089:古くて大きな花時計
――チク、タク……
――チク、タク……
カイム・アウルーラにある綿毛人向けの宿屋の一つ。『竜の巻き鬚亭』
その宿屋は、綿毛人向け用のご多分に漏れず、一階は酒場兼食堂で、二階に宿泊用の部屋がある作りのものだ。
ただ、一点。この宿屋にはシンボルとも言えるものが、一階の片隅に佇んでいる。
大きくて背の高い、だいぶ年季の入った花導器の時計。
その針は、常に絶えることなく、時と共に音を刻む。
――チク、タク……
――チク、タク……
桑の木で丁寧に作られた外装。
振り子の根本には、五紡星を思わせる形をした大きな蘭の花――アングレカム・セスキペダレの不枯れの精花が咲き誇っている。
――チク、タク……
――チク、タク……
不枯れの精花を用いられてはいるものの、これはあくまで現代の花導器。
先々代の店主がこの世に生を受けた時に、父親がたまたま手に入れた不枯れのアングレカムで、先々代の為に作り上げプレゼントしたものだそうだ。
先々代が生まれた時の朝にこの宿屋にやってきたこの振り子時計は、その時から休むことなく時を刻み続けている。
――チク、タク……
――チク、タク……
当時の最先端技術を用いて作られたこの時計は、一日に最大三回まで、音を鳴らす時刻を設定できる仕様だった。
朝の七時。お昼の十二時。夜の七時。
最初に設定されたその時間は、今なお変更されることなく、それぞれの時間に鐘の音が鳴る仕掛けだ。
だが、ここ数年は時を刻むだけで、指定時刻に音が鳴らなくなっている。
――チク、タク……
――チク、タク……
カイム・アウルーラの花修理職人が、中央広場の風乱多花の大時計の次に、一番診ている時計とまで言われている古時計。
契約をしている花修理職人には原因がわからず、他の花修理職人も、お手上げだったこの時計は、こうしてユノ・ルージュへと白羽の矢が立つことになった。
――チク、タク……
――チク、タク……
♪
「お疲れさま」
バラせる範囲でバラしてから、組み直したユノが小さく息を吐いた時、アロエリーナが声を掛けてきた。
試練と個人的報復――と本人は言っていた――を終えたアロエリーナが無事に花と思いを束ね合った相手というのが、この宿屋の主人だ。
ユノへの依頼も、アロエリーナを経由してやってきたものである。
「どうぞ」
「いただくわ」
薄紅色の冷たい花茶の入ったグラスを差し出されたユノは、それを床に座ったまま受け取り、軽く喉を湿した。
バラして組み直すまでの約二時間。何も口にしていなかったので、花茶のほのかな甘みと、喉を流れる冷たい感触が心地よい。
「それで、どうかしら?」
アロエリーナに問われて、ユノは古時計へと視線を向ける。
「そうね……。
あたしの前に依頼された花修理たちがお手上げだったのが良く分かったわ」
ハッキリ言ってしまうと、異常らしい異常がなかったのだ。
根幹となる古ぼけた基札は、定期点検の契約をしているだろう花修理が丁寧に診ていたようだ。
穴が開いたりひび割れたりしている部分には、ホーローという木の樹液で補修してあり、基札に描かれていた花術紋の薄くなったり消えたりしていた部分などは、ホイート石の粉末などを用いて丁寧に書き直されている。
何度も交換されているだろうキルヒホ樹の根を加工した霊根も、最新の加工法ではなく、この時計に合わせた古い規格の加工法で作ったものが使用されていた。
外装だって丁寧に掃除をされていて、常に汚れがない状態が保たれているのが見て取れる。
持ち主も、その家族も、定期点検の契約を結んでる花修理職人も、とにかく丁寧にこの時計を取り扱っているのが読みとれるからこそ、誰もがこの時計の異常に首を傾げるのだ。
「やっぱ、異常らしい異常はねぇか?」
ユノとアロエリーナの元へやってきたのは、この宿屋の店主ダーウ・セアトル。
アロエリーナとの結婚を期に、両親からこの宿屋を受け継いだ若き店主である。
