093:困惑の、夏の思い出、ノーサンキュー
久々の更新です。お待たせしてすみません。
季節は初夏を迎え始めている。
カイム・アウルーラの夏と言えば、夏のど真ん中に行われる夏祭りだ。
街を上げての夏祭りは、この頃から少しずつ準備をされていく。
それ故に、この時期のカイム・アウルーラは、いつも通りでありながら、どこか街全体が浮き足立ったような独特の空気に包まれる。
そして、夏を待ちわびていたのは、何も街の住民だけではなかった――
そう。
このカイム・アウルーラに――奴が戻ってきたのである。
♪
「ふっ、ついに我らが季節が来たか」
カイム・アウルーラにある、とある公園。
大きくはないが、緑に溢れ、どこか林を思わせる木々の多い場所。
そんな公園にある木陰のベンチで涼んでいたサニーズ・ルージュことサニィは、目の前で汗を拭っている男に半眼を向けていた。
低く渋く、それでいて耳に馴染みやすい柔らかな声。
元々濃い灰色の髪には白髪が混じり始めているのか、薄灰色となっている。だが、決して老いを感じさせない雰囲気。
髪と同じ色の口髭をしており、口元には常に穏やかな笑みを浮かべた老紳士だと思われる。
プライベートであれば好々爺だが、商人としての商談の場や、貴族としての社交場などで出会ったのであれば、油断ならぬ人物。
そんな印象を抱かせるに充分な人生の年輪を感じさせる男。
目の前にいる男はそういう人物だ。
――その顔だけで判断するのなら、だが。
この老紳士――その格好がとにかく大問題なのだ。
焦げ茶色の全身タイツっぽい姿で、クワガタの頭部を模した被り物をしている。
ご丁寧にも背中には、スタッガーっぽい甲殻とその下に潜む半透明な羽まで再現されたものが付いていた。
そんな怪しさ満点の男が、こちらに気づいて首を傾げる。
「おや? お嬢さん、いかがしたかな?」
どうすればいいんだろう――そんなことを思いながらサニィが固まっていると、老紳士は何かに気づいたように手を打つ。
「君は以前、私の膝の上に岩を乗せて延々と正座させてくれた子だね?」
「それをやったのは恐らくよく似たソックリさんね。わたしは最近、この街に来た者よ」
即座に否定しておく。
こんな怪しい人物にユノと勘違いされたら、面倒そうだ。
(……それにしても膝に岩ってユノは何をやったのかしら?)
脳裏にそんなことが過ぎるが、この男の膝の上に岩を乗せたいという欲求は理解できなくもなかった。
胡散臭さを通り越した何かを感じさせるこの男とまともに関わりたいとは思えない。
ならば、サニィがするべきことは一つだ。
自分は何も見なかった。そう。それこそが事実としてこの場を去るのだ。
よし――と、胸中でするべきことを決定するとサニィはベンチから立ち上がる。
そして、そのまま無言で立ち去ろうとした。
だが――
「待ちたまえ、お嬢さんッ!」
スタッガー姿の老紳士は、サニィの進行方向に回り込んできた。
サニィは無言のまま半眼を向ける。
「実はこれより、来るべき真夏に向けての無事にこの時期まで生き延び目覚めるコトができたことに感謝と祈りを捧げるスタッガーたちの集会――通称ムシ会が始まるのだが、一緒にどうかね?」
「ツッコミどころしかないんだけど、どうしようかしら?」
思わずそう呻いてから、サニィはしまった――と舌打ちする。
「まぁまぁそう言わずに。
スタッガーしか参加できない不思議な集会だ。
是非とも貴女をゲストとして及びしたいと――そう思いましてね?」
「百歩譲って集会が本当だとしても、アンタの存在の説明にはなってないわよね?」
怪しさが爆発しすぎている男の言葉に、サニィはツッコミを入れながら周囲を見渡す。
「手頃な岩って、さすがに公園にはないわね」
「待ちたまえ」
岩を探し始めたサニィを、老紳士は慌てて制止する。
「岩はやめたまえ。痛いし重いし、何より正座中の膝の上に乗せられるとやっぱり痛いし重いッ!」
「やっぱ重要そうね岩。是非とも見つけだしたところだけど岩」
恐らく以前、ユノが遭遇した時もそういう心地だったのだろう。
まともな会話が成立する気がしない以上、とりあえず岩という選択肢は間違っていないと思われる。
「だから待ちたまえ!
