過去への旅
スクルージが目を覚ました時には、ベッドから外の方を見ても、
その部屋の不透明な壁と透明な窓ガラスとの見分けがほとんどつ
かないぐらいに暗かった。彼はフェレットのようにキョロキョロ
した目で闇の中にある物を見ようとした。その時、近郊の教会の
鐘が十五分を告げる時の音を四回鳴らした。そこで、彼は時の音
を聴こうと耳を澄ました。
スクルージがすごく驚いたのは、重い鐘が六つから七つと続け
て鳴り、七つから八つと続けて鳴ると、正確に十二まで続けて鳴っ
て、そこでピタリと止んだことだ。
夜中の十二時!
スクルージがベッドについた時には夜中の二時を過ぎていた。
時計が狂ってるんだ。
機械の中にツララが入り込んだのに違いない。
夜中の十二時とは!
スクルージは、このでたらめな時計に惑わされまいと、自分の
懐中時計の時報スプリングに手を触れた。その急速な小さな鼓動
は十二回鳴り、そして止まった。
「何だって」と、スクルージは言った。
「まる一日寝過ごして、次の日の夜中まで眠っていたなんて!
そんなことはあるはずがない。だけど、何か太陽に異変でも起っ
て、これが昼の十二時だということもないだろう!」
そうだとすれば大変なことなので、スクルージはベッドから飛
び起きて、探り探り窓のところまで行った。ところが、窓ガラス
に霜がつき、何も見えないので、やむを得ずガウンの袖で霜をは
らい落した。すると、ほんの少しだけ外を見ることが出来た。
スクルージがやっと見分けることの出来たのは、まだ非常に霧
が深く、耐えられないほど寒い光景だけで、大騒ぎをしながらあ
ちらこちらへと走り回っている人々の物音などは少しもなかった
ということだった。
もし夜が朝日を追い払って、この世界を占領したとすれば、騒
がしい物音が当然、起っていたはずだろう。それがなかったので
スクルージは少し安心した。なぜなら、数えるべき日というもの
がなくなったら「小切手を受け取って三日以内に、エベネーザー・
スクルージもしくはその指定人に支払うこと」等々は、無効とな
り、その収益は政府に奪われることになったろうと思われるから
だ。
スクルージは、またベッドに入った。そして、この状況を考え
た。考えて考えて、いくら考えてもさっぱり訳が分らなかった。
考えれば考えるほど、いよいよ混乱してしまった。
忘れようとすればするほど、ますます考えざるを得なかった。
マーレーの亡霊はいちいちスクルージを悩ませた。
スクルージは、よくよく考えたあげく、それはまったくの夢だっ
たと思い込もうとするたびに、心は強いバネが放たれたように、
また元の位置に飛び返って「夢だったのか? それとも夢じゃな
かったのか?」と、始めからやり直すように同じ悩みがよみがえっ
た。
鐘がさらに十五分の時の音を三回鳴らすまで、スクルージはな
すすべもなくベッドで横になっていた。そして、突然、鐘が夜中
の一時を鳴らした時には、マーレーの亡霊が「最初の精霊が来る
から覚悟するように」と、忠告していったことを思い出した。彼
はその時間が過ぎてしまうまで、目を開けたまま横になっていよ
うと決心した。なるほど、彼がもう眠らないということは、死ん
であの世に行くことはないだろうから、これは恐らく彼の力で出
来ることとしては一番賢い決心だったろう。
それからの十五分は非常に長くて、スクルージは一度ならず、
思わず、うとうととして、時計の音を聞きもらしたに違いないと
思ったくらいだった。とうとうそれが彼の用心深くなっていた耳
に突然、鳴り響いてきた。
「ディン、ドン!」
「十五分過ぎ!」と、スクルージは数えながら言った。
「ディン、ドン!」
「三十分過ぎ!」と、スクルージは言った。
「ディン、ドン!」
「もうあと十五分」と、スクルージは言った。
「ディン、ドン!」
「いよいよだ!」と、スクルージは身構えて言った。
「しかし何事もない!」
スクルージは、時の音が鳴らないうちにそう言った。だけど、
その鐘は今や深く鈍い、うつろで陰うつな、夜中の一時を告げた。
たちまち部屋中に光が点滅して、ベッドのカーテンが引き開け
られた。
スクルージのベッドの四方を覆っていたカーテンは、私はあえ
て詳細に言うが、片手でわきへ引き寄せられた。側面のカーテン
でも、後ろのカーテンでもない。スクルージの顔が向いていた方
のカーテンなのだ。
スクルージのベッドのカーテンはわきへ引き寄せられた。そし
て、彼は、飛び起きてベッドに座った状態で、カーテンを引いた
その人間ならぬ訪問客と対面した。
ちょうど私が今、皆さんに接近しているのと同じように密接し
た状態だ。そう、私は、精神的には皆さんのすぐそばに立ってい
るのである。
それは不思議な得体だった。
子供のような体で、しかも子供に似てるというよりは老人に似
てるといった方がいいかもしれない。(老人といってもただの老
人ではない)、一種の超自然的なフィルターを通して見ているよ
うで、だんだん視界から遠のいていって、子供の身長にまで縮小
された姿をしているといったような、そういう老人に似ているの
である。そして、その得体の首のまわりや背中の方に垂れ下がっ
ていた髪の毛は、年齢のせいでもあるかのように白くなっていた。
しかし、その顔には一筋のしわもなく、皮膚はみずみずしい子供
のつやを持っていた。腕は非常に長くて筋肉がたくましかった。
手も同様で、並々ならぬ握力を持っているように見えた。きわめ
て繊細に造られたその脚も足先も、腕と同じく露出していた。
得体は純白のガウンを身に着けていた。そして、その腰の周り
には光沢のあるベルトを締めていたが、その光沢はとても美しい
ものだった。また、得体は手に生々した緑色の柊の
一枝を持っていた。その冬らしい装いとは妙に矛盾した夏の花で、
その姿を飾っていた。しかし、その得体の身のまわりで一番不思
議なものといえば、その頭のてっぺんからまばゆい光りが噴出し
ていることだった。その光りのために暗い部屋でも細かい部分ま
ですべて見えたのである。そして、その光りを得体が、もっと鈍
くしたい時には、絶対に今はその脇の下にはさんで持っている大
きなランプシェードのような物を帽子のように使用するのだ。
やがてスクルージが、落ち着いてその得体を見た時には、これ
ですらそれの有する最も不思議な性質とはいえなかった。という
のは、そのベルトの今ここがピカリと光ったかと思うと、次には
他の所がピカリと輝いたり、また今明るかったと思う所が次の瞬
間にはもう暗くなったりするにつれて、同じように得体の姿それ
自体も、今一本腕の化物になったかと思うと、今度は一本脚にな
