086:新しいいつも通りの日々
お待たせ致しました。連載再開、第三部開始です。
――花は、精霊の止まり木である――
「はぁ――……ぁ」
花修理の工房――フルール・ズユニックの地下にあるアトリエに、聴くだけで異性どころか同性まで魅了しかねない蠱惑的で艶めかしい吐息の音が響く。
声の主――この工房の主である少女ユノ・ルージュは、溢れ出る花の蜜のような、甘くとろりとした笑みを浮かべ、手の中のそれを愛おしそうに優しく撫で回している。
出張修理で余所行きの顔をずっと張り付けていた為、こうして完全に気を抜いて古代花導具を堪能するのも久しぶりだからだろう。
いつも堪能する時以上に妖艶な雰囲気を纏っていた。
今年の誕生日を迎えれば成人と呼べる歳になるのだが、彼女の小柄で華奢なシルエットのせいで、実年齢より幼く見える。
趣味と仕事で、工房に引きこもり不健全な生活をすることは多々あるものの、見た目どおり華奢というわけでもない。
胸こそ薄いものの、身体は適度な筋肉と脂肪がついており、インドア派とは思えないほど健康で運動馴れした身体つきをしている。
これは――
『研究も修理も身体が資本。身体は鍛えておいて損はない。賊とやりあうにも、戦い方を知っておいて損はない。
術は後手に回りやすいし、一人で戦うなら術の準備時間を作る手段も必要だろ?』
――という、彼女の師の方針と、何よりユノ自身がその必要性を感じて、鍛えているからだ。
――精霊は、宿として利用した花にマナを残す――
手の中のそれ――不枯れのゼラニウムの花を束ねて作られたハート型の古代花導具を作業台へと丁寧に置いて、熟れた果実のように甘い吐息を一つ。
左右で色の異なる大きな瞳を細めて、慈悲深く見守る姿は、女神のようにも思わせる。
「この子はあくまでパーツのようね」
深紅のゼラニウムによって作られたハート型のそれは、色味も相まってまるで心臓だ。
そして恐らく、これは何らかの花導品の心臓部でもあるのだろう。
これ単体では意味をなさない構造になっているのが見て取れる。
「呼び名がないと不便よね――うん、正式名称が分かるまではハートレッドって呼ぶとしましょう」
欲情し顔を上気させながら、慈しむように、名前を呼ぶ。
名を呼ばれた者の理性が蒸発してしまいそうな表情と声色だが、生憎と相手は花導品だ。
残念なことに、彼女がこういう姿を見せるのは、花導品が相手の時だけなのである。
――花はマナを用いて自らをより美しく整え、着飾るのに余ったマナを周囲へと分け与える――
作業台の上のハートレッドを見下ろしていると、はらりと、少し伸びてきた栗色の髪が落ちてくる。
「どんな子の心臓で、どんな姿で、どんなチカラを持っているのかしら?」
髪を指で弾きながら、ハートレッドの本来の姿に思いを馳せる。
ハートレッドの大きさは、成人男性の握り拳ほど。
それを思うと大本の花導品は大きめではあるが、花時計や花噴水のような大規模なものではないだろう。
「……いや、でも花時計のカンテラみたいな可能性もあるわね……」
これと同じような花導具が複数存在していても不思議ではないだろう。
なんであれ、大変すばらしいものが、手元にきた――とユノは素直に喜んだ。
――人々はそのマナと、マナの元となる花に目を向けた――
そんなユノの姿を見て、地下室の入り口にペタリと腰を落とした少女がいた。
煌めくような薄紫色の髪の下で、夕暮れ色の瞳をぱちくりとさせている。どうして自分が地面に腰を落としているのか、理解できないという表情だ。
少女――ライラは今、ユノの工房でお手伝いをしていた。
ユノの共同経営者であるユズリハが作っていたお昼が完成したので、ユノを呼びにきたのだ。
だが、地下室のドアを開けて見ると、机に向かっているユノが放つ不思議な――だけど濃密な――気配と、それの呼応するように部屋の中に渦巻くマナにあてられてしまった。
まるでマナに全身を舐められたような、初めて感じる不可解な感覚に戸惑っているうちに、腰が抜け立てなくなってしまったのだ。
そのことに混乱していると、ポンっと肩を叩かれる。
「ライラ、深呼吸」
肩に置かれた手から感じる穏やかなオドに安堵しながら、言われたようにライラは深呼吸をした。
「ユノがこういう興奮の仕方をしてる時は、わりとマナが艶を持って渦巻くコトがあったけど、今回は格別だねぇ……」
「いつもよりすごいってコト?」
「うん。私でもゾクゾクしちゃう。気を抜いちゃうと、あてられちゃいそうだねぇ……よっぽど嬉しいんだね、あれ」
「そんなのんきに構えてていいの……?」
さすがに、工房の外まで影響がでるようなら危ないのでは――とライラが告げると、それもそうだとユズリハはうなずいた。
――人々はマナを得るために世界に花を増やし――
「もうちょっとこのマナに当てられてゾクゾクしてたいけど」
「してたいの?」
「え? 気持ち良くないこれ?」
「ユズお姉ちゃんは、私にとって最後の一線だったんだけどなぁ……」
「なんでそんなにガッカリしてるの?」
ライラが頭の中にある常識人候補リストからユズリハの名前を見つけバッテンをつけている間に、ユズリハは何食わぬ顔で部屋の中へと入っていく。
ユノに近づくほど、この渦巻く奇妙なマナは濃くなっていくというのに、ユズリハが平然と歩いていくのを見ると、自分はまだまだだな――とライラは思う。
ユズリハは艶めく黒髪に挿している髪飾り――カンザシの飾りを揺らし、シャラリシャラリと音を鳴らしながら、ユノの背中に手が届く距離まで近づいた。
ユノが手に持ったハートレッドを一度作業用の敷物の上へと戻す瞬間を見計らい、ユズリハはその背中へと飛びつく。
「ユ~ノ~ッ!」
「ぅわぁ……ッ!?」
突然抱きつかれ、ユノが驚いたような声をあげるとともに、渦巻いていた艶のあるマナなるものが、霧散していくのを感じる。
「ふー……――ごはん、で・き・た・よ」
「うひゃぁ……耳に息吹きかけながら囁くなッ!
