062:恵みの雨にはご注意を
「よーしッ!」
花噴水のある広場も前からまったく動かなくなったユノを強引に引っ張って綿毛協会へと赴き、陛下から賜った許可証を見せて、作業をすることを報告したユズリハ達は、改めて街の北側の中央付近にある、その白い樹――花噴水の元へとやってきた。
樹の周囲は広々とした原っぱのようになっており、件の花噴水はやや遠巻きに柵で囲われている。
国宝と言われているわりには簡素な柵ではあるが、柵の周りには定期巡回している警備兵がいるようた。
見晴らしが良い場所なので、無許可で柵を乗り越えてもすぐバレることだろう。
ユノは柵の近くにいた剣と傘を佩いた警備兵に声を掛け、作業許可証を見せる。
そうして許可を得た三人は柵を越えて、樹の元へと向かう。
すでにユノのテンションは最高潮を越えて絶好潮だ。全力で走り始めている。
ユズリハもだいぶ疲れてきているので、もう止める気はない。
ライラもユノと一緒になって、元気良く花噴水に駆け寄っていく。
この街――首都のシンボルとなっているこの花噴水は中型サイズのものらしい。
大樹とも呼べるような大型サイズのものが、別の街に存在し、街路樹サイズのあまり大きくないものは、国中にいくつも点在しているそうである。
そんな、清らに水湧く花噴水と呼ばれる白い樹をユズリハは見遣る。
それは見れば見るほど奇妙な形をしている――と、ユズリハに思わせた。
とにかく直線と直角で構成されているのだ。
幹は真上へと真っ直ぐに伸び、枝は真横に、その枝から派生する枝も、真上か真横。付け根の角度はどこをとっても直角の九十度という、明らかに自然物とは思えない形状。しかも、樹自体には葉も花も実もないように見える。
これでもし表面がつるりとした光沢でも放っていたら、完全に人工物だ。それでも何とか樹に見えなくもないのは、表面は光沢を放つこともなく、まるで白樺を思わせる色味と材質をしているからだろう。
そんな樹に、見慣れぬツタが無数に絡みついている。
そのツタは黄緑色で、百合と紫陽花両方の葉と花を付けており、その花でさえ統一感なく、様々な色や形状のものが咲いている。
「ユノお姉ちゃん、これって……」
「ええ。すごいわ。この花の全てが不枯れの精花ね」
この樹は、ユノ、ユズリハ、ライラが手をつないで囲んでもギリギリ輪を作れないほどの太さに、三階建てくらいの建物と同じくらいの高さをしていた。
花噴水には二種類のサイズが存在しており、今ユズリハ達の前にあるような街のシンボルになりうる中型~大型のものをハニィロップの人達は、リリランジア・ズシュタムと呼んでいる。
またハニィロップ領土のあちこちに点在している街路灯程度の小さなものはリリランジア・ズヴァイクと称されているようだ。
実際、柵の内側――このズシュタム周辺にも数本生えているし、思い返して見れば街の中でもいくつか見かけた気がする。
あまりにも自然に街中に紛れていたので、ユノも見落としていたのだろう。そうでなければもっと街中で暴れていたはずだ。
「やっぱ資料で見るのと実物見るのは大違いねぇ……」
樹に抱きつき、うっとりと頬摺りしているユノに、ライラは訊ねる。
「お姉ちゃん。結局この樹って何なの?
