059:ドリス姫との小さなお茶会
「ふぅむ……ヒース坊の奴、そんなコトを……」
クレマチラス親子は挨拶を終えたあと、ヒースシアンがこの場でユノに仕掛けたことを説明すると、魔剣コレクターのお爺さん改め、ドゥーンズ・コーシリィ・レウィス伯爵は、自分の顎を軽く撫でながら低く唸った。
「証拠があるわけではありませんけれど、一連の流れはとても手慣れておりましたので、初犯というコトはまずないでしょう」
「モテる男だとは思っていましたが……ううむ……」
少なからず交流がありそうなドゥーンズからすると、ヒースシアンの行いには思うことがあるのだろう。
「ともかく、私自身もそうではあるが、年頃の孫や娘がいる知り合いには、それとなく注意するように言っておこう」
「それがよろしいかと」
それでも、彼なりにユノのことを信用しているドゥーンズはそれを受け入れ、多少なりとも対策を取ることにした。
呪われた魔剣を解放し、黒き守護剣へと進化させてみせたユノのことを、修理屋としても綿毛人としても、その実力を信用してくれているようだ。
そのままドゥーンズと談笑していると、城の侍女がユズリハに声を掛けに来る。
ユズリハがそれにうなずくと、失礼します――とユノに声を掛ける。
「お茶会の準備ができたそうです」
「そう」
「おや、個別のお茶会に誘われたのですかな?」
「ええ。このような片目の姿でも、幸いなコトに」
ユノは、わざとしおらしく眼帯を触ってみせると、ドゥーンズは小さく吹き出した。
「お茶会へ向かう邪魔をする気はありませんからな。この辺りで、お暇するとしようか。
お嬢さん、もし興味があるなら、機会がある時にわしの屋敷に来ないかの?」
「魔剣ッ! 是非ッッ!!」
両手を合わせて目を輝かすユノに、ネリネコリスは思わず天を仰ぐ。
そんな親子の姿に、ドゥーンズはクツクツと笑う。
「ネリネコリス様、こちらに他意はありません。
純粋に、コレクターとして、理解のある者に見せびらかしたいだけです」
「それはそれでどうかと思いますけれど」
「そうかもしれませぬが、まぁこればかりはどうにもならないのですよ」
苦い笑みを漏らすネリネコリスに、ドゥーンズは悪びれもなく笑ってみせると、挨拶をしてこの場を離れていく。
「色々な楽しみが増えましたわね」
そんなドゥーンズの背中を見ながら、ユノはそれはもう嬉しそうに呟くのだった。
――ただ、会話の内容が聞こえぬままクレマチラス親子と、レウィス伯爵のやりとりを見ていた貴族達は、こう思ってしまった。
偏屈蒐集家のレウィス伯爵が、ユーノストメア嬢から極上の笑顔を引き出していた……。
オリエンス伯爵が口説き落とそうと失敗し、逆に気落ちさせてしまったユーノストメア嬢を、レウィス伯爵は慰め口説いたようだ。あれほどの笑顔を浮かばせられるとは、よほど心の響く言葉だったに違いない。
あるいは……
もしかしたら、ユーノストメア嬢は超絶年上好みだったのではないだろうか。
だとしたら、我々にもきっとチャンスがある。
――と。
一部の高齢貴族達が妙にハッスルしはじめてることなどまったく気づいた様子もなく、ユノはユズリハとライラを伴って、お茶会の為の個室へと向かう。
案内された部屋は、王城のサロンと思えば、かなり小さく質素なものであった。もちろん、一般の目線で見れば充分に豪華な部屋ではあるのだが。
(まぁ、このパーティ中に行うささやかな短時間のお茶会用だと思えば、この程度で充分なんでしょうけど)
本格的にお茶会を開きたいのであれば、招待状を出したり色々と準備が必要となってくるし、その為の部屋だってあるのだろう。
これはあくまでも、パーティの途中で誰にも邪魔されず会話を楽しみたい人の為の場所なのだそうだ。
こういった大人数が集まるパーティだからこそ、こういう場所が必要だという考えなのだとか。
「いらっしゃいメア。来ていただいて嬉しいわ」
「お招きいただき、ありがとう存じます。ドリス様」
「どうぞお掛けになって。この部屋の特性上、盗視と盗聴の花導具があちこちに仕掛けてはありますが、あまりお気になさらずに」
「……ああ、この部屋の表向きの理由はともかく、真の理由はそれですか」
「国中の貴族が集まるパーティで悪巧みをしない奴の方が少ない。
