり、柳の枝製のカゴを乱暴に押しつぶしたり、
カウンターの上に買った物を忘れて帰ったり、またそれを取りに
駆け戻って来たりして、同じような間違いを何度となく上機嫌で
繰り返しているのだ。それと同時に、食料品屋の主人や店員のエ
プロンは、背中で締め着けている磨き上げた心臓型の留め金が、
行き来している人達に見てもらうためか、または光る物が好きな
カラスにでもつっついてもらうためか分からないが、彼ら自身の
心臓だとでもいうようにちらつかせ、開放的で喜々として働いて
いた。
そうした中、まもなく方々の尖塔の鐘は、教会や礼拝堂にすべ
ての善い人達を呼び集めるために鳴り響いた。
彼らは、最高の服で街中を群れながら、とても愉快そうな顔を
そろえて、ゾロゾロと集まって来た。それと同時に、あちらこち
らの横道、小道、名もない片隅から、無数の人々が自分達の夕食
をもらいに、売れ残った食材で料理をふるまうパン屋などの店々
へ向かって行った。
これらの貧しい人々の楽しそうな光景は、とても精霊の興味を
ひいたらしく、精霊は一軒のパン屋の出入り口に、スクルージを
そばに呼んで立っていた。そして、彼らが夕食を持って通るたび
に、ふたを取って、トーチからその夕食の上に香料を振りかけて
やった。
精霊の持つそのトーチは、普通のトーチではなかった。という
のは、一度か二度、夕食をもらいに来た人達がお互いに押しのけ
あってケンカを始めた時、精霊はそのトーチから彼らの頭上に二、
三滴の水を振りかけた。すると、彼らはたちまち元通りのよい機
嫌になったのだ。そして、彼らは口々に、そうだクリスマスの日
にケンカするなんて恥かしいことだと言いあった。
そうだとも!
まったく、そのとおりだ!
やがて街中に響いていた鐘の音は静まりかえった。そして、パ
ン屋の店も閉じられた。
どこのパン屋でも、そのオーブンの辺りの雪が溶けて濡れた場
所には、貧しい人々に与えられた夕食に出された料理の残り香が、
良い音楽の余韻のように残されていた。そこでは、まるで石まで
料理されているように、舗道の石畳が湯気を立てていたのである。
「精霊様のお持ちのトーチは、何でもできるすばらしい道具です
ね」と、スクルージは精霊の持っていたトーチを褒め称えた。
「旦那は、そう思うかね?」と、精霊は聞いた。
「はい。そのトーチから振りかけていらっしゃったものには、な
にか特有の味でもついているのですか?」と、スクルージは聞い
た。
「それが今日のどんな夕食にでもよく合うのでしょうか?」
「最も貧しい者に、親切心から与えられた料理にはね」と、精霊
は応えた。
「なぜ、最も貧しい者に?」と、スクルージは聞いた。
「そうした者は最もそれを必要としているからね」と、精霊は応
えた。
「精霊様!」と、スクルージはちょっと考えた後で言った。
「私たちの周囲の色々な世界のありとあらゆる存在の中で、(他
の者ならともかく)最も賢明な精霊様が、商売の邪魔をしていらっ
しゃることは、私にはどうも不思議でなりません」
「私が!」と、精霊は叫んだ。
「七日間にわたって精霊様は、食事を提供している店の商売を邪
魔していらっしゃるのですよ。彼らにとってこの一週間こそ最も
稼げる日なのです」と、スクルージは言った。
「そうじゃありませんか?」
「私がだと!」と、精霊は叫んだ。
「精霊様は七日間にわたって、貧しいからといって、他の料理屋
より美味しい料理を無料で与えていては、誰も他の料理屋へは寄
りつかなくなります。その結果、商売をできなくしているのです」
と、スクルージは言った。
「だから、同じことになるんですよ」
「それで私が商売の邪魔をしていると言うのかい?」と、精霊は
大きな声で聞いた。
「間違っていたらお許しください。ですが、クリスマスというの
は、一年でも特に稼ぎ時なのです」と、スクルージは応えた。
「人間にとって食事とはなんだ? 生きていくうえで欠かすこと
のできないことじゃないのかい? 料理は生きていくためのいわ
ば道具だ。道具はそれを必要としている者に公平に与えられるも
のだ。それを独り占めにしたり、他人には使わせず、捨ててしまっ
ていいものではないだろ。売り物にすることじたいが間違ってい
るんじゃないかい?」と、精霊は聞いた。
「たしかにそうですが、それを商売にして食事にありついている
者がいることも事実です」と、スクルージは応えた。
「旦那、この世の中にはね」と、精霊は話し始めた。
「私達を知っているような顔をしながら、自分勝手な目的のため
だけに、クリスマスの名前を利用して商売している者がいるんだ
よ。しかも彼らは、私達や、私達の一族には一面識もない奴らな
んだよ。これはよく覚えておいてもらいたいね。彼らのしたこと
については、彼らを責めるべきだろ。そのことで私達を批判して
もらいたくないものだね。いいかい旦那、私のやっていることは、
このトーチという道具を使って気づかせているにすぎないんだよ。
お腹を空かせていれば、どんな料理だって美味しいと感じる。争
うことの愚かさやむなしさを気づかせているだけだ。道具は使い
方しだいだ。どんな道具でも使い方を間違えたり、使わなければ
役には立たない。このトーチは何でもできるわけじゃないんだよ。
トーチを良くも悪くもするのは、私自身の使い方にあるんだ。食
事を提供することを商売にするのなら、もっと料理という道具の
使い方を工夫するべきだ。それが人間の知恵というものじゃない
かね? そういう旦那はどうだい。道具を集めているだけで、使っ
たことはないだろう」
スクルージは、まだ納得はしていないようだったが、反論はし
なかった。
それから精霊とスクルージは、最初の精霊と行動した時と同じ
ように誰にも姿が見えない状態で、町の郊外へ向かって行った。
精霊には顕著な特質があった。(その特質は、スクルージには
すでにパン屋の店で気がついていたのであるが・・・)
精霊は、その巨大な体にもかかわらず、どんな場所でも楽々と
その体を適応させることが出来た。そして、精霊は低い屋根の下
でも、どんなに天井の高い広間にいても違和感がなく、優雅に、
そのうえいかにも超自然の生物のように立っていた。
精霊がまっすぐにボブ・クラチェットの家へスクルージを連れ
て行ったのは、おそらくこの精霊が自分の力を披露することに喜
びがあるのか、それとも精霊の持って生れた親切にして慈悲深い、
誠実なる性格と、すべての貧しい者に対する同情のためかだった。
それは、精霊がスクルージの最も近くで、貧しく虐げられている
者がいることを知っていて、スクルージにそれを気づかせるため
だったからだ。
ボブの家の玄関前に立った精霊は、ニッコリと笑って、持って
いたトーチから、あのしずくを振りかけながら、ボブの家族を祝
福した。
考えても見よ!