花導器なのは分かるんだけど、王様とのお話だけじゃ、どんな機能を持っててどんな故障をしてるのかが、良くわからなくて」
その問いに、ユノは抱きつき頬摺りしたまま視線だけライラに向けて、答えた。
「この子はね――ううん、この子達はね。
ハニィロップ領土内の大地の維持と浄化をしているの」
キリッと職人的な真摯な光を双眸に宿すものの、樹に抱きついて頬摺りしてるので台無しである。
しかも、その顔は維持できなかったのか、あっという間にへにゃっと崩れると、幸せそうな笑みへと変わっていく。
「維持と浄化って……もしかして、建国物語のアレ?」
「建国物語?」
ユズリハの言葉に、ユノがうなずく傍らで、ライラが首を傾げる。
「『清らの乙女と白薔薇の騎士』って物語は分かる?」
「うんッ、院の本棚の中にあったから読んだコトあるよッ!」
「なら話が早いわ。あの物語に出てくる穢れた土地……清らの乙女が浄化して、白薔薇の騎士が興したっていう国はここ――ハニィロップなのよ」
ライラの中で、物語と現実が結びつかないのだろう。
キョトンとした顔をして、首を傾げている。
「あの物語はね。だいぶ物語として盛り上がるように脚色はされているものの、実際にあった出来事をモチーフにして綴られてるの」
「それじゃあ、ここって精霊も寄りつかない場所だったってコト?」
ようやく合点がいったらしいライラに、ユノはうなずいてみせる。
「そうよ。貴女の『眼』で見てみなさい」
「……確かに、カイム・アウルーラに比べたら随分少ないね……」
「まぁカイム・アウルーラと比べちゃうのもどうかとは思うけど」
とはいえ――ライラは、カイム・アウルーラしか知らないのだからどうしても、基準がそこになってしまう。
そのことをユノもユズリハも理解しているので、彼女に対して補足を加えた。
「カイム・アウルーラが世界で一番精霊が多い街なら、この国は世界で一番精霊の少ない国よ」
「その精霊達だって、やや闇の精霊に偏ってるのも、お話の通りでしょ?」
「言われてみればッ!」
途端、瞳を輝かせたライラが周囲を楽しそうに見渡している。
現実として体験し、事実として経験したことで、理屈や知識が現在と結びつき、知恵と力が自身の脳と身体に蓄えられていくという実感。
好奇心が満たされていき、充足を得ると共に、新たなる好奇の飢餓が沸き上がる。
その楽しさと気持ちよさ、沸き上がる欲求への抑えの難しさを何よりも知っているユノだからこそ、今のライラに水を差すようなことはしたくなかった。
「ここから余り離れちゃダメよ。でも、それが守れるなら、好きに歩いてきていいわ」
「わかったッ!」
ユノ達から話を聞いて、居ても立ってもいられなかったライラはそのまま柵の方までやってくる。
ここから離れすぎないように――その言葉を、原っぱから離れすぎないようにと解釈したライラは、さっき挨拶した警備兵のおじさんに、お姉ちゃんと別行動するからと告げて、柵から出て行く。
ユノと一緒に走っていた時は気にしていなかったが、こうしてゆっくりと周囲を見渡すと、柵から離れた場所でシートを広げるなどして、のんびりしている人達がちらほらいる。
街のシンボルであり、その周囲は住民たちの憩いの場――というのはカイム・アウルーラと同じようだ。
「……あれ?」
ふと、周囲を見渡していたライラが眉を顰める。
警備兵の人達は、剣や杖などの武器と一緒に、何故か傘を佩いているのに気がついたのだ。
お弁当を広げたり、ベンチに座ったりしてる人達の傍らにも、何故か傘が置いてある。
思わず空を見上げるが――
「こんなに、晴れてるよね?」
不思議に思って首を傾げる。
すると、ユノやユズリハではない女性の声が、その独り言に返ってきた。
「あら? もしかして、ハニィロップは初めてですか?」
声を掛けてきた人は、透き通るような銀髪を右側だけのサイドテールにした、綺麗な人だった。
白銀色の胸当てをして、腰には白銀色の片手杖。
どうやら、貴族か富豪を実家とする綿毛人のようだ。
とはいえユノやユズリハ、あるいはネリネコリスのような、慣れた感じがしないので、最近になって綿毛人になったか、あるいは大人びて見えるだけでライラと同じくらいの年齢なのかもしれない。
(あれ……この人、どこかで……)
この人も、片手杖とは別に銀色をベースに金色のアクセントが施された傘を持っている。
「ええっと……はい。この街に来るのは初めてです」
「そう。なら気をつけて。突然の恵みの雨にはご注意を」
「恵みの雨?」
ライラが首を傾げると、彼女は傘を差してから、どこかを指さした。
その指の先を追っていく途中、周囲の人達も次々と傘を開いていく光景が目に入る。
(……もしかして、雨が降る……? 空はこんなに晴れたままなのに?)