ふつうに声を掛けなさいッ、ふつうにッ!!」
ジタバタと動いてユズリハを背中から引っ剥がし、ユノは大きく息をはく。
それに対して、ユズリハはわざとらしく口を尖らせた。
「あの状態のユノは、ふつうに声かけたくらいじゃ反応しないでしょー?」
「それはそうだけど……って、それなら抱きついてくるだけで良かったでしょ! わざわざ耳に息吹きかける必要なんてないじゃない!」
「甘いッ! 耳なんてただの陽動! 本命はその薄い胸ッ!」
格好良くユノの胸元に指を突きつけるユズリハ。
それに対して、ユノは無表情にその指先をはたき落とす。
――人々はマナを利用する為に、道具に花を咲かせた
それ故に世界には花が溢れ 人々の生活に花は欠かせぬモノとなっている――
「セクハラすんなと……何度言ったらわかるのよッ!」
「自分だって壮絶な色気放ってたんだけど自覚ある?
それはもう誘蛾灯に集まってくるような蛾の気持ちでセクハラもしたくなっちゃうよ」
外で絶対にそういう喜び方はしないように……と、ユズリハが言えばユノは少しだけ真顔になった。
「そんなに?」
「ライラが空気に当てられて、腰砕けになって呆然としてたよ」
「……うっ、それは申し訳ないというか何というか……。
ハニィロップから戻ってきてからこっち、何となく内在のマナを持て余してるような感じがあるのよねぇ……」
そのせいで、部屋の中にマナ溜まりのようなものが生まれてしまったのかもしれない――と、ユノが推測する。
「ここみたいな閉鎖区間ならともかく、外ならそこまでになったりはしないと思うわ」
「そう願いたいね……」
やれやれとユズリハが大袈裟に肩を竦めてみせてから、階段を示す。
「それはそうと、ご飯だよ。
適当に片づけて、すぐにあがってきてね」
「ええ、わかったわ」
――世界で花が必需品となったからこそ
花を直す者が生まれるのも必然であり――
「ところで、今日の依頼は?」
「今日は特に来てないけど、現地での作業予定はいくつかあるでしょ?
ご飯を食べ終わってらちゃんと行ってね。
ライラには、お仕事教えておくから」
「ええ」
ユズリハにうなずくと、ライラに小さく手を挙げて詫び、散らかった作業台の片づけを始める。
「行こうライラ。ちゃんとユノは来てくれるから大丈夫」
「う、うん……。
結局、私はおねーちゃんを呼ぶコトもちゃんと出来なかった……」
「いやまぁ、今回は仕方ない」
そんなやりとりをしながら、階段を登っていく居候と、従業員兼弟子の気配を感じながら、ユノはハートレッドを撫でる。
「今ここでできるのはこのくらいだけなのよね」
――そんな、生活に必要な花や花導具などを修理する職人達を――
「貴方の他の部位を見つけたら、ちゃんと組み込んで直してあげるから、今はそのままの姿で我慢してね」
子を慈しむ母親のような顔で、ユノはハートレッドに語りかけたあとで、丁寧に箱へとしまう。
ハートレッドの入った箱は、鍵のかかる棚へとしまい、続いて机の上で雑多に転がる工具などを片づける。
そのすべてを終えると、よし――と一息ついて、地下室のドアの横にあるスイッチにマナを巡らせた。
地下工房の照明が落ちたのを確認してから、ユノはゆっくりとドアをしめ、待ちかねてうずうずしているであろうユズリハとライラの元へと向かうべく、階段を登っていくのだった。
――人々は花修理職人と呼んでいた――
これまでどおり、第三部前半はカイム・アウルーラの街を中心とした日常をお送りします。
そして、連載再開早々に、このようなのも心苦しいですが、
プライベートの都合もありまして、しばらくは不定期更新になるかと思います。
楽しみにされている方にはちょっと申し訳ないですが、
引き続き、よろしくお願いして頂ければと、思います。




