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新解釈・クリスマス・キャ ロル  作者: ヒロシマン
第一章 マーレーの亡霊
1/5

マーレーが現れた理由

 そもそもの発端は、ユダヤ人のマーレーが死んだことにある。

 この事実に疑問をはさむ余地はない。

 マーレーの埋葬の登録簿には、司祭も、書記も、葬儀屋も、ま

た、喪主で友人で仕事仲間でもあるユダヤ人のスクルージもそれ

に署名した。

 特にスクルージの名は、取引所において彼が署名すれば、いか

なる物に対しても十分に効力があった。


 年老いたマーレーはドアのクギのように死に果てた。


 もっとも、私はドアのクギに死のイメージがあると言っている

のではない。

 私はどちらかといえば棺のクギの方が死のイメージに近いと思

うのだが、マーレーは裕福で、その生を全うして安らかに死んだ。

だから悲愴感がまったくなかったので、ドアのクギというイメー

ジを否定することはできなかった。

 私がこれにいちいち反論することもないだろう。

 繰り返して言うが、年老いたマーレーはドアのクギのように完

全に生を全うした。


 ところで、スクルージは、マーレーが死んだことを理解してい

たのだろうか?


 もちろん、スクルージは理解している。この事実を受け入れよ

うとしていたのだ。


 スクルージとマーレーとはそんなに歳も離れておらず、何年と

も分らない長い歳月の間、商会の共同経営者だった。

 スクルージはマーレーの唯一の遺言執行人で、唯一の財産管理

人で、唯一の財産譲受人で、唯一の残余受遺者で、唯一の友人で、

また唯一の会葬者だった。ただし、スクルージは葬儀の当日、卓

越した商売人であることを忘れるような、それほどこの悲しい出

来事に気落ちはしていなかった。それは、不景気な世の中にもか

かわらず、荘厳な葬式をしたものの、その費用はとてつもない値

引き交渉をして安くすませたからだ。だから「マーレーが死んだ

ことを理解しているのだろうか?」と、疑いたくなるほど、普通

なら信じられない神経の持ち主だと誰もが思ったのだ。


 マーレーの荘厳な葬式の詳しいことまでは触れないが、とにか

く、マーレーが死んだという事実だけは理解してほしい。そうで

なければ、これからお話しすることは不思議でもなんでもなくなっ

てしまう。

 例えば、ハムレットのような芝居でも、死んだ父親が登場して

夜中に、東の風に乗って、自分がかつて城主をしていた城の城壁

の上をフラフラさまよい歩く姿は、それを観る者が父親が死んで

いるということを理解していなければ、普通のことで、面白くも

不思議でもないだろう。


 なぜこんな前置きをするかといえば、スクルージはマーレーの

名前をけっして塗り消さなかったからだ。

 その後何年も、マーレーの名は倉庫のドアの上にそのままになっ

ていた。ようするに社名が「スクルージ・エンド・マーレー」と

なっていたのだ。

 この商会はスクルージ・エンド・マーレーで知られていた。

 何も知らずこの商会へ入って来た人は、スクルージのことをス

クルージと呼んだり、時にはマーレーと呼んだりした。しかし、

彼は両方の名前に返事をした。

 スクルージにはどちらでも同じことだったのだ。だから、この

商会に出入りする人たちの間では、マーレーはまるで生きている

かのように思われていた。

 

