069:忘郷遺都の守護人形 防影乙女プリマヴェラ
「ユノ、待ってッ!」
大きい声ではないものの、かなり鋭いユズリハの声にユノがピタリと足を止める。
「さっきまでは分からなかったけど、この周辺のマナの様子がおかしい。
扉に近づくほど、違和感が強くなってくみたい」
「違和感……?」
ユノは注意深く周囲を探ってみるが、ユズリハの言う違和感が分からない。
だが、ユズリハは霊力過敏だ。普通の人では気づかないささやかなマナの違いも感じ取れる。
そのユズリハが、違和感があると口にしているのだ。ユズリハの感覚は信じるに値すると、ユノは判断した。
「……ちょっと浮かれすぎてたわ」
「声を掛ければちゃんと冷静になれるんだから充分でしょ」
とはいえ、ユノの趣味とは別にあの扉のような場所は調べる必要がある。
ユノは気持ちを切り替えると、警戒を強めて、ゆっくりと歩き出した。
その矢先――
「ライラッ!?」
後ろの方からドリスの悲鳴のような声が聞こえて、二人は慌てて振り返る。
見れば、ライラがその場でうずくまっている。
ユノとユズリハが駆け寄り、様子を伺う。
明らかに顔色が悪い。
「なんで、こんなにマナの体内循環が乱れてるのッ!?」
信じられないものを見ているかのように、ユズリハが声を上げる。
状況は分からないものの、このままでいるのはよろしくないだろう。
ユズリハはすぐにライラの背中に手を当てて、応急処置をしようとするが、ユノがそれを制止した。
「待ってユズ。体内循環を整えるのは、ここを離れてからよ」
なぜ……と目で問いかけてくるユズリハに、ユノが答えようとした時――
「ユノッ!」
ユノを突き飛ばしながら、ユズリハはコダチを抜き放つ。
鞘走りの勢いのまま振り抜かれたコダチが、金属とぶつかったような甲高い音をあげる。
ユズリハに切り払われたのだと思われる長くて白い棒がくるくると回転しながら、扉の方へと飛んでいく。
「白い棍……?」
だがそれは、扉にぶつかることも、地面に落ちることもなく、途中で動きを止める。
「嫌な予感しかしないわね」
ユノが苦い笑みを浮かべながら、うめく。
その声が聞こえたわけではないだろうが、ユノの言葉を肯定するように、どこからともなく、プレートのようなものが数枚飛んできた。
そのプレートは元々純白であったのだろう。
だが、長い年月のせいか、あるいはほかの要因なのか、ずいぶんと汚れた色合いになっていた。
「汚れているというよりも、穢れている――という方が正しいようにも思えますが……」
ドリスの言いたいことも分かる。
そのプレートたちは一見すると、黒い水カビのようにも見えるものに、大部分を覆われてしまっているのだ。
よく見ればそのプレートには、ハニィロップ王家の紋章が施されている。
「……王家に関連するもの……なのでしょうか?」
ドリスが訝しんでいると、プレートは宙を舞いながら、棍へと近づいていく。
穢れたプレートは、何やら決められた位置があるようで、棍を中心にして動きを止めた。
その並び方は、まるで――
「鎧の肩当て、胸当て、腰垂れみたいだね」
「みたいじゃなくて、おそらくそのものだと思うわ」
最後に黒百合と黒い紫陽花で作られたやや大きめの冠のようなものが、その位置へと収まる。
すると、冠から白と黒のマーブル模様の光が生まれ、それが人の形を作り上げていく。
そのシルエットは女性そのもの。
マーブル模様の影は、鎧を纏い、棍を構えた女性となった。
「ケガレ……ケガスナ……。ケガレ ハ ハラワナケレバ……」
「喋れるのッ!?」
こんな状況だというのに、ユノが目を輝かせる。
だが、即座に頭を振った。
「シロバラ ノ クニ…… マモラナケレバ……」
マーブル模様の影はそう言って踏み込んでくるッ!