り、また二十本脚になり、また頭のない二本脚になり、また胴体
のない頭だけになるというように、そのはっきりした部分が始終
揺れ動いていた。そして、それらの消えていく部分は濃い暗闇の
中に溶け込んでしまって、その中にあると、輪郭すら見えなくな
るのだ。また、それを不思議だと思っているうちに、得体は再び
元の姿になるのだ。元のようにはっきりとした姿にだ。それは霊
的なものというよりも異星人のほうがイメージしやすいかもしれ
ない。
「貴方が、あの来られると言われた精霊様でいらっしゃいますか?」
と、スクルージは聞いてみた。
「そう!」と、精霊は応えた。
その声は静かで優しかった。
精霊が耳元でささやいたという感じではく、かなり離れた場所
から低い声で喋っているように聞こえた。
「貴方は誰で、またどんな方でいらっしゃいますか?」と、スク
ルージは聞いた。
「私は過去のクリスマスの精霊だよ」と、精霊は応えた。
「ずっと昔の過去のですか?」と、スクルージはその小人のよう
な身長を観察しながら聞いた。
「いや、あんたの過去だよ」と、精霊は応えた。
たとえ誰かが聞いたとしても、たぶんスクルージはその理由を
語ることが出来なかっただろう。しかし、彼はどういうものか、
その精霊に帽子を被せて見たいものだという特別な望みを抱いた。
それで、精霊が持っていた大きなランプシェードのような物を被
るように精霊に頼んだ。
「何だと!」と、精霊は叫んだ。
「あんたはもう、なれなれしくなり、せっかく私があんたらを暗
闇から開放してやっている灯火を消そうと言うのか。私が持って
いるこのキャップは多くの者の欲望で出来ている。そして、長い
年月の間、ずっと私の重荷となり、邪魔をしていたものだ。あん
たもその一人だが、いい加減にしてもらいたいね」
スクルージは、けっして精霊を怒らせるつもりはなかった。ま
た、自分は生涯、いつ何時も、わざと精霊を侮辱したりはしない
と、恐縮して言い訳をした。それから彼は、話題を変えて、どう
いう理由でここへやって来たのか聞いてみた。
「あんたの幸せのためにだよ」と、精霊は応えた。
スクルージは感謝の気持ちをあらわした。しかし、一夜を邪魔
されずに休息した方が、もっと幸せだったろうと考えずにはいら
れなかった。
精霊はスクルージがそう考えているのが分かっているらしかっ
た。というのは、すぐにこう言ったからである。
「じゃ、あんたの改心のためだよ。さあいいか!」
こう言いながら、精霊はその頑丈な片手を前に上げ、スクルー
ジの腕をそっとつかんだ。
「さあ立て! 一緒に歩くんだよ」
天気が悪く、こんな夜中に歩くのは困難だと言い訳したり、ベッ
ドが暖かく、温度計が氷点下以下になっていると説明したり、自
分はスリッパとガウンとナイトキャップしか着けていないと訴え
たり、それに自分は今、風邪をひいていると反抗しても、それら
はスクルージを助けるのに、なんの役にも立たなかっただろう。
スクルージをつかんだ精霊の手は、女性の手のように優しかっ
たが、その握力には抵抗できそうもなかった。
スクルージは立ち上がった。しかし、精霊が窓の方へ歩み寄っ
たので、彼は精霊のガウンにすがりついて泣き出しそうに言った。
「私は生身の人間でございます」と、スクルージはもっともなこ
とを言った。
「ですから落ちてしまいますよ」
「そこへちょっと私の手を当てさせろ」と、精霊はスクルージの
胸に手をのせながら言った。
「こうすれば、あんたはこんなことくらいなんでもない。もっと
危険な場合にも対処できるのさ」
こう言ったと思ったら、精霊とスクルージは壁を突き抜けて、
左右に畑の広々とした田舎道に立っていた。
ロンドンの街はすっかり消えてなくなっていた。その痕跡すら
見当たらなかった。
暗闇も霧もそれと共に消えてしまった。それは地上に雪の積っ
ている晴れた冷い冬の日だった。
「これは驚いた!」と、スクルージは自分の周囲を見渡して、両
手を固く握り合せながら言った。
「私はここで生れたんだ。子供の頃にはここで育ったんだ!」
精霊は穏かにスクルージを見つめていた。
精霊がスクルージの胸に優しく触ったのは、軽くてほんの瞬間
的なものだったが、彼の感覚にはいまだに残っているように思わ
れた。
スクルージは、空中に漂っているさまざまな香りに気がついた。
そして、その香りの一つ一つが、長い長い間、忘れられていたさ
まざまな考えや希望や喜びや心配と結びついていた。
「あんたの唇は震えているね」と、精霊は言った。
「それにあんたの頬の上のそれはなんだい?」
スクルージは、がらにもなく声をつまらせながら「これはニキ
ビです」と、つぶやいた。そして「どこへでも連れて行って下さ
い」と、精霊に頼んだ。
「あんた、この道を覚えているかい?」と、精霊は聞いた。
「覚えていますとも!」と、スクルージは勢い込んで叫んだ。
「目隠をしていても歩けますよ」
「こんなに長い年月それを忘れていたというのは、どうも不思議
だね!」と、精霊は言った。
「さあ行こう」
精霊とスクルージは、懐かしい道を歩いて行った。
スクルージには、目に映る門も柱も木もいちいち見覚えがあっ
た。
こうして歩いて行くうちに、はるか彼方に橋や教会や曲りくねっ
た河などのある小さな田舎町が見えてきた。
ちょうど二、三頭の毛むくじゃらの小馬が、その背に男の子達
を乗せて、こちらの方へ駆けて来るのが見えた。
その子供達は、農民が操作する田舎馬車や荷馬車に乗っかって
いる他の子供達に声をかけていた。
これらの子供達は皆、上機嫌で、たがいにキャッキャッと声を
立てて騒いでいた。それで、とうとうすがすがしい冬の空気まで
それを聞いて笑い出したほど、広い野や畑が一面に嬉しげな音楽
で満たされたくらいだった。
「これはただ昔あったものの残像に過ぎないのだ」と、精霊は言っ
た。
「だから彼らには私達のことは分らないよ」
陽気な旅人達が近づいて来た。そして、彼らが近づいて来た時、
スクルージは皆のことを覚えていて、その名前を呼んだ。
どうしてスクルージは彼らに会ったことをそんなにすごく悦ん
だのだろうか?
彼らが通り過ぎてしまった時、なぜスクルージの冷やかな目が
涙にぬれていたのか?
スクルージの胸がどうして高鳴っていたのか?
一人一人がそれぞれの家に帰るため、十字路や分かれ道にさし
かかった時、彼らが口々に「クリスマスおめでとう!」と、言い
交わすのを聞いて、なぜスクルージの胸に嬉しさが込み上げてき
たのだろうか?
そもそも、スクルージにとってクリスマスは何なのだろう?
(メリークリスマスおめでとうがちゃんちゃらおかしいわい!