 この商会の仕事、今となってはスクルージただ一人の仕事だが、

まるでハイエナのように弱っている者を見つけては、その足元を

見て、値打ちのある物を担保に、少しのお金を貸し、高い利息で

追い詰めて破綻させては、担保にした物を奪い取った。

 このことは誰もがよく知っていたのだが、不景気でどこからも

支援がない者は、ほんの少しの期間ならと、ついお金を借りてし

まうのだ。誰でもまさか自分が破綻するとは思わないものだ。

 スクルージは、小額の貸し金で手に入れた担保品を高く売って、

さらに儲け、富を独り占めにしたが、生活は質素で、買う物は少

なく、買う時でも必ず値切って、決して無駄遣いはしなかった。

 このような人物だから富を得る方法など他人に話すことはなく、

人付き合いも悪く、孤独な男となっていた。そして、その姿もス

クルージの心の中の冷気のせいか、彼の老いた顔つきを凍らせ、

そのとがった鼻をがさつかせ、そのほほをしわくちゃにして、歩

き方をぎこちなくさせた。また、目を血走らせ、薄い唇を青ざめ

させた。その上、彼の耳触りの悪いしわがれ声にも冷酷にあらわ

れていた。

 凍った霜は、スクルージの頭の上にも、眉毛にも、また針金の

ようにとがったあごにも降りつもっていた。そして、彼はいつも

低い温度を自分の身につけて持ち歩いているようだった。

 夏でさえスクルージの事務所を冷くした。そして、クリスマス

にも一度としてそれを打ち解けさせなかった。

 それもそのはずで、スクルージはユダヤ人だから、キリスト教

のクリスマスを祝う必要はなく、キリスト教徒の社会には一定の

距離をおいていた。


 外部の暑さも寒さもスクルージにはほとんど何の影響も与えな

かった。どんな暖気も彼を暖めることは出来ず、どんな寒空も彼

を冷えさせることは出来なかった。

 激しく吹く風よりもスクルージは厳しく、とめどなく降る雪よ

りも彼はその目的に対して一心不乱で、どんなにどしゃ降りの雨

よりも彼は容赦しなかった。

 険悪な天候もすべての点でスクルージをしのぐことはできなかっ

た。最も強い雨や、雪や、あられや、ひょうでさえも、ただ一つ

の点で彼より徹底したものはなかった。それは、これらのものは

時々、気前よく降って来た。だけど、彼が気前よくお金を払うと

いうことは絶対になかったからだ。


 誰かが道端でスクルージを呼びとめて、嬉しそうに微笑んで、

「スクルージさん、お元気ですか? どうか私のところへ寄って

行ってくれませんか?」などと声をかける者はなかった。

 ホームレスでさえスクルージに「お恵みを」と小銭をせがむこ

とはなく、子供たちも「今何時ですか?」と彼に聞くことなどな

かった。

 スクルージは、生まれて一度も誰かから「ここへはどう行けば

いいでしょうか?」と道を聞かれたことはなかった。

 盲目の人を補助している盲導犬もスクルージのことを知ってい

るらしく、彼がやって来るのが見えると、盲目の人を玄関の奥や

路地裏へ誘導したものだ。そして、盲導犬が喋るとしたら「目が

見えないのは不自由かもしれませんが、あの人のように悪い目を

持っているよりはましですよ。ご主人様」とでも言いたそうに尾

を振るのだった。

 だが、そんなことを気にするようなスクルージではない。それ

こそ彼の望むところだった。

 人情などは大きなお世話と突き放すように、人生の人ごみの中

を押し分けて進んで行くことが、老いてもなお元気なスクルージ

にとっては快感だった。


 そうした状況にあって、奇跡を目撃する日、クリスマスイブの

ことだ。

 スクルージは事務所のイスに座って忙しそうにしていた。

 霜枯れた、寒さが噛みつくような日だった。おまけに霧も多かっ

た。

 スクルージは、外の路地で、人々がフウフウと息を吐いたり、

胸に手を叩きつけたり、暖かくなるようにと思って敷石に足をば

たばた踏みつけたりしながら、あちらこちらに右往左往している

足音を耳にした。

 街の時計は方々でさっき三時の鐘を打ったばかりだったのに、

もうすっかり暗くなっていた。もっとも、一日中明るくはなかっ

たのだ。

 隣近所の事務所の窓からは、深く青ざめた空気の中に、手をか

ざしたくなるような、ロウソクの暖かい光がハタハタと揺れなが

ら燃えていた。

 霧はどんな隙間からも、鍵穴からも流れ込んで来た。そして、

この路地はごくごく狭い方だったのに、向う側の家並はただぼん

やり幻影の様に見えるぐらいに、外は霧が濃密だった。

 どんよりした雲が垂れ下がって来て、何から何まで覆い隠して

行くのを見ると、自然がつい近所に住んでいて、とほうもない大

きなかたまりの雲を吐き出しているんだと考える人がいるかもし

れない。


 スクルージの事務所内にあるドアは、その向こうの牢獄のよう

に陰気な小部屋で、沢山の手紙を写している書記のボブ(ボブは

ロバートの愛称)・クラチェットを見張るために開け放しになっ

ていた。

 スクルージのそばにある暖炉にはほんのわずかな火が燃えてい

た。それに比べ、ボブのそばにあるストーブの火は、もっともっ

と小さく、燃えカスの炭かと思えるくらいだった。しかし、ボブ

は、スクルージが石炭箱を始終、自分の部屋にしまって置いてい

たので、その石炭をいただくという勇気はなかった。

 もし、ボブがスコップをもって入って行けば、きっと御主人様

は「どうしても君(石炭)と僕とは別れなくちゃなるまいね」と

小言をされるのがおちだった。

 そのためボブは、首に白い毛糸のマフラーを巻きつけて、ロウ

ソクで暖まろうとした。

 ボブは想像力の強い人間ではなかったので、こんな骨折りを思

いつくぐらいしか、なすすべがなかった。


「メリークリスマスおめでとう、伯父さん!」と、ひときわ快活

な声が響いた。

 それはスクルージの妹の子で、りりしい青年に成長した甥の声

だった。彼は大急ぎで不意にスクルージのもとへやって来たので、

スクルージはこの声で始めて彼が来たことに気がついたぐらいだっ

た。


「何を、バカバカしい!」と、スクルージは言った。


 甥は霧と霜の中を駆け出して来たので体が暖まり、顔や手など

外から見える肌は真赤になっていた。

 スクルージの甥とは思えないぐらい、青年の顔は赤く美しく、

目は輝いて、ホウホウと白い息を吐いていた。


「クリスマスがバカバカしいですって、伯父さん!」と、スクルー

ジの甥は言った。

「まさかそうおっしゃってるんじゃないでしょうねえ?」


「そう言ったよ」と、スクルージは応えた。

「メリークリスマスおめでとうだって! ユダヤの血が流れてい

るお前が、めでたがる必要がどこにある? たいした金もないく

せに、めでたがる理由がどこにあるんだよ?」


 甥は世間的にはそうとう裕福なほうだが、スクルージと比べれ

ば、たいした金持ちには見えないらしい。


「おや、だったら」と、甥は快活に言葉を返した。

「キリスト教徒の社会で商売をさせてもらっている貴方が、陰気

臭くしていらっしゃる必要がどこにあるんです? たいそうなお

金をお持ちなのに、機嫌を悪くしていらっしゃる理由がどこにあ

るんですよ」


 スクルージはとっさに良い返事もできなかったので、また「何

を!」と言った。そして、その後から「バカバカしい」とつけた

した。


「伯父さん、そうプリプリしないで下さい」と、甥は言った。


「プリプリせずにいられるかい」と、スクルージは言い返した。

「こんなバカ者どもの世の中にいては。メリークリスマスおめで

とうだって! だがな、私はクリスマスそのものをバカバカしい

と言っているんじゃない。異教徒の祭りだ。勝手にやればいい。

私が言いたいのは、粗末なクリスマスに満足して、メリークリス

マスおめでとうがちゃんちゃらおかしいということだ! お前に

とっちゃクリスマスの時は一体何だ! 金もないのに出費をかさ

ねる時じゃないか。一つ余計に歳を取りながら、一つだって余計

に金持にはなれない時じゃないか。お前は商売の決算をして、そ

の中のどの口座を見ても丸一年の間、ずっと損ばかりしているこ

とを知る時じゃないか。そんなにクリスマスを祝いたいなら、一

年我慢して金を貯めて二年目に倍の金で祝えばいい。それでもた

りなきゃ三年、四年我慢すればいい。少し貯まればすぐに使う。

そんなことをしているからいつまでたっても貧乏から抜けられな

いんだよ。そのくせ、貧乏なのを金持ちのせいにし、わしらをね

たんで、隙あらば財産を奪おうとする。わしの思い通りにするこ

とが出来れば・・・」と、スクルージは憤然として言った。

「メリークリスマスおめでとうなんて言って回っているバカ者ど

もはどいつもこいつも、プディングの中へ一緒に煮込んで、心臓

