092:フウロとユノと裏街と
ユノ・ルージュは目の前の相手を横目にみながら、テーブルに頬杖を付き、もう一方の手の人差し指でコツコツとテーブルを叩く。
誰がどうみても苛立っている。
彼女のことを知る者たちは、一様に店内で怒りが爆発しないことを祈るばかりだ。
そんな周囲の目を受けながら、ユノは爆発しないように自制を続ける。
「それで? あたしに何の用?」
トゲのある――どころか抜き身の刃のような声で、ユノは対面に座るフウロに訊ねた。
対するフウロは、そんなユノの様子など気にしていないかのように快活に答える。
「はいッ! ユノさんには是非、うちの支部長とヨリを戻して頂きたくてッ!」
そう言ってニパっと笑うフウロに、ユノは凍りついたかのように動きを止めた。
それでも何とか首だけ動かして、フウロを見遣る。
ちなみに、カウンター席に座っていたユノは、フウロが話しかけて来た時点で隅のテーブル席に移動していた。
大なり小なりの迷惑は一応、考えてはいるのだ。自制できるかどうかは別にして。
「支部長ってどっち? タムジア・アジタム・アザレアル? それとも前支部長かしら?」
「今の支部長さんですッ! タムジアさんって言うんですねッ!」
「自分の上司の名前くらいは知っときなさいよ」
「本日付けで配属されたものでして」
「本日付けで配属されたような奴がどうしてあたしのところ来るワケ?」
ユノは意味が分からずを目を眇めると、フウロはキリッとした様子で答えた。
「赴任の挨拶をした際に、支部長から『ユノ・ルージュには関わるな』とお教え頂きまして」
「思いっきり関わってるじゃない」
意味が分からずうろんげな眼差しでフウロを見ると、彼女は至極真面目な顔をしてうなずく。
「私、愛読書に『上司に受ける立ち回り』っていう本があるんですけど」
「はい?」
いきなりの話題の変化についていけず、ユノは思わず目を瞬く。
「それに、書いてあったんです。
『上司の好みや、仕事のスタイルを把握しましょう。あとは状況ごとに先んじて、上司に合わせた準備や行動をしていくのです』と」
「はぁ……?」
「ですから状況に先んじてみました」
「あたしと関わってるコトに繋がってる話なの?」
「もちろんですッ!」
快活に返事をした後で、フウロは胸を張って告げる。
「支部長さんは、ユノさんと仲違いをして疎遠になっている――そんな状況を察したので、先んじて行動してみたのですッ!」
「前提となってる仲違いってどこから出てきたのよ?」
ユノが半眼になってうめくように訊ねると、フウロは堂々と告げた。
「愛読書にはこうありました。『自らが考えて動くことが大事である』と。だから、私は考えたんですッ!」
その先を聞きたくないという気持ちになりながらも、ユノは先を促す。
「支部長の言う『ユノ・ルージュに関わるな』っていう言葉の意味の裏をッ!」
「そこは素直に受け止めるべき言葉だったと思うわよ」
「過去に花導協会と一悶着あって、仲が険悪になってしまったという話を聞きました。
だから、思ったんです。貴女のコトを気安くユノと呼んでいた上司は、仲が良かったのだと」
「今も個人的な仲は良いんだけど」
「きっと恋仲だったのに、一悶着のせいで疎遠となってしまったなんてひどい話ですよねッ!」
「アンタの人の話の聞かなさもひどい話と思うけど」
「職場や立場と恋慕の板挟みッ! そんな切ないグルメ日記支部長を私は何とかしようと思い立ったんですッ!」
「考える必要もする必要もまったくないコトを思い立ったわけね。っていうかグルメ日記支部長ってなに?」
「悪魔っぽい吸血鬼とか、グルメ日記マンとか、色々考えたんですけど、それが一番しっくりくるかなって」
「いや何の話?」
「合体させて悪血っぽいグルマンとかも考えたんですけど」
「だから何の話?」
「とにもかくにも自発的に考えて行動しようと思った結果が、ユノさんと悪血っぽいグルマンさんのヨリを戻しというワケなんですよッ!」