お前にとっちゃクリスマスの時は一体何だ!)
「学校にはまだ人の気配があるよ」と、精霊は言った。
「友達に置いて行かれた、独りぼっちの子がまだそこに残ってい
るよ」
スクルージはその子を知っていると言った。そして、彼はすす
り泣きを始めた。
精霊とスクルージは、懐かしさの残る小路に入り、大通りを離
れた。すると間もなく、屋根の上に小さな風見鶏が見えた。そし
て、鐘の下がっているキューポラを設けた鈍く赤いレンガの館へ
近づいて行った。それは大きな家だった。しかし、破産した家で
もあった。
広々とした台所もほとんど使われないで、そのホコリは湿って
苔むしていた。
窓ガラスも割れていた。
門も立ち腐れになっていた。
置き去りにされた鶏はクックッと鳴いて、厩舎の中を威張って
でもいるように歩いていた。
馬車を入れる小屋にも物置小屋にも草が一面にはびこっていた。
室内も同じように昔の堂々たる面影をとどめてはいなかった。
陰気なホールに入って、いくつも開け放しになった部屋の出入
り口から覗いて見ると、どの部屋にも古ぼけた家具しか置いてな
く、冷えきって、広々としていた。
空気は土臭い匂いがして、いたる所が寒々として何もなかった。
それは、あまりに朝早く起きてはみたものの、食べる物が何もな
いのと、どこか似ているところがあった。
精霊とスクルージは、ホールを横切って、その家の裏にある出
入り口の所まで行った。
その出入り口のドアはスクルージが押すと簡単に開いて、彼ら
の前に長く何もない陰気な部屋が広がって見えた。
荒削りの樅の板のイスとテーブルとが何列にもならん
でいるのが、いっそうそれをがらんがらんにして見せた。その一
つのイスに座って、一人の寂しそうな少年が暖炉のとろ火の前で
本を読んでいた。
スクルージも一つのイスにゆっくりと座って、長く忘れていた
ありし日のあわれな自分を見て泣いた。
家中に潜んでいる反響や天井裏のネズミがチュウチュウと鳴い
てじゃれあう物音や裏のうす暗い庭にあるツララの融けかけた雨
ドイのしたたりや元気のないポプラの落葉した枝の中に聞えるた
め息や何も入っていない倉庫のドアの時々思い出したようにバタ
バタする音や暖炉の中で火のはねる音も、すべてがスクルージの
胸を厚くさせ、心を揺さぶり、涙を潤ませた。また、懐かしさの
あまり、彼は自然に涙を流していた。
「ここがあんたの生まれた家なんだね」と、精霊が聞くと、スク
ルージは言葉にならず、ただうなずくだけだった。
「しかし、もう住めそうにはないね。その少年はこれからどこに
連れて行かれるのか不安でしょうがないみたいだ」と、精霊が言っ
た。
「本当に、そのとおりです」と、スクルージは少し落ち着いて言っ
た。
精霊は、スクルージの腕をつかんで、別の場所に連れて行った。
そこは、小さな寄宿舎のような建物の門を入った所だった。
「ここは・・・」と、スクルージは戸惑いながら言った。
「忘れたのかい?」と、精霊が聞いた。
「いいえ、忘れるわけがありません。私の連れてこられた児童養
護園です」と、懐かしそうにスクルージは応えた。
児童養護園は、貧しい家庭の子供を一時的に預かる施設だった
が、スクルージは少年の頃、預けられたままになっていた。
「ここは共立救貧院という公的な施設なのかい?」と、精霊は聞
いた。
スクルージは精霊が、あの時、商会にやって来た二人の紳士と
の会話を知っていて、いやみで聞いていると感じた。
「いいえ、違います。民間の施設です」と、心苦しそうにスクルー
ジは応えた。
精霊は表情一つ変えず、スクルージに児童養護園の中へ入るよ
うにうながした。
精霊は、一つの部屋にスクルージを招きいれ、読書に夢中になっ
ている若い頃の彼の姿を指さして見せた。
突然、外国の衣服を身に着けた、見る目には驚くほど立派で目
立つ一人の男性が、ベルトに斧をはさんで、薪を積んだ一頭のロ
バの手綱を取りながら、部屋の窓の外側に現れた。
「何だ、アリ・ババじゃないか!」と、スクルージは我を忘れて
叫んだ。
「正直なアリ・ババのじいさんだよ。そうだ、そうだ、私は覚え
てる! いつかのクリスマスの頃に、あそこにいるあの独りぼっ
ちの子が、たった一人、帰る場所がなく残されていた時、始めて
あのじいさんがちょうどああいう風にしてやって来たんだ。かわ
いそうな子だな! それからあのバレンタインも」と、スクルー
ジは言った。
「それからあの乱暴な弟のオルソンも。あれあれ、あそこへ皆で
行くぞ! 眠っているうちにタイツをはいたまま、ダマスカスの
門前に捨てておかれたのは、なんとかいう名前の男の子だったよ!
貴方にはあれが見えませんか? それから守護神が、上下さかさ
まにして置いた、帝王の子分は。ああ、あそこに頭を
下にして置かれている! いい気味だな。私にはそれが嬉しい!