ボブは、一週間に彼自身を意味するわずかな十五ボブ(一ボブ
は一シリングの俗称だ)を得ているだけだった。そう、彼は土曜
日ごとに自分の名前のわずかに十五枚を手に入れるのがやっとだっ
たのだ。だから、現在のクリスマスの精霊は、彼の狭く小さな家
と家族を祝福してくれたのである。
その頃、クラチェット夫人、つまりボブの奥さんは、二度も裏
返しにした粗末なガウンで、すっかり身なりを整え、そのうえ、
六ペンスという安さにしては良く見えるリボンで華やかに飾り立
てていた。
クラチェット夫人は、これもまたリボンで飾り立てている次女
のベリンダに手伝ってもらい、テーブルクロスをひろげた。その
一方では、長男のピーターがジャガイモを茹でている鍋の中にフォー
クを突込んだ。
ピーターは、恐ろしく大きなシャツ(この日のためにと、ボブ
が跡継であるピーターにプレゼントした大切な服だ)の襟の両端
を自分の口の中にくわえながら、自分としてはいかにも華々しく
おしゃれをしたのが嬉しくて、すぐにでも友達の集まる公園に出
かけて自分のシャツを見せたくてしかたなかった。
その他の二人のクラチェット達、つまり、次男と三女とは、パ
ン屋の近くでガチョウの香りがするのに気づいたが、それは自分
達のだと分ったと言って、キャッキャと叫びながら家に帰って来
た。そして、これらの若いクラチェット達はサルビヤや玉ねぎな
どと贅沢な料理を想像しながら、テーブルの周囲を踊り回って、
ピーターの着ていたシャツを見て、口をそろえて褒めたたえた。
ピーターは(シャツの襟がのどを締めそうになっていたが、特
に気にせず)火を吹きおこしていた。やがて、なかなか茹で上が
らなかったジャガイモがようやくやわらかくなったので、取り出
して皮をむいてくれと、大きな音を立てて鍋のフタを叩きだした。
「それはそうと、お前達のだいじなお父さんはどうしたんだろう
ね?」と、クラチェット夫人は言った。
「それからお前達の弟のティムもだよ! それからマーサも去年
のクリスマスには三十分ぐらい前に帰って来ていたのにねえ」
「マーサが戻りましたよ、お母さん!」と、言いながら、長女の
マーサがそこに現われた。
「マーサが帰って来たよ、お母さん!」と、次男と三女が叫んだ。
「やったあ! こんなガチョウがあるよ、マーサ!」
「まあ、どうしたというんだね、マーサ。ずいぶん遅かったねえ!」
と、言いながら、クラチェット夫人は何度も彼女にキスしたり、
あれこれと世話をしたがって、マーサのシォールや帽子などを脱
がしたりした。
「昨夜のうちに仕上げなければならない仕事が沢山あっ
たのよ」と、マーサは応えた。
「そして、今朝はまたお掃除をしなければならなかったの、お母
さん!」
「ああ、ああ、帰って来てくれたんだもの、もうなにもいうこと
はないんだよ」と、クラチェット夫人は言った。
「暖炉の前に座りなさい。そして、まずお暖まり。本当によかっ
たねえ」
「だめだ。だめよ。お父さんが帰って来られるところだ」と、ど
こへでもでしゃばりたがる次男と三女がどなった。
「隠れて。マーサ、隠れてて」
マーサは言われるままに隠れた。そして、お父さんのボブは、
少しして、毛糸のマフラーを、ふさを除いて少くとも三フィート
はだらりと垂らして、この季節に見栄えが良いようにと、とびっ
きりの着古した服にブラシをかけ、そして、病弱な末っ子のティ
ムを肩車して戻って来た。
かわいそうで病弱なティムよ。彼は、鉄のギブスで手足を固定
し、小さな松葉杖をついて支えていた。
「あれ、マーサはどこにいるんだい?」と、ボブは辺りを見回し
ながら聞いた。
「まだ帰ってませんよ」と、クラチェット夫人は応えた。
「まだ帰っていないのか!」と、ボブは今まで元気だったのが嘘
のように、急にがっかりして言った。
実際、ボブは教会から帰る途中、ずっとティムを肩車して、ま
るで暴れ馬のようにピョンピョンと跳ねながら帰って来たのだ。
「クリスマスだというのに、まだ帰っていないのか!」
マーサは、たとえ冗談にしても、父親が失望しているのを見た
くなかった。それで、まだ早いのにクローゼットのドアの陰から
出て来た。そして、ボブの両腕の中に走り寄った。
その間、次男と三女は、ティムをぐいぐい引っ張って、鍋の中
でグツグツ煮えているプディングの歌を聞かせてやろうとキッチ
ンへ連れて行った。
クラチェット夫人は、クスクス笑いながら、ボブが簡単に人の
言うことを本気にするのをひやかした。
「ところで、ティムはどんな様子でした?」と、クラチェット夫
人は聞いた。
ボブは、おもいっきりマーサを抱きしめていた。
「黄金に値するよ」と、ボブは応えた。
「もっと善かったかな。あんなに長い時間、一人でイスに座て、
どういうわけか考え込んでいたんだ。そして、誰も今まで聞いた
こともないような奇妙なことを考えているんだよ。帰り道で、私
にこう言うんだ。教会の中で皆が自分を見てくれればいいと思っ
た。なぜなら自分の体が不自由なのを見れば、皆は元気なことを
神様に感謝する。それで、自分に手をさしのべる気になて、自分
は感謝の気持ちを込めて歌を唄えば、皆も気分がよくなる。する
と、もしクリスマスの日に、皆が体の不自由なホームレスや盲目
の人が歩いているのを見かけたら、自分のことを思い出して手を
さしのべるのが習慣になれば、街中が幸福に包まれ、楽しくなる
だろうからと言うんだよ」
クラチェット夫人にこの話をした時、ボブの声は震えていた。
そして、病弱なティムが強い心に成長したと言った時には、もっ
と震えていた。
ティムが動き回る時の小さな松葉杖の音が床の上に聞こえた。
そして、ボブの次の言葉がまだ言いだされないうちに、ティムは
兄や姉の助けを借りて、もう暖炉のそばの自分のイスに戻って来
た。
その間、ボブは服の袖をまくり上げて(かわいそうに、これほ
どまでに袖が汚れることがどうしてあるのか)ジン酒にレモンを
加えて、それをグルグルとかき回してから、とろ火で煮るために
コンロの上に置いた。
ピーターと二人のちょこまかしていた次男と三女は、ガチョウ
を店に取りに出かけたが、間もなくそれを高々と持ち、行列になっ
て帰って来た。
そのようなにぎやかさを見れば、あらゆる鳥の中でガチョウが
最も貴重だと思うかもしれない。そう思わせるような出来事がク
ラチェット家では起きるのだ。
この時代のクリスマスといえば、七面鳥の料理が食べられるよ
うになっていたのだが、まだ貴重で高価だったので買うことので
きないクラチェット家では、昔からクリスマスに食べられていた、
安くて、それも痩せこけたガチョウがいつものようにメインの料
理になっていた。
もっとも、一番高級な黒鳥だろうが、ガチョウだろうが、どち
らも羽を生やした鳥にはかわりない。
クラチェット夫人は、グレイビーソース(前もって小さな鍋に
用意してあった)をシューシューと音をさせながら煮立たせた。
ピーターは、ほとんど信じられないような力でジャガイモを突
きつぶした。
ベリンダは、アップル・ソースに甘味をつけた。
マーサは、(湯から出したての)熱い皿をふいた。
ボブは、テーブルの片隅に座っているティムのそばにイスを寄
せて座った。
次男と三女は、皆のためにイスを並べた。皆という中にはもち
ろん自分達のことも忘れはしなかった。そして、それぞれの席に
ついて見張りをしながら、自分たちの順番がこないうちに早くガ
チョウが欲しいなどと悲鳴を上げないように、口の中にスプーン
を押込んでいた。
やっとお皿が並べられた。
食事前のお祈りも済んだ。それからクラチェット夫人がカービ
ングナイフを手にとって、ゆっくりと見ながら、ガチョウの胸に
突き刺そうと身構えた時、家族全員、息を止めてパタリと静かに
なった。それで、それを突き刺した時には、そして、長い間、待
ち焦れていた詰め物がどっとあふれ出た時には、テーブルの周囲
から割れるような歓声が一斉にあがった。
あのティムでさえ、次男と三女に励まされて、自分のナイフの
柄でテーブルを叩いたり、弱々しい声で「やったー!」と、叫ん
だりした。
こんなガチョウは決してありえなかった。
「こんなガチョウが今までに料理されたことなどありえないぞ」
と、ボブは言った。
その軟かさといい、香りといい、大きさといい、安いこととい
い、すべてのことが賞賛にあたいしていた。
アップル・ソースとマッシュポテトがそろえば、家族全員で食
べるのに十分のごちそうだった。
まったくクラチェット夫人が、(皿の上に残った小さな骨の破
片をしみじみと見ながら)とても嬉しそうに言ったとおり、彼ら
は最後までそれを食べ尽くしたのだ!