「アンタはまず自分のヨリすぎてこんがらがった脳味噌を元に戻すべきよ」
そろそろ疲れてきて、ユノは大きく嘆息した。
「ため息は幸せが逃げていくって言いますよね?」
「誰のせいでため息ついてるかまでを考えて欲しいんだけど」
付き合いきれない――と、ユノは席から立ち上がった。
「店長、今度来たときに払うから、今日の分はツケといて」
「は~い。また来てね~」
「迷惑かけて悪かったわ」
その時、カウンター席で食事をしているサニィと目が合い、互いに肩を竦めあう。
「あ、ちょっと待ってくださいッ!」
「待つ必要性をまったく感じないわね」
そうしてユノは、フウロを置き去りにするように早足でお店を出ていくのだった。
「ったく、何なのよアレ……」
お店を出てすぐの路地裏へと入っていき、複雑に入り組んだその道を足早に進んでいく。
地元の人間でも迷うようなその道をわざわざ選んだのは、追いかけてきた場合に撒くためだ。
もちろん、ユノはこの道で迷うようなことはない。ちゃんと道は把握している。
今回はこのまま路地裏を通って、裏街へ行くつもりだ。
「さすがに裏街まで追ってはこれないだろうし」
そう独りごちながら、目印も特にない路地裏を抜けて、裏街の区画へと入っていく。
「んー……時間を潰した方がいいかしらね」
カーネイリ・ショーンズが支配する東側の裏街とはいえ、西に本店を持つ店の支店がないわけではない。
今のユノの目当てはそんな店だ。
少し裏街の通りを歩いたユノは目当ての店を見つけて、そこへと入っていく。
「邪魔するわよー」
「いらっしゃいませー……って、ユノちゃん?」
カウンターに座っていた受付嬢がこちらを見て首を傾げる。
シックなデザインながらも豊満なバストを強調し、露出度は高いながらも決して下品に見えないこの店の制服を着た美女はカウンターから出てきて、ユノに訊ねた。
「うちのマムが何かの修理を依頼したのかしら?」
「違うわ。追い風に乗った種子が漂っててね。ちょっと時間を潰しに来たのよ」
「その種子、たたき落とした方がいい?」
「しなくていいわ。向こうには悪意も敵意もなく純粋な好意みたいなのよね。思い込みによるありがた迷惑なんだけど」
「それはまた厄介ね……」
何とも言えない顔を浮かべる従業員に、全くだと同意する。
「事情はわかったわ」
彼女はうなずくと、カウンターからカギを一つ取り出した。
「はい。これ。三階の一番奥ね」
「ありがと。迷惑料代わりに、部屋の中のモノをメンテしておくわ」
「ええ、お願い。急がないけどそのうち直して欲しいモノを置いておく倉庫みたいになっちゃってるのよ。その部屋」
「そ。なら、テキトーに触ってるわ。一時間半くらいの時間が経ったら声を掛けて」
「はーい。了解」
そうして彼女は、足早に階段を上っていくユノの背中に手を振りながら見送るのだった。
「追い風に乗った種子ねぇ……。うちの店が横風になって撒けてるならいいけど……。
その人がうちに入るユノちゃんを目撃したら、その種子はどう思うのかしらねぇ……?」
路地裏というのは人目がつかないものだ。
日陰者の街である裏街であってもそれは例外ではない。
そして、カイム・アウルーラという街は、表街と裏街の明確な境界線はない。
それでも表通りから区画移動するのであれば、裏街の入り口辺りで声を掛けられるはずだ。
お金に困ってる人に高額のお金を貸す親切な仕事をしてるおじさんとか、新鮮な肉を解体しタルに詰めて近くの海まで運ぶ仕事をしているマッチョなお姉様とか。
カタギに対してはとても優しいそういう人々が、なにも知らずに裏街に足を踏み入れそうな人に声を掛けてくれる。
だが、表街の路地裏を通って、裏街の裏路地に出てしまうとなると、話は別だ。
そういう道で親切にしてくれるような人は基本的にいない。
そして、この街に来たばかりで、街については無知といっても良い彼女はそんなことにも気づかない。