あんなずる賢い奴と、お姫様がなんで結婚しなければならないん
だ!」
スクルージが笑うような泣くような突拍子もない声を出し、こ
んなことで無邪気な自分をすっかりさらけだしている。そうした
彼のいかにも嬉しそうな興奮した顔をロンドンの商売仲間が見聞
きしたら、本当に驚いたことだろう。
「あそこにオウムがいる!」と、スクルージは叫んだ。
「草色の体に黄色い尻尾、頭のてっぺんからレタスのようなもの
をはやしていた。あそこにオウムがいるよ。かわいそうなロビン
ソー・クルーソー。彼が小船で島を一周して帰って来た時、その
オウムは呼びかけた。『かわいそうなロビンソー・クルーソー。
どこへ行って来たの、ロビンソー・クルーソー?』クルーソーは
夢を見ていたのだと思ったが、そうじゃなかった。オウムだった。
ご存知でしょ。あそこにフライデーが行く。小さな入江に向かっ
て、命からがら駆け出して行く、しっかり! おーい! しっか
り!」
それからスクルージは、いつもの性格とはまるで別人のように
急激な気の変りようで、昔の自分をあわれみながら「かわいそう
な子だな!」と、言った。そして、また涙があふれた。
「ああ、ああしてやればよかったな」と、スクルージはガウンの
袖で涙をふいてから、ポケットに手を突込んでどこを見るでもな
くつぶやいた。
「だが、もう遅いな」
「一体どうしたというんだね?」と、精霊が聞いた。
「何でもないんです」と、スクルージは言った。
「何でもないんです。昨日の夜、私の事務所の出入り口で、クリ
スマスキャロルを唄っていた子供がいたんです。何かやればよかっ
たと思ったんですよ。それだけのことです」
精霊は意味ありげに微笑した。そして「さあ、もっと他のクリ
スマスを見ようじゃないか」と、言いながら、その手を振った。
その言葉で一瞬に、昔のスクルージ少年の姿は成長していた。
そして、児童養護園の部屋は少し暗く、そして、とても汚くなっ
ていた。
床板は縮み上がって、窓のそばの壁には亀裂が入っていた。
天井からは漆喰の破片が落ちてきて、そこは下地
の木目が見えていた。しかし、どうしてこういうことになったか
ということは、皆さんには分らないのと同じように、スクルージ
にも分っていなかった。ただそれが、たしかに事実だったという
ことは、彼にも分っていた。
どんなことも、かつてそのとおりに起っていたのだ。
他の子供達が皆、楽しいクリスマスの休日をすごすために家へ
帰って行ったのに、ここでもまたスクルージ少年は一人残ってい
た。
今、スクルージ少年は読書をしていなかった。なぜかがっかり
したように落ち着きがなかった。
スクルージは精霊の方を見た。そして、悲しげに頭を振りなが
ら、心配そうに出入り口の方をじろりと見た。
その出入り口のドアが開いた。それから、スクルージ少年より
もずっと年下の少女が矢のように飛び込んで来た。そして、彼の
首のまわりに両腕を巻きつけて、何度も何度もキスしながら「お
兄ちゃん、お兄ちゃん」と、呼びかけた。
「ねえ、お兄ちゃん。私、お兄ちゃんのお迎いに来たのよ」と、
その小さな手を叩いたり、小首を傾けておじぎをするようにして
笑ったりしながら、その少女は言った。
「一緒に自宅へ帰るのよ。自宅へ! 自宅へ!」
「自宅へだって? ファン」と、スクルージ少年は聞いた。
「そうよ!」と、その少女は飛び跳ねて言った。
「自宅にいていいのよ。ずっと自宅へよ。お父さんもこれまでよ
りはずっとやさしくしてくれるの。それで、本当にもう自宅は天
国のようよ! この間の夜も、寝ようと思ったら、それはそれは
やさしくお話をしてくれたんだから。私も勇気を出して、もう一
度、お兄ちゃんが自宅へ帰って来てもいいかって聞いてみたのよ。
そしたら、お父さんは、ああ、帰って来させよう、だって。そし
て、お兄ちゃんのお迎いに来るように私を馬車へ乗せてくれたの
よ。だから、お兄ちゃんもいよいよ大人になるのね!」と、少女
は目を大きく見開きながら言った。
「そして、もう二度と、ここへ帰って来ないのよ。でも、その前
に私達はクリスマス中、一緒にいるのね。そうよ、世界中で一番
楽しいクリスマスをするのね」
「お前はもうすっかり大人だね、ファン!」と、スクルージ少年
は叫んだ。
少女は手を叩いて笑った。そして、スクルージ少年の頭に触ろ
うとしたが、あまりに小さかったので、また笑って爪先立ちしな
がら、やっと彼に抱きついた。それから彼女は、いかにも子供ら
しく一生懸命に彼を出入り口の方へ引っ張って行った。
スクルージ少年もウキウキしながら少女といっしょに出て行っ
た。
誰かが出入り口で、声を荒げていた。
「スクルージさんの荷物を運んで来い。そら!」
二人が広間に行くと児童養護園の園長が立っていた。
園長は、今まで見せたことのない恩着せがましい態度でスクルー
ジ少年を迎え入れた。そして、かたい握手をしてきたので、彼は
気味が悪く、寒気がした。
それから園長は、スクルージ少年とその妹とを、まるで古井戸
の底かと思うほど寒々しい客間へ連れて行った。そこには壁に地
図がかけてあり、窓のそばには天体儀と地球儀とが置いてあった。
その両方とも寒さで青白くなっていた。
ここで園長は、妙に軽いワインのデカンタと、妙に重い菓子の
ひとかけらとを持ち出して、スクルージ少年と妹に、それらのご
ちそうを一人分ずつ分け与えた。それと同時に馬車の御者の所へ
も「何か」の一杯を痩せこけた召使に持たせてやった。しかし、
御者は「それはありがとうございます。だけど、この前いただい
たのと同じお酒でしたら、もう結構でございます」と、受け取ら
なかった。
スクルージ少年の荷物はその時にはもう馬車の上にくくりつけ
られていたので、スクルージ少年と妹はただもう心から悦んで園
長に別れを告げた。そして、いそいそと馬車に乗り込んで、菜園
の中の曲がり道を笑い声をまき散らせながら走り去った。
回転の速い車輪は馬車から風をおこし、常緑樹の濃い葉を揺ら
してしぶきを飛ばし、霜だの雪だのをけ散らして行った。
「いつもひ弱な、ひと吹きの風にも枯れてしまいそうな子だった」
と、精霊は言った。
「だが、心は大きな子だよ!」
「そうでした」と、スクルージは肩を落とした。
「そのとおりです。私のただひとりの理解者でした精霊様。かけ
がえのない妹よ!」
「彼女は大人になって死んだ」と、精霊は言った。
「ただ、子供を残したんじゃないかい?」
「そう、一人の子を」と、スクルージは応えた。
「それが」と、精霊は言った。
「お前の甥だ!」
スクルージは顔をくもらせた。そして、そっけなく「そうです」
と、応えた。
精霊とスクルージが、児童養護園の門を出て来たその瞬間に、
ある都会のにぎやかな大通りに立っていた。
そこには大勢の人影がしきりに行き来していた。また、荷車や
馬車の物影も道を争っているようで、あらゆるリアルな都市の争
いと騒ぎがあった。
店の飾りつけで、ここもまたクリスマスの季節であることは、
あきらかに分っていた。
もう夕方なので、街路には外灯がともっていた。
精霊は、ある商店の出入り口に立ち止まった。そして、スクルー
ジにそれを知っているかと聞いた。
「知っているかですって!」と、スクルージは言った。
「私はここで見習い仕事をしていたことがあるんですよ」
精霊とスクルージは、その商店の中に入って行った。
ウェールズ人特有のウエリッシュウィッグを被ったかっぷくの
いい紳士が、あと二インチほど自分の身長が高かたら、きっと天
井に頭をぶつけただろうと思われるような、高さのある事務机の
向うに座っていた。その姿を一目見ると、スクルージは非常に興
奮して叫んだ。
「まあ、これはフェジウィッグ親方じゃないか! ああ! フェ
ジウィッグさんがよみがえった!」
フェジウィッグ親方はペンを下に置いて、時計を見上げた。
その時計は夜の七時を指していた。
フェジウィッグ親方は両手をこすった。そして、たっぷんたっ
ぷんしたお腹を隠すチョッキをきちんと整えた。彼は靴の先から
頭のてっぺんまで、貫禄のある体を揺さぶって笑った。それから、
気分よく、滑らかなはばのある声で愉快に呼びかけた。
「おい、ほら! エベネーザー! ディック!」
今は立派な青年の体つきになっていたスクルージ青年は、仲間
の見習いと一緒に、てきぱきと入って来た。
「ディック・ウィルキンスです、確に!」と、スクルージは精霊
に向いて言った。
「なるほどそうだ。あそこにいたんだ。彼はいつも私と一緒だっ
た。彼だ! 親愛なる友!」
「おい、息子達よ」と、フェジウィッグ親方は言った。
「今夜はもう仕事なんかおしまいだ。クリスマスだよ、ディック!