痩せこけたガチョウの料理だったが、それでも一人一人が満腹
になった。特に若い者達は目の上までサルビヤやたまねぎに漬かっ
ていた。ところが、今度はベリンダが皿をとり換えたので、クラ
チェット夫人はプディングを持って来ようと、一人でその部屋を
出て行った。プディングを取り出すところを他の者に見られるこ
となど、とても我慢ができなかったほど、彼女は神経質になって
いたのである。
もしプディングに十分火が通っていなかったとしたら?
取り出す時に、プディングがくずれでもしたら?
もし皆がガチョウに夢中になっていた間に、誰かが裏庭の塀を
乗りこえて、プディングを盗んで行ったとしたら・・・。
想像しただけで、次男と三女が青ざめてしまうような想定だろ
う。あらゆる種類の恐怖がまき起こるにちがいない。
おおぅ!
素晴らしい湯気だ!
プディングは鍋から取り出された。
洗濯した時のような臭いがする!
それは洗い立ての布の臭いだ。
おたがいに隣り合せた料理屋とカステラ屋のまたその隣りに洗
濯屋がくっついているような臭いだ。
それがプディングだった。
一分と経たないうちに、クラチェット夫人は、皆が待ちかまえ
ている部屋に戻って来た。彼女は恥ずかしそうだが、しかし、誇
らしげな笑顔をしていた。
プディングには、酒瓶の半分ぐらいのブランディが含まれてい
たので、火が点けられ、ボッボッと燃え立っている。そして、そ
のてっぺんにはクリスマスの柊を突き刺して飾り立てられていた。
クラチェット夫人は、ドット柄の砲弾のように、いかにも硬く、
またしっかりした、そのプディングを持って戻って来たのだ。
おお、素敵なプディングだ!
ボブ・クラチェットは、しかも冷静に、自分はそれを結婚以来、
クラチェット夫人が達成した最大の成功だと思うと語った。
クラチェット夫人は、心の重荷が降りた今では、自分は実は粉
の分量について不安を抱いていたことをうちあけた。
誰もがプディングについて、ああだこうだと言いあった。しか
し、誰もそれが大人数の家族にとっては、どうみても小さなプディ
ングだと言う者はなく、そう考える者もいなかった。
そんなことを言っていたら、それこそ普段から変わり者と思わ
れていただろう。
クラチェット家の者で、そんなことを口ばしって、母親に恥を
かかせる者は一人だっていなかった。
とうとう夕食がすっかり終わった。
テーブルクロスはきれいに片づけられた。
暖炉も掃除されて、火が焚きつけられた。
ポットのカクテルは味見をしたところ、完璧で、リンゴとオレ
ンジがテーブルの上に置かれ、シャベルに一杯の栗が火の上に載
せられた。
それからクラチェットの家族は、ボブのイメージでは円を描く
ようにだが、実は半円になって、暖炉の周囲に集った。そして、
ボブの手元近くには家中のガラスというガラスが飾り立てられた。
それは、水飲みのコップ二個と、柄のないカスタード用コップ一
個だけだったけれど。これらの容器は、それでも、黄金の大盃と
同じ様にポットから熱いカクテルをなみなみと受け入れた。
ボブは、晴れ晴れしい顔つきでそれを注いでいた。その間、火
の上にかかった栗はジュウジュウと汁を出したり、パチパチと音
を立てて割れた。
それから、ボブは家族全員に提案した。
「さあ皆、私達にクリスマスおめでとう。神様、私達を祝福して
下さいませ」
家族全員でそれを復唱した。
「神様、私達の一人一人に祝福を」と、皆の一番最後に病弱なティ
ムが言った。その彼は、ボブのそばにくっついて自分の小さなイ
スに座っていた。
ボブは、ティムのやつれた小さい手を自分の手で握っていた。
それは、あたかもこの子がかわいくて、しっかり自分のそばに引
きつけておきたい。もし誰かが自分の手許から引き離しはしない
かと気にかけているようだった。
「精霊様!」と、スクルージは今までに思ってもみない興味を感
じながら聞いた。
「あの病弱なティムは生きていけるか教えてください」
「私には空いた席が見えるよ」と、精霊は応えた。
「あの貧しい煙突のそばで、これらの幻影が未来の手で消される
ことがなく、このまま残っているものとすれば、その松葉杖は主
を失い、それを大切に使い続けていたあの子は死ぬだろうね」
「ダメです。ダメですよ」と、スクルージは言った。
「ああ、お願いです、親切な精霊様。あの子は助かると言ってく
ださい」
「ああいう幻影は、未来の手で消されないと、そのまま残ってし
まうんだよ。私達の兄弟はこれから先、誰も」と、精霊は断言し
た。
「あの子をここで見つけられないだろうよ。で、それがどうした
というのだい? あの子が死にそうなら、いっそ死んだ方がいい。
そして、過剰な人口を減らした方がいい」
スクルージは、精霊が、以前、商会にやって来た二人の紳士と
の会話で言った自分の言葉を引用したのを聞いて、頭をうな垂れ
た。そして、後悔と悲嘆の気持ちで胸が締めつけられた。
「旦那」と、精霊は言った。
「旦那の心が石なら仕方ないが、少しでも人間らしい心を持って
いるなら、過剰とは何か、またどこにその過剰があるのかを自分
でみきわめないうちは、あんなよくない口の利き方はつつしんだ
ほうがいいぞ。どんな人間が生きるべきで、どんな人間が死ぬべ
きか、それを旦那が決定しようというのかい? 天の眼から見れ
ば、この病弱で力のない子供のような何百万人よりも、まだ旦那
の方がもっとくだらない、もっと生きる値打ちのない者かも知れ
ないのだぞ! この家族をよく見ろ。旦那には、お金もない貧乏
人の家族にしか見えないかもしれないが、ここには暖かい心を持っ
た家族が力を合わせて暮らしている。それに比べて、旦那の家は
どうだい。お金はあっても心を通わせる者は誰もいない。そのほ
うがよっぽど貧しいと思わないかい? おお神よ、葉の上の虫け
らのような奴が、ほこりの中にうごめいている空腹の兄弟達を見
下し、生命が多過ぎるなどと言うのを聞こうとは!」
スクルージは、精霊の非難の前に言葉がなく、顔を上げること
ができなかった。ただただ、震えながら地面の上に目を落として
いた。しかし、自分の名前が呼ばれるのを聞くと、急いでその目
を上げた。
「スクルージさん!」と、ボブは言った。
「今日のごちそうの提供者であるスクルージさん。私は貴方のた
めに祝盃を捧げます」
「ごちそうの提供者ですって、本当にねえ」と、クラチェット夫
人は真っ赤になりながら怒りをあらわにした。
「本当に、この辺りにでもあの人がおいでになって、よくご覧に
なればいい。そしたら、腕によりをかけた『ごちそう』を作って、
おもてなししてあげるのにねえ! まあ、あの人のことだから、
何も気にせず、美味しがってムシャムシャ食べることでしょうよ」
「ねえ、お前」と、ボブは言った。
「子供達がいるんだよ! それにクリスマスだよ」
「たしかにクリスマスに違いありませんわね。スクルージさんの
ように、人を遠ざけ、そのくせお金だけとは仲良しで、禁欲で、
分け与えることをしらない人のために祝盃を捧げてあげるんです
から」と、クラチェット夫人は言って、涙声になった。
「私達は貴方がどんな辛い思いをして仕事をしているか知ってい
るわ。私達は貴方にこそ祝杯を捧げたいのよ」
「ねえ、お前」と、ボブは穏かに話した。
「今は不景気だから、どこも大変なんだよ。私のような者が仕事
をさせてもらえるだけでもありがたいことなんだよ」
「それは貴方にその能力があるからよ。あのスクルージさんが、
なんの能力もない人に報酬を払って、長い間、雇うわけがないじゃ
ありませんか」と、クラチェット夫人は涙ぐんで言った。
「クリスマスだよ」と、ボブはなぐさめた。
「私は、皆のためならどんなに辛いことでも耐えられる。だけど
ね、そんなに辛いことはないんだよ。たしかに、スクルージさん