「えーっと……ユノさんはあの建物に入っていったような……」
彼女――フウロ・ゼラニアは、ユノを追いかけて路地裏へと飛び込んだ。
だが、ユノの目論見通りに、複雑に入り組んだその路地裏で迷ってしまったのである。
迷ったと自覚したフウロは、カンを頼りに突き進んだところ、その全てにおいて気づかないまま正解し、裏街の通りにまでたどり着いてしまったのであった。
そして、周囲を見渡した時に、彼女はユノがその店に入るのを目撃した。
【娼楼 ハイ・キャット・テール】
この薄暗い通りに面したその建物は、三階立てであり、周辺の薄汚れた雰囲気の中では異質なほど清潔で煌びやかな空気を放っている。
「ええっと……娼館、ですよね?」
建物の前まで行って見上げてみるが、いわゆる高級娼館というやつなのだろう。
実際にそういう建物や職業の人を見たことがあるわけではないので、イメージ的なものでしかないが。
見間違えの可能性も高いが、だからといって中に入って確認するというには勇気が足りない。
生まれてこの方、家族に許され好き勝手に生きてきたフウロではあるが、それでも貴族の生まれである。
どうしてもこういう場所には抵抗感があった。
「仕方ありませんね。引き返しましょう」
そうして彼女は踵を返して――気がついた。
「……ここはどこなんでしょう?」
路地裏に入る道が多くある上に、どこから出てきたのかわからない。それに、わかったとしてもあんな複雑な道を引き返せる気がしない。
フウロが途方に暮れていると、剣を腰に帯びた黒いスーツの男性が近づいてくる。
「どうかしたのか?」
「えっと、路地裏を歩いていたらここに迷い込んでしまいまして。引き返すにも道を覚えてないから、どうしようかなーっと」
人懐っこそうな顔の男性に、フウロが素直にそう答えると、彼はなるほど――とうなずいた。
「表街から迷い込んできたのか。なら、外へ案内してやる」
「ありがとうございます」
付いて来い――そう言って足早に歩き出した彼を、フウロは慌てて追いかける。
「そういや、アンタあまり見ない顔だな」
「はい。カイム・アウルーラには昨日引っ越してきたばかりでして」
「そうか。なら仕方ねぇが……裏街って呼ばれる区画には気をつけろよ」
「裏街――ですか?」
「まさにここらのコトだ。余所で言うスラムみたいなもんだよ。
ここ以外にも街の西側にもある。どっちも近づかないに越したコトはないぜ」
「えーっと、この辺は確かに薄暗いですけど、スラムなんですか?」
「見た目は整ってるし綺麗だけどな。間違いねぇよ。そこに住んでる俺が言うんだからよ。
基本的にはカタギに手を出さねぇってルールはあるが、必ずしも守るやつばかりじゃねぇ。
そして、ここで事件に巻き込まれた場合は事故責任だ。特に女子供は危ねぇぞ」
どうやらこの人は優しい人のようだ。
とはいえ、うっかりとはいえ危険な区画に足を踏み入れていたようである。
「あのあの……そこに住んでる人の前で言うのもなんなんですけど……」
「何でお偉いさんはこの辺りを放置してるのかって?」
「はい」
「良くも悪くも、裏街の支配者たちは抑止力でもあるのさ」
男性が説明をしてくれるものの、フウロは首を傾げた。
そんなフウロを見、男は言葉を選びながら、少し詳しく解説してくれる。
「支配者たちは力を持った悪党だ。
二人が睨みを効かせている限り、小悪党は大きな悪事をできない。それに、二人はお偉いさん方が拾いきれない孤児や浮浪者を拾い上げている面もあるからな。
良くも悪くも、裏街の治安を守ってるのさ。そして裏街の秩序が守られていれば、あぶれたアホが表街で暴れたりすることも少ないんだよ」
「つまり、カイム・アウルーラのスラムは安全ってコトですか?」
「いいや。危険さ。親分たちが睨みを効かせてるからって、全ての悪事を防げるワケじゃない。だから、もう迷い込んでくるなよ?