ならばいっそ、悪巧みのしやすい場所を提供してやろうではないか――と、数代前の国王陛下が始めたことですわ」
クスクスと笑うドリスを見ながら、ユノは思わず肩を竦めた。
とんだ性根の国王ではあるが、目の前のドリスを見る限り間違いなく同じ血を引いてるんだろうなぁ――と思えるから、不思議である。
やれやれ――という心地で、ユノは促されるままイスに腰を掛けると、ドリスの侍女達が、お茶とお菓子の準備をしていく。
テーブルの上には、小振りな白百合と花弁の小さな水色のブルースターが、小さな花瓶に生けられているのが目に付いた。
涼やかで見た目かわいらしい組み合わせだ。ユノの好みとしては、ここにドラセナなどのグリーンや、少量のヒペリカムの実の愛らしい赤を差したいところだが。
なんとなく、花瓶の花に意識が向いてしまうのは、きっとこのお茶会がユノにとってはどうでも良いからだろう。興味としては、花瓶に生けられた花への方が強いくらいなのかもしれない。
「それにしても、メアは怒らないのですね」
「何に対してでしょうか?」
「この部屋の正体を明かすと多くの方はお怒りになるものなのですが」
「その怒った人の多くは、この部屋で悪巧みしてた人達ではないのですか?」
「ええ、その通りです」
「なら答えは簡単ですわ。わたくしは別にドリス様と悪巧みをするつもりはございませんし、ドリス様を害する気もございませんので、怒る理由がないだけです」
ユノがそう答えると、ドリスは少し目を瞬かせた。
ややして、目を細めて、どこか狐めいた笑顔を見せると、訊ねてくる。
「では、私が悪巧みのお誘いをするのでしたらどうでしょう?
その場合、この部屋の花導具が全て私の味方となりますよ?」
「ふぅん……」
さすがに、今の言葉は聞き捨てならなかった。
「それってつまり、このあたしに、花導技術使ってケンカ売ってるって判断で良いのかしら?」
眼帯に手を掛けて下へとズラす。
相変わらずユズリハのしてくれた深傷メイクがそこにあるが、今は気にしない。
左目を見開いて見せれば、その瞳がアイスブルーに輝く。
「この部屋にある子達が貴女の味方?
この世にある花導品の全ては誰の味方でもないわ。だからこそ味方にしたいと思うのであれば、使い方に気をつけなさい」
ユノの左目を中心にマナが渦巻き始めると、ドリスの護衛達が慌てたように動き始める。
同時にパキパキと音を立てて、左目の周辺に氷の花が咲き始める。
本日二度目のハッタリ開始だ。
「あの子達は誰の味方でもないけれど、より正しく使おうとする人を手伝いたがるわ。それは人間の視点での正しく――ではなく、花導品達から見ての正しく、よ。
この部屋に入った時点で、部屋中に隠してある花導具の位置は確認済みよ。ここからでも掌握はできる。
悪巧みをしたいのでしょう? やりましょう。この部屋の出来事は全て、あたしにとって都合良く記録してあげるから」
ユノの言葉に合わせて、ユズリハも殺気を膨らませる。
ライラはそういう器用なことは出来ないものの、精一杯のオドを身に纏うことで、ドリスの護衛達を威嚇していた。
ドリスの護衛をしている騎士達はともかく、こういう場にあまり馴れていない侍女達は青ざめた顔をしているが、それでも仕事だけは全うしようとしているのは流石だ。
ユノの視線に真っ直ぐ射抜かれ、冷や汗を流しながらも、ドリスは目を逸らさない。
もしかしたら、逸らせないだけかもしれないが。
「ドリス様。冗談のおつもりなのでしたら、早くそのようにネタバラシをして下さいませ。
比喩ではなく、この部屋に真冬を呼び起こすくらいのコトなら、わたくしは出来ますので」
ユノの言葉に、ドリスはごくりと息を飲んだ。
息を飲むと同時に、恐らくは部屋の空気にも飲まれてしまったのだろう。
「お怒りを納めになって、メア。
ちょっとした冗談のつもりでしたが、貴女の中の火竜の尾を踏んでしまったようで、お詫びしますわ」
ドリスがそう口にすると同時に、ユノは左目を軽く撫でて氷の花を散らし、眼帯を戻す。合わせて、ユズリハの殺気と、ライラのオドも無散する。
それに安堵をしながら、ドリスは何か確信を得たように小さくうなずいた。
「メア。貴女はその左目、制御できているのですね?