「他の花修理職人たちも、そう言ってたのね?」
「ああ」
花茶を飲み干し、グラスをアロエリーナに返してから、ユノは腕を組みながら立ち上がった。
「まったく……どうして音が鳴らないのか、教えて貰えるなら教えて欲しいところだわ」
ユノが困ったような笑顔で告げながら、古時計を優しく撫でる。
ちょうどその時に、アロエリーナでもダーウでもない老人の声が聞こえてきた。
「おや? もしやユノちゃんかな?」
「ええ。ご無沙汰してます。ローダンさん」
「うむうむ。やはりユノちゃんか。
そやつをそのように優しく撫でる修理屋など、おんしかフリッケライのやつしかおらんしな」
杖を付き、フラフラと歩きながらローダンは古時計の元へと向かってくる。
だが、途中で躓きそうになり、アロエリーナが慌ててローダンを支えた。
「おお。すまぬな、アロエリーナちゃん」
「いえ……。でも、お義祖父様……いくらココまでとはいえ、あまり無理は……」
「心配してくれるのはありがたいんだがなあ……。毎日一回はこやつと顔合わせをせんと気が済まぬでな」
アロエリーナに支えられながら古時計の元へとやってくるローダンに、ユノは半歩ズレて場所を譲る。
ローダンは古時計に触れながら、笑みを浮かべた。
そして兄弟か、親しい友人と語り合うかのように、古時計へと話しかける。
「生まれてからずっと一緒におったが……お互い、もうオンボロじゃの。
おんしもワシも見た目をどれだけ取り繕うとも、中身はボロボロなのは誤魔化せんよなぁ」
古時計へと語り掛けるローダンに、ユノの脳裏にとある推測が思い浮かんだ。
「中身がオンボロ……。
そうか……そういう可能性もある、か」
「ユノ嬢?」
ダーウの耳にはユノのこぼした独り言が届いたのだろう。
訝しむ彼に、ユノは独りごちるよう答えた。
「どんなものにも寿命はあるって話。
古代花導品はそれを越えた先にあるモノだろうけど、現代の技術で作られたモノは、寿命を越えられるモノはない。できるのは延命だけってコト」
それが正しいのかどうかは分からない。
だけど、そうであれば、どれだけ原因を特定しようとしても分からなかった理由になるかもしれない。
「ふぅー……歳は取りたくないものじゃな……。
こやつと語り合うだけでこれほど堪えるとは……」
「家まで送りますよ。お義祖父様」
「すまないの。アロエリーナちゃん」
「悪いなアロエリーナ。爺ちゃんを頼むわ」
ユノとダーウはローダンを見送ってから、改めて古時計の前へとやってくる。
「すごいわね、アンタは」
とはいえ――現状でユノにできることはない。
ただ、それでも、ユノは少しだけこの古時計と話がしたかった。
「ローダンさんが生まれた日にここへ来たなら、ローダンさんのコトをずっと見ていたのよね」
「そう言われると、すげぇな。コイツは。
婆ちゃんが嫁いできた時も、親父が生まれた時も、お袋が嫁いで来た時も、俺が生まれた時も、アロエリーナが嫁いで来た時も……ずっとここで見てきたのか」
「ローダンさんの家族だけでなく、この宿へ泊まった数多の綿毛人たち。お客さんたち。
この食堂で起きた嬉しいコトも、悲しいコトも、バカ騒ぎも……もしかしたら、誰よりもこの宿を知っているのは、この子かもしれないわね」
――チク、タク……
――チク、タク……
秒針の奏でる音を聞きながら、ユノが今一度時計に触れる。
――チク、タク……
――チク、タク……
その時、秒針の音の中に、渋く深くそれでいて優しさに溢れる男性の声が混ざっている気がした。
「……ねぇ、ダーウさん」
「ん?」
「今晩、部屋は開いてるかしら?」
「どうした、急に?」
「んー……なんだかこの時計に、今晩は泊まっていけって言われた気がしたのよ」
ユノの言葉をダーウはバカにすることなく、うなずいた。
「分かった。そういうコトなら是非泊まってってくれ。