俺みたいに良い人が、道案内してくれるとは限らねぇんだからよ」
彼が指し示す方を見ると、カイム・アウルーラの中心にある大時計の姿が見える。
それを確認すると、フウロは振り返った。
「ありがとうございました」
「いいってコトよ。それと、ユノにつきまとうのはほどほどにしとけ。お前さん、あいつの仕事を邪魔しているみたいなもんだぞ?」
「でも、ユノさんと支部長にはヨリを戻してもらわないとッ!」
「お前さん、一度自分の意見や思い込みを捨てた上で、ちゃんと上司と会話した方がいいぞ」
彼はため息混じりそう告げると、くるりと踵を返す。
どうやら、あの娼館にユノが入ったのは間違いないようだ。やはり、支部長と仲が拗れた結果、そういう仕事をするようになったのかもしれない。
「じゃあな」
そうして、後ろ手に手を振ると颯爽とその場から去っていった。
フウロはその背中に丁寧にお辞儀をすると、自身も踵を返して、中央広場へと駆けていった。
翌日。
「――と、いうワケで道に迷いましたが親切な人に助けてもらいましたッ!」
フウロの快活な報告を聞きながら、タムジアは思わず頭を抱えた。
ユノへの接触に、裏街への迷い込み――運良く全て大きな問題が起きなかったようだが、この街の危険行為を二つもやらかしてくるとは思わなかった。
トミィが声を掛けてくれたので問題は起きなかったようだが、トミィ以外だったらどうなっていたことか。
タムジアが胸中で嘆息していると、フウロが申し訳なさそうな様子を見せる。
「それで……その、余計なお世話かもしれないのですけれど」
「なんだい?」
「支部長と仲が拗れた結果、ユノさんは娼館で働き始めているようです。やっぱり腹を割ってお話し合いとかした方が……」
自分がどれだけ危険だったかの自覚がない彼女の、勘違いによる助言に、タムジアは重ねて嘆息する。
もう胸中ではなくがっつりと、息を吐く。隠す必要もない気がしてきた。
「ユノの本来の職業は?」
「花修理職人さんですよね? でもそっちの儲けがないから、えっと……そういうお仕事かしてるのかなーって……」
「彼女は裏表に顔が利くだけだよ。その実力は、周辺国の王侯貴族たちから裏社会の実力者まで、正当に評価されるものだ。そのような仕事をしなくとも、儲けは悪くない」
「支部長ッ! それは逃がした魚が大きすぎますよッ!」
「君はまず僕とユノが恋仲だったという勘違いを捨てるコト」
キッパリと告げるが、彼女の表情は不満そうだ。
きっと彼女の頭の中では、元カノが娼婦落ちしたことの落胆を、上司として気丈に振る舞って隠してるとか思っていることだろう。
だが、もう気にしないことにする。
「フウロくん。君の仕事は?」
「え? えーっと、支部長付きの秘書官ですッ!」
「ならば仕事をしてくれないかな?」
そうして、机の上から問題なさそうな書類を手にとって、フウロに手渡す。
「えーっと」
それを受け取ったフウロに、タムジアは告げる。
「それじゃあ、その仕事をよろしく。
君の性格はだいたい分かったから、次は仕事の手腕を見せて欲しい」
「わかりましたッ! フウロ・ゼラニア、がんばりますッ!」
とりあえず、彼女を自由に動き回らせるのは危険だ。
タムジアはそう判断して、当たり障りのない仕事を投げるのだった。
フウロさんの出番は一旦終了。
次回は、一話完結なお話にしたいところ。