そうして、銀色の女性の細く長い綺麗な指が示す先に視線がたどり着くと、ライラの視界に淡く光るズヴァイクが入ってきた。
「……花噴水が光ってる?」
「ええ。これから恵みの雨の兆候よ」
そう言って銀色の彼女が微笑むと、花噴水に巻き付いた百合と紫陽花の花の全てが、一斉に青空を見上げるのだった。
離れていくライラの気配だけを意識の奥で追いかけながら、ユズリハは
ユノの横に並んで花噴水を見上げる。
「それで、ユノ。最近はこの花噴水の調子が悪そうって話だったけど、状況とか原因とかわかった?」
「まったく。もっと言うと、点検の仕方すらわからないわ」
「……と、言うと?」
「カイム・アウルーラの大花時計は、裏面にメンテナンス用の小窓があったでしょ?
この子、そういうのがまったく見あたらないのよね」
ぐるりとズシュタムの周囲を一周するが、確かにユノの言う通りそれっぽいものは見当たらない。
ならば――と、周辺に生えるいくつかのズヴァイクも見てみるが、これも同じ結果だった。
「うーん……これは作業以前の問題だね」
「ええ。でもこの子達は間違いなく花導器。仮に半永久的に機能するモノであったとしても、万が一を考えたら、メンテナンスする為の何かが存在してなければおかしいわ」
ユノが腕を組みながら考え込んでいると、花噴水達が淡い白銀色にうっすら輝き始めた。
花噴水に咲く百合と紫陽花の花――その全てが天を見上げ始める。
それが何であるかと気づいたユノは、興奮しつつもこれから発生するだろう問題への対処法を口にした。
「ユズリハ、傘とか持ってない?」
「あー……さすがに持ってないなぁ……」
「完全に失念してたわね」
「だね。次からは気をつけよう」
そうして、二人が顔を見合わせて肩を竦めた時、花噴水に咲く全ての花が、良く晴れた青空に向けて、一斉に水を水を放つ。
それは、二人がびしょ濡れになる覚悟を決めたのと同時であった。
何が起きるのか――と、ライラが花噴水を見ていると、レース模様で縁取られた白い傘が、視界に入ってくる。
銀色の少女が、自分の傘にライラも入れてくれたようだ。
「見上げるのは良いのですけど、そのままだと濡れてしまいますよ」
そう言って、銀色の少女が微笑んだタイミングで、花噴水が一斉に水を放った。
天高く放たれた水は、その頂点で四散して、雨となり霧となり、地上へ向けて降り注いでいく。
「これがハニィロップ名物――花噴水による恵みの雨です。
原理はよくわかりませんが、花噴水達は、こうやって定期的に雨を降らせてくれるのです」
銀色の少女はそこで一度言葉を切って微笑むと、近くにあるズヴァイクを改めて指し示した。
「そして、もう一つの名物。虹の花」
「わぁ……」
その姿に、ライラは思わず言葉を失った。
晴天に降り注ぐ柔らかな雨と霧。
それは陽光に照らされ反射させながら、地上へと舞い降りてくる。その途中で、あちこちに虹のアーチを掛けていく。
そして、ズヴァイク――いや正しくは全ての花噴水だろう――は、降り注ぐ恵みの雨を受けながら、自分を無数の虹を纏っているのだ。
花噴水達が纏う虹は、もはやアーチではなく、まるでストールか何かのようだった。
「恵みの雨が降っている間だけ見ることができる、花噴水の姿です」
「すごい……すごいですッ! 綺麗ッ!」
カイム・アウルーラから出なければ見ることが出来なかった幻想的な光景に、興奮しながら返事をする。
そんなライラを見ながら、銀色の少女は柔和に笑う。
「気に入ってくれて嬉しいわ。リラ」
「え?」
その言葉に、ライラは目を瞬くと、この傘を差してくれている少女の招待に気がついた。
「……わたしはリラではありません。わたしは、綿毛人のライラですよ、ドリス姫様」
「私もドリス姫ではなく、綿毛人のドリーですよ」
「なら、言葉遣いは気にしなくていいよね?」
ライラが何となく訊ねると、ドリス姫――ドリーはそれはもうとても嬉しそうに破顔しながら、何度もうなずく。
「ええ、ええ。もちろんよライラ。そうして頂戴。ううん、それでお願い。そうして欲しいわ」
傘を持たない方の手でライラの手を掴んで、ぶんぶんと振り回す。
「あの、ドリーさん?」
「呼び捨てでいいわ。だって、同じ歳くらいで対等の友達が欲しかったのだものッ!」