ひいらぎの棒を突き通して、地面に埋めてやるんだがね。

是非そうしてやるとも!」


「伯父さん!言い過ぎだよ。私は伯父さんの財産なんて欲しいと

思いません」と、甥は反論しようとした。


「甥よ!」と、スクルージは厳格に言葉を続けた。

「お前はお前の流儀でクリスマスを祝えばいい。わしはわしの流

儀でこの日をすごさせてもらうよ」


「すごすですって!」と、甥は言葉を繰り返した。

「孤独になっていく一方じゃありませんか」


「ああ、それでいいさ。わしのことはほっといてもらいたいね」

と、スクルージは言った。

「クリスマスはすごくお前の役に立つだろうよ! これまでもす

ごくお前の役に立ったからねえ!」


「世の中には、私がそれから利益を得ようと思えば、得るチャン

スはあったでしょう。あえてそれをしなかったことがいくらもあ

りますよ。ユダヤの血が流れている私が、あえて言わせてもらい

ますが」と、甥は続けた。

「クリスマスもその一つですよ。だけど、私はいつもクリスマス

が来ると、その宗教的な名前や由来に対する異教徒の祭りとは離

れて、いや、クリスマスが意味することがどうだろうと、その宗

教的意味あいから切り離せないとしてもですよ。そもそも、ユダ

ヤ教の神もキリスト教の神もイスラム教の神も同一じゃありませ

んか。まあ、宗教から切り離せなくても、クリスマスの時期とい

うものはすばらしい時期だと思っているんですよ。誰もが親切に

なり、人を許す気持ちになり、慈悲の心があふれ、楽しい時期だ

と。男性も女性も一緒になって、閉じ切っていた心を自由に開い

て、自分達より年下の者も実際は一緒に墓場に旅行している道づ

れで、けっして他の旅路を目指して出かける別の人種ではないと

いうように考えます。一年という長い暦の中でも、私の知ってい

る唯一の時期だと思っているんですよ。ですから、ねえ伯父さん。

このクリスマスというものは私のポケットの中へ金貨や銀貨の切

れっぱし一つだって入れてくれたことがなくても、私をよくして

くれました。また、これから先もよくしてくれるものだと、私は

信じているんですよ。だから私は言うのです。ユダヤの神もクリ

スマスを祝福し給え! と」


 牢獄のような小部屋の中で、甥の話を聞いていた書記のボブ・

クラチェットは、無意識に拍手喝采をしていた。しかし、すぐに

我にかえって、気まずい空気になると思い、とっさに聞いていな

いフリをするため、ストーブの火を突っついて、最後に残ったあ

るかないかの火種を永久に掻き消してしまった。


「もう一度、拍手したらどうかね。君はその仕事さえ失って、ク

リスマスを祝うことになるだろうよ」と、スクルージはボブに向

かって言った。

「貴方様は、中々たいした雄弁家でいらっしゃるね。貴方様なら」

と、スクルージは甥の方へ振り向いて続けた。

「貴方様が政治家になり議会へお出にならないのは不思議だよ」


「そう八つ当たりしないで下さい、伯父さん。ぜひ来て見て下さ

い。私達の家で、皆と一緒に食事をしましょうよ」と、甥は言っ

た。


 スクルージは、甥に向かって「ユダヤの神に背くお前が地獄に

落ちたのを見たいものだ」とつぶやいた。実際に彼はそう言った。

彼はその言葉を始めから終わりまで、もらさずに言ってしまった。

そして、「(自分がお前の家へ行くよりは)先ずお前がそういう

怖ろしい目に遭っているのを見たいものだ」と言った。


「そんな。何故です?」と、スクルージの甥は寂しそうな顔で聞

いた。

「何故ですよ?」


「お前は、またなんでキリスト教徒の娘などと結婚なんぞしたの

だ?」と、スクルージは話題をかえた。


「彼女を愛したからです」と、甥は応えた。


「愛したからだと!」と、世の中におめでたいクリスマスよりも、

もっとバカバカしいものはこれ一つだと言わんばかりに、スクルー

ジはうなった。

「では、さようなら!」


「でも、伯父さん。貴方は結婚しない前だって一度も私の家に来

て下さったことはないじゃありませんか。何故今になってそれを

来て下さらない理由にするんですか?」と、甥は聞いた。


「さようなら」と、スクルージは言った。


「私は伯父さんに何もしてもらおうと思っていませんよ。彼女も

何も望んでいないのに、どうして二人は仲良く出来ないんですか?」

と、甥は聞いた。


「さようなら」と、スクルージは言った。


「伯父さんがそんなに頑固なのを見ると、私は心から悲しくなり

ますよ。私達はこれまでケンカをしたことは、少なくとも私が相

手になってしたことは一度だってありません。ですが、今度はク

リスマスをいい口実にして、仲直りをしてみようと思ったんです。

私は最後までクリスマス気分で陽気にやるつもりです。ですから、

メリークリスマスおめでとう、伯父さん!」と、甥はにこやかに

言った。


「さようなら」と、スクルージは言った。


「そして、新年おめでとう!」と、甥は言った。


「さようなら」と、スクルージは言った。


 スクルージの甥はこう言われても、一言も声を荒げるような言

葉は返さないでその部屋を出て行った。そして、彼は出入口のド

アの前で立ち止まって、小部屋にいるボブに「メリークリスマス

おめでとう! そして、新年おめでとう!」と、言って会釈した。

 ボブの体は冷えていたが、スクルージより暖かい心を持ってい

た。というのは、彼も微笑んで「メリークリスマスおめでとうご

ざいます! そして、新年おめでとうございます!」と、返事を

したからである。


「まだ一人いるわい」と、スクルージはボブの声を聞きつけてつ

ぶやいた。

「一週間に十五シリングもらって、女房と子供を養っている書記

の分際で、メリークリスマスおめでとうございますだなんて言っ

てやがる。わしは精神病院へでも退きこもりたいよ」


 この寒々とした商会の出入口は、スクルージの甥を送り出しな

がら、二人の他の男性を導き入れた。彼らは見るからに楽しそう

にした。そのどちらも、かっぷくのいい紳士だった。そして、今

は帽子を脱いで、スクルージの部屋に立っていた。

 二人の紳士は、それぞれが手に帳簿とメモ帳とを持って、スク

ルージに挨拶をした。


「こちらはスクルージ・エンド・マーレー商会でございますね?」

と、そのうちの一人が手に持った帳簿に照し合わせながら聞いた。

「失礼ながら貴方はスクルージさんでいらっしゃいますか、それ

ともマーレーさんでいらっしゃいますか?」


「マーレー君は死んでから七年になりますよ」と、スクルージは

応えた。

「七年前のちょうど今夜、亡くなったのです」


「それは失礼しました。もちろんマーレーさんの寛容なところは、

お仲間にも引き継がれているのでございましょうな」と、紳士は

紹介状を差出しながら言った。


 確かにその通りだった。というのは、スクルージとマーレーの

二人は似たような性格だったからである。

 寛容なところという気味の悪い言葉を聞いて、スクルージは眉

をひそめた。そして、首を横に振って紹介状を返した。


「今年のこのお祝いの季節に当たりまして、スクルージさん」と、

もう一人の紳士はペンを取り出しながら言った。

「今でも非常に苦しんでいる貧しい者達のために、多少なりとも

施しをするということは、常日頃よりもはるかに尊いことでござ

いますよ。何千人もが必需品に事欠いているのです。何十万人も

がありふれた生活の快適を欠いているのでございますよ、ご主人

様」


「公的な施設はないのですかね?」と、スクルージは聞いた。


「施設はいくらもありますよ」と、紳士は持っていたペンをメモ

帳に置きながら言った。


「それに共立救貧院は?」と、スクルージはたたみかけて質問し

た。

「あれは今でもやっていますか?」


「やっております。今でも」と、紳士は返答した。

「やっていないと申上げられるとよいのですがね」


「公共事業や救貧法も十分に活用されていますか?」と、スクルー

ジは質問した。


「両方とも盛に活動していますよ」と、紳士は返答した。


「おお! 私はまた貴方達が最初に言われた言葉からして、何か

そういうものの有益な運用を阻害するようなことが起こったので

はないかと心配しましたよ」と、スクルージは言った。

「それを聞いてすっかり安心しました」


「そういうものではとてもこの多数の人に対してキリスト教徒ら

しい心身への救済を供給することが出来ていないという印象でご

ざいます」と、紳士は話した。

「私達、数人の者が貧民のために肉なり、飲料なり、燃料なりを

買えるように資金を募集しようと努力しているのでございます。

私達がこの時期を選んだのは、それが特に、貧乏が痛感されてい

