074:ヒースシアン と 指輪
日が暮れ始めた街道を、躊躇うことなく突き進む馬車がある。
「すごいですよ旦那様ッ、この武護花導具ッ! 暗くなってきてるのにハッキリとモノが見えますしッ、手綱を通して馬達にも分けてやれば、彼らも疲れ知らずですッ!」
「そうか。今のペースを維持できそうか?」
「やってみないと分かりませんがね、維持できるなら明日の早朝にはシェラープに到着しますよッ!」
「結構。無茶を言って悪いが急ぎの用件なのでね。飛ばせるだけ、飛ばしてくれ」
「かしこまりましたッ!」
黒い種朱の影響で精神が高揚しているのか、御者はとにかくハイテンションに受け答えをしてくる。
だが、それに問題があるわけではないので、ヒースシアンは気にしないことにした。
商業都市デグレシア近郊の遺跡から大量出土したというこの指輪を、何かに使えるかもしれないと、ヒースシアンはまとめ買いをした。
そして、その指輪に使っている種朱は、元々ヒースシアンの家――オリエンス家の地下にまるで封印するようにしまわれていたものである。
元々、緑色をしていたこの朱種には、開封厳禁と掛かれた箱の中に入っていた。
箱の雰囲気からして、父や祖父の手によって封じられたものではなさそうだ。ひょっとしたら、父も祖父も知らなかったかもしれない。
何はともあれ、ちょうど良いと思ったヒースシアンは、それをオダマキの指輪にセットしたのである。
とはいえ、この組み合わせによる恩恵というのは、悪くはないが突出したもののない、単純な身体能力底上げの効果のものだけだ。
だが、ある日、恵みの雨に触れた種朱が突然黒く変色した。
不気味に思いはしたものの、好奇心からマナを巡らせてみれば、見える世界が変わったのだ。
圧倒的なチカラであるというのを理解した。
そして、さらに驚くべきことに、この指輪には意志が芽生えていたのである。
チカラを貸してやるので、チカラを貸して欲しいと言ってきたのだ。
これは契約である――と。
互いに契約を厳守する限り、互いに利を与え続けるという契約だ。
ヒースシアンは二つ返事で了承した。
指輪の意志がどうにも慎重すぎて、苛立つことは多々あれど、指定された場所で恵みの雨を待ち、オダマキの指輪にセットした緑の種朱を雨を当ててやれば、自分のと同じように黒くなる。
最初はただひたすらにそれだけをしていた。
指輪の意志が何を求めているのかはよくわからなかったが、チカラや知恵を貸してもらっている以上、契約通りチカラを貸してやっていたのだ。
指輪を増やし、来るべき時に備える。
来るべき時とやらが何なのかは聞いていないが、それでも黒い指輪が増えていくのは悪くない気分だった。
これだけのチカラを持った花導具を大量に所持している――というのは一種の優越感のようなものがあったのだ。
とにかく、『自分のことが表沙汰にはならないように』という指輪の意志を尊重しながら、ヒースシアンは密かに指輪にセットした種朱を黒く染め続けた。
密かにチカラを使う必要があったので、普段は指輪のチカラを使えずもどかしい思いはした。
だが、マナとは別にオドというチカラの存在を教えてもらったし、オドの使い方を覚える為に、不本意ながら綿毛人協会に依頼を出してみれば、悪くない女が教師として手配された。
講師だけあってサニィには、オドを使った威圧はほとんど効果はなかった。
だが、彼女が感知できないほど極少の指輪のチカラを込めて放つことで、彼女の中に指輪の黒いチカラを蓄積させていくことはできた。
それを繰り返すことで、徐々に徐々に彼女の精神を浸食していくのは楽しかった。
そして、ここ最近――指輪に宿った意志は、シェラープの地下へと行きたいと言い出したのだ。
「シェラープの地下遺跡に何があるというのだ?」
指輪を撫でながら訊ねるが答えはない。
「まぁ良い。急げというなら、急ぐだけだ」
ヒースシアンはそう呟いて、仮眠を取るために横になる。
かなり速度を出しているので馬車は揺れるが、指輪の影響か、それを苦だとは思わなかった。
そうして、馬車は一晩中街道を走り続け、御者が口にした通り、明け方にシェラープの外壁が見えてきた。
だが――
「旦那様ッ、道の先に仮面を付けた二人組がいますが、いかがなさいますか?」
仮面の二人組――恐らくはサニィの仲間だろう。
彼女の様子がおかしいことに気づいて、助けに来たと言ったところか。
それにしては、移動距離の計算が合わないが――
ヒースシアンは僅かに考えてから、小さく息を吐いた。
「止まる必要はない。轢き殺せ。
避けたら避けたで、無視をすればいい」
「了解ですッ!」
御者とやりとりをしていると、指輪が明滅し、意志を伝えてくる。
「街の検問は無視しろ。
指輪を通じてお前の頭の中に目的地を送る。馬車をそこへ急行させろ」
「はいッ!」
こちらが止まるそぶりを見せないでいたが、街道にいる二人組は避けるつもりがなさそうだ。
何かされても面倒なので、ヒースシアンは黒く染まった自分のオドを右手に集めた。
「牽制くらいはしてやる。止まるなよ?」
「わかっておりますッ!」
直後、ヒースシアンの手から黒いオドの高速で射出される。
そのオドの塊がどんなものであるのか察したのか、二人は慌ててそれを躱した。
地面に着弾すると、衝撃波と粉塵をまき散らす。
馬はそれを怖がることなく、御者はそれに躊躇うことなく――もうもうと上がる土煙の中に突入した。