は人には理解されないことがあるけど、それは、このティムと同
じなんだよ。この子の体の辛さはこの子にしか分からないように、
スクルージさんの心がティムの体と同じ状態なんだ。だから、誰
かが手をさしのべてあげないといけないんだよ。そうだったよね、
ティム」
ティムは、ニコッと笑いながらうなづいた。
「私も貴方のために、また今日のよい日のためにスクルージさん
の健康を祝います」と、クラチェット夫人は言った。
「あの人の心を手助けするために。彼の寿命永かれ! クリスマ
スおめでとう、新年おめでとう! あの人の心に貴方の気持ちが
届きますように! こうして、皆が愉快で幸福でいられるのもあ
の人のおかけですものね。たぶん」
子供達は母親にならって祝盃を捧げた。彼らには納得のできな
いこともあったが、悪い気はしなかった。
病弱なティムも一番最後に祝盃を捧げた。それは心のこもった
祝盃だった。
スクルージは実際、この家族にとっては厄介者だったのだろう。
それは、彼の名前が口にされてからというもの、部屋中に暗い影
が漂ったからだ。そして、それはまる五分間も消えずに残ってい
た。
その影が消えてしまうと、クラチェット家は、スクルージとい
う害虫でもかたずいたのかと思われるほど安心して、前よりも十
倍は元気にはしゃいだ。
ボブ・クラチェットは、ピーターのために一つの仕事先の心当
りがあることや、それが叶ったら、毎週五シリング半の報酬が得
られることなどを全員に話して聞かせた。
弟の二人のクラチェット少年達はピーターが実業家になるんだ
と言って、大変な喜びようだった。そして、ピーター自身は、そ
の幻惑させるような報酬を受取ったら、何かに投資しようと考え
込んででもいるように、シャツの襟に首をすくめて暖炉の火を考
え深く見つめていた。
続いて、婦人用帽子店の貧しい見習い店員だったマーサは、自
分がどんな種類の仕事をしなければならないかとか、一気に何時
間働かなければならないかとか、明日は休日で一日自宅にいるか
ら、明日の朝はゆっくり休息をするために朝寝坊をするつもりだ
などということを話した。また、彼女は数日前、一人の伯爵夫人
と一人の華族様とを見たが、その貴公子は「ちょうどピーターと
同じぐらいの背の高さだった」と、話した。
ピーターはそれを聞くと、たとえ皆さんがその場に居合せたと
しても、もう彼の頭を見ることは出来なかったほど、自分のシャ
ツの襟を高く引き上げたものだ。
その間、栗とポットとは、たえずグルグルと回されていた。
やがて家族全員は、ティムが、雪の中を旅して歩く迷子のこと
を詩にした歌を唄うのを聞いた。それを唄う彼は、悲しげな小さ
い声を持っていた。だけど、それをとても上手に唄った。
ボブのような家族のことは、一般的で特にとりたてて言うほど
のことは何もなかった。
彼らは立派な家族ではなかった。
彼らはよい服を着てはいなかった。
彼らの靴は防水からはほど遠かった。
彼らの服はつぎはぎだらけだった。
ピーターは質屋の存在を知っていたかもしれない。どうも知っ
ているらしかった。
けれども、彼らは幸福であった。
感謝の気持ちに満ちていた。
お互に仲がよかった。そして、今日に満足していた。
それで、彼らの姿がぼんやりと淡くなって、しかも別れぎわに
精霊が、いつものようにトーチから振りかけてやった少量の明か
りの中で、もっと幸せに見えた時、スクルージは目をそらさずそ
れらを見ていた。特に病弱なティムを最後まで見ていた。
辺りはもう徐々に暗くなって、雪がかなりひどく降って来た。
そして、スクルージと精霊が路地を歩いていた時、ある家では、
台所や応接間やその他のあらゆる種類の部屋などで音をたてて燃
え盛っている暖炉の輝きがすさまじかった。
そこでは、暖炉のチラチラする炎により、十分に焼かれている
熱いごちそうが皿に盛りつけられ、居心地のよい夕食の準備がさ
れていた。それと同時に、寒気と暗闇とを閉め出そうと、今まで
開いていた深紅色のカーテンが、すぐさま閉められようとしてい
た。
あちらでは、家の中にいた子供達が、自分達の結婚した姉、兄、
従兄、伯父、叔母を出迎えて、自分が一番先に挨拶をしようと、
雪の中に走り出して行った。そしてまたこちらでは、窓のブライ
ンドに、お客が集まっているシルエットがうつり、そこには、皆、
フードをかぶって毛皮のブーツをはいて集まった美しい娘達が、
一斉におしゃべりしてウキウキしながら、近所の家に出かけて行っ
た。そのまばゆいばかりの彼女達が入って行くのを見た独身の男
性達は思わずつられて入っていった。かわいそうだが、彼女達は
巧みな魔女のように、そうなることを知っていたのである。
ところで皆さんは、このように大勢の集まるパーティが開かれ、
そこに出かけて行くのであれば、どの家も留守になり、友人を招
待したり、煙突の半分までも石炭の火を燃え立たせたりする必要
がないと思われるのではないだろうか?
せっかく招待客が、それぞれの家へ来ても、誰も出迎えてくれ
る者はいないのだから。それよりも、空き巣に入られる心配はな
いのだろうか?
そうした心配のない、治安の良いどの家にも祝福あれ。
この地域の信頼感が強いことに、精霊はどんなに喜んだことか。
どれだけその胸をむき出しにして、大きな手をひろげたことか。
そして、手のとどく限りあらゆるものの上に、その晴れやかで無
害な快楽をその慈悲深い手で振りまきながら、フワフワと空へ登っ
て行ったことか。
たそがれ時の薄暗い街に、街灯のともし火をポツポツと斑点の
ように点けながら駆けて行く作業員ですら、夜をどこかで過ごす
ために、よい服に着替えていたが、その作業員ですら精霊が通り
かかった時には、その気配で声を立てて笑ったものだ。ただし、
クリスマスの精霊が自分達をお気に入りだとは夢にも思わなかっ
たけれど。
ところで、スクルージは、今まで精霊から一言の警告も受けな
かったのに、突然、冬枯れた物寂しい沼地の上に連れて行かれ、
精霊とともに立っていた。そこには、巨人の埋葬地でもあったか
のように、荒い石の怖ろしく大きな塊があちらこちらに転ってい
た。
水は気の向くままにどこへでも流れ、広がっていた。いや、氷
が水を幽閉しておかなかったら、きっとそうしていたであろう。
コケとシダと、粗い毒々しい雑草のほかには何も生えていなかっ
た。
西の方に低く夕陽が不機嫌そうな目のように真赤な線を残して
消えてしまった。それが一瞬の間、荒廃した周辺のいたる所に、
しかめっ面をして赤々と照り返していたが、だんだん低く、低く
その顔をゆがめながら、やがて真暗な夜の濃い暗闇の中に見えな
くなってしまった。
「ここはどういう所でございますか?」と、スクルージは聞いた。
「鉱夫たちの住んでいるところだよ。彼らは地の底で働いている
のだ」と、精霊は応えた。
「だが、彼らは私を知っているよ。御覧!」
一軒の小屋の窓から光が輝いていた。そして、それに向かって
精霊とスクルージは瞬時に進んだ。
泥や石の壁を突き抜けて、真赤な火の周りに集っている愉快そ
うな精霊のお気に入りを見つけた。
非常に年老いたお爺さんとお婆さんが、その子供達や孫達やひ
孫達と一緒に、祭日の服装に着飾って陽気になっていた。
そのお爺さんの声は、不毛の荒地をたけり狂う風の音に時々か
き消されながらも、子供達にクリスマスの歌を唄ってやっていた。
それは、お爺さんの少年時代のすごく古い歌だった。
皆は時々、声を合わせて唄った。
子供達が声を高めると、お爺さんも元気がでて、声を高めた。
しかし、子供達が静かになると、お爺さんの元気も沈んでしまっ
た。
精霊は、ここに停滞してはいなかった。
スクルージに自分のローブにつかまるよう命じた。そして、飛
び立ち、沼地の上を通過しながら、さてどこへ急いだのだろう。
それは、海へではないか?
