085:エピローグ-後編- 白銀は空にたなびき
その日、ハニィロップ国王ターモットは、国中へお触れを出した。
ここ最近の花噴水の不調は、内部の汚れによるものである。
カイム・アウルーラより招いた、古代花導品にも精通する花修理職人によってその理由が解き明かされ、同時に花噴水には、それを洗浄する機能があることが判明した。
この洗浄機能を使うと、恵みの雨のかわりに、汚水を外へと吹き出すそうである。
よって、皆には苦労を掛けるが、これが使われる一ヶ月後までに、汚水を受ける覚悟と準備をしておいてほしい。
この汚水がどのような悪影響を与えるかわからぬ。
それ故に、田畑や家畜、植木や花畑など――可能な限り汚水を浴びないような対策を各自に講じてほしい。
むろん、被害による補填は考えてある。必要な物資の提供の用意もある。だが、限度があることを理解してもらえると幸いだ。
汚水の排出後、一時間ほどの時間は恵みの雨を降らすそうである。
それにより汚水は洗い流されることが想定されるが、万が一もあるので、汚水対策が必要なものには必ずしておくように。
汚水による悪影響が発生した場合は、速やかに国へ報告すること。
皆には迷惑をかけてしまうが、よろしくお願いする。
そのお触れは、紙に印刷され身分問わず全ての国民の家へと配布された。
また、広場や各種ギルドの前などの人が集まりやすい場所にも立て札がおかれ、徹底して周知された。
それに対し、準備や対策が面倒だと言う人はいても、迷惑だと言う人はハニィロップの国民にはいなかった。
実際はいたのかもしれない。
だが、花噴水の恩恵を受けて生活しているこの国で、花噴水が元気になるのに清掃が必要だと言われれば、協力することを拒否する者は少なかった。
何せ、花噴水はこの国に住まうものとして、無くてはならない存在だ。無くてはこの土地で生きていけないといっても過言ではない。
だと言うのに、自分たちはありがたがるだけで、花噴水に何もしてあげられていなかったのだ――その事実が、民たちにはショックだったらしい。
だからこそ、名も知らぬ花修理職人に、皆は感謝をした。
原因を突き止めてくれて――
その原因の対策を見つけてくれて――
――ありがとう、と。
最初のお触れからしばらく経ち、二度目のお触れが出回った。
それにより、清掃日の正式な日取りが告知されたのだ。
当日の十二時から開始。その時間帯には出歩かないように――
不思議と、ハニィロップの国民たちは不安よりも期待の方が強かった。
存分に汚れを吐き出して、これからも元気な花噴水でいて欲しい――そういう願いがあったのだろう。
時間が迫ってくると、皆が窓に集まった。
窓越しに、何が起こるのかと待ちかまえる。
やがて、時計が十二時を示す。
すると――全ての花噴水が、いつもとは違う様子で、開花しはじめた。
始まった――と誰もが理解し、そして……
「なんだ……これは……?」
清掃機能を起動させた花修理職人すら予想外の光景が、ハニィロップ中に広がった。
☆
「あー……まぁ冷静に考えてみれば、マリア・クイン・プロテアが、そのまんまな清掃機能なんて付けないわよね……」
遺都の制御装置で、清掃機能の機動させ、すぐに地上へと戻ったユノは外に広がる光景を見て、思わずそううめいた。
だが言葉とは裏腹に、その顔には満面の笑みが広がっている。
「わざわざ王様を手間取らせちゃったね……」
「違うよライラ。それは結果論。こんなの、ユノも王様も、想定していなかったもの」
ユズリハの言う通りだ。
ユノはその機構を調べた時点では汚水を外へとそのまま吐き出す機能だと理解していたのだ。
実際、動きとしてはそうだった。
だが――内部洗浄とそれによって生じた汚水の排出に加え、もう一手間掛かっていることに気づけなかったのだ。
いや、あるいは――
「マリアはいたずら好きだったらしいしね。
この機能に気づいて、いろいろと根回したやつが唖然とするところとか、想定してたのかもね」
実際に、ユノたちも想定外の光景に驚いているのは確かだ。
「クイン・プロテアの事実って本を出版して啓蒙するべきだと思うんだ」