ヒースシアン相手には制御できないように見せていたようですが」
「大きな目と耳をお持ちのようで――確認したいだけでしたら、わざわざ分かった上で火竜の尾を踏みにくるコトもなかったのではありませんか?」
「そうでもしなければ正直に話して頂けないだろうと思いましたので――ただ、まさかこれほどまでのコトになるとは思っておりませんでした」
「ええ、そうでございましょう。発想と行動は悪くありませんでしたが、やり方が稚拙すぎでした。
なので乗っからせて頂いたのですよ。覚悟があろうがなかろうが、思惑がどうであろうが、些細なキッカケ一つで、幻蘭の園の入り口というのは容易に目の前に現れるのだと、実感していただけましたでしょう?
しかも、今回の行動はご自身の命だけでなく、護衛の騎士達や、何も知らされていなかった侍女達の身すらを危険に晒しました。そのコトは反省なさって下さい」
正直こんなことを言う気はなかったのだが、聡明で行動力がありながら、想像力と覚悟が足りてない小娘に振り回されたくはないのだ。
やや偉そうな説教になってしまうのだが、しっかりと釘を刺しておくべきだとユノは判断したのである。
「クスハ、リラ。あちらでお茶菓子の準備をしている侍女のケアを。
今の出来事で、体内のマナやオドの循環が乱れて体調を崩しているようです」
素人目でもやばいと分かるユノの冷たいマナが支配する空間の中で、それでも侍女としての矜持を全うしようとしていたことによって生じた精神への負荷が、彼女の内側にあるマナやオドへと影響が出てしまったようである。
マナやオドは、一種の生命力でもあるのだ。
訓練することでより大きくより精密に制御できるようになるが、本来は無意識に操作しているものである。
気合いを入れたり、気分が下がったり――訓練をしていない者ほど、そういう感情の影響を受けやすい。
それでも、よほど極端な出来事でも起きない限りは、大きく乱れることはない。乱れたところで、体調こそ崩れるが、しばらくすれば落ち着くことだろう。
だが、今回のような出来事を前にして、矜持で恐怖を押し殺そうとして激しく乱れてしまった体内循環は、後々に多大な悪影響を引き起こしかねない。
こんなことで、彼女の人生を台無しにしてしまうのは、申し訳ない。
「リラの細やかな感知能力と、クスハの精密なオドコントロールを組み合わせれば、彼女のオドの乱れは落ち着かせられるでしょう?
あのような体内状況の場合、マナかオド――どちらかの乱れが解消すれば落ち着くはずですから」
「かしこまりました」
二人はユノにうなずくと、指定した侍女のそばへと向かう。
ユズリハが彼女の手を取り、リラの指示に従いながら、ゆっくりと彼女の体内へと自分のオドを流し込んでいく。
誰かの色に染まったオドは、別の色を持つ人の中へと流し込むのは非常に難しい。
それでも少量であれば問題ないし、その僅かな量を使ってゆっくりと体内を循環させて、本来の侍女のオドを正しく導いてやれば、乱れていた流れが落ち着いていく。
ヒースシアンのように、無理矢理押し込むことで、良くも悪くも精神を高ぶらせることもできるのだ。
反対に、相手の許可を得て丁寧に流し込むことで、良くも悪くも精神を落ち着かせることも可能である。
もっとも、これはユズリハとライラのコンビだからこそできる裏技に近い手段ではあるのだが。
「落ち着きましたか?」
「はい……ありがとうございます」
青い顔をして、身体を振るわせながらも賢明に仕事をしようとしていたが、上手く行かずに無意識に涙まで流していた侍女の瞳を、ユズリハが軽く拭ってやりながら訊ねる。
それに、感謝するように侍女がうなずいた。
顔の血色は戻ったを通り越してやや上気していて、瞳も恐怖の涙とは別のものに濡れてる気もするが気のせいだろう。気のせいだと思いたい。
(……結果だけみるなら、ヒースシアンがしてるコトと大差なくなっちゃったのかもねぇ……)
恐らく恐怖で凍り付いた心の中に、ユズリハのオドが穏やかに入り込んでくるような錯覚を感じていたのだろう。
自分の手を包むユズリハから流れ込んでくる温もり――実際はオドなのだが――に、彼女の中にあった目覚めてはいけないものでも目覚めたのかもしれない。
(あ、ユズリハも彼女の様子に気づいたか。仕事のあとにでも口説けばイチコロだと思うけど)