そうだ、海へ。
スクルージは振り返って地上に目をやり、自分達の背後に陸の
先端を見て、怖ろしげな岩石が連っていたので恐怖した。
海水は自らが擦り減らした恐ろしい洞窟の中でわき上がり、そ
してそれが渦となってとどろき、この地面を軟弱にしようと激し
くおし寄せていたが、その海水の雷のようなごう音で、スクルー
ジの耳も聞こえなくなってしまった。
海岸から数マイル行くと、一年中荒れている波を投げつけられ、
すり減らされて沈んだ岩の暗礁があった。そして、その上に築か
れた灯台が一人でそこに立っていた。
沢山の海藻がびっしりと、まるで海水から生れたように、その
土台にしがみついていた。
海鳥は、まるで風から生れたかと思われるように、波をすくい
とりながら、そこを上昇し、そして、低く飛んだりしていた。
こうした所でさえ、二人の男性がともした火を見守っていた。
灯台の光は、厚い石の壁に開けられた窓から、恐ろしい海の上
に一筋の輝かしい光線を放っていた。
二人の男性は、粗末なテーブルごしに向い合せに座っていた。
ゴツゴツした手にこの場所の厳しさが表れていた。それでも、
彼らはラム酒に酔って、お互いにクリスマスの祝辞を言いあって
いた。そして、彼らの一人、しかも年長者の方(古い船の船首に
ついている人形が、荒れた天候で傷跡がつけられているように、
風雨のために顔ぜんたいをいためている年長者の方)が、それこ
そ暴風雨のような、ハスキーな大声で歌を唄い出した。
ふたたび精霊とスクルージは、真黒な、絶えずうねっている海
の上を飛び続けた。
どこまでも、どこまでも。
精霊がスクルージに言ったところによれば、どの海岸からもは
るかに離れているらしかった。
ようやく、ある一艘の豪華客船の上に降りた。
精霊とスクルージは、舵を手にした操舵手や船首に立っている
見張り役や当直をしている士官達のそばに立った。
各自それぞれの配置についている彼らの姿は、いずれも暗く亡
霊のように見えた。しかし、その中の誰もがクリスマスの歌を口
づさんだり、クリスマスらしいことを考えたり、または低声で遠
い昔のクリスマスの話をしていた。それには早く故郷へ帰りたい
という希望が自然と含まれているが、その希望を加えて話したり
していた。
この船に乗っている者は、起きていようが眠っていようが、善
い人であろうが悪い人であろうが、誰でもこの日は一年中のどん
な日よりも、より親切な言葉を他人にかけていた。そして、ある
程度まで今日の祝いを共に楽しんでいた。
誰もが自分が気にかけている遠くの人達を思いやると共に、ま
たその遠くの人達も自分のことを思い出して喜んでいることをよ
く承知していた。
風のうめきに耳をかたむけると、その深さは、死のように深遠
な秘密であるかのようで、いまだに知られていない奈落に広がっ
て吹いていた。そして、寂しい暗闇を貫いて、どこまでも進んで
行くということは、なんという厳粛なことだろうか。
こうして気をとられている間に、一つの心のこもった笑い声を
聞くというのは、スクルージにとって大きな驚きに違いなかった。
しかも、それが自分の甥の笑い声だと知ることは、そして、一つ
の晴れやかな、乾いた明るく広い船室の中に、自分のそばに微笑
みながら立っている精霊と一緒に、甥の招待を断った自分自身が
誰にも見えないとしても、その場に居合わせているということは、
スクルージにとって、とても大いなる驚きだった。
精霊は、いかにもこの光景が気にいったというような機嫌のよ
さで、甥をじっと眺めていた。
「ははっ! ははっ!」と、スクルージの甥は笑った。
「はははっ、ははっ、はははっ!」
もし皆さんが、このスクルージの甥より、もっと笑いの絶えな
い幸福に包まれている人を知っていたら、そんなことはありそう
もないけど、(万が一あったとしたら)私もまたその人と知り合
いになりたい。ぜひ私にその人を紹介して欲しい。それほど、ス
クルージの甥の性格は周りまで幸福にした。
病気や悲しみなどが人に伝染することがある。その中でも、笑
いや快楽ほど、無抵抗で伝染するものは世の中でもこれらしかな
い。それが、誰にでも公明にして公平にあり、貴い調節役となっ
ている。
スクルージの甥が、こうして脇腹をかかえたり、頭をグルグル
回したり、途方もないしかめ面に顔をひきつらせたりしながら笑
いこけていると、スクルージの姪にあたるその妻もまた、彼と同
じようにキャッキャッと心から笑っていた。
そこに集まっていた親友達も甥に負けないぐらい、ドッと歓声
を上げて笑いくずれた。
「ははっ、はははっ、はははっ、はは、ははは、はは!」
「あの人はクリスマスなんてバカバカしいと言いましたよ。本当
に」と、スクルージの甥は言った。
「あの人は、貧乏人が粗末なクリスマスに満足しているとね」
「とてもよくないことだわ、フレッド」と、甥の妻は腹立たしそ
うに言った。
こういう婦人達は愛すべき存在だ。彼女達は何でも中途半端に
しておくということはない。いつでも大真面目である。
甥の妻は非常に美しかった。とびっきり美しかった。えくぼが
あり、われを忘れるような、素敵な顔をしていた。まるで、キス
されるために造られたかと思われるような、確にそのとおりでも
あるのだが、豊かな小さい口をしていた。頬には、そばかすがあっ
て少女のようにかわいらしく、彼女が笑うと桃色の頬の飾りとなっ
てしまうのだ。それからどんな可憐な少女の顔にも見られないよ
うな、きわめて晴れやかな目をしていた。まとめていえば、彼女
は魅惑的な女性だった。しかし、世話女房のような。おお、どこ
までも世話女房のような女性でもあった!