……そ、そう言えばまだ名乗っていなかったなッ!」
よほどユノから岩で痛い目に遭わされたのか、老紳士はかなり慌てた様子で強引に話題を変えた。
「私は、姓はビードル。名はスタッグ。ついたあだ名はカブトムシ。人呼んで、ビードラーおじさんだッ!」
「その格好で何でビードラーなのよッ! スタッグおじさんじゃないのッ!?」
「うむ。その名は生涯のライバルの名だ」
「他にもいるのッ、アンタみたいな変質者ッ!?」
「私のどこが変質者だというのかねッ!?」
「全部よッ、全部ッ!!」
いつぞやのユノと似たようなやりとりをしながら、サニィは頭を抱えて叫ぶ。
言動や雰囲気は紳士的だが、その格好は焦げ茶色の全身タイツにスタッガーの被り物だ。変質者でなければなんだと言うのだろうか。
「まぁいいわ」
大きく嘆息して、サニィは手をひらひらとさせる。
「ムシ会とかいうの。まったく興味ないから。勝手に参加してなさい。それじゃあね」
全力でここから離脱する。
関わってはいけない。
歴戦のカンに従って、もう一度ここから立ち去ろうとした時――だ。
「お待ちください!」
そこへ、新たなる人物がやってきた。
見た目だけならビードラーおじさんと似たような雰囲気の初老の男性。だが彼が身に纏っているのは燕尾服であり、どこかの貴族の従者のようだ。
青い瞳でサニィを真っ直ぐに見つめてから、丁寧な仕草でお辞儀をした。
「申し訳ございません。お声かけしましたが人違いであったようです」
慇懃な様子で頭を下げる男に、サニィは気にするなと返事をした。
「ユノと間違えたんでしょ?
似てる自覚はあるわ。わたしはサニーズよ。今後間違えないようにお願いするわ」
「寛大なお言葉、感謝いたしますサニーズ様。
私はクレマチラス家に使えております従者頭のハインゼルと申します。以後、見知りおき頂ければ幸いです」
その動きと言葉だけでかなり良き従者であるのが見て取れる。
クレマチラス家は良い人材を雇っているようだ。
変なタイミングで呼び止められてしまったが、ユノを探していたのだとすれば仕方あるまい。
改めてこの場から離れよう。
そう思ってサニィが動きだそうとした時、背後から驚愕の声が響きわたった。
「ハインゼル……だと……ッ!?」
「おや、どこかでお会いしましたかな?」
「貴様……ッ、忘れたとは言わせんぞッ!!
この私――ビードラーおじさんをッ!! スタッグおじさんよッ!!」
ビシッ! と指を向けて叫ぶビードラーおじさん。
それに対して、ハインゼルは「ええっ!?」と大きな口を開け右手を添えながら、わざとらしく驚いた。
「ふっ、上手く姿を変えたようだが、この私の目は誤魔化せぬぞ!
幼き日より続く昔年の恨みッ! 今ここで、ムシ会の開会より前に終わらせてくれようッ!」
「ああ! 思い出しましたぞッ! そうか、貴方が……!」
何やら盛り上がる初老の男二人。
いちいち付き合う必要もないだろうとその場を去ろうとするサニィの襟をハインゼルが素早く掴んだ。
「どうやら我らの因縁を思い出したようだな」
「ええ。その因縁の始まりを――是非ともサニーズ様には聞いて頂きたく」
「微塵も興味ないんだけど?」
ハインゼルの手を払って、襟元を整えてから睨みつける。
ふと思った。この執事も――もしかしてビードラーおじさんの色んな意味で同類なのではないのかと。
「はっはっは、これは異なコトを。
ここまで巻き込まれてしまった以上は、興味が沸かないはずがありません。ほーら、沸いてくる沸いてくる、興味が沸いてくる……」
「やめいッ!」
紐をつけた穴あきコインをブラブラ左右に揺らしてくるハインゼル。
サニィはツッコミを入れながら、彼が手にしていたコインをたたき落とした。
「何なのアンタらッ!? いちいち人を巻き込まないといけない病気なの?」
「はい」
「うむ。実は」
素直にうなずかれてサニィは言葉に詰まる。
ここで正直にそうだと口にする相手は初めてだった。
「では語らせて頂きます」
「そう。あれは我らがまだ幼き時分……」
「ちょッ、聞く耳ないからねッ、こっちはッ!」
語り始めたおっさんズに対して、切実に叫びながら踵を返そうとして――気づく。
いつの間にやらさっきの紐付きコインが、サニィの両の足首に巻き付いていた。
「え? 何これ? 冗談でしょッ!?