その狙いは――
「ライラ……ッ!!」
マーブル模様の影とライラの間に滑り込み、ユズリハが振り下ろされる棍をコダチで受けた。
「始まりは、咲き誇る焔歌」
マーブル模様の影と鍔迫り合いをするユズリハの背後で、ユノは口早に詠唱を紡ぎ、愛杖を掲げて花銘を告げる。
「重ねず一つッ!」
ユズリハがコダチに力を込めてマーブル模様の影の棍を押し返し、素早くそこから飛び退いた。
瞬間――
「其は咲き誇る華焔の種ッ!」
ユノの持つ杖の先端の蓮の花が開き、そこから熱衝撃波が解き放たれる。
威力や貫通力よりも、範囲を広げて棍はもとより各種プレートを飲み込む形で放たれたそれは、マーブル模様の影の頭部以外を飲み込み、吹き飛ばす。
マーブル模様の影はそれこそ人間であるかのように吹き飛んで、地面を転がり、そして人間のように手を突きながら立ち上がった。
その一連の流れを観察しながらも、ユノは手早く次の詠唱を紡いでいる。
「始まりは、我先にと集う炎。
続章は、燃え広がる枯れ葉の乱舞。
重ねて二つ――ッ!」
詠唱を重ね終えると同時に、ユノの周囲に一握り程度の火の玉が無数に浮かび上がった。
そして、その三十はあろう火球たちは――
「其は乱れ咲く華焔の花ッ!」
ユノの花銘と共に、一斉にマーブル模様の影へと襲いかかる。
「ライラの不調の原因の一つは、恐らくユズリハが感じたこの場の違和感ッ!」
火球の礫の乱れ撃ちに塗れるマーブル模様の影を見据えたまま、ユノは口早に告げていく。
「この場でマナ循環を正しても、たぶん意味がない。
だから、ユズリハはライラを連れて逃げなさい。
連れて行くなら、闇の聖地がいいわね。あそこでなら安全にライラを診れるはずよ」
ユノの言葉に、ユズリハはわずかに逡巡する。
だが、すぐに決断を下すと、ユノにうなずいた。
「了解ッ! ユノは?」
「あの子の足止めをするわ」
もうもうと立ちこめる煙の中から、マーブル模様の影はゆっくりと歩き出してくる。
「今の術――効いてないの?」
「花術人形みたいなものなのでしょうね。痛覚とかないんじゃないかしら」
だから彼女は、例えその身が砕けようとも、与えられた命令だけを、ただ純粋に遂行するのみ。
「忘郷遺都の守護人形……か。そうね……防影乙女プリマヴェラとか、どうかしら?」
「また勝手に名前付けてるしッ!?」
ユズリハは思わずツッコミを入れながら、ライラを抱き上げる。
「ドリーもユズリハと一緒に行きなさい。
あの状態だとユズは戦えないから、援護をお願い」
「はいッ!」
「ユノッ、やられたりしないでよッ!」
「誰に言ってるのよッ! とっとと行きなさいッ!!」
そうして、ライラを抱えたユズリハは駆け始め、ドリーがそれを追いかける。
プリマヴェラはやはりライラを狙っているのか、それを追おうとするが――
「させないってのッ!」
ユノは原始蓮の杖の石突きを地面に触れさせると、オドをその部分に乗せながら、地面を擦るように振り上げた。
「紅走牙ッ!」
杖の先に乗せられたユノの赤いオドは、振り上げられると共に衝撃波と化し、地面を駆け抜けてプリマヴェラへと肉薄する。
プリマヴェラは足を止めると、棍をくるくると回転させながら前に突きだし衝撃波を受け止めた。
ただ回すだけで受け止められるとは思えないので、何らかの花術的作用が付与されているのだろう。
「ただ自動的に目標を追うだけでなく、状況に応じて防御もできる。
頭の良い子なのね。どうやったら、ここまで柔軟に動くようにできるのかしら?」
今の時代に再現できれば、かなり画期的な発明になるだろうが――
「ま、それは調べられたらってコトで……。
今は自分の身を考えないと、ね」
紅走牙を受け止めたあと、しばらくは階段の方に視線――目は無いのだが、何となくそう感じるのだ――を向けていたが、ややして、プリマヴェラは意識をユノへと移した。
「あたしを敵と認識したみたいね。
ケガレってのが何だか分からないけど、あたしだって扉へ近づく不審者であるコトには変わりないものね。