クリスマスだよ、エベネーザー! さあシャッターを閉めてくれ」
と、フェジウィッグ親方は両手を一つピシャリと鳴らしながら叫
んだ。
「さっさと店じまいしよう!」
皆さんはこれら二人の青年がどんなふうにそれをこなしたかを
話しても信じないだろう。
二人はシャッターの板を持って店の出入り口へ突進した。
一枚、二枚、三枚と、それらをはめるべき所へはめた。
四枚、五枚、六枚と、それらをはめて釘で止めた。
七枚、八枚、九枚。そして、皆さんが十二まで数える前に、競
馬の馬のように息を切らしながら、店の中へ戻って来た。
「さあ来た!」と、フェジウィッグ親方は驚くほど軽快に、高さ
のある事務机から跳ね降りながら叫んだ。
「ほら片づけた。息子達よ。ここに広々としたスペースを作るん
だよ。さあ来た、ディック! 元気を出せ、エベネーザー!」
片づけろだって!
それはフェジウィッグ親方の指示だから、ありとあらゆる物を
移動させても誰も文句は言えなかった。
まるでサーカス団の団長のようなフェジウィッグ親方の指図で、
それは一分間で出来てしまった。
移動することの出来る物は、ちょうど永久に公的労働から開放
されたように、ことごとく包んで片づけられてしまった。
フロアの床はホウキで掃いて水拭きされた。
ランプは芯を整えられた。
薪は暖炉の上に積み上げられた。
こうして商店は、冬の夜に誰もがこうしたいと望むような、こ
ざっぱりした暖かく、からっとした明るいダンスルームへと変っ
た。
一人のフィドル奏者が、手に楽譜の本を持って入って来た。そ
して、あの高さのある事務机の所へ上って、その前に演奏者を集
めた。
五十人も集った全員が、胃を悪くした患者かのように、ゲエゲ
エという音を立てて楽器の調子を合せ、オーケストラの準備をし
た。
フェジウィッグ親方の夫人らしい、かなり太った愛嬌のある女
性が入って来た。
三人のニコニコした可愛らしいフェジウィッグ親方の娘達が入っ
て来た。その三人に心を悩まされている六人の若者が続いて入っ
て来た。
この商店で働いている若い男性や女性もことごとく入って来た。
下働きをしている女性は、彼女のいとこのパン焼きの職人と一
緒に入って来た。
料理番の女性は、彼女の兄の特別の親友だという牛乳配達をし
ている男性と一緒に入って来た。
道路の向う側から来たという、父親から少しも食べさせてもら
えないらしい少年が、一軒置いて隣の家の下働きをしている女性
の後ろに隠れるようにしながら入って来た。(少年は母親に叱ら
れ耳を引っ張られたということが後で分かった)
一人また一人と、次から次へと皆が入って来た。
中にはきまり悪そうに入って来る者もいれば、威張って入って
来る者もいた。また、すんなりと入って来る者もいれば、不器用
に入って来る者もいた。それから、人を押して入って来る者もい
れば、人の手を引張って入って来る者もいた。
とにかくどうにかこうにかしてことごとく皆、入って来た。
たちまち彼らは二十組に分れてダンスを始めた。
部屋を半分回って、また他の通路から戻って来る。
部屋の真中を降りて行くかと思えばまた上って来る。
仲がよさそうなペアがたたみかけるようにぐるぐる回って行く。
先頭のペアはいつも間違った所でぐるりと曲って行った。
新たに先頭になったペアもそこへ到着すると、再び横へそれて
行った。
最後には先頭のペアばかりになって、彼らを助けるはずの最後
のペアが誰も後に続かないという始末だ。
こんな結果になった時、フェジウィッグ親方はダンスを終了さ
せるように両手を叩きながら、大きな声で「上出来!」と叫んだ。
すると、フィドル奏者は、特別に用意された冷や水のポットの中
へ暑くなった顔を突込んだ。しかし、そのポットから顔を出すと、
休んでなどいられるものかと言わんばかりに、まだダンスを誰も
しようとしていないのに、すぐにまた演奏を始めだした。
ちょうどもう一人のフィドル奏者が疲れ果ててシャッターの板
に乗せられて家へ連れ戻されたので、自分はそのフィドル奏者を
すっかり負かしてしまうか、そうでなければ自分が倒れるまでや
り抜こうと決心しているようだった。まるで生まれ変わった人間
でもあるかのように。
なおもダンスは続いた。また、罰のある遊びもあった。そして、
再びダンスが始まった。その合間にケーキ、ニーガス酒、素晴ら
しいコールドローストの焼肉、素晴らしいコールドボイルの煮物、
ミンチパイ、そして、ビールが沢山出された。しかし、この夜で
一番の注目を集めたのは、焼肉や煮物の出た後で、フィドル奏者
が「サー・ロージャー・ド・カヴァリー」を弾き始めた時に出た
のだ。(このフィドル奏者は気の利いた人なんです。まあお聴き
ください! 皆さんや私なんかが指示するまでもなく、ちゃんと
その場の空気を読んで、自分のやるべきことをすかさずやってし
まうんです!)