解き終わるまで興味のない回想を聞かなきゃいけないわけッ!?」
そんな切実な悲鳴を余所に、二人のジジイの回想が始まるのだった。
♪
幼き日の夏のこと。
クワガタムシとカブトムシは、当時の子供たちにとってヒーローにも等しい存在でした。
森で捕まえてきたスタッガーやビードラーを競わせる――甲虫大戦は、子供たちの最高の娯楽であり、当然、我々も楽しんでおりました。
そうなると必然的に、強い甲虫を捕まえるのが得意な子供というのは皆に英雄視されるというもの。
我々はそんな、ヒーロー的存在だったわけです。
スタッガーを捕らえるのが得意なビードラー少年と、
ビードラーを捕らえるのが得意なスタッガー少年は、
え? ややこしい?
はっはっは。子供の名付けなんて適当なものですからな。
ともあれ、誰もが憧れる少年たちであり、二人が週に一度戦うのを、誰もが今か今かと待ちわびたものです。
そんな幼き日々の夏。いつものような夏。
スタッガー少年こと私は、その街を引っ越すこととなったのです。
ビードラー少年とは、それが最後の戦いになる。
だからこそ、記憶に残る戦いになるよう最高の一匹を捕まえるべく森へと向かい、そしてスパイラルホーンビードラーという珍種を捕まえることに成功したのです。
ですが、相手はビードラー少年。
こちらがスパイラルホーンビードラーに対抗するように、ゴールデンゴッドスタッガーを用意しておりました。
とんでもない強敵です。
まともにやってはこの勝負には勝てない。
大きな土管が三本ほど積み上げて放置されている近所の空き地。
その中の土管の一つが戦いの舞台。
お互いがその中に潜りながら、それぞれの甲虫を手放すことで試合がはじまります。
ですが、私は焦っておりました。
ゴールデンゴッドスタッガーのゴッドスタッグブラストは、スパイラルホーンビードラーのギガスパイラルブレイクを上回る必殺技。
真っ向勝負では勝てません。
そこで私は一計を案じたのです。
土管の中で、スパイラルホーンビードラを掴む手を離すと同時に、事前に仕掛けておいた即席花術弾をこっそりと起動させました。
相手側の入り口を塞ぎます。
即座に私は土管を這い出ると、もう一つのた即席花術弾で、私側の入り口も塞いだのです。
♪
「鬼かッ!!」
足を絡め取った紐を解くのに苦戦していたサニィは全力で叫んだ。
さすがに、ツッコミを入れざるをえなかった。ハインゼルのやらかしたことが酷すぎる。
甲虫同士を戦わせる競技中、即花弾を使う奴がいるという事実に驚きだ。
挙げ句、相手の退路だけでなく、自分側の入り口を塞ぐなどというのは外道以外の何者でもない。
「こうして私は名実ともに最強の甲虫覇者の称号を得たのです」
「甲虫大戦での勝負の結果が有耶無耶じゃないッ!」
そりゃあビードラーおじさんは、スタッガーおじさんを恨みもするだろう。こんなにも過剰反応するだろう。不完全燃焼なんて言葉は生温い決着だ。
「というか、アンタ良くそんな目にあって無事だったわね」
思わずサニィが同情すると、当のビードラーおじさんは不思議そうな顔をしていた。
「それはいったい誰の過去だ?」
「は?」
おじさんから漏れ出た言葉に、サニィは目を瞬く。
「なにを仰います。貴方と私の過去でございましょう?