「変なおじいさんだね」と、スクルージの甥は言った。
「それが本当のところさ。そして、もっと愉快で面白い人である
はずなんだが、そうはいかないんですよ。ですが、あの人が損を
しているということだし、それに、寂しい人生という報いを受け
ていらっしゃいますから、なにも私があれこれ、あの人を悪く言
うことはありませんよ」
「ねえ、あの方はたいへんなお金持なのでしょう、フレッド」と、
甥の妻は、あえて確かめた。
「少なくとも、貴方はいつも私にはそう仰しゃいますわ」
「それがどうしたというんだい?」と、スクルージの甥は言った。
「あの人の財産は、あの人にとって何の役にも立たないんだよ。
あの人は、それを使って何の善いこともしないのさ。それで自分
のいる場所を気持ちよくもしない。いや、あの人は、それでゆく
ゆくは僕達をよくしてやろうと・・・。ははっ、ははは、ははは
は! そう考えるだけの余裕もないんだからね」
「私、もうあの人にはあきれるわ」と、甥の妻は言った。そして、
彼女の姉妹も、その他の婦人たちも皆、賛同した。
「いや、僕はあきれたりはしないよ」と、スクルージの甥は言っ
た。
「僕はあの人が気の毒なんだ。僕は怒ろうと思っても、あの人に
は怒れないんだよ。あの人の嫌な性格で誰が苦しむんだい? い
つでもあの人自身じゃないか。たとえばさ、あの人は、僕達が嫌
がることを思いつく、するともう、ここへ来て、一緒に食事も食
べてくれようとはしない。それで、その結果はどうだというんだ
い? まあ、すごいごちそうを食べ損ったというわけでもないけ
どね」
「そんなことはないわ。あの方はとてもすばらしいごちそうを食
べ損ったんだと思いますわ」と、甥の妻はなぐさめた。
他の人たちも皆そうだと言った。その証拠に、彼らは、たった
今、ごちそうを食べたばかりで、テーブルの上にデザートだけを
残したまま、ランプをそばにストーブの周囲に集まっていたのだ。
誰がどう考えても、彼らが満足のいく食事を食べたことは認め
ざるおえないだろう。
「なるほど! そう言われれば僕も嬉しいね」と、スクルージの
甥は言った。
「だって僕は、近頃の若いご婦人達に、あまり共感できないから
ね。トッパー君、君はどう思うね?」
トッパーは、甥の妻の姉妹達の一人に、明らかに心を奪われて
いた。というのは、独身者は悲惨な仲間外れになるの
を恐れ、そういう問題に対して意見を言う権利がないと応えたか
らだ。
これを聞いて、甥の妻の姉妹で、バラを挿した方じゃなくって、
レースのショールをかけた豊満な方が顔を真っ赤にした。
「先をおっしゃいよ。フレッド、さあ」と、甥の妻は両手を叩き
ながら言った。
「この人は、しゃべりだしたことをけっしておしまいまで言った
ことがないのよ。本当におかしな人!」
スクルージの甥は、また夢中になって笑いこけた。そして、そ
の感染を防ぐことは不可能だった。
甥の妻の豊満な妹などは香りのあるさく酸で、笑いをこらえよ
うと懸命になった。しかし、こらえきれず、その場にいた全員と
一緒に彼の笑いにつられて笑った。
「僕はただこう言おうと思ったのさ」と、スクルージの甥は続け
た。
「あの人が僕達を嫌って、僕達と一緒に愉快に遊ばない結果はね、
僕が考えるところでは、ちっともあの人の損にはならないはずの
快適な時間を失ったことになると思うんだよ。確かにあの人は、
あのカビ臭く古ぼけた事務所や、ほこりだらけの部屋の中で、自
分一人で考え込んでいたんじゃ、とても見つけられないような愉
快な相手を失っているしね。あの人が好むか好まなくても、僕は
毎年こういう機会をあの人にさしあげるつもりですよ。だって僕
はあの人が気の毒でたまらないんですからね。あの人は死ぬまで、
僕達のクリスマスをけなしているかもしれない。だけど、それに
ついてもっとよく考えなおさなければいけなくなるでしょうね。
僕は、あの人に挑戦しますよ。僕は、上機嫌で毎年毎年、『伯父
さん、御機嫌はいかがですか?』と、訪ねて行くつもりだよ。そ
れが、あのあわれな書記に五十ポンドでものこしておくような気
にしてあげられたら、それだけでも多少のことはあったと言える
だろから。それに、僕は昨日、あの人の心をゆさぶってあげられ
たように思うんだよ」
甥がスクルージの心をゆさぶらせたなどというのがおかしいと
いって、今度は全員が笑い始めた。しかし、彼は心の底から性格
のいい人で、とにかく彼らが笑いさえすれば何を笑おうとあまり
気にかけなかった。それどころか、自分も一緒になって笑って全
員の喜び楽しむのを盛り上げるようにした。そして、愉快そうに
お酒を回した。
食後の紅茶を済ませてから、彼らは二、三の音楽を楽しんだ。
というのは、彼らは音楽好きの集まりでもあったからだ。
グリーやキャッチを唄った時には、皆、なかなかのできばえだっ
た。特にトッパーは巧みな歌唱力があり、最も低い声で唄った。
だけど、その声で唄ったにもかかわらず、額に太い筋も立てなけ
れば顔中を真っ赤にすることもなかった。
甥の妻はハープを上手に弾いた。そして、色々な曲を弾いた中
に、ちょっとした小曲(ほんのつまらないもの、二分間で覚えて
さっさと口笛で吹けそうなもの)を弾いたが、これはスクルージ
が、過去のクリスマスの精霊によって思い出させてもらったとお
りに、児童養護園からスクルージを連れに帰ったあの女の子、甥
の母親がよく演奏していたものだった。
この曲の一節が鳴り渡ったとき、あの時の精霊がスクルージに
見せてくれた、すべての出来事が残らず彼の心によみがえってき
た。
スクルージの心は、だんだん和らいできた。そして、数年前に
何度かこの曲を聴くことが出来たら、彼はジェイコブ・マーレー
を埋葬するような、この歳まで老いて、墓守に手助けされるよう
に、孤独な人生を歩むことはなく、自分自身の手で自分の幸福の
ために人の世に親切を広められたかもしれなかったと考えるよう
になった。
甥達は、ずっと音楽ばかりして、その夜を過ごしはしなかった。
しばらくすると、彼らは失敗すると罰のある遊びを始めた。
こんな日には、子供にかえるのもよいことだからだ。そして、
こうした遊びを考えた偉大な創作家こそ子供なのだ。だから、ク
リスマスの日が一番ふさわしい。さあ、楽しもう。
まず第一には目隠し遊びがあった。もちろん、その場所で楽し
んだのだ。
私には、目隠ししたトッパーが、彼のブーツが目を持っている
わけではないのと同じようにまったく目を見えなくしているとは
思えなかった。
私が思うに、トッパーとスクルージの甥との間には、何か企み
があるらしい。そして、現在のクリスマスの精霊もそれを知って
いるようである。
トッパーが、レースのショールをかけた豊満な妹だけを追い回
わした様子というのは、誰も知らないことをいいことに、やりた
いほうだいだった。薪やスコップに突き当たったり、イスをひっ
くりかえしたり、ピアノにぶつかったり、窓のカーテンに包まれ
て自分では呼吸が出来なくなったりして、彼女の逃げる方へはど
こへでもついて行った。
トッパーは、常にその豊満な妹がどこにいるかを知っていた。
そして、彼は他の者は一人もつかまえようとしなかったのだ。