その演奏にのってフェッジウィッグ親方は夫人と手をつないで
踊り始めた。しかも、二人にとってはおあつらえむきのそうとう
テクニックのいるダンス曲で、先頭のペアをつとめようというの
だ。
二十三、四組のペアがその後に続いた。
いずれも踊りなれた者たちばかりだった。
ダンスが体にしみついて、歩くなどということは夢にも考えて
いない人達なのだ。しかし、彼らの人数が二倍だったとしても、
四倍だったとしても、フェッジウィッグ親方は立派に彼らに対抗
できただろう。その夫人にしても同様にだ。彼女は、相手の踊り
にぴったりと息を合わせることができたので、親方の相手として
ふさわしかった。これでもまだほめたりないなら、もっとよい言
葉を教えてもらいたいくらいだ。そしたら私はその言葉を使うよ
うにしよう。
フェッジウィッグ親方のふくらはぎからは本当に火花が出るよ
うに思われた。そのふくらはぎは、ダンスをしている間、月のよ
うに光っていた。
どんなに目をこらしていても、次の瞬間にそのふくらはぎがど
うなるか予言することは、誰にも出来なかったにちがいない。
フェッジウィッグ夫婦がダンスのすべてを踊りきった時、進ん
だり退いたり、両方の手を相手にかけたままおじぎをしたり、手
を取り合ってその下をくぐったり、男性の腕の下を女性がくぐっ
たり、そして、再びその位置に戻ったりして、ダンスのすべてを
踊りきった時、フェッジウィッグ親方は飛び上った。彼は足で羽
ばたいたかと思われたほど器用に飛び上った。そして、よろめき
もせずに再び着地した。
時計が十一時を知らせた時、この親友達のダンスパーティは終
了した。
フェッジウィッグ夫婦は出入り口の両側にそれぞれ立ち、身分
のわけへだてなく、男性が出て行けば男性に、女性が出て行けば
女性にというように、一人一人と握手を交して、クリスマスを喜
び合った。
二人の見習いを除いて、すべての人が帰ってしてしまった時、
フェッジウィッグ夫婦は、残った二人にも同じように喜びを分け
与えた。
こうして歓声が消え去ってしまった。そこで、二人の青年は自
分達のベッドに向かった。
ベッドは店の奥のカウンターの下にあった。
この間、スクルージはずっと心を奪われた人のように立ちつく
していた。その彼の心と魂とは、その光景の中に入り込んで、過
去の自分と一体になっていた。
スクルージは、なにもかも体験したとおりだと感じていた。な
にもかも想い出した。なにもかも満喫した。そして、何ともいえ
ない不思議な心の興奮を経験した。
スクルージ青年の姿とディックとの嬉しそうな顔が見えなくなっ
た時、始めて今のスクルージは精霊のことを思い出した。そして、
精霊が、その間ずっと頭上の光を非常に赤々と燃え立たせながら、
じっと自分を見つめているのに気がついた。
「たいしたことじゃないね」と、精霊は言った。
「あんなバカ者どもをあんなにありがたがらせるのは」
「たいしたことじゃないですって!」と、スクルージは聞き返し
た。
精霊は、二人の見習いの話し合いを聞いてみろと手招きして指
示した。
スクルージ青年とディックは、心のそこをうちあけてフェッジ
ウィッグ親方を褒めたたえていた。そして、スクルージ青年がそ
ういう話をした時、精霊は言った。
「だってねぇ! そうじゃないかい。あの男は、お前達人間の金
をほんの数ポンド費やしただけじゃないか。たかだか三ポンドか
四ポンドだろうね。それが、これほど称賛されるだけの金額かい」
「そんなことじゃありませんよ」と、スクルージは、精霊の言葉
に不満をもらした。
今のスクルージではなく、昔の彼がしゃべってでもいるように、
無意識にしゃべり始めた。
「精霊様、そんなことを言っているんじゃありませんよ。あの人
は私達を幸福にもまた不幸にもする力を持っています。私達の仕
事を軽くも、また重荷にも出来ます。楽しみにも、また苦しい仕
事にもする力を持っています。まあ、あの人の力が言葉づかいと
か態度だけだったとしてもです。ようするに、お金のやり繰りに
は値しない、小額の質素なことだったとしても、これだけ私達を
愉快な気分にしてくれるのです。精霊様にはたいしたことじゃな
いように思われるかもしれませんが、だからどうだというのです
か? あの人の与える幸福は、そのために全財産を費やしたほど
尊いものなのですよ」
スクルージは、精霊がちらとこちらを見たような気がして、口
を閉ざした。
「どうしたんだい?」と、精霊は聞いた。
「なに、特に何でもありませんよ」と、スクルージは応えた。
「でも、何かあったように思うけどね」と、精霊はしつこく聞い
た。
「いいえ」と、スクルージは言った。
「いいえ、私の商会の書記に、今、ちょっと一言か二言を言って
やることが出来たらと、そう思ったので、それだけですよ」
スクルージがこの希望を口にした時、昔の彼がランプの芯を引っ
込ませて眠りについた。そして、スクルージと精霊は、また並ん
で外に立っていた。
「私の時間はだんだん残り少なくなる」と、精霊は言った。
「さあ急ぐんだ!」
この言葉はスクルージに話しかけられたのでもなければ、また
外にいる誰かに言われたものでもなかった。しかし、たちまちそ
の効果を生じ、場所を移動した。そこには、別の時代のスクルー
ジの姿があった。
公園にいた昔のスクルージは前よりも歳をとっていた。彼は中
年の働き盛りの男性になっていたのだ。その彼の顔には、まだ今
のスクルージような、厳しく頑固な面影はなかったが、世の中で
生きてきた気苦労と貪欲な性格の兆しはすでにもう現われかけて
いた。その目には、何か獲物を狙っているような貪欲で、警戒心
の強い輝きがあった。そして、それは彼の心に根を張った欲情を
あらわにしていて、だんだん成長するその木(欲情の木)の影が
やがて落ちそうな場所を示していた。
昔のスクルージは一人ではなく、公園のベンチにドレスを着た
美しい娘が座り、彼はその側に座っていた。
その娘の目には涙があふれていた。その涙は過去のクリスマス
の精霊から発する光の中にきらめいていた。
「それは何でもないことですわ」と、彼女は静かに言った。
「貴方にとっては本当に何でもないことですわ。他の可愛いもの
が私にとって代っただけですもの。これから先、それがもし、私
が貴方のそばにいたら、私がしてあげようとしていたことと同じ
ように、貴方を励ましたり、なぐさめたりしてくれることが出来
れば、私が口をはさむ理由などありませんものね」
「私にどんな可愛いものがお前にとって代ったと言うんだ?」と、
昔のスクルージは問いただした。
「金色のもの」と、彼女はそっけなく応えた。
「それは世の中で生きていくうえで、正当に評価されるものだよ」
と、昔のスクルージは言った。
「貧乏ほど世の中でバカにされることは他にない。それでいて金
を得ようとする者ほど世の中から攻撃されることも他にはないん
だよ」
「貴方はあまりに世の中というものを怖がり過ぎよ」と、彼女は
優しくたしなめた。
「貴方に以前あった希望は、そういう世の中で耐え抜いていこう
とするあまりに、どこかに消え去ったのね。私は、貴方のかけが
えのない希望が打ち砕かれて、とうとう最後に拝金だけが貴方の
心を占領してしまうのをみてきました。そうじゃありませんか?」
「それがどうしたというんだ!」と、昔のスクルージは言い返し
た。
「仮に私が希望を失い、金に支配されたとして、それがどうだと
いうんだ? お前に対しては何も変わらないよ」
彼女は顔を横に振った。
「変っているとでも言うのかい?」と、昔のスクルージは聞いた。
「私達二人の約束はもう古いものです。二人とも貧しくて、それ
で、お互いに我慢して働いて、いつか二人の暮らしが良くなる日
が実現するまではと、それに満足していた時に、その約束は出来
たものです。それが貴方を変えました。その約束をした時は、貴
方は全然別の人でしたもの」と、彼女は応えた。
「私は成長したんだよ」と、昔のスクルージはじれったそうに言っ
た。
「貴方も心のどこかで、以前の貴方でないことは気づいているは
ずですわ」と、彼女は言い返した。
「私は変わらないし、そんな成長はしたくはありません。二人の
心がかよいあっていた時に、貴方は将来の幸福を約束してくれま
した。しかし、心がはなればなれになった今では、不幸が重荷に
なるばかりですわ。私はこれまで何度、またどんなに熱心にこの
ことを考えたか、それはもう言っても仕方のないこと。私はもう
疲れ果てたのです。だからもう私にできることは、貴方との縁を
切ってあげることぐらいです。貴方もそれがお望みでしょ?」
「私がこれまで一度でも、君との別れを求めたことがあるかい?」
と、昔のスクルージは聞いた。
「口ではね。いいえ、それはありませんわ」と、彼女は応えた。
「じゃ、どうして求めたというんだ?」と、昔のスクルージは聞
いた。
「貴方は性格が変わり、気持ちが変わり、生活の雰囲気がまるで
違ってきましたわ。貴方のその大きな目的のために希望まですべ
て変わってしまいました。貴方が感じていた私の愛情や共通の価
値観のすべてが変わったのです。この約束が二人の間にかつてな
かったとしたら」と、彼女は穏やかに、しかしじっくりと昔のス
クルージを見つめながら言った。
「貴方は今、私を探し出して、私の手を求めようとなさいますか?