その中を突っ切り、馬車は街へと肉薄する。
検問のところの兵士がこちらに気づいて止めようとするが、馬車は気にせず兵士を蹴散らす。
そのまま街の中へと入っていくと、周囲のことなどお構いなしに馬車は石畳を駆けていく。
悲鳴と怒号が響くが、馬も御者もヒースシアンも気にもとめず、森の中へと入っていった。
森の中の邪魔な木々もなぎ倒し、魔獣はオドと殺気で脅かして遠ざける。
こちらに気づいた遺跡の入り口の見張りが近寄ってくるが、馬の片方が前足を掲げてから、踏みつぶした。
「旦那様、到着しましたッ!」
「ご苦労」
御者を労い、サニィの手を取る。
「降りるぞ」
「はい」
サニィはヒースシアンのお気に入りだった。
指輪のチカラによる肉体変化はして欲しくないので、ゆっくりと自分のモノへと変えていくことにしたのだ。
彼女の体内に蓄積させた指輪のチカラに干渉して、意志と感情を鈍らせていく。これは、指輪に教えてもらった方法だ。
「すまないが、指輪を返してもらえるか?」
「はい。ありがとうございました」
馬車を降りて、御者から指輪を返却してもらう。
ヒースシアンがそれを受け取ると同時に、御者の身体がぐらりと揺れるとその場で倒れ伏す。
続けて、馬もその場に倒れ込んだ。
当然といえば当然である。
指輪の効果によって肉体も精神も高ぶっていたので、一晩中走り続けることができただけだ。その効果がなくなれば、疲労は一気にやってくる。
ヒースシアンはそんな御者と馬を無視して、遺跡の中へと入っていく。
遺跡の中には罠や仕掛けが大量にあるらしいが、その全てを指輪は把握しているらしい。
ことごとくを無視し、時には破壊し、ヒースシアンは進んでいく。
そして、ハニィロップ王家の紋章の施された巨大な鳥かごのようなものがある部屋までやってきた。
その鳥かごの中央にある装置を起動させれば、それはゆっくりと下へと降り始める。
この鳥かごは王家の人間ほか、一部の存在にしか反応しない装置らしいが、そのあたりも掌握済みだと言う。
本来であれば、その辺りで指輪の意志に対する疑惑のようなものが思い浮かんでも良いはずだ。
だが、ヒースシアンはそれを疑問に思わない。
何故なら彼も、とっくにその精神を指輪に掌握されているのだから――
鳥かごに乗ってしばらく――代わり映えしない土の壁が無くなり、透明な筒へと変化していった時、その眼下に見えてきた街の姿にヒースシアンは息を吞む。
「シェラープの地下に、こんな街があるとは……」
雰囲気からして無人――というよりも遺跡のようだ。
歴史や考古学に興味がないヒースシアンであっても、これだけのものであると、流石に感動すら覚える。
ヒースシアンがその街を眺めていると、突然、鳥かごが激しく揺れた。
どう考えても、通常の挙動ではなさそうだ。
「なんだ?」
訝っていると、指輪に上を見るように言われる。
それに従って視線を上に向けると、そこに仮面を付けた二人組が乗っかっていた。
「こいつら……ッ!」
「道案内ご苦労さんッ!」
苛立ったような声で、二本の角を持ち口の裂けたような白い面を付けた男が礼の言葉を口にする。
「やって良いわ、クラウド。
この高さからなら、フォローできる」
シンプルなマスカレードマスクを付けた侍女服の女がそう告げると、クラウドと呼ばれた男の方が獰猛な声でうなずいた。
「レインからのOKも出たコトだし――そうさせて貰うッ!」
何を――ヒースシアンが口にする前に、クラウドは曇天色に輝く光を纏った剣を、鳥かごに突き立てた。
♪
爆発音をした方にユノ達が目をやれば、そこにはユノ達が使ったものとは別の昇降機があった。
どうやら、降下中に爆発したようだ。
「どうするユノ?」
ユズリハの問いに、ユノは僅かに逡巡してから答えた。
「あたしはプリマヴェラのところに行くわ。
今の爆発が何であれ、あたしのやるべきコトは一つだもの」
「なら、私が爆発を調べてくるよ」
ユノにそう告げてから、ユズリハはライラに視線を向けた。
「身体は大丈夫、ライラ?」
「うん。バッチリ!」
「だったら――確実に戦闘があると分かってるユノの方には、ライラね。
ドリーは私に付き合ってね」
ライラとドリスがそれぞれにうなずく。
二人の反応に、ユノが小さく苦笑する。
「一応、そっちだって戦闘の危険があるわよ?」
「やばそうだったら、ほどほどで切り上げてそっち行っていい?」
「そうねぇ……こっちがプリマヴェラを対処する前に来られても困るけど、それだけの相手だったら、合流しちゃった方が安全でしょうね」
少し考えてから、ユノは首肯した。
「――引き際、間違えないようにね?」
「そっちこそ。目的は花噴水の修理だって忘れないようにね?」
ユノとユズリハはシニカルに笑い合うと、どちらともなく、拳を出した。
まるでグラスで乾杯するように、コツンと拳をぶつけ合うと、それぞれに歩き出す。
「行くわよ、ライラ」
「行こう、ドリー」
「うんッ、また後でね。ドリー!」
「はいッ! ライラも気をつけて!」
ユノとユズリハのマネをするように、二人も拳を軽くぶつけあうと、手を振りながら、先に行くそれぞれの方へと駆けだした。
いつもより短めですが、この辺で。
バトル開始と予告しておきながら、開始できませんでした。
次こそはバトル開始の予定です。