「ユズリハの気持ちは分かるけど、あたしは書かないわよ?」
「ライラは、これまでの印象を大事にしたいかなぁ……」
ライラの中のクイン・プロテア像がどんどん崩れているらしく、少しばかり同情してしまう。
「ライラ、歴史の事実なんてそんなものよ」
「ユノのそれは慰めになってるんだかなってないんだか……」
「お姉ちゃんたち……わたし、強く生きるよ……ッ!」
そのライラのよくわからない決意に、なんだかなー……とユズリハは苦笑を漏らすのだった。
☆
「汚水を吐き出すんじゃなかったのかよ」
とある空き家の窓から外を眺めているクラウドが呟く。
それが聞こえたらしい、ジャックが笑った。
「汚水をああいう形に変化させてる機構があるんだろうよ。
イタズラ好きのクインのコトだ、それを敢えて機能説明の項目から消してた可能性もあるな」
「マリア・クイン・プロテアのイメージがどんどん崩れていきますね」
少しだけガッカリした様子のレインを見ながら、サニィは外を見る。
「それでも――マリアはこの場所が好きだったんじゃないかしら。
あるいは、いずれこの地に広がるだろう新しい国を、国が生まれる前から慈しんでいたのかもね」
生まれる前から、生まれるかも分からない時から、そう慈しまれているこの国が羨ましいと、サニィは思う。
「ここ最近、お前らを働かせ過ぎてたからな。ちょいと休暇にするか。
好きな場所で好きに過ごしていいぜ。必要になったら召集するからよ。
レインも俺につきあわず、ちょいと自分で好きに過ごしてくれ。あんま人を連れていきたくない仕事があるんでな」
先を制され、レインは小さく口を尖らせそうになる。
慌てて姿勢を正し、彼女はジャックに了承の意味を込め、一礼する。
「ごまかせてないわよ、レイン。
ま、わたしは少しカイム・アウルーラに興味あったし、ちょうどいいわ」
「何だサニィも、カイム・アウルーラか。オレも行く予定なんだけど、ケルン相乗りするか?」
「そうね。お願いするわ」
トントン拍子で話を進めていくサニィとクラウドを横目に、レインはどうするかを少し考える。
休暇をどう過ごすか――すぐには思いつかないが、空の光景が収まる頃には思いつくだろう。
ただ少しだけ、レインは自分に不安を覚えた。
もし自分がジャックに不要だと言われたら、生きていけるのかどうか――と。
☆
天に輝くその光景を見ながら、その男は頭をかきむしる。
どうして、どうして、どうして――何度自問しても答えはでない。
でなくて当然だ。彼は自分の行動に何一つ疑問を抱いていないのだから。
どこで間違ったと自問しても、どこも間違っていなかったと考えてしまう愚かさこそが、その原因だと気づいていない。
ヒースシアンは捕まった。その捕り物の途中のできごとで意識不明の重体になったと聞く。
コキゾザークは、ヒースシアンからもらった黒い指輪を暴走させ異形化したところを、通りすがりの綿毛人に討たれたという。
そのニュースを、彼は素直には受け止めない。貴族らしく、その意味について考えてしまう。
そうして結論を出せば、答えは一つしかなかった。
――次は自分である。
「クソッ、クソッ、クソッ……!!」
すでに彼は、ハニィロップから離れた。
手配が回ることを予想して、かなり早い段階で、だ。
屋敷の使用人たちにも何も言わずに、だ。
だが、どこまで逃げればいいのかわからない。
口汚く毒づいても、何の意味もない。何一つ気が晴れない。
馬が途中で倒れたので馬車を乗り捨て、それでもどこか遠くへ行かなければという意志の元に、ひたすら歩き続ける。
彼の指についているオダマキの指輪が怪しく光る。
逃げ出したのは彼の意志だ。歩き続けるのも彼の意志だ。
ならば――無意識に向かって進んでいる先は、彼の意志か、偶然か。
あるいは……
☆
「これを、オーロラと言うのだったか……」
王城のバルコニーから空を見上げながら、ジブルが呟く。
それに呼応したわけではないだろうが――頭の中に、ドリスの声が響いた。
《ジブル兄様、聞こえますか?》
《ああ、聞こえている。だが、お前はどこにいるのだ?