宿代は気にするな。報酬の一環ってコトにしておくからよ」
「ええ。ありがとう」
「なら、ちと部屋を整えてくるぜ」
「お願いね」
ダーウはユノの元を離れて、客室のある二階へと上がっていく。
ユノの為の部屋を用意している途中、妙な胸騒ぎに気づき、彼はベッドメイクの手を止めた。
「……なんだ?」
訝しんでみるものの、原因が特に分からず頭を振る。
そして、その奇妙な胸騒ぎを吐き出すように、大きく息を吐くのだった。
その晩――
ユノは寝付けぬまま、ベッドの上で何度も寝返りを打っていた。
「あの時計――恐らくだけど、概念精霊になりかけてた」
寝れないのであれば、考察をしようと、ぶつぶつと独りごちながら、思考をまとめていく。
「守護剣リリサレナ・ガーデンと同じパターンね。
花導品の不枯れの精花に長時間宿り続けていたがために、時計と花と精霊が一体化してしまった状態。
声が聞こえたのも気のせいとかじゃなくて、半ば精霊化していた時計そのものの声で間違いなかったんだわ」
だとしたら――なぜ時計はユノへと泊まっていって欲しいなどと告げたのか。
夜に鐘が鳴らなくなった理由があるのか。
あるいは――今晩何かが起こるのか。
「時計に咲いていたのはアングレカムの、セスキペダレ種だったわよね。
確かアングレカムの花言葉は、『祈り』そして『いつまでも貴方と共に』……だったわね」
そこでふと、ローダンの名前が脳裏によぎる。
恐らく、彼の名前はローダンセという花が由来になっているのだろうと想像が付く。
「ローダンセの花言葉は……『終わりなき友情』……」
ユノは自分の脳裏で組み上がっていく仮説に、歯を食いしばるように、顔を歪める。
「ローダンさんと時計……。
お互いが、お互いのコトを理解していたのだとしたら……」
――ゴーン、ゴーン……
――ゴーン、ゴーン……
まるでユノの想像を肯定するかのように、一階から古時計の鐘が鳴る音が響きわたった。
――ゴーン、ゴーン……
――ゴーン、ゴーン……
真夜中に突如鳴り始めた、鳴り止まぬ鐘の音に、ざわざわと二階に騒ぎが広がっていく。
「時計の呼び声――あるいは、挨拶かしら?」
そう独りごちながらユノが部屋の外へでると、強面の男が声を掛けてきた。
「おう。嬢ちゃんも起こされたのか?」
「……そうかもね」
――ゴーン、ゴーン……
――ゴーン、ゴーン……
「こんな真夜中にいきなりあの時計が鳴り出すとはな」
「あら? あの時計を知ってるの?」
「おう。カイム・アウルーラに来るときはいつもここだと決めてるからな。ここ最近は、めっきり聞かなくなってたんだが……」
「そうね。壊れていたもの。鳴らないわ」
「嬢ちゃんは修理屋か?」
「ええ。ちょっと様子を見る為に泊まってたのよ」
「鳴ったってコトは修理成功か?」
――ゴーン、ゴーン……
――ゴーン、ゴーン……
強面の男の期待に満ちた眼に、ユノは首を横に振った。
「あれは、誰にも直せないわ。
劣化とか破損じゃなくてね、寿命だったの」
「じゃあ、何でこんな真夜中に鐘がなってるんだよ」
「……あの時計なりの、お別れの挨拶なんでしょうね」
小さな嘆息と共に吐き出されたユノの言葉に、
「……そうか。世話になったし、挨拶くれぇはしておくか……」
男もまた、別れを惜しむような顔で、そう応えた。
――ゴーン、ゴーン……
――ゴーン、ゴーン……
――ゴーン、ゴーン……
――ゴーン、ゴーン……
二階の宿泊客には男が説明をしておいてくれるそうで、ユノはそれを任せることにして、下へと降りていく。
「ユノ嬢!」
階段を下りると、ダーウが慌てた様子で声を掛けてきた。
ユノはそれに対して、冷静に言葉を返す。
「お別れの時が来たの。この鐘はそれをみんなに告げるモノよ」
「お別れ?」
「お客さんへの対応はやってあげるわ。
ダーウさんは、ローダンさんを連れてきてあげて」
ユノの言葉にダーウは逡巡をしたが、ややしてうなずくと、裏口から外へと出て行った。