るとともに、裕福な方々が喜び楽しんでおいでの時だからでござ

います。ご寄付はいくらといたしましょうか?」


「ない」と、スクルージは言った。


「匿名がお望みで?」と、紳士は聞いた。


「いや、私はほっといてもらいたいのだ」と、スクルージは応え

た。

「何が望みだとお聞きになるから、こう応えたのです。私は自分

でもクリスマスを愉快にすごしてはいない。ですから、堕落した

者を愉快にしてやる義理はない。そもそも、私は多額の税金を払っ

て、今挙げたような公的な施設の維持を助けている。それだけで

も随分かかりますよ。生活がやっていけない者は政府が面倒をみ

ればいいのさ」


「多くの者がそこへ(行こうと思っても)行かれません。また多

くの者は(そんな所へ行く位なら)いっそ死んだ方がましだと思っ

ておりましょう」と、紳士は言った。


「いっそ死んだ方がましなら」と、スクルージは言った。

「そうした方がいい。そして、過剰な人口を減らす方がいいです

よ。それに、失礼ですが、そういう事実は見たことも聞いたこと

もありませんね」


「しかし、ご存知のはずですが」と、紳士は言った。


「いや、知らないし、そんなことは政府に任せればいいさ」と、

スクルージは応えた。

「人間は自分の仕事さえそつなくこなしてればいいんです。他人

の仕事に干渉することはない。私は自分の仕事で年中暇なしです

よ。さようなら、お二人さん!」


 二人の紳士は、自分達の主張を押して説明したところで、時間

の無駄だと思えたので、部屋を後にした。

 スクルージは急に自分が偉くなったように感じながら、いつも

の彼よりはずっと気軽な気持で、再び仕事にとりかかった。


 その間にも霧と闇とはいよいよ深くなったので、人々は馬車を

引く馬の前に立って、その馬車を案内する仕事が欲しいと客引き

しながら、ユラユラと燃えるトーチを持って歩きまわった。

 年数を経た教会の塔にある、そのしわがれ声の古い鐘は、いつ

も壁の中のゴシック調の窓からさめた顔をしてスクルージを見下

ろしていた。しかし、その塔も見えなくなった。そして、雲の中

で、あの高い所にある、あの凍った頭の中で歯ががちがち噛み合っ

てでもいるように、後に余韻をのこして、一時間間隔、十五分間

隔の鐘を打った。


 寒さはいよいよ厳しくなった。

 大通りでは、路地の隅で、二、三人の労働者がガス管の修理を

していた。そして、火鉢の中に火を沢山燃やしていて、その周囲

にぼろを着た男達と子供達の一団が夢中になって手を暖めたり、

炎の前で目を煙たそうに細めながら群がっていた。

 水道の栓は一人ほっておかれたので、その溢れ出る水は急に凍っ

て、世をいみ嫌うような氷になってしまった。

 ヒイラギの小枝や果物がぶら下げられた店々。その窓か

らもれるランプの熱に、パチパチと弾けている明るさは、通りが

かりの人々の蒼い顔を赤く染めた。

 鶏肉屋だの食料品屋だのの商売は素晴らしい風景になってしまっ

た。というのも、取引とか売買とかいうような面白くもない原則

をどがいしにして、これと何かの関係があるとは到底思えないよ

うな、華やかなデコレーションをしていたのである。

 市長は堂々とした官邸の城砦の中で、何十人というコックと執

事とに、市長として恥ずかしくないようなクリスマスの用意をす

るように命じた。また、前週の月曜日、酒に酔って流血事件を起

こしたということで、市長から五シリングの罰金に処せられたつ

まらない仕立屋ですら、痩せた女房が赤ちゃんを抱いて、牛肉を

買いに駆け出して行った間に、屋根裏の部屋で明日のプディング

をかき回していた。


 いよいよ霧は深く、寒さも加わってきた。

 突き刺すような、身にしみるような、厳しい寒さだった。

 聖ダンスタンがいつもの武器を使う代りに、こんな天気でひと

なでして、悪魔の鼻をちょいと刺したら、その時こそ実際、悪魔

は大声をあげて気力を鼓舞しただろう。

 骨が犬に咬まれるように、飢えた寒さに咬みつかれ、鼻をモグ

モグとかじられた一人の貧しい少年が、スクルージの事務所にた

どりつき、出入り口のドアの鍵穴から覗き込んで、クリスマスキャ

ロルをスクルージに贈ろうとした。


「神は貴方がたを祝福する。愉快そうな紳士方よ、貴方がたを不

安にさせる者は一つとしてない!」と、少年が最初の歌詞を唄い

だしたとたんに、スクルージは非常に猛烈な勢いで定規を取り上

げた。そのため、少年は恐れて、その鍵穴を残したまま、霧の中

へ、そのまた向うの霜の中へと逃げ出した。


 とうとう事務所を閉じる時間がやって来た。

 いやいやながらスクルージは、そのイスから降りて、牢獄の中

で待ち構えていたボブ・クラチェットに、黙ってその事実を認め

た。

 ボブはすぐにロウソクを消して帽子をかぶった。


「明日は丸一日休みが欲しいんだろうね?」と、スクルージは聞

いた。


「ご都合がよろしければ、ご主人様」と、ボブは応えた。


「都合はよろしくないさ」と、スクルージは言った。

「また公平なことでもないさ。で、そのために半クラウンを報酬

から差引こうと言い出したら、君はひどいめに遭ったと思うだろ

うね。きっとそうだろうな!」


 ボブはひきつった顔で笑った。


「しかもだ」と、スクルージは言った。

「君の方じゃ仕事もしないのに、一日分の報酬を払わせられるわ

しをひどいめに遭わせたとは考えないんだ」


「一年にたった一度のことです」と、ボブは言った。


「毎年十二月二十五日に、人のポケットの物をかすめ取るにしちゃ、

まずい言い訳だ」と、スクルージは立派なコートの襟までボタン

をかけながら言った。

「だが、どうしたって丸一日休まずにはおかないのだろう。次の

日の朝はその代りに、よけいに早く出て来るんだぞ」


 ボブはそうすることを約束した。

 スクルージは、まだブツブツ言いながら出て行った。

 事務所は瞬く間に閉じられてしまった。そして、ボブは白い毛

糸のマフラーの長い両端を腰の下でブラブラさせながら、(とい

うのは彼はコートを持っていなかったからだ)外にいた子供達の

列の端に加わり、コーンヒルの大通りの氷った滑りやすい道の上

を何度も往復する遊びを楽しんだ。それからクリスマスイブのう

ちに、自分の家族と目隠し遊びをしようと思って、全速力でカム

デン・タウンの自宅へ駆け出して行った。


 スクルージは、行きつけの陰気な居酒屋で、陰気な食事を済ま

せた。

 そこにあった新聞をすっかり読んでしまって、あとは退屈しの

ぎに銀行の通帳をいじくっていたが、やがて眠るために自宅に帰っ

た。

 スクルージは、七年前に死んだ仲間のマーレーが所有していた

ビルの部屋に住んでいた。それは、中庭の突き当りの陰気な一棟

のビルの中にある。その二階の薄暗い一つのフロアを独占して自

宅としていた。

 このビルは、まるで少年の頃に他のビルたちと一緒に隠れん坊

の遊びをしながら、そこへ走り込んだまま、元の出入り口を忘れ

てしまったものに違いないと想像せずにはいられなかったほど、

ここにある必要のないものだった。

 今はすっかり古びて、かなり物凄いものになっていた。

 なにしろ他の部屋は全部、事務所に貸してあって、スクルージ

の他には誰も住んでいないのだから。

 中庭は真暗で、そこにある石の一つ一つをも知っているはずの

スクルージですら、やむを得ず手探りで入って行ったぐらいだっ

た。

 霧と霜とは、そのビルの真黒な古い出入り口の辺りにまごまご

していたが、ちょうどそれは、天気の神がじっと悲しげに考え込

みながら、座って瞑想しているかと思われるくらいだった。


 ところで、出入り口のドアにあるノッカーは、それは非常に大

きなものだったというほかに、さして特徴はなかった。

 それは事実だ。また、スクルージがそこに住んでいる間、朝夕

にそれを見ていたということも事実だ。そして、スクルージがロ

ンドン市民の誰とも、市の行政団体、市参事会、組合員などをひっ

くるめても。ひっくるめてもというのは少し大胆だが、ロンドン

市中の誰とも同じように、いわゆる想像力というものをあまり持っ

ていなかったということも事実そのとおりだ。

 スクルージが、この日の午後、七年前に死んだ仲間のマーレー

のことを口にしたっきりで、それ以降、少しもマーレーのことに

は思いをはせなかったということも心にとめておいてほしい。そ

うした上で、スクルージが、出入り口のドアの鍵穴に鍵を押し込

んでから、それがいつの間にどうして変ったということもないの

に、そのノッカーがノッカーには見えないで、マーレーの顔に見

えたということは、一体どうしたことだろうか?