ユーノストメア嬢とシェラープにいると聞いていたが……?》
《ええ。シェラープにおりますよ。この念話はシェラープからなのです》
《なんだと……ッ!?》
想定外の言葉に、ジブルは目を見開く。
《このオーロラのチカラなのだそうですよ》
ドリスに言われて、ジブルの意識が空に向く。
白銀色の――まるでレース地の布のような光が、何もない空でなびいている。
それが揺れるたびに、虹色に輝く雪のようなものが、チラチラと地上に降り注ぐ。
《どういうコトだ?》
《花導学として見るとあれはオーロラではないそうですが、専門的な話はややこしくて良くわかりませんでしたので、脇に置きますね》
ドリスの言い回しからすると、ユーノストメアが丁寧に説明をしてくれたのだろうと分かる。
もっとも、専門的に過ぎてよくわからないというドリスの言葉も理解できるので、ユーノストメアには申し訳ないが、話を脇に置くことに異論はなかった。
《花噴水は、地下水を恵みの雨に変えるチカラを、今は汚水を噴出する前に浄化してオーロラを作り出す液体へ変えるチカラに変更されているそうなのです》
《それが、この空の正体か……》
《はい。そして、このオーロラは特殊なマナで構成されているそうです》
《特殊なマナ?》
《ユノお姉さまも興奮して何か言っていたのですが、如何せん専門的過ぎて……》
困ったような思念に、ジブルは本気で困らされたのだろうというのが分かった。
《それでも、理解できた範囲の話をしますと――》
自分たちでも正体がよくわかってなかったこの念話は、レイというチカラを介して交信をする一種の花術ないし葉術なのだそうだ。
レイを介した術というのが、現状では判明していないので、ユーノストメアは暫定的に、実術と呼称したという。
《私たちの実術は、思念をマナに伝播させて言葉を届けているのだそうです。土地柄、私たちは闇属性と相性がよく、レイに近いマナほど思念が乗りやすいのだとか。
そしてあのオーロラは限りなくレイに近いマナなのだそうです》
《なるほど……そうすると、念話の範囲が狭まっていった理由が漠然と分かってくるな》
恵みの雨の雨量が下がり、闇のマナや精霊のチカラが落ちていっていた。
さらに、そこに邪精の眷属が暗躍し、マナを喰らっていたのだ。
念話のチカラが弱まっていたのはそのせいなのだろう。
「く、くくく……そうか。そうか!」
思わず笑みがこぼれる。
ジブルは心の底から安堵した。
《よかった……お前との絆が弱まったせいで、お前からの信頼が弱まっていたせいで、念話が弱くなってしまったのだと……自分が不甲斐ないせいだと……ずっと思っていたんだ》
《私もです。兄様》
だがそれは杞憂だった。思いこみだったのだ。
《ドリス……お前が戻ってきたら、父上と母上を交えて話をしよう。
我々が王位継承についてどう思っているのか、父上と母上はどう思っているのか。
派閥など関係ない。外野の思惑や野次などどうでもいい。王家の――家族としての言葉を、まず交わしあおう》
《……はいッ!》
念話を終えて、ジブルは空を見上げる。
白銀のカーテンは穏やかに空をそよいでいる。
天幕から降り注ぐ虹色の雪は、愛らしく舞い落ちている
背後から、人の気配が近づいてきた。
それが父であると気づいていたので、ジブルは気にせずに空を見上げて続ける。
「ずいぶんと晴れた顔をしているな」
「悩みの一つが、無知による勘違いであったと気づきましたので」
「そうか」
父は、それ以上のことは言わない。
けれども、一緒に空を見上げてくれる。
「汚水の処理も、しっかりと考えてくれいたようだ。清らの乙女殿は」
「そのようです」
「これからは年に一回、浄化の祝日という日を作ろうと思う」
「そうですね。今後は一年に一回くらいは、花噴水を掃除してあげないといけませんね」
父のアイデアに肯定し、それから苦笑する。
「ですが、浄化の祝日という名称は微妙かと」
「そうか?」
「それに、この白銀のオーロラと虹の雪は、生き物に対して何の悪影響もないそうです」
だから祝いの日にするだけでなく、祝祭の日にした方がよいだろうと、ジブルは告げる。
花噴水に感謝し、その休息の日にのみ見ることができる、白銀の天幕と虹色の雪を楽しむ祭日。
「我が国は諸外国から白銀の国と呼ばれながらも、それにちなんだものがありません。丁度良いのではないかと」
「なるほど。悪くないな――白銀の日と呼ぶか」
「来年の白銀の日には祭りもしましょう。
白銀の日の白銀虹雪祭というのはどうでしょう」
「では、その方向で話を進めてみるとしよう」
せっかくの親子の語らいが、気がつくと仕事の話になっている。
だが、それもまた自分らしいと言えるかもしれない。
話が一段落すると、しばしの沈黙が流れる。
そんな中、ジブルはふと、ユーノストメアに初めて会った時のことを思い出す。
「ああ、そうだ父上。それから――」