「……ドリーはもしかして、忍名使って綿毛人になるの初めて?」
「ええ。何か問題が?」
キョトンと首を傾げるドリスに、ライラは小さく嘆息した。
「問題しかない気がするけど、まぁその辺りは後でね」
「詳細は後で構いませんけど……一体どのような問題が……」
「貴族感を隠せてないのに、隠せてる気になってそうなところとか特に」
「……隠せてません?」
「隠せてないね、うん」
そんなやりとりとをしていると、雨がゆっくりとあがっていく。
ドリスが傘を畳んだ後に広がる光景は、雨に濡れた木々や草花――あるいは建物などが、陽光に照らされてキラキラと輝く街の姿。
しかも、それだけではなく――
「あれ……降った雨が、マナに変わってる……?」
「まぁ、ライラはそれがわかるのですね」
「うん、そうみたい」
「この国は精霊が少ないでしょう。だからマナが絶対的に不足しているんです。それでも問題なく生活できているのは、このように恵みの雨は乾くとマナに変わっていく性質を持っているからに他なりません」
なるほど――国宝として大切にされるわけだ……と、ライラが納得していると、ドリスは言葉を続けた。
「それだけでなく、この国の肥沃な大地もまた、恵みの雨のおかげなのです。
この土地は、邪精が根城とする前から、雨が少なく、大地は栄養に乏しく、生き物の生息には向かない土地。
そんな大地に、適切な潤いと豊富な栄養を与えてくれているのが、この恵みの雨なのです。
この雨で育った紫雲英の蜜を、優しい花蜂が集めて作り出す蜂蜜と、この雨で育った楓から得られる楓蜜こそが、この国の活力であり資金源となっているのです」
どこか誇らしげにそう語るドリスの顔は、カイム・アウルーラを愛する人々と同じものだ。
本当に、この国が好きなのだというのがわかる。
「ですが……」
だが――その表情がわずかに曇って、ドリスは小さく息を吐いた。
「今日の雨もそうですが、雨量も減っていますし、時間も短くなっているのですよね。
最初は気のせいだと皆が思っていたのですけど、間違いなく日に日に弱っていっているようなのです」
「それが、ユノお姉ちゃんに依頼した理由」
「はい――そうですけど、ライラもあの場にいましたよね?」
「貴族の言葉のやりとり難しくって」
ちょっとだけバツが悪そうに視線を逸らすライラに、ドリスは小さく吹き出した。
「確かに、あの回りくどい言葉のやりとりは時々辟易しちゃいますね」
「ドリーもそうなんだ」
「それはもちろん。直接言えたらどんなに良いか――と思う時は多々ありますよ?」
いたずらっぽく笑うドリスに、ライラも笑顔を返す。
端から見ても、女の子同士が仲良くお喋りしているようにしか見えない光景。
だけど、突然――ライラが表情を変えた。
「ライラ?」
「すごい、嫌な気配がする」
「嫌な気配?」
「うまく言えないんだけど、マナの感じが変。凶暴な魔獣っぽい感じ」
「……え?」
「ドリー。あそこの兵士さんに、魔獣がここへ来るかもしれないって伝言できる?」
ライラの言葉に、ドリスがうなずこうとした時、大きな影が突然現れる。
思わず二人揃って下を見るが、そこには影があるだけだ。ならば、その頭上には影を作るものがいるはずである。
そう思って二人が上を見ると、そこにはふわふわもこもこした、この街では見慣れた存在……花蜂がいた。
もっとも――
ライラの小指程度のサイズではなく、ライラの上に乗ればその毛でライラを覆い隠せてしまいそうな大きさのものが、だ。
そんな巨大な花蜂が、どこか怒りに満ちた気配を放ってライラとドリスを見下ろしていた。
瞬間――ライラは腰に帯びていた片手短杖の豊かなるライラックを手にとって構えると、ドリスに向かって叫ぶ。
「……ッ! ドリーッ! 伝言追加ッ!
柵の向こうのユノお姉ちゃん達に、花蜂の暴走型寵愛種が出たって大至急ッ! 走ってッ!!」
……ドリーなんて出すつもりなかったんですが、何故か出てきてしまいました。
ついでに今回の騒動篇開始時点だと「……ですし」「……ですしね」みたいな語尾を多用する子の予定だったドリスですが、二度目に出てきた時点でそういう喋り方しなくなってることに今気づいて、どうしたものか……なんて思ってたりして。
何はともあれ、次回――助けてくれる保護者のいない、ライラ初のソロバトルの予定です。