仕事熱心な子は好きよ。人間はもちろん、花導品であれば、尚更ね」
棍を構えるプリマヴェラを見据えながら、ユノも原始蓮の杖を構える。
(――壊すのは可哀想……と、言ってる場合ではないと思うけれど……)
それでも、この子は自らの使命に準じているだけなのだ。それを一方的な理由で撃つというのには躊躇いがあった。
だが、ユノのそんな迷いなどプリマヴェラからしてみれば関係のないことだ。
しばらくは睨み合いのような状態だったが、ややしてプリマヴェラが踏み込んでくる。
踏み込みの勢いのままに繰り出される、ユノの頭を狙うような、大振りの横薙ぎ。
それに対してユノは、身体を小さく丸めるようにしながら、プリマヴェラの懐へと入り込んでいく。
「紅朧閃ッ!」
杖の石突きを槍刃の代わりにするように、ユノはプリマヴェラの顎を打つべく振り上げる。
その軌跡が、紅く光る上弦の朧月のように閃いて、プリマヴェラの顔を下から打ち抜く。
普通の人間であれば、オドを纏った一撃で顎を強打されれば、砕けることはなくとも、脳震盪は免れない。
だが、相手は花術人形。この程度で終わるわけがない。
だからこそ、ユノは打ち上げた姿勢から、流れるように次の構えへと移行する。
腰を落として杖を持つ右手を大きく引き、左手を石突きのそばに添えて、やや前傾に構えた。
「赤鳴突ッ!」
その構えから、力強く踏み出し、杖の石突きを突き出した。
顎を打ち上げられ、仰け反っているプリマヴェラの腹部へと、オドを纏った強烈な突き。
プリマヴェラは身体をくの字に曲げながら、大きく吹き飛んでいき、地面を転がる。
だが、ダメージは無さそうだ。
「やっぱり、影の部分をどれだけ攻撃しても無駄よね」
分かってはいた。
プリマヴェラの大本は、間違いなくあの冠だ。
黒百合と黒い紫陽花の冠さえ壊せば、プリマヴェラは動かなくなるだろう。
壊すのは恐らく、そう難しいことではない。
(でも、この子は壊しちゃいけない気がするのよね)
何の根拠もない直感。
花導品を愛してやまないユノだからこそ、感じるものがある何か。
(守護剣を連れてくればよかったかもしれないわね)
あの剣は持ち歩くと目立ってしまうので、余計なトラブルを起こしかねない。なので、今回シェラープへ赴くにあたって、滞在館へと置いてきたのだ。
(無い物ねだりをしてても仕方ないわね。
壊したくないけど、止める必要はある――さて、どうしようかしら)
プリマヴェラを見据えながら、ユノが次の手を考えていると、彼女は立ち上がる。
棍を頭上に掲げながら、両手で器用にくるくると回転させていく。
すると、棍の両端に炎が灯り、渦を巻き始めた。
「あら、葉術みたいな技を使えるのね。すごいわ」
プリマヴェラを棍の間合いの外ながら、その棍を振り下ろす。
振り下ろされる棍にあわせて、その炎が解き放たれて空を駆る。
三条の筋に分かれた炎は、その先端を竜の顎へと変えて、プリマヴェラの技に感心しているユノを喰らうべく、襲いかかった。
だが、ユノとてただその様子を見ているわけではない。
詠唱はすでに重ね終えていた。
杖を掲げて、花銘を告げる。
「重ねて三つッ、其は城壁の如き光土の鎧ッ!」
解き放たれた言葉と同時に、《原始蓮の杖の先端に光で編まれた盾が生み出され、三匹の炎の竜を受け止める。
竜たちは炸裂し、爆炎を撒き散らす。
視界が炎で塞がれてしまったことにユノが小さく舌打ちすると、その場から大きく飛び退いた。
直後、その爆炎を切り裂くように、プリマヴェラの棍が袈裟懸けに振り下ろされる。
その場に留まっていれば、それを受け止めざる得なかっただろうが、ユノが即座に退いていた為、その棍は空を裂き地面を叩くだけだった。
「ふむ。生半可な綿毛人や騎士じゃ勝てない程度の強さはあるみたいね」
観察しながら、ユノは脳を回転させる。
(この子はあくまでも花導品。
どれだけ柔軟に動けようとも、条件設定はされているはず)
最低限の行動条件は、この場の守護と、ケガレとやらを祓うこと。
(じゃあ、行動範囲はどんなもんなのかしら?)