 それを説明の出来る人がいたら、誰でもいいから説明してもら

いたい。


 マーレーの顔。

 それは中庭に点在する他の物体のように、判別できない闇の中

にあるのではなく、深海の岩と岩の真暗な隙間の中にいる発光す

るエビのように、気味の悪い光を身の周りに持っていた。

 それは怒ってもいなければ、恐ろしい顔でもない。

 その昔、マーレーが物を見る時のしぐさとそっくりの顔つきを

して、ようするにその深いしわのある額に古びたメガネをおし上

げて、じっとスクルージを見ていた。

 髪の毛は息か、熱した空気でも吹きかけられているように、奇

妙に動いていた。そして、目はパッチリと開いていたが、まるで

動かなかった。

 その目と、どす黒い顔の色とは、その顔をぞっとさせるような

気味の悪いものにした。しかし、その顔の気味悪さは顔とは全然

無関係で、顔の表情の一部分というよりも、むしろ全体の雰囲気

がかもしだしているように思われた。


 スクルージがこの現象を目をこらして見ると、それはまた一つ

のノッカーに戻っていた。


 スクルージはドキッともしなかった。そもそも彼の血は、幼い

時から恐ろしいというような感じは知らないで育ってきた。しか

し、今もその恐怖を意識しなかったなどと言えば、それは嘘にな

る。彼はいったん放した鍵に手をかけ、鍵穴に押し込んで、しっ

かりとドアノブを回した。それから中へ入ってロウソクに火をと

もした。


 スクルージは、ドアを閉める前に、ちょっとためらって手を止

めた。そして、廊下の方から、マーレーの後ろ髪が突き出してい

るのが見えて脅かされるかもしれないと、半分それを待ちかまえ

ているように、先ず、そのドアの背後を用心深く見回した。しか

し、そのドアの裏には、ノッカーを留めてあったネジとナットと

の他には何もなかった。

 拍子抜けしたスクルージは、ブツブツ言いながら、そのドアを

バタンと閉めた。


 その音は雷鳴のようにビルの中に響き渡った。

 階上のどの部屋も、ワイン商の借りている地下の穴ぐらの中の

どの樽も、それぞれ特有の反響を立てて高鳴りをしたように思わ

れた。

 スクルージは、反響などにおびえるような男ではなかった。彼

はしっかり戸締りをして、廊下を横切って、階段を上って行った。

しかも、歩いている間にロウソクの芯を整えながらゆっくりと。


 皆さんは、古い階段を六頭立ての馬車が走って駆け上がるとか、

または、新に議会を通過した法令がひどく悪いものだったら平気

で認めることができるだろうか?