ただでさえ、自分の容姿や声、仕草であざとく相手を籠絡していくのを得意とするユズリハに、与えてはいけない武器が増えた気がするが、ユノは気にしない方向でいこうと決める。
「さて、話を戻しましょうドリス様。
季節のはずれに遅咲きの花が咲いた報告をする為だけに、わたくしをお茶に誘ったわけでありませんのでしょう?」
人を試したのだ。相応の理由があるのだろう――と言外にユノが訊ねた。
失敗の反省でもしていたのか、侍女の様子が落ち着いたのを見て安堵してからずっと俯いていたドリスが顔を上げる。
「メアお姉さま。お願いがございます」
「待って」
「はい?」
「お姉さま?」
「私より年上なのでしょう?」
「さっきまでメアって呼んでましたでしょう?」
「お姉さまと呼びたくなってしまったのです。だめでしょうか?」
上目遣いで見てくる仕草は、すでにユズリハやライラで体験済みなので、ユノには通用するものではないのだが――
(あ、この子の場合は無自覚だこれ……)
やはり、意図的に仕掛けてくるものよりも破壊力は高い。高いが、それでも通用するのは情に脆い連中や、可愛いものに目がない連中くらいであろう。
とはいえ、本気で縋るものを欲しがってるように見えて、蔑ろにするのも躊躇われる。
「ドリス様、メアお嬢様。今すぐ席を立って窓から離れた壁へッ!」
「窓の外から何か来るよッ!」
どうしたものかとユノが悩んでいると、それを遮るようなクスハとライラの鋭い声が続けて響いた。
瞬間、ドリスの護衛騎士達が、動いた。
騎士達はドリスとユノに、失礼と一言だけ告げてその手を取ると、強引に引っ張るように抱き抱える。
直後――曇り空を思わせる灰色の光を纏った剣が窓を破壊しながら飛び込んできて、ユノとドリスがいたテーブルを粉砕した。
「さすがに、これで終わらねぇわな」
剣に続いて、壊れた窓からフード付きの黒いマントを羽織り仮面を付けた――声で判断するなら――男が姿を現した。
「……貴方が誰か知りませんが、一つだけ教えてあげましょう」
その男を前にして、ユズリハが一歩前に出ながら告げる。
「お? お嬢さん、東部の出身ぽいな? どうだい、この仮面。
ボスにどれでも良いから仮面を付けろと言われた時に、一目惚れしちまってな。これって東部の大鬼伝承に出てくるやつなんだろ?」
軽薄なノリで、顔全体を覆う仮面を自慢する男。
その仮面は、白地に金色のツノが二本ついているものだ。
怒っているように眉間に皺がよっており、鋭い歯が並んだ口は裂けているかのように大きく開かれている。
「まぁ、人の好みはそれぞれですので、ちょっと言いづらいのですけれど……。
その仮面――その伝承に出てくるオーガの名前は、ハンニャと言うんですけど」
かぶっているフードと仮面の隙間からこぼれ落ちる、彼本人の髪はくすんだ金髪のようだ。
また、仮面の目に開いた穴から覗く瞳は、翡翠色に見える。もっともどこか死んだ魚を思わせる濁りを見せているが――恐らく、かなり女性受けする顔をしてるだろう男。
「……呪いで人間からオーガへと姿を変えた女性なんですよね。だから男性がつける仮面としては微妙ではないかと」
瞬間、どこかはしゃいだ様子の男の動きが止まる。
得体の知れない男が窓を破壊しながら侵入してきて、ユズリハを見るなり仮面を自慢するという奇妙な行動をしていた為、緊張が高まりつつも、どう動くべきか判断しづらい空気が流れていたのだが――その空気の流れが完全におかしくなった。
「クスハ。どうするのですか、この妙な空気」
「うん。私も今ここで、指摘するコトではなかったかなーと、反省はしております」
「お嬢様、ユズお姉さま。少しマイペースすぎませんか?」
いつも通りのやりとりとしか思えない二人にライラがツッコミを入れるが、この状況を思えば、ライラも充分にマイペースであった。
花導品に触れず禁断症状が出かかってるユノ。何てことのなく飾ってあるお花を見るのが小さな癒やしになりはじめてます。
そんな中で現れた謎の男は、ストレス発散のターゲットになりそうだと、内心ちょっと喜んでたりして。
次回、バトル開始です。
実はここまでを三話以内で終わらせるつもりだったんですけどね、いやー……想定外想定外。