プリマヴェラがただひたすらに、この場を護ろうとするだけであるのならば、その行動範囲は――
(この白い床の範囲……でしょうね)
そこまで考えると、ユノは杖を掲げて口早に言葉を紡ぐ。
「始まりは、天使の吐息。続章は、穏やかならざる凪。
重ねて二つ――其は吹き荒ぶ竜の翼撃ッ!」
杖の先端から猛烈な突風が解き放たれると、プリマヴェラを扉の方へと吹き飛ばす。
「さて、実験実験っと!」
プリマヴェラが体勢を整える前にユノは踵を返して白い階段を駆け下りる。
一気に降りきってから見上げれば、プリマヴェラがこちらを見下ろしていた。
しかし、階段を降りてくる気配はない。
「ふむ。やっぱり白い床の範囲だけを守護してる感じなのね」
こちらが階段から離れると、プリマヴェラも階段に背を向けて、扉の方へと歩いて行く。
それを確認してから、ユノは小さく息を吐いた。
「さて、ユズたちと合流しないとね」
そうして、ユノが歩き始めると、左目にチリチリとした違和感を感じる。
左目が――いや、左目を基点に繋がっているアクエ・ファニーネが何かを訴えているようだ。
この感じは、以前にも覚えがある。
「……もしかして、リサの時と同じ?」
疼きの感覚が変わる。どうやら肯定しているようだ。
「だとしたら、ますます壊せないじゃない」
花修理職人として、不具合で暴走しているだけの花導品を破壊するわけにはいかないのだから。
「問題はどうやって浄化するか……よね」
精霊の聖地が近くにあっても、そもそもプリマヴェラはあそこから離れないのだから、守護剣リリサル・ガディナの時と同じ方法は使えない。
思案しながら歩いていたユノだったが、やがて小さく肩を竦めた。
「まぁ、ユズたちと合流してから考えればいいか」
自分一人で考えていても、アイデアが出ないのであれば、他人の意見を聞くのも悪くない。
そう判断したユノは、足早に闇の聖地を目指すのだった。
♪
ハニィロップ王国 首都サッカルム 貴族街
オリエンス領領主 首都別邸
ジャックは、サニィを訊ねてヒースシアンが滞在しているはずの別邸にやってきていたが、どうやらサニィはヒースシアンと共に出かけてしまっているようだった。
「サニィ様でしたら、ヒースシアン様の護衛として共にシェラープに向かわれました」
「そうだったのか。どうやら、こっちとサニィとで情報が行き違っちまったようだ。追いかけるコトにするよ」
「こちらこそ申し訳ございません。サニィ様はあくまでも戦闘訓練の講師としてお招きしているのに、ヒースシアン様は護衛として連れ回ってしまっておりまして……」
「構いやしねぇよ。それより、良いのかい? 執事が主人を悪く言うようなコトをしちまって」
ジャックが指摘すると、執事はバツの悪そうな顔をして、首を横に振った。
「主を諫めるのも従者の役目。ですが、契約から外れたコトをしている主を諫めきれなかった以上、主に替わってお詫びする必要もございましょう」
「真面目だな。その真面目さは嫌いじゃねぇがな」
笑いながら、ジャックが告げる。
「まぁなんだ……サニィのコトは気にするな。
本気で護衛をする気がないなら、何を言われようが断るタイプの女だ。そんなやつが素直に護衛をしてるってコトは、何か考えがあるんだろうさ」
そうして、ジャックは踵を返すと、手を振ってその場を後にする。
そのまましばらく歩き続け、ヒースシアンの別邸からだいぶ離れた場所で、適当な壁に背を預けた。
「……本来のサニィなら、首都内ならいざ知らず、街の外まで護衛なんて引き受けるとは思えない……。
さて、これはどういう意味だろうな……」
シェラープにはクラウドを向けている。
サニィの件は、連絡だけしてクラウドに任せることは可能だ。
ならば自分はどうするべきか――
「何か見落としてる気がするんだよなぁ……ただのカンなんだが」
頭を掻きながらそう独りごちた時、ジャックの脳裏にふと気になることが過ぎった。
「そういや、花蜂の寵愛種が町中に現れたんだっけか」
すでに現場は片付けられてしまっているだろうが、どうにも自分のカンがそこを見に行けと言っている気がする。
「ここは、カンに従ってみるってのも悪かねぇな」
ジャックは口に出しながら小さくうなずくと、その足を、首都サッカルムの花噴水へと向けるのだった。
葉術のおかげで、白兵戦スキルがかなり向上してる為、わりと隙が無くなってるユノのバトル回でした。
最近、ちゃんと詠唱を描写してなかった気がするので、大盤振る舞いです。
ただバトルが想定より長くなってしまったので、前回の予告の思惑の蔦が絡まり始める――というほど、絡まむところまで行きませんでした。
次回は、ほどよく絡むはず……です……たぶん。