 もっとも、階段の上に霊柩車を引き上げようと思えば出来るこ

とは、私や皆さんでも理解できるだろう。

 例えば、壁の方に横木を置いて、手すりの方にドアを向けて、

霊柩車を横にして引き上げることが出来るぐらいの階段の広さは

十分にあって、まだ余裕さえあった。

 だからスクルージが薄暗がりの中で、自分の目の前の階段を霊

柩車が上って行くのを見たように思っても不思議ではないかもし

れない。

 街の方から五、六本のガス灯の光が射しても、このビルの中ま

で十分に照らすことはできない。それだから、スクルージのロウ

ソクだけではかなり暗かったことは、誰にでも想像がつくだろう。

 スクルージは、そんなことには少しもかまわずに、階段を上っ

て行った。

 暗闇だって心地良い。そして、スクルージはそれが好きだった。

ただし、彼は自分の部屋の重いドアを閉める前に、何事もなかっ

たか確かめようとして、他の各部屋を通り抜けた。彼もそうした

くなるくらいには、ノッカーがマーレーの顔に見えたことは、十

分に影響していた。


 居間、寝室、物置。

 すべてでどこも変わった様子はなかった。

 テーブルの下にも、ソファの下にも、誰もいなかった。

 時々、やって来る家政婦がそのままにしていたのか、暖炉には

少しばかりの火が残っていた。

 スプーンも皿も用意してあった。

 家政婦が作ったお粥(スクルージは鼻風邪をひいていた)の小

鍋は暖炉の横の棚の上にあった。

 もう一人、たまに掃除や洗濯物を洗ってくれる女性が出入りし

ているのだが、その姿もなかった。

 ベッドの下にも、誰もいなかった。

 クローゼットの中にも誰もいなかった。

 パジャマはだらしなく壁にかかっていたが、そちらにも誰もい

なかった。

 別の物置も普段の通りだった。そこには、古い暖炉のフタと、

古靴と、二個のカゴと、三脚の洗面台と、火かき棒があるだけだっ

た。


 すっかり安心して、スクルージはドアを閉めて、上の鍵をかけ

た。それに下の鍵もかけた。それは彼の習慣ではなかった。とい

うのも、彼は、無駄遣いをすることがないので、部屋に盗まれて

困るような貴重な物は何一つなかったからだ。

 こうして先ず、何者かに不意打ちをくう恐れをなくしておいて、

スクルージはネクタイを外した。それから、パジャマを着てスリッ

パをはいて、ナイトキャップをかぶった。そして、お粥を食べよ

うとして暖炉の前にあるイスに座った。

 暖炉の火はとても小さくなっていた。

 こんな厳寒の晩では、ないのと同じようなものだった。

 スクルージは、無意識にその火の近くへイスを近づけて座り、

長い間、その火でなんとか体を暖めようとした。そうしなければ、

こんなわずかな火では、暖かいというほんのわずかな感じでも引

き出すことは出来なかったのだ。


 暖炉はずっと以前に、オランダのある商人が造らせた古い物で、

周囲には聖書の中の物語を絵柄にした風変りなオランダのタイル

が敷き詰めてあった。

 カインやアベルやパロの娘達やシバの女王、羽布団のような雲

に乗って空から降ってくる天の使者やアブラハムやベルシャザア

や舟に乗って海に出て行こうとしている使者達や何百人というキ

リスト教徒の心をひきつける人物がそこに描かれていた。

 スクルージのようなユダヤ教徒は偶像崇拝をしないのだが、彼

は改修するお金を惜しんでそのままにしていた。

 その絵柄の中に、七年前に死んだマーレーのあの顔が古えの予

言者の杖のように現れてきて、総ての人物を丸呑みにしてしまっ

た。

 もしこの滑らかなタイルが、いずれも最初は白い無地で出来て

いて、そのバラバラの断片の表にスクルージが想像した何かの絵

を描く力を持っていたとしたら、どのタイルにも老いたマーレー

の頭が写し出されたことだろう。


「バカな!」と、スクルージは言った。そして、部屋の中をあち

らこちらと歩いた。


 五、六回、往ったり来たりした後で、スクルージはまたイスに

座った。彼がイスの背に頭をもたれかけた時、ふと一つの呼び鈴

が目にとまった。それは、この部屋の天井近くの隅にかかってい

て、今は忘れられたある目的のために、このビルの最上階にある

一つの部屋からロープを引けば鳴るようになっていた。

 この頃は使われなくなった呼び鈴だった。その呼び鈴をスクルー

ジが見て間もなく、ゆらゆらと揺れだしたので、彼は非常に驚い

た。それどころか、不思議な何ともいえない恐怖に襲われた。

 最初は、ほとんど音も立てないほど、とてもゆっくりと揺れて

いた。しかし、次第に高く鳴り出した。そして、他の部屋にある

どの鈴も皆同じように鳴り出した。


 これが続いたのは三十秒か一分位のものだったろう。だけど、

スクルージには一時間も続いたように思われた。

 呼び鈴などは鳴り出した時と同じく、一斉に鳴り止んだ。その

後、階下のずっと下の方で、チャラン、チャランという、ちょう

ど誰かがワイン商の穴ぐらの中にある酒樽の上を重い鎖でもひき

づっているような音が続いた。

 その時、スクルージは「亡霊に取り付かれた屋敷では、亡霊が

鎖をひきづっているものだ」と、言われたのを聞いたことがある

ように思い出した。


 ワイン商の穴ぐらのドアは、ブンとうなって開いた。

 その後、スクルージには、前よりも高くなったその物音が階下

の床で鳴っているように聴こえた。それから階段を上がり、まっ

すぐに、この部屋のドアの前の方へやって来るのを聴いた。


「またバカな真似をしてやがる!」と、スクルージは言った。彼

は家政婦か洗濯をしに来る女性がいたずらをしているぐらいに思

いたかった。しかし、それと同時にマーレーの顔が頭をよぎった。

「誰がそれを本気にするものか」


 スクルージはそう言ったものの、突然、それが重いドアを通り

抜けて部屋の中へ、しかも、彼の目の前まで入り込んで来た時に

は、彼も顔色が変った。

 それが入って来た瞬間に、消えかかっていたロウソクの炎が、

あたかも「私は彼を知っている! マーレーの亡霊だ!」とでも

叫ぶように、ボッと燃え上がって、また暗くなった。


 同じ顔、紛れもない同じ顔だった。

 長い後ろ髪を束ねてまとめ、いつものチョッキ、タイツ、それ

にブーツをはいたマーレーだった。

 ブーツに付いたふさは、後ろ髪や上着のすそや髪の毛と同じよ

うに逆立っていた。

 亡霊の引きずって来た鎖は、腰の周りに巻きつけられていた。

それは長く、ちょうどシッポのように、彼の足元にも垂れ下がっ

ていた。

 スクルージは詳細に亡霊を観察した。

 鉄の鎖には金庫や鍵や南京錠や台帳や証券や鉄で細工をした重

い財布が取り付けてあり、鎖が体から外れないように縛る役目を

していた。

 亡霊の体は透き通っていた。そのため、スクルージは、亡霊を

観察して、チョッキが透すけて上着の背後についている二つのボ

タンを見ることができたぐらいだった。


 スクルージは、生前のマーレーが「お腹がすいたことがない」

と、言っていたのを度々聞いたことがあった。しかし、今までは

けっしてそれを本当にしていなかった。いや、今でもそれを本当

にはしなかった。彼は、亡霊をしげしげと見て、それが自分の前

に立っているのだと受け入れてはいた。また、その死のように冷

い目が、人をゾッとさせるような影響を感じてはいた。そして、

頭からあごへかけて巻きつけていた折りたたんだハンカチの布目

に気がついていた。まあ、こんな物を生前にマーレーが巻きつけ

ているのを彼は見たことがなかったのだが。それらが目の前にあ

るとしても、まだ彼は認めることができなくて、自分と自分の感

覚を疑おうとした。


 亡霊は、頭からあごへかけて巻きつけていたハンカチが、口を

動かせなくしていたので、結び目をほどいた。すると、ほどきす

ぎて、その下の皮膚が腐敗していたのか、あごがだらりと胸のあ

たりまで落ちた。

 その時のスクルージを襲った恐怖はどんなに大きかったことだ

ろう。

 亡霊は、あごをつかむと、あるべき場所にはめて、ハンカチを

調節して結び、口を動かしてみた。


「どうしたね!」と、スクルージは平常心をよそおい、皮肉をこ

めて冷淡に言った。

「何か私に用があるのかね?」


「沢山あるよ」と、言った声は、間違いなくマーレーの声だった。


「貴方は誰ですか?」と、スクルージは聞いた。


「誰だったかと聞いてほしいね」と、亡霊は言い返した。


「じゃ、貴方は誰だったのですか?」と、スクルージは声を高め

て言った。そして、彼は「亡霊にしては、いやにこまかいね」と、

言った。もちろん、スクルージが亡霊について詳しいわけではな

い。本当は「些細なことまで」と言おうとしたのだが、比喩的な

言葉としてこの方がふさわしいと思って言い換えたのだ。


「生存中、私は貴方の仲間、ジェイコブ・マーレーだったよ」と、

マーレーの亡霊は応えた。


「貴方は・・・。貴方はイスに座れるかね?」と、スクルージは

どうかなと思うように相手を見ながら聞いた。


「出来るよ」と、マーレーの亡霊は応えた。


「じゃ、座ろうじゃないか」と、スクルージは言って、恐る恐る

イスに座った。