ほ~ら……だんだん本気になってくる……だんだん本当の過去になってくる~」
ハインゼルはビードラーおじさんの目の前で、コインをぶら下げた紐を左右に揺らす。
「う、うむ。なんかそんな気がしてきたぞ。うむ。そうだ。それが私の過去だ。おのれスタッガーおじさんめッ!」
ビシッと、ハインゼルに指を差して叫ぶビードラーおじさんに、サニィはどうでも良さげな眼差しを向けて嘆息する。
「それで、どう収拾つけるのかしら?」
ようやく紐が解けたことに安堵しながら、サニィが訊ねた。
「安心するが良い少女よ。
この男との決着に君を巻き込むつもりはない。すぐに逃げ出せば巻き込まれるコトもないでしょう」
答えたのはビードラーおじさんだ。キリッとシリアスな顔をしてシリアスちっくにシリアスな口調で告げた。
もちろん、サニィは巻き込まれる気はないので、逃げる気満々である。
それに対して、ハインゼルも負けじとキリっとした顔をして見せた。
そして、芝居のナレーションじみた調子で語り出す。
「ついに始まるビードラーおじさんの逆襲。
だが悲しいかな……彼は知らなかったのです。それは与えられた偽りの記憶。どこにも存在しない捏造された過去であると。
いったい誰が? どうしてそのような非道を? 次回、彼を正気に戻す為、通りすがりの綿毛人サニーズが立ち上がる」
「立ち上がらないからッ!!」
叫びながら、サニィは思い切り蹴りを放った。
それをヒョイっと躱しながら、ハインゼルは首を傾げる。
「何故です?」
「何故もなにもッ! 何かもう色々と貴方が原因でしょうがッ!」
クレマチラス家は良い執事を雇っていると思ったのは間違いだったらしい。こんなまともではない従者をサニィは初めて見た。
「ほ~ら、立ち上がる立ち上がる。立ち上がりたくなる~」
「それはもういいからッ!」
またしてもコインをぶら下げた紐をぶらぶらとやり始めたハイゼンルから、それを奪い取ってサニィは叫んだ。
もういい加減にしてほしい――ぐったりした心地でいるサニィの前に、またしてもコインのついた紐が現れて……
「いい加減にしろォッ!!」
キレ気味に声を上げると、それを構えていたのはビードラーおじさんだった。
「……なにをしているの?」
胡乱な眼差しを向けて、うめく。
それに対してビードラーおじさんは真面目な顔をして答える。
「君には是非ともムシ会に参加してもらいたく」
「あっちのスタッガーおじさんとやらはいいの?」
「はっはっは。あのようなチャチな手には引っかかりませんぞ」
「はっはっは。あのようなチャチな手で上手くいくとは思っておりませんよ」
二人そろって朗らかに笑ったところで、サニィの中で何かがぷつりとキレる音が聞こえた。
「……結局、なんなワケ……アンタら?」
据わった眼で二人を睨む。
「最初に名乗った通りのビードラーおじさんなのだが?」
「そんなビードラーおじさんに便乗してそれっぽく振る舞っただけの通りすがりの執事なのですが?」
「わかった。もういい」
何を今更――という調子で答えてくる二人のジジイに、サニィは絞り出すように声を漏らした。
特に執事に関しては、何というか理解した。こんな奴を雇ってるクレマチラス家にはクレームを入れざるを得ない。具体的には後でユノに入れる。
「ふむ? 何か言ったかね?」
サニィの気配に何か感じるものがあったのか、ハインゼルはそそくさとその場から離れる。
ビードラーおじさんは不思議そうに首を傾げている。
そうして――
「陽光雷泉撃ッ!!」
サニィはオドを籠めた拳を地面に叩きつけると、地面から間欠泉が噴き出すかの如く、土砂と雷と化したオドが飛び出してくる。
それがビードラーおじさんを飲み込み、吹き飛ばす。
吹っ飛んでいくビードラーおじさんを一瞥だけして周囲を見渡す。
気がつくと怪しい執事はいなくなっているが、もうどうでもいい。
そうしてサニィはそのあとのことなど一切確認せず、もはや道の確認もしないまま、その公園より逃げ出すのだった。
この後、意味不明な出来事に疲弊したサニィは、ユズリハに遭遇。
疲弊しきった時に顔見知りに遭遇したことで、心の底から安堵したサニィは、思わず勢いのまま愚痴るように出来事の詳細を語ってしまう。
それを聞いたユズリハは、同情するようにサニィを慰め落ち着かせるのだった。
……もっとも、ユズリハによって、この手の出来事はカイム・アウルーラでは珍しくないのだと知り、サニィは思い切り頭を抱えるのだが――
「大丈夫。最後の対応は間違ってなかったから」
「何が大丈夫なのか分からないわ……」
「まぁ確かに、第二第三のおじさんが現れても不思議じゃないけど」
「やめてッ!」
「ビードラーおじさんは、貴方の街にもいるかもしれない」
「重ねてやめてッ!」
何というか、ユノらしいテキスト回しというのが上手く出来なくなってしまってたので、リハビリがてらにこんな話。リハビリがこれで良いのかどうかはさておきます。
カイム・アウルーラの洗礼を受けたサニィ。
この街に滞在する限り避けられないあれこれの一つなので、是非とも馴れて欲しいところ。
次回もまたお待たせしてしまうかもしれませんが、気長にお待ちして頂ければ幸いです。