ほとんど思いつきで、ジブルは父に相談を持ちかけた。
☆
ガタゴトと音を立てて進む帰路の馬車。
御者をしている年嵩の執事ハインゼル・ロベリアンはさておくとして、ユノ・ルージュは周囲に視線を巡らせた。
自分もお嬢様の姿をしているし、ユズリハとライラが行き同様に侍従服を着ているのも問題はない。
ただ、この場に――ある意味で一人足りていない。
そのことにユノが首を傾げていると、ユズリハが訊ねてきた。
「ユノ、今回の一件――満足?」
「花噴水に関しちゃ、一応満足かなぁ……。
でも、プリマヴェラを直してあげられなかった。だから、一連の出来事で括ると満足できてないかな」
「そっか」
プリマヴェラは未知の規格の塊だったのだ。
ユノの今の知識では修理できないほどに。
それが悔しいし、プリマヴェラに申し訳ないと思う。
だけど同時に、世界にはまだ自分のしらない未知の技術があると分かったので、ワクワクもしているのも事実。
これからはもっと、外の世界に目を向けるのも悪くないのだろう。
だが、その為には工房に人手が必要だ。
修理や作成はともかく、毎度毎度、外に興味が生まれるたびに工房を留守にするわけにもいかないから、店番とかしてくれる人がいると助かる。
――そこまで考えて、ふとユノは思いついた。
「あ、そうだ。ねぇライラ」
「なに?」
「今回、アンタも結構がんばってたしね。
その気があるなら、花術だけでなく、花導学も教えるわよ。
ついでに、工房の手伝いとかする気はある? その気があるなら雇うわよ」
ユノの言葉に、ライラは目を見開く。
さらにその横でユズリハが変な顔をしていた。
「なによユズリハ、その顔……」
「私が……私がどれだけ苦労してユノに認めて貰ったのか……ッ! ライラッ、ズルいッ!」
「阿呆な嫉妬してるんじゃないッ!」
「だってさぁ……」
ユズリハとじゃれあいながら、ユノは視線だけライラに向ける。
「答えは急がないわ。気が向いたら、答えをちょうだい」
「うんッ!」
ユノの言葉に、ライラは元気良くうなずいた。
ユノとユズリハのじゃれあいを見ながら、ネリネコリスの顔には笑みが浮かぶ。
娘が楽しそうにしている――その姿だけで、嬉しいのだ。
「いろいろあったけど、やっぱ平和がいいわねぇ……」
「ええ。本当に」
ネリネコリス付きの侍女ムーシエも主の言葉にうなずく。
そんな時――馬車の外から、男の悲鳴のような声が聞こえてくる。
「ま、待ってくれぇぇぇッ! ユノちゃんッ! ネリィ!! パパをッ、パパもッ、馬車にッ、乗せてくれぇぇぇ――……ッ!!」
どうやら、花術などを使ってがんばって馬車を追いかけてきているらしい。
「えーっと……ママ?」
ユノが困ったような顔でネリネコリスの方を見ると、彼女は澄まし顔で告げた。
「放って起きなさい。仕事サボってこっちに来たコトを反省してないのだから」
どうやら、ハニィロップでカッコ良く活躍したことと、仕事をサボったことはトントンではないらしい。
「せめてッ、せめてッ……馬車がダメでもッ、馬を……パパにも馬をッ、貸してくれぇぇぇぇぇぇ……ッ!!!!
そろそろ、マナも尽きそうだからさぁぁぁぁぁ――……ッッ!!!!」
サルタンの悲鳴が街道に響く。
出発前にネリネコリスから散々言い含められていた護衛兵たちは、総団長の悲鳴を必死に無視し続けるのだった。
そんなワケでして、第二部ハニィロップ編 完結でございます。
ここまでお付き合いしてくださった皆様、ありがとうございます。
第三部はカイム・アウルーラに舞台を戻してやる予定です。
そちらも、よろしくお願いします。
第二部に関しましては、作者的には割と反省点も多い話となってしまいました。
もちろん、楽しんで頂けたのでしたら、それが一番幸いなコトではあります。
とにもかくにも、そんな反省点を考慮しつつ、ちょっと第三部を練り直そうと思っております。
ついでに、第二部は思いつきで造語作ったりしてたので、表記揺れもわりかし多くてですね……ちょっとその辺り、最初から読み直しながらの修正も考えております。
なので、第三部は諸々の作業するにあたって少しお休みのお時間を頂いてから、連載開始したいとおもっております。
そんなワケで連載再開時にも、よろしければ引き続きお付き合いいただけたらと存じます。
もし待っている間にも、北乃の書いたものを読みたいという奇特な方がいらっしゃいましたら、ユノとは毛色が違いますが作者の別作品――
『異世界転生ダンジョンマスターとはぐれモノ探索者たちの憂鬱~この世界、脳筋な奴が多すぎる~』
https://ncode.syosetu.com/n8479en/
『雅-MIYABI- ~燈現時代幻獣討伐譚~』
https://ncode.syosetu.com/n9604em/
など、よろしければお読みくださればと思います。
――では皆様、しばしの暇を頂きます。