 スクルージがこんな質問をしたのは、冷静に考えて、透明な亡

霊でもイスに座れるものかどうか、彼には分らなかったからだ。

そして、それが出来ないという場合には、亡霊も面倒な言い訳を

するのか知りたかったのである。ところが、マーレーの亡霊は、

そんなことには馴れきっているというように、暖炉近くにあった

イスを触ることもなく移動させて、スクルージのイスに対面する

位置に止めると、平然とそのイスに座った。


「お前は私を信じていないね」と、マーレーの亡霊は言った。


「信じないさ」と、スクルージは言い返した。


「私の存在については、お前の感覚以上にどんな証拠があると思っ

ているのかね?」と、マーレーの亡霊は聞いた。


「私には分らないよ」と、スクルージは応えた。


「じゃ、何だって自分の感覚を疑うんだい?」と、マーレーの亡

霊は聞いた。


「それは」と、スクルージは言って続けた。

「些細な事が感覚には影響するものだからね。胃の調子が少し狂っ

ても感覚を詐欺師にしてしまうよ。お前さんは消化しきれなかっ

た牛肉の残りかも知れない。カラシの一粒か、チーズの残りか、

生煮えのイモの砕片ぐらいの物かも知れないね。お前さんが何で

あろうと、お前さんには墓場よりもスープの味わいがあると思う

のさ」


 スクルージは、あまり冗談など言う男ではなかった。またこの

時、心の中はけっしてふざける気持になってもいなかった。実を

いえば、彼はただ自分の心を紛らわしたり、恐怖を鎮めたりする

手段として、気のきいたことでも言ってみようとしたのだった。

それというのも、マーレーの亡霊の声が心底、彼を動揺させたか

らだ。


 一秒でも黙って、この微動だにしない、どんよりと生気のない

マーレーの亡霊の目を見つめて座っていようものなら、それこそ

自分の生命に関わりそうに、スクルージは感じた。それに、マー

レーの亡霊が辺りを地獄のような気配にしていることにも、何か

しら非常に恐ろしい気がした。

 スクルージは、自分が直接その気配を感じたのではなかった。

しかしそれは、あきらかに事実だった。というのは、マーレーの

亡霊はぜんぜん身動きもしないでイスに座っていたけれど、その

髪の毛や衣服のすそやブーツの紐が、オーブンから昇る熱気にで

も吹かれているように、フワフワと浮いて始終動いていたからだ。


「このスプーンは見えているかい?」と、スクルージは言って、

手に持ったスプーンを自分から遠ざけ、今あげたような理由から、

早速、開き直りながら突撃してみた。また、それには、ただの一

秒でもよいから、マーレーの亡霊の石のような凝視をよそへそら

したいとの願望もあった。


「見えるよ」と、スクルージを見たままマーレーの亡霊が応えた。


「スプーンの方を見ていないじゃないか」と、スクルージは言っ

た。


「でも、見えるんだよ」と、マーレーの亡霊は言った。

「見ていなくてもね」


「なるほど!」と、スクルージはあることをひらめいた。

「私はただこれを丸呑みにしさえすればいいんだ。そして、一生

の間、自分で作りだした化物の群れに始終いじめられてりゃ世話

はないや。バカバカしい、本当にバカバカしいわい!」


 これを聞いたマーレーの亡霊は、怖ろしい叫び声をあげた。そ

して、ものすごくゾッとするような物音を立てて、体中の鎖をゆ

さぶった。

 スクルージは気絶しそうになり、しっかりとイスにしがみつい

た。そして、彼は無意識にひざまづいて、顔の前に両手を合せた。


「助けてくだい!」と、スクルージは言った。

「恐ろしい亡霊様、どうして貴方は私をお苦しめになるのですか?」


「世の中を見ようともしない、欲深い奴だ」と、マーレーの亡霊

は怒鳴った。

「お前は私を信じるか? どうだ!」


「信じます」と、スクルージは言った。

「信じないではいられません。ですが、どうして亡霊が出るので

すか? それに、何だって私のもとへやって来るのですか?」


「誰しも人間というものは」と、マーレーの亡霊は話し始めた。

「自分の中にある魂を、世の中で同士の精神と通わせて、あちら

こちらへと常に旅行させなければならない。もしその魂が生きて

いるうちに閉じ込めて通わせなければ、死んでからそうするよう

に定められているのだ。そのため、世界中をさまよわなければな

らない。ああ、悲しいことだ! そして、この世にいたら共有す

ることも出来たろうし、幸福にしてやることも出来たろうが、今

は自分が共有することの出来ない事柄を目撃するように、その魂

は運命を定められているのだよ。幸い、私はお前が、お前にして

は荘厳な葬儀をしてくれたので、お前に会う最後のチャンスをい

ただいたのさ」


 マーレーの亡霊は再び叫び声をあげた。そしてまた、体中の鎖

をゆさぶって、その幻影のような両手を振るわせた。


「貴方は縛られていらっしゃいますね」と、スクルージは震えな

がら言った。

「どういう訳ですか?」


「私が生存中に鍛えた鎖を身に着けているのさ」と、マーレーの

亡霊は応えた。

「私は一つの輪っかずつ、一ヤードずつ、作っていった。そして、

自分自身で巻きつけたんだ。自分自身で縛りつけたんだ。お前は

この鎖の型に見覚えがないかね?」

 

 スクルージは思いをめぐらしながら、ますます震えた。


「お金は道具だ。使わなければ価値がない。私がせっせと集めて

貯めこんだお金は、ただの金属と紙だ。それほど金属と紙が欲し

いのならと、神がこうして鉄の鎖を作るように命じたのだ。もっ

とも、最初はこんなに長くなかったのに、お前が私の残した財産

を増やしたものだから、こんなに重く、長くなってしまったのだ

よ。そうだ、そうだ」と、マーレーの亡霊は言葉を続けた。

「お前は自分でも背負っているその頑丈な鎖の重さと長さを知り

たいかね? それは七年前のクリスマスイブでも、これに負けな

いくらい重くて長かったよ。その後もお前は一生懸命稼いで殖や

していったからね。私の分まで・・・。今は素晴らしく重く長い

鎖になっているよ」


 スクルージは、もしか自分もあんな五、六十フィートもあるよ

うな鉄の鎖で縛られているんじゃないかと、周囲の床の上を見ま

わした。しかし、何も見ることは出来なかった。


「ジェイコブ」と、スクルージは心底願うように言った。

「ジェイコブ・マーレーよ。もっと話しをしておくれ。気が楽に

なるようなことを言っておくれ、ジェイコブよ」


「何もしてやれないね」と、マーレーの亡霊は応えた。

「そういうことは他の世界をのぞいてみることだ。エベネーザー・

スクルージよ。そして、自分の信仰とは違う使者や質の違う人間

の習慣も受け入れてみることだよ。そうしたことは私が自分の言

葉で話すわけにはいかない。それに、あともうほんの少しの時間

しか許されていないんだ。私は休むことも停まってることも出来

ない。どこかでぐずぐずしてることも出来ない。私の魂は私達の

事務所より外へ出たことがなかった。よく聞いておくんだ。生き

ている間、私の魂は私達の社内の狭い天地より一歩も出なかった。

そして、今や飽き飽きするような長たらしい旅路が私の前に横わっ

ているんだよ」


 スクルージが考え込む時には、いつもズボンのポケットに両手

を突っ込むのが癖だった。彼は必死に、マーレーの亡霊が言った

話のつじつまが合うのか考えた。そしてしばらく、彼は、目もあ

げなければ、立ち上がりもしなかった。


「すごくゆっくりとやって来たのでしょうか?」と、スクルージ

はねぎらいの気持ちはあったが、事務的な口調で質問した。


「ゆっくりだ!」と、マーレーの亡霊はスクルージの言葉を繰り

返した。


「死んでから七年」と、スクルージは時を振り返るように言った。

「その間、始終歩き続けたのでしょうか?」


「始終だとも」と、マーレーの亡霊は応えた。

「休息もなければ、安心もない。絶え間なく後悔に苦しめられて

いるんだよ」


「では、よほど速く歩いてるのですか?」と、スクルージは聞い

た。


「風の翼に乗ってね」と、マーレーの亡霊は応えた。


「それじゃ、七年の間には、すごく沢山の世界を歩かれたでしょ

う」と、スクルージは言った。


 マーレーの亡霊は、それを聞いてもう一度、叫び声をあげた。

そして、役所がそれを安眠妨害として告発してもおかしくないと

思われるような、怖ろしい物音を真夜中に響かせて、鎖をガチャ

ガチャと鳴らした。


「おお! 縛られた。二重に足かせをはめられた捕虜よ」と、マー

レーの亡霊は叫んだ。

「不死の人々が、いく時代もかけて、この世のためになされた不

断の努力や、この世で与えられるはずの善が、まだことごとく広

められてもいないのに、永遠の暗黒の中に葬られるとも知らない

で。民の魂が、どんな境遇にあるにせよ、その小さな範囲内で、

それぞれその役目に合った働きをしている。そのいずれも、自分

に与えられた力で、人のために尽くさなければいけない範囲の広

大なのに比べて、その一生の余りに短すぎることに気づかなかっ

たとは。一生のチャンスを無駄遣いしたことに対しては、いくら

長い間、後悔を続けてもそれを償えないと知りもしなかった! 