ああ、そんなこと、絶対ないわ!」
昔のスクルージは、この推測の正しさに自分も納得して、一瞬、
動揺した。しかし、あえてその感情を抑えながら言った。
「お前の考えは間違っているよ」
「私も出来ることなら、そんな風に考えたくはないわ」と、彼女
は言った。
「それはもう神様だけがご存知です! 私が悟った時には、それ
がどんなに強く、そして抵抗できないか、そうに違いないかとい
うことを知ったのです。でも今日にしろ、明日にしろ、また昨日
にしても、貴方が仮りに自由の身になったとして、財産もない家
柄の娘を貴方がお選びになるということが、私に信じられますか?
他の女性と接する時も、貴方は、その人の家柄や財産を気にする
ようになっているのに。それとも、ほんの気まぐれで、貴方がそ
の唯一、支配されている拝金主義に背いて、その娘をお選びになっ
たとして、あとできっと悔やんだり、恥じたりするに違いないの
を、私が分からないとでもおっしゃるのですか? 私にはちゃん
と分かります。だから、貴方との縁を切ってあげます。それはも
う心から喜んで、以前の貴方に対する愛のために」
昔のスクルージは何かを言おうとした。しかし、彼女は彼に顔
をそむけたまま、なおも言葉を続けた。
「貴方にもこれは多少の苦痛かもしれませんね。これまでのこと
を思うと、私は本当にそうあって欲しいような気もします。しか
し、それもほんのわずかの間ですわ。わずかの間がすぎれば、貴
方はすぐにそんな思い出は、価値のない夢として、喜んで捨てて
おしまいになるでしょう。まあ、あんな悪夢から覚めてよかった
というように思って。どうか貴方のお選びになった生活で幸せに
暮して下さい!」
彼女は昔のスクルージの前を去った。こうして、二人は別れて
しまった。
「あんたはそうとう裕福になったみたいだね」と、精霊が言った。
「精霊様!」と、スクルージは言った。
「もう見せないで下さい! 自宅へ連れ戻して下さい。
そんなに精霊様は私を苦しめるのが面白いのですか?」
「なぜだね。あんたは裕福になって望みが叶ったんだろ。愛なん
てバカバカしいものはない。あんな娘と縁が切れてよかったんじゃ
ないのかね」と、精霊は言い返した。
「彼女は私のもとを去ったんです。こんなみじめな話はありませ
んよ」と、スクルージはうなだれて言った。
「裕福になったあんたに叶えられない望みはないだろう。あの娘
はわがままを言って去っていったんじゃないのか? それとも、
あんたにも叶えられない望みがあるのかい?」
「そりゃあ、いくらだってありますよ。お金はそんなに万能じゃ
ありませんから」と、スクルージは応えた。
「それじゃあ、あんたでも叶えられない娘の望みとやらはなんだっ
たのかね? もう一つ、残像を見せてやろう!」と、精霊は叫ん
だ。
「もう沢山です!」と、スクルージは叫んだ。
「もう沢山です。もう見たくありません。もう見せないで下さい!」
しかし、少しも容赦のない精霊は、両腕の中にスクルージをは
がいじめにして、無理矢理に別の時空間に連れて行った。
それは別の光景でもあれば別の場所でもあった。
そんなに広くもなく、きれいでもないが、住心地がよさそうな
部屋だった。
冬の暖炉のそばに一人の美しい若い婦人がイスに座っていた。
婦人の向かい側に彼女の娘が同じようにイスに座っていた。そ
の娘は、スクルージも同一人物だと思ったくらいに、前の場面に
出てきたあの娘とよく似ていた。
部屋の中の物音はすごく騒々しかった。というのは、スクルー
ジの目の前には、落ち着きのない、数えきれないほど大勢の子供
達がいたからだ。
あの有名な詩、ウォーヅウォースの「弥生に書かれたる」と題
する短編詩の羊の群とは違って、四十人の子供達が一人のように
振舞うのではなく、それぞれ一人の子供が四十人のようにはしゃ
いでいるのだからたまらない。だから、その結果は信じられない
ほどのにぎやかさだった。しかし、誰もそれを気にするようには
見えない。それどころか、婦人と娘は、ニコニコ笑いながら、そ
れを見てとても喜んでいた。そして、娘は間もなくその遊びに加
わった。というよりも、たちまち若い山賊達に娘は残酷に略奪さ
れてしまった。
「これがあの娘が望んでいたことなのかい?」と、精霊が言った。
「たしかにお金では買えそうにないが、それほどの価値があるの
かね」と、精霊は首をかしげた。
「精霊様には、この価値がお分かりにならないのですか?」と、
スクルージはあきれたように言った。
「私だったら、あの彼らの一人になったとしてもその娘を奪えな
かったでしょう。私なら絶対に、あんな乱暴なことはしませんね。
本当に絶対に。もし、世界中の宝物をくれるといっても、あのき
れいに編んだ髪をむしゃくしゃにしたり、ぐんぐん引っぱったり
はしないつもりです。それに、あの貴重な小さい靴も、私は近づ
くことはせず、それを脱がさなかったでしょう。この私の気持ち
を神様も分かっていらっしゃるでしょう! 私の人生を賭けても
いい。冗談でも彼らのような大胆な若い雛っ子達がやったように
娘の腰に抱きつくなんてことは、私にはまったく出来ないことで
すよ。そんなことをすれば、私はその罰として、私の腰の周りに
腕が生えてきて根のようになり、もう手を使うことはできなくな
るでしょうね」と、彼は息も切らさずに言い放った。しかし、本
当のことを言うと、彼は娘をわが子のように思い、キスをするこ
とを我慢できそうになかったのだ。
キスをするために、娘に言葉をかけてみたかったのだ。その伏
目がちな眼差しとまつげを見つめながら。それも平然と顔色も変
えずにだ。
娘の髪の毛に触れて、ゆるく波打たせてもみたかったのだ。そ
の1インチですら値段がつけられないほど貴重な記念品になるそ
の髪の毛に触れてみたいと思っていたのだ。
スクルージは、無邪気な子供の特権を利用しながらも、大人と