もし、皆さんがわざと彼に突き当りでもしたら(彼らの中には
実際やった者もいた)、彼も一旦は皆さんをつかまえようとがん
ばっているようなそぶりをしてみせただろうが、それは皆さんの
反感をかうだろう。トッパーは、すぐにまたその豊満な妹の方へ
つられて行ってしまうのだ。
豊満な妹は、気づいてそれは公平でないと何度も怒鳴った。そ
のとおり、それは公平でなかった。しかし、とうとうトッパーは
彼女をつかまえた。そして、彼女が絹の服をサラサラと鳴らした
り、彼をやり過ごそうとバタバタともがいたりしたにもかかわら
ず、彼は逃げ場のない片隅へ彼女を追いこんでしまった。
それから後のトッパーのおこないというものはまったくひどい
ものだった。というのは、彼が自分が相手は誰だかが分からない
というようなフリをまだしていて、豊満な妹の髪飾りに触ってみ
なければ分らない、いや、そればかりでなく、彼女の指にはめた
指輪や首の周りにつけたネックレスなどを触ってみて、やっと彼
女であることを確かめる必要があるとでもいうように、彼女に触
りまくったのは、ちょっとやり過ぎだった。他の者が代わって鬼
をする頃には、二人ともカーテンに隠れてすごく親密にヒソヒソ
と話しをしていたが、彼女はそのことに対する自分の気持ちをう
ちあけたにちがいない。
甥の妻は、この目隠し遊びの仲間には入らないで、居心地のよ
い片隅に、大きなイスと足を載せる台とで楽々と休息していた。
その片隅では精霊とスクルージとが彼女の後ろの近くに立ってい
た。しかし、彼女は失敗すると罰のある遊びには加わった。そし
て、アルファベット二十六文字のすべてを使って自分の愛の文章
を見事に組み立てた。
同じようにまた『どんなに、いつ、どこで』の遊びでも甥の妻
は偉大な力を見せた。そして、彼女の姉妹達もトッパーに言わせ
れば、すいぶん敏しょうな女性達にはちがいないが、その敏しょ
うな女性達を彼女は散々に負かしてのけた。それをまたスクルー
ジの甥は心から喜んで見ていた。
若い者や老いた者を合せて二十人くらいはそこにいたろうが、
彼らは全員でそれを楽しんだ。そして、スクルージもまたそれを
楽しんだ。というのは、彼も今(自分の前に)おこなわれている
ことに興味をひかれて、自分の声が彼らに聞こえないのをすっか
り忘れて、時々大きな声で自分の考えた答えを口にした。そして、
何度も正解したのだ。
スクルージは、歳のせいか、頭が鈍ってきたと思っていたが、
この時ばかりは、針穴がダメにならないと保険つきのホワイトチャ
ペル製の最も鋭い針よりも彼の頭はさえて鋭かった。
スクルージが子供のようにはしゃいでいるのが、精霊にはとて
も気にいったらしい。それに、彼は、港に戻った船から甥の親友
達が降りるまで、ここにいさせてもらいたいと子供のようにせが
みだしたことにも、精霊は愉快な様子で彼を見つめていた。しか
し、そんなに長い時間とどまるわけにはいかなかった。
「それはだめだ」と、精霊は言った。
「今度は新しいゲームでございます」と、スクルージは言った。
「三十分。精霊様、たった三十分!」
それは「イエス・アンド・ノー」というゲームだった。
そのゲームでは、スクルージの甥が何か考える役になって、他
の人達は、甥が彼らの質問に、それぞれその場合に応じて、「イ
エス」とか、「ノー」とか答えるだけで、それが何であるかを言
い当てるというものだ。
活発な火のような質問に、甥はどちらかを答えてみせた。それ
で皆は、彼が一匹の動物について考えていることを引き出した。
それは生きている動物だった。どちらかといえば嫌な動物で、ど
う猛な動物だった。時々はうなったりのどを鳴らしたりする。ま
た時には話しもする。ロンドンに住んでいて、街も歩くが、見世
物にはされていない。また誰かが連れて歩いているわけでもない。
動物園の中に住んでいるのでもないのだ。そして、市場で食材に
されるようなことは決してない。馬でもロバでも牝牛でも牡牛で
も虎でも犬でも豚でも猫でも熊でもないのだ。
他の者から新らしい質問がされるたびに、この甥はわはははっ
と大笑いしてくずれた。ソファから立ち上って床をドンドン踏み
鳴らさずにはいられないほど、なんともいいようがないほど、く
すぐられて面白がった。しかし、とうとうあの豊満な妹が同じよ
うに笑いくずれながら叫んだ。
「私、分かりましたわ! 何かもう知っていますよ、フレッド!
皆さんもご存知のお方よ」
「じゃ、何だね?」と、甥は聞いた。
「貴方の伯父さんのね、スクルージさん!」と、豊満な妹は応え
た。
確かにそのとおりだった。
なるほどそうだと歓声があがった。でも、中には「荒々しいか?」
と、質問した時には「イエス」と答えるべきだった。それを「ノー」
と否定の答えをされては、せっかくスクルージさんへ気が向きか
けていたとしても、スクルージさんから他の方へ考えを変えてし
まうのに十分だったからねと抗議した者もいた。
「あの人はずいぶん僕たちを愉快にしてくれましたね。本当に」
と、甥は言った。
「これであの人の健康を祝ってあげないのはよくないよ。ちょう
ど今、私達の手もとに一杯の暖かいワインがあるからね。さあ、
始めるよ。スクルージ伯父さんへ!」
「同じく! スクルージ伯父さんへ!」と、彼らは叫んだ。
「あの老人がどんな人であろうが、あの人にもクリスマスおめで
とう! 新年おめでとう!」と、スクルージの甥は声を上げた。
「あの人は僕からこれを受けようとはしないだろうが、それでも
まあ差し上げましょう。スクルージ伯父さんへ!」
その伯父のスクルージは、誰に知られることもなく、気も心も
ウキウキと軽くなった。そこで、もし精霊が時間を与えてくれさ
えしたら、今のお返しとして、自分に気のつかない彼らのために
乾杯して、誰にも聞こえない言葉で彼らに感謝したことだろう。
しかし、その全場面は、彼の甥が口にした最後の一言がまだ終わ
らないうちにかき消されてしまった。そして、スクルージと精霊
とは、また飛び立った。
スクルージと精霊は、多くを見て、遠くへ行った。そして、色々
な家を訪問したが、いつも幸福な結果に終った。
精霊が病床のそばに立つと、病人は元気になった。
異国に行けば、キリスト教徒ではなくても、クリスマスの日に
はパーティを開いて楽しみ、人々は故郷を懐かしんだ。
もだえ苦しんでいる人のそばにいくと、彼らは、将来のより大
きな希望をいだいて辛抱強くなった。
貧困のそばに立つと、それが満たされた。
「旦那、なぜ人間は自分で自分を苦しめるんだね?」と、精霊は
不思議そうに聞いた。
「そうだろ。自分達で政府というものを作り、そこに自分達で代
表者とやらに管理を任せている。そのあげくが、このざまだ。神
でさえ、エデンの園をアダムに任せて失敗したのに」
「精霊様のおっしゃるとおりですが、お互いに困ったことが起き
た時に助け合う仕組みは必要なのです。たしかに、それが機能し
ていないことは認めますが、私達は失敗から学んで良くしていく
のです」と、スクルージは応えた。
「しかし、旦那には、戻るべき国がないのだろ。政府も代表者も
ないではないか。それでも他の国に暮らして、お金を沢山集めて
生活しているじゃないか。本当に政府や代表者が必要なのかね?