その背を見ながら、ユノは自分が些か残酷なことをしてしまったような気分になり頭を振る。
――ゴーン、ゴーン……
――ゴーン、ゴーン……
食堂の時計の元までやってくきたユノは、ゆっくりと時計を撫でる。
鐘は音は規則的に鳴り続けているが、その秒針の動きは不規則になっていた。
カチリと一秒進むと、少ししてカチっと一秒戻る。
不規則にそれを繰り返す秒針は、なんだか悪足掻きのように見えた。
――ゴン、、、、ゴーン……
――ゴーン、、ゴ、ン……
ついには、鐘の音も不規則なってくる。
音も、お世辞にも綺麗な音とはいえない。
――ゴゴ、、ン、、、ゴーン……
――ゴーン、ゴーン………………
最後の最後に綺麗な音を奏でたあと、音は鳴らなくなり、秒針も振り子もその動きがゆっくりとしたものになっていく。
振り子の付け根付近に咲いていたアングレカム・セスキペダレも、急速に萎れていくのを見ながら、ユノは時計に手を当てる。
手のひらから感じていた時計の中のマナも、ゆっくりと失われていくのを感じる。
この時計はもう動かない。
不思議と、そう直感する。
音が鳴らなくなったのと同じように、花を変えても、霊根を変えても、基札を変えても――何をやっても動かないだろう。
心臓の鼓動が止まりゆくように、振り子の振動が弱っていくのを、ユノが目を瞑りながら感じていると、息を切らしたアロエリーナに呼びかけられた。
「ユノちゃん」
ユノはゆっくりと目をあけて、アロエリーナへと向き直る。
そして、彼女が息を整え終わるよりも先に、確信を持ったように訊ねる。
「ローダンさんの命核が、幻蘭の園へ旅立ったのね」
「はい。そうなんです……って、え? 何でユノちゃん……それを?」
アロエリーナの疑問に、ユノは振り子も秒針も止まり、僅かな振動すら立てなくなった時計を撫でながら答えた。
「この子が教えてくれたのよ。
ローダンさんと一緒に、旅立つって」
「ユノちゃん、まるで花導品とお話ができるみたいに言うのね」
「よく言われるし、以前までは何となく分かるだけで、そんな能力はない――って答えてたんだけど、実際に喋る花導品と出会っちゃってるから、何とも言いづらいわね」
小さく肩を竦めてから、アロエリーナへとユノは笑いかける。
「ローダンさんのところへ戻った方がいいわよ。
悲しみに暮れるコトも必要だけど、やるべきコトだってたくさんあるでしょう?」
「そうですね。一時的に宿を閉めるかどうかとかも、考えないとですしね」
ペコリとアロエリーナはお行儀良くユノへと頭を下げると、足早に食堂を後にする。
あとに残されたユノは改めて古時計へと向き直り、それを撫でながら、まるで慈悲深い精霊のような顔で穏やかに告げた。
「長い間お疲れさま。
今宵――幻蘭の園へと旅立つ、あなたとあなたの親友の旅路が、良き旅でありますように。
精霊の庭の一角から、届く限りに祈らせてもらうわ。貴方の花言葉のように、ね」
―――――ゴーン…………
まるでユノの見送りの言葉に礼を告げるように、一度だけ大きく音が鳴り――それ以後、この時計が動くことはなくなるのだった。
余韻と雰囲気を優先するために敢えてオミットしましたが、この時計は動かなくなったあとも、宿屋のシンボルとして定位置に佇んでいます。
定期的にユノが掃除しに来る約束をしたようです。
実はこの話、第二部の騒動編の途中で思いついていたネタだったりします。
騒動編まっただ中でやるような話ではなかったので温存しておりました。
気づかれた方も多くいらっしゃるでしょうが、平○堅氏もカバーした有名なあの曲をモチーフにしています。個人的に好きなあの曲を聴いていた時、ふと歌詞がユノの世界観に合う気がして勢いでプロットを作ってみた次第です。
次回はぼちぼちプロテアン・ズユニックの面々にスポットを当てたいかなと思ったりしています。