そうだ、私はそういう人間だった! ああ、私はそういう人間だっ

たんだ!」


「だがしかし、貴方はいつも立派な商売人でしたよ」と、スクルー

ジはなぐさめるように言った。彼は、マーレーの亡霊の語った言

葉が、自分のことのように思えたのだ。


「商売人だって!」と、マーレーの亡霊はまたもやその手を振る

わせながら叫んだ。

「私がやっていたのは、金集めのゲームだよ。それもルール違反

ギリギリの姑息なやり方でね。仕事など一度もやったことはない。

本当にやらなければいけない仕事は人の役に立つことだ。社会の

福祉が私の仕事だった。慈善と恵みと堪忍と博愛で文明開化させ

ること。そのすべてが私のすべき仕事だったよ。そのためにする

商売上の取引などは、私の能力を発揮するための、大海原の水の

一滴をすくう程度のことだったんだ」


 マーレーの亡霊は、これがあらゆる自分の無益な悲嘆の源泉だ

とでも言うように、腕に力をこめてその鎖を持ち上げた。そして、

それを再び床の上にドッサリと投げ出した。


「一年のこの時期には」と、マーレーの亡霊は言った。

「私は一番苦しむんだ。なぜ、生前、私は仲間が集っている中を

目を伏せたまま通り抜けたんだろう? そして、賢者を貧しい人々

に導いたあの祝福の星を仰いで見なかったんだろう? 世の中に、

あの星の光が私を導いてくれるような貧しい家は無かったのか?」


 スクルージは、マーレーの亡霊がこんな調子で話し続けている

のを聞いて、非常に落胆した。そして、非常にガタガタと動揺し

始めた。


「よく聞いておくんだ!」と、マーレーの亡霊は叫んだ。

「私の時間はもう尽きかけているんだからね」


「はい、聞いています」と、スクルージは言った。

「ですが、どうかお手柔らかにお願いいたします。あまり言葉を

大げさにしないでください。ミスター・ジェイコブ、お願いしま

す」


「姿は見せなかったが、私は何日も何日もお前のそばに座ってい

たんだよ」と、マーレーの亡霊は言った。


 それは聞いてあまり気持のよい話ではなかった。

 スクルージは身震いがした。そして、額から汗をふきとった。


「こうして座っているのも、私の難行苦行の中で、あまり易しい

方ではないんだよ」と、マーレーの亡霊は言葉を続けた。

「私は今晩ここへ、お前にはまだ私のような運命を逃れるチャン

スも望みもあるということを教えてやるためにやって来たんだ。

つまり、私の手で調べてあげたチャンスと望みがあるんだよ。ミ

スター・エベネーザー」


「貴方は、いつも私には親切な友人でしたからね」と、スクルー

ジは言った。

「本当に有難う!」


「お前のもとに訪れるよ」と、マーレーの亡霊は言った。

「三体の精霊が」


 スクルージの顔が、ちょうどマーレーの亡霊のあごが垂れ下がっ

たと同じぐらいに垂れ下がる思いだった。


「それが、貴方の言ったチャンスと望みのことなのですか? ミ

スター・ジェイコブ」と、スクルージはおどおどした声で聞いた。


「そうだよ」と、マーレーの亡霊は応えた。


「私は・・・。私はできれば来てほしくないのですが」と、スク

ルージは言った。


「三体の精霊の訪問を受け入れなければ」と、マーレーの亡霊は

言った。

「絶対に私の歩んでいる道を避けることは出来ないよ。明日、夜

中の一時の鐘が鳴ったら、最初の精霊が来るから覚悟しておくん

だね」


「皆さん一緒に来て頂いて、一度に済ましてしまうわけにはいき

ませんかね、ミスター・ジェイコブ」と、スクルージは彼の機嫌

をうかがいながら言った。


「その次の夜中の同じ時刻には、次の精霊が来るから覚悟してお

くんだ。そして、その次ぎの夜中の十二時に最後の時を告げる鐘

が鳴り止んだら、最後の精霊が来るから覚悟しておくんだよ。そ

れから、私の残した私の財産をすべて使いきり、この鎖の苦しみ

から解放してくれ。そして、もうこれ以上、私と会おうと思うな。

今夜、こうして二人が会い、語り合ったことをお前自身のために

忘れるんじゃないぞ!」


 この言葉を言い終わった時、マーレーの亡霊は、頭からあごの

まわりに巻きつけたハンカチの結び目を再びほどき、あごを上に

押し上げ、骨にガチリという音をさせながらしっかりと固定して

結んだ。

 スクルージは、骨の鳴る音で気づき、思いきってマーレーの亡

霊の方を見た。すると、この超自然の来客は、腕に抱えた鎖をグ

ルグルと巻きつけたまま、直立不動の姿勢で彼と向い合って立っ

ていた。


 マーレーの亡霊は、スクルージの前からだんだんと後退りして

行った。そして、それが一歩退くたびに、窓は自然に少しずつ開

いて、マーレーの亡霊が窓に達した時には、すっかり開いていた。


 マーレーの亡霊は、スクルージにそばへ来るようにと手招きし

た。それに彼は従った。


 マーレーの亡霊は、スクルージとの距離があと二歩のところで、

手をあげて、これよりそばへ近づかないように指示した。それで、

スクルージは立ち止まった。これは、マーレーの亡霊の指示で立

ち止まったというよりも、むしろ驚いて恐れて立ち止まったのだ。

というのは、マーレーの亡霊が手をあげた瞬間に、空中の雑然と

した物音が、混乱した悲嘆と後悔の響きが、何ともいえないほど

悲しげな、自らを責めるような悲しみ叫ぶ声が、スクルージの耳

に聞えて来たからだ。


 マーレーの亡霊は、ちょっと耳を澄まして聞いた後で、自分も

その悲しげな哀歌に、表情をゆがめ、体を震わせた。そして、窓

から物寂しい暗夜の中へ吸い込まれるように出て行った。


 スクルージは、自分の好奇心から無意識に、窓のそばまで近づ

いて行った。そして、彼は外を眺めた。


 空中には、落着きがなく、急いであちらこちらをさまよい、そ

して、進みながらうめき声をだしている魔物達で満たされていた。

そのどれもこれもが、マーレーの亡霊と同じような鎖を身につけ

ていた。その中には、二、三の者が一緒に繋がれていた。(これ

は共謀者かもしれない)


 鎖で縛られていない者は、一人としていなかった。

 生きていた時には、スクルージと親しくしていたユダヤ人も沢

山いた。その中でも、白いチョッキを着て、くるぶしに素晴らし

く大きな鉄製の金庫を引きずっている一人の老いた亡霊は、生前

にスクルージと特に親しくしていた。その亡霊は、ビルの出入り

口のステップにいる、赤ちゃんを抱いた貧しい女性を助けてやる

ことが出来ないと、痛々しげに泣き叫んでいた。

 彼らのすべての不幸は、あきらかに彼らが人助けをしたいと望

んでいても、永久にその力を失ったというところにあった。


 これらの亡霊が霧の中に消え去ったのか、それとも霧が彼らを

包んでしまったのか、スクルージには分らなかった。しかし、彼

らもその声も共に消えてしまった。そして、夜は、スクルージが

このビルまで歩いて帰って来た時と同じようにひっそりとなった。


 スクルージは窓を閉めた。そして、マーレーの亡霊の入って来

たドアを確かめた。それは彼が、自分の手で鍵をかけた時と同じ

ように、ちゃんと二重に鍵がかかっていた。ボルトにも異常はな

かった。

 スクルージは「バカバカしい!」と言いかけたが、口ごもった

ままやめた。そして、自分の受けた感動からか、それとも昼間の

疲れやあの世をちょっと垣間見て、マーレーの亡霊と交わした不

吉な会話や深夜だったからか分からないが、すごい睡魔に襲われ

たので、ガウンも脱がないで、そのままベッドへ入って、すぐに

ぐっすりと寝入ってしまった。

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