して、父親のように娘に好意をよせたかったのだ。それほどの価
値があるのだと精霊に告白した。
突然、出入り口のドアを叩く音が聞えた。すると、たちまち子
供達の突進がそれに続いて起こった。
娘はニコニコ笑いながら、めちゃくちゃにされたドレスを整え
ることもできず、活気のある騒々しい群れの真中に挟まれて、やっ
と父親の出迎えに間に合うように、出入り口の方へ連れられて行っ
た。
父親は、クリスマスのおもちゃやプレゼントを背負った男性の
ポーターを連れて戻って来たのである。
次には叫び声と殺到。そして、無防備のポーターに向って一斉
に突撃が試みられた。それからイスを脚立にして、そのポーター
の体によじ登りながら、彼のポケットに手を突込んだり、茶色の
包装紙をひったくったり、襟首にしがみついて抱き着いたり、背
中をポンポンと叩いたり、愛情のあまり我を忘れて思わず彼の足
を踏んづけたりしていた。
プレゼントの包装紙が開かれるたびに、驚きと喜びの叫び声で
それが迎えられた。
赤ちゃんが人形の持っていたフライパンを口に入れようとして
いるところを取り上げたり、木製の皿にノリ付けになっていたお
もちゃの七面鳥を飲み込んだと言い、そうかもしれないと大騒ぎ
になった。 ところが、これは空騒ぎだったと分って、やれやれ
とひと安心した。
喜びと感謝と幸福につつまれた。
子供達もようやく落ち着きをとりもどし、全員が力尽きたよう
だった。
次々に子供達は、その感動を残したまま客間を出て、ゆっくり
と階段を一段ずつ上がり、やっと家の最上階までたどり着いて、
それぞれのベッドに入ると、そのまま静まりかえった。
まだ起きている娘は、暖炉のそばのイスに座った父親に甘える
ように寄り添い、その横には母親も一緒にいた。
三人の幸せそうな姿をスクルージはうらやましそうに眺めてい
た。そして、あの時、別れた娘の希望を叶え、自分にも父親と慕っ
てくれる娘ができていたとしたら、一生のやつれ果てた冬の時代
に春の季節をもたらしてくれたかも知れないと思った時、彼の瞳
は本当にぼんやりとうるんできた。
「ベル」と、父親は微笑んで母親の方へ振り向きながら言った。
「今日の午後、お前の昔馴染に出会ったよ」
「誰ですか?」と、母親は聞いた。
「当ててごらん!」と、父親はじらした。
「そんなこと当てられるものですか。ああ、あなたったら、もう、
分りましたよ」と、父親が笑った時に母親も一緒になって笑いな
がら、ひときわ高い声で言った。
「スクルージさんでしょう!」
「そう、スクルージさんだよ。私はあの人の事務所の前を通った
んだ。窓が少し開いてたからなにげなく見たら、部屋の中にロウ
ソクがともっていて、あの人が見えたんだよ。以前よりも、もっ
と裕福になっているようだった。君は私のような貧乏人と一緒に
なって後悔していないかい?」と、父親は少し意地悪に聞いた。
「後悔なんてしていませんわ。あの人と一緒になっていたら、こ
んなに幸せな家庭はできなかったでしょうね。貴方が貧乏人ですっ
て? なに不自由なく生活させていただいているのに。貴方はお
金の使い方をよくご存知なのよ。この無理のないちょうどいい生
活をするのが私の望みでしたもの」と、母親は娘をみつめて幸せ
そうに言った。
「そうだったね。そうそう、あの人と共同経営者になっている人
が病気で死にそうになっていると聞いたよ。でも、あの人は平気
そうで、一人で部屋にいたけど、本当に独りぼっちになってしま
うんじゃないかな?」と、父親は心配そうにつぶやいた。
「精霊様!」と、スクルージはかすれた声で言った。
「どうか他の所へ連れて行って下さい」
「どうしたんだね?」と、精霊は不思議そうに聞いた。
「みじめなんです。たまらなくみじめで見ていられません」と、
スクルージは前で腕組みして、寒そうに体をすくめて言った。
「これはただ昔あったものの残像にすぎないと、私からあんたに
言っておいたじゃないか」と、精霊は言った。
「これがあんたの選んだ道だろ。あんたより彼らのほうがみじめ
な生活をしているんじゃないのかい?」
「どこかへ連れて行って下さい!」と、スクルージは叫んだ。
「私にはもう見ていられません!」
スクルージは精霊の方へ振り向いた。そして、精霊の周りに、
それまで彼が出会った、色々な人たちの顔が現れては消えている
ように見えた。
精霊はなにくわぬ顔をして、じっとスクルージを見つめていた。
そして、しばらくにらみ合った。
「そろそろ時間だ。あんたがどんなに後悔したって、過去は変え
られない。だけど、過去からしか学ぶことはできないよ。過去を
良くも悪くもするのはあんた自身なんだよ」と、精霊は言って、
スクルージに近づいた。
「もう説教は沢山だ!」と、スクルージは叫んだ。
その瞬間、精霊の頭の光が高く明るく輝き始めた。その光のま
ぶしさに耐えきれなくなったスクルージは、とっさに精霊の持っ
ていた「多くの者の欲望で出来ている」とされるキャップをつか
んだ。
精霊はそれを取り戻そうとしたのだが、スクルージは自分が襲
われると思い、精霊の頭にキャップを被せた。すると、精霊はそ
の下にヘラヘラと倒れた。そして、精霊はその中に吸い込まれる
ように体がすべて収まってしまった。
スクルージは全身の力をこめてそれを押さえつけていたけれど
も、光はそのまぶしさを失うことはなく、地面に洪水のように流
れ出していた。
「私を連れ戻して下さい。そして、精霊様はどこかへ行って下さ
い! もう二度と私の所へ出ないで下さい!」と、スクルージは
目を閉じて叫び続けた。
ふと気づくと、スクルージは元いた自分の部屋の寝室に戻って
いた。彼は自分の体が疲れ果てていることを意識していた。そし
て、睡魔に抵抗して打ち勝つこともできなかった。彼は、やっと
のことでベッドにたどりつき、同時にぐっすりと寝込んでしまっ
た。