旦那は他の国の政府や代表者を助けて、その国の人間達を苦しめ
る手伝いをしているように思えるんだがね」と、精霊は言った。
スクルージは、ユダヤ人が国をもたず、流浪の民になっている
ことが、どんなに辛いことかを精霊に説明したが、賛同は得られ
なかった。
「では、次の場所はどうかね」と、精霊は言って、スクルージを
連れて飛び立った。
そこは施療院や病院や収容所だった。
施療院でも病院でも収容所の中でも、あらゆるみじめな隠れ家
では、無益な人の中に上下関係のような小さなたわいもない権威
を作らないので、しっかりドアを閉めたりして、精霊を閉め出し
てしまうようなことがなかった。だから精霊はそこに祝福を残し
た。
「旦那、どうだい。ここには代表者はいない。お金はなんの役に
も立たない。いくらお金があっても命は買えないし、罪は償えな
いからね。政府が介入することがなければ、誰も争うことはない
し、皆がお互いを助け合うんだよ。だから、私はこうした場所を
特に祝福するんだ」と、精霊は言った。
「精霊様。こうした場所でも上下関係を作り、争っている所があ
ると聞いたことがあります。長い間、その場所に住み続けるとそ
うした権力のようなものが生まれてくるのかもしれません。しか
し、だからといって私にどうしろと言うのですか? 非力な私一
人ではどうすることも出来ませんよ」と、スクルージは言った。
「そうやって、言い訳をして、見て見ぬフリをして、誰かに任せっ
きりにした結果がどうなるか。今に思い知ることになるだろう」
と、精霊は独り言のように言った。
こうして、精霊はスクルージに、色々な教訓を教えたのだった。
これがただ一夜だったとすれば、ずいぶん長い夜だった。しか
し、スクルージはこれについて疑いを抱いていた。というのは、
クリスマスの祭日全部が、スクルージと精霊だけで過ごしてきた
時間内に圧縮されてしまったように思えたからだ。また、不思議
なことには、スクルージはその外見が依然として変らないでいる
のに、精霊はだんだん歳をとった。
精霊は目に見えて歳をとっていった。
スクルージは、この変化に気がついていたが、けっして口にだ
しては言わなかった。しかし、とうとう子供達のために開いた十
二夜会(クリスマスから十二日目の夜にお別れとしておこなう会)
を後にした時に、スクルージと精霊は野外に立っていたのだが、
彼は精霊を見ながら、その髪の毛が真白になっているのが気になっ
た。
「精霊様の寿命はそんなに短いものなのですか?」と、スクルー
ジは聞いた。
「この世における私の生命はすごく短いものさ。歳をとれば衰え
る。それでも居座れば、若い者が育たない。早く若い者に道を譲っ
て、この世に新風を吹き起こさなければね」と、精霊は応えた。
「今晩で終わりになるんだよ」
「今晩ですって!」と、スクルージは叫んだ。
「今晩の真夜中頃だよ。お聴き! その時がもう近づいているよ」
どこかの鐘の音が、その瞬間に十一時四十五分を告げていた。
「こんなことをお聞きして、もし悪かったら申し訳ありませんが」
と、スクルージは精霊のローブをけげんな顔で見ながら言った。
「それにしても、なにか変では? 貴方のお体の一部とは思われ
ないようなものが、すそから飛び出しているようでございますね。
あれは足ですか、それとも爪ですか?」
「そりゃ爪かも知れないね。これでもその上に肉があるからね」
と、精霊が悲しむように応えた。
「これをよく見るんだ」
精霊は、そのローブのひだの間から、二人の子供を披露した。
哀れな、いやしげな、怖ろしい、ゾッとするような、みじめな
子供達だった。
二人の子供は、精霊の足もとにひざまづいて、そのローブの外
側にすがりついた。
「さぁ、旦那、これを見よ! この下をよく見ておくんだ!」と、
精霊はスクルージに叫んだ。
男の子と女の子がスクルージを見ていた。
黄色く、やせこけて、ぼろぼろの服を着ていた。
しかめっ面をして、欲が深そうな、しかし、二人の子供の中に
も謙遜があり、しりごみしていた。
のんびりした若々しさがあった。
二人の子供は、あまりにも痩せていたので、腸にガスがたまっ
ているのか、お腹がはちきれそうに膨らんでいた。
いきいきした色でそれを染めるべき肌は、老化したような、古
ぼけたしわだらけになっていた。
手をつねったり、ひっかいたりしたのか、あざや傷だらけになっ
ていた。
天使が玉座についてもいいところに、悪魔がひそんで、見る者
を脅しつけながらにらんでいるようだった。
創造された不思議なもののあらゆる神秘を寄せ集めたとしても、
人類のどんな進化も、どんな堕落も、どんな逆転も、それがどん
な程度のものだったとしても、この子供達の半分も恐ろしい不気
味な化け物を出現させられないだろう。
スクルージはゾッとしてあとずさりした。
こんなふうにして子供達を見せられたので、スクルージは「か
わいいお子さん達ですね」と、言おうとしたが、言葉の方で、そ
んなだいそれた嘘つきの仲間入りをするよりはと、自分で自分を
制してしまった。
「精霊様、これは貴方のお子さん達ですか?」
スクルージはそれ以上、言うことが出来なかった。
「これは人間の子供達だよ」と、精霊は二人の子供を見おろしな
がら言った。
「この子供達は、自分達の父親に訴えながら、私にすがりついて
いるのだ。この男の子は無知である。この女の子は貧困だ。この
二人の子供には気をつけるんだ。この子供達の階級のすべての者
を警戒するのだ。そして、特にこの男の子に用心するんだ。この
子の額には、もしまだその書いたものが消されずにあるとすれば、
『滅亡』とありありと書いてあるからね。旦那、それを否定して
みろ!」と、精霊は片手を街の方へ伸ばしながら叫んだ。
「そして、それを教えてくれる者をそしるがいいさ。いつまでも
旦那のふざけた目的のために、今までの行いを正当化するがいい。
そして、その行いをもっと悪いものにするがいい! いずれ訪れ
るその結果を待っているがいい!」
「この子供達は、避難所も財産も持たないのですか?」と、スク
ルージは聞いた。
「公的な施設はないのかね?」と、精霊はスクルージの言った言
葉を繰返しながら、これを最後に彼の方へ振り向いて言った。
「共立救貧院はないのかな?」
どこかの鐘が夜中の十二時の時を告げた。
スクルージは、周囲を見渡しながら精霊を捜したが、その姿は
どこにも見あたらなかった。
最後の鐘の音が鳴りやんだ時、スクルージは、ジェイコブ・マー
レーの教えを思い出した。そして、目を上げると、地面に沿って
霧のように彼の方へやって来る、フードをかぶったおごそかな精
霊を見た。
威厳を装う紳士は、常に冷静であることを自慢している。そし
て、人災から天災まで、どんなことでも覚悟しているという態度
で身構えているが、その反面、何にでもチャレンジすることで自
分の能力の優れていることを示そうとする。
なるほど、この両極端の間には、ある種の共通点があるのかも
しれない。
スクルージがそこまで思いきったことをすることはないのだが、
私は、彼が不思議な得体の、ある程度の攻撃を覚悟し、一生のう
ちで、どんなことが起きても彼を驚かすことはできないだろうと
いうことを皆さんに理解してもらいたい。
ところが、スクルージは、どんなことが起きても対処できる心
構えをしてはいたが、何も起きないことにはなすすべがなかった。
だから、時を告げる鐘が夜中の一時を打っても、何の姿も現れな
かった時、なんともいえない恐怖で体が震えた。
五分、十分、十五分と経っても、何一つ出てこない。その間、
スクルージは、ベッドの天井で、赤々と燃え立つような光を浴び
ながら横になっていた。
その光は、教会の鐘が夜中の一時を告げた時に、そのベッドの
天井から流れだしたものである。そして、それがただの光であっ
て、しかもそれが何を意味しているのか、何をどうしようとして
いるのか、さっぱり理解ができなかったので、スクルージにとっ
ては、前の夜中に来た最初の精霊の時よりも困惑していた。
スクルージが、その光だけしか変化がなかったことで安心する
より、まれにみる自然発火ですべてが燃えつきるのではないかと、
時々不安になった。しかし、最後に彼も考え出した。
それは皆さんや作家の私なら最初に考えついたことなのだが、
こういう火災が起きた時には、どういうふうに行動しなければな
らないかを知っているし、またきっとその行動を実行するだろう。
そんな冷静な行動が出来るのは、私達にさしせまった危険がなく、
その状況の中にいる当事者ではないからだ。
では話を続けよう。
スクルージもよくよく考えて、その怪しい光の出所が壁一枚隔
てた隣の部屋にあるのではないか、そして、光の射してくる方向
をたどると、どうもその隣の部屋のドアからもれているのではな
いかとの考えに達した。そこで、彼は、ベッドから起き上がり、
スリッパをはいて、隣の部屋のドアの方に恐る恐る歩み寄った。
スクルージの手が、隣の部屋のドアの鍵にかかったその瞬間、
耳慣れぬ声が彼の名前を呼んで、彼に中に入れと命じた。思わず
彼はそれに従った。