005:居候と工房の地下室と、その主
日が暮れ始めた頃、ユノは自宅兼工房へと戻ってきた。
そんなユノの横で、後ろ足で器用に二足歩行している小柄な岩喰いトカゲを見て、工房の居候であるユズリハが苦笑する。
「どうしたの、それ?」
「えーっと、ね……」
あの後、トカゲは馬車から降りる気配なく、何となく「一緒にいたいの?」と問えばうなずき、アレンと相談した末に、連れて戻ることにしたわけだ。
この岩喰いトカゲ。ほかの個体に比べて非常に知能が高いらしく、ユノやアレンの言葉を完全に理解しているかのように振る舞った。
馬車の荷台で座っているユノの膝の上に乗ってくると、さぁ撫でろという顔をしてきたのは驚いたが、邪険にする気にもなれず――あのような貴重な指輪をプレゼントしてくれたトカゲなのだから、邪険にする理由がない――、お礼も兼ねて撫でているうちに、愛着が湧いてしまって、今に至る。
「――それで、結局連れ帰ってきたんだ」
「うん」
「それじゃあ、夕飯はユノの分だけじゃなくて、トカゲの分もだね」
ユノの説明に、トカゲを嫌がる素振りもなく、ユズリハはキッチンへとと向かう。
その途中、ユズリハは足を止めてこちらへと向き直ると、黒髪を揺らしながら微笑んだ。
「そうだ、言い忘れてた。おかえり、ユノ」
「ん」
わざわざそんなこと気にする必要ないのに――そんなことを内心思いながら、ユノは興味なさげにうなずいた。
♪
実を言うと、ユノはどうしてユズリハが工房に居候し始めたのかを、いまいち覚えていなかった。
たぶん、何らかの花導具に夢中になっていて、投げやりに許可をしてしまったのだろう。
先代から譲り受けたこの工房兼自宅は、元々部屋はそれなりに余っていたので、別に一人ぐらい増えても住まいに問題はない。
それに、ユズリハは自分でそれなりに稼ぎ、家賃代わりに工房の手伝いや家事をやってくれているので、ユノとしては文句もなかった。
むしろ、一人でいるときには疎かにしがちだった、掃除や洗濯を確実にやってくれる人がいることに、安堵しているほどである。
あれを真面目にやっていると、花導具に触れられる時間が減ってしまう。その為、ユノにとっては、どうにか対処するべき結構な命題の一つであった。
それにユズリハは、時には食事すら疎かにするユノを、無理矢理に食卓へと連れてくることもあるので、集中力が切れた瞬間に空腹で意識を失う頻度が減っている。
(居て、損はないのよね……)
ダイニングにあるテーブルに着き、膝の上に乗っている岩喰いトカゲを撫でながら、キッチンにいるユズリハを何ともなしに見遣った。
フルネームは、ユズリハ・クスノイ。
その独特の名前の響きは、彼女の出身地である東の最果てという土地では、普通の名前らしい。
同年代で見ても、やや小柄なユノよりも、さらに小柄で――少女というより、見ようによっては幼女に見えなくもない――見た目をしている。
そのくせ、自称だがユノより年上を公言している。
肩口よりやや長めの黒髪は、ユノと違って丁寧に手入れをしているのか、艶やかだ。
前髪もユノのように、邪魔になったらいい加減に切っているようなバラバラの長さではなく、ちょうど眉毛と瞳の中間くらいになるところで、切り揃えられていた。
身につけているのは、その土地の民族衣装――ツムギと言うらしい――。
今は髪を下ろしているが、カンザシという髪飾りで丸くまとめていたりすることもあるし、ヘアゴムやリボンを使って髪を高めでポニーテールに結っていたりと、気分で髪型を変えていた気がする。
見た目も服装も、この街では浮いてしまいそうな姿だが、町中を歩いている姿は不思議と馴染んでいた。
(……考えて見ると、そんなコトくらいしか知らないわね)
元より、ユノは他人にあまり興味がない。
他人を知るくらいなら、花学技術の勉強に時間を使った方が有意義だと思っているくらいである。
(まぁ、いいか。無理して聞くもんでもないし)
それでも、居候だからか――少しだけ、彼女への興味はあった。
あるいは時折、彼女から花導具の素材である、粉末霊花の香りがする時があるから……かもしれない。
ジュージューというお肉の焼ける音と、焼けたお肉とソースが混ざった匂いが漂うダイニングで、もう一つ思い出したことがある。
(料理上手で……そういえば、わりと健啖家よね)
あの小さな身体でどこに入るのだろうか――なんて思っていると、ユズリハがテーブルに料理を並べ始めた。
ユノの膝の上にいたトカゲは、ぴょんと隣の席へと飛び移ると、椅子の上で立ち、テーブルに小さな両手を乗せている。
「ちゃんと、あなたの分もあるよ」
そう言いながら、ユズリハはトカゲの前にも料理の乗った皿を置いた。
ユノとアレンが狩ってきたトカゲ肉を薄切りにして、ユズリハ特製のパンにも良く合う生姜ダレとやらを絡めて焼いたものらしい。
「トカゲ肉って、共食いになるんじゃないの?」
「あ。そういえば」
ユノの素朴な疑問に、ユズリハがしまった――という顔をするが、トカゲは気にせずに、薄切り肉を一枚ぺろりと食べてみせた。
「気にしないわけ?」
トカゲがうなずく。
「そもそも岩が主食じゃないの?」
それには、首を横に振った。
「ほんとに人の言葉分かってるんだねぇ……でもこれ、頭良いってレベルじゃなくない?」
「あたしも、そう思うけど……」
二人で岩喰いトカゲに視線を向けていると、当のトカゲは、「食べないの?」と言いたげに首を傾げる。
そんなトカゲに、ユノとユズリハは顔を見合わせて、肩を竦め合った。
「とりあえず、食べますか」
「そだね」
考えるのは後にしようと、二人で結論づけると、精霊への感謝を捧げて、食事を始めるのだった。
♪
夕食を終えたユノは、工房の地下室へと降りていく。
部屋に入ってすぐの壁に設置されている輪っかのようなものに触れ、マナを流せば、天井からぶら下がるように咲いているいくつかのブルグマンシアの花が明かりを灯し、部屋を照らす。
この地下室は、ユノの作業室だ。
作業用のテーブルだけでなく、様々な工具や、実験道具。さらには集めた資料や、希少本の写本などが、あちこちの棚や床に乱雑に置かれている。そのせいで、それなりの広さがあるはずのこの部屋が、やや手狭に見えた。
ユノに言わせれば散らかっているのではなく、これで整理されているのである。
小型の導具をいじる為の机と、大型の導具をいじる為のスペースだけは確実に確保してあるところは、職人らしいとか仕事人らしいとかいうべきかもしれない。
そんな部屋の中にあって、非常に整理されている棚。その棚の引き出しから折り畳まれた一枚の紙を取り出して、作業用の机の上に広げた。
その紙の隅に勿忘草の押し花があしらわれており、中央に描かれた大きな円の中には複雑な模様が施されている。
その円の中にトカゲがくれた指輪を乗せて、勿忘草へマナを巡らせると、紙に描かれた模様の外円が微かに光る。
これは作業用の花導具。
この微かに光る円の中で作業している限り、うっかりパーツを落としたり、跳ねさせたりしても、この花術紋の外へは飛び出さない。
細かいパーツが多い導具をいじる時には必須だ。
ちなみに、数年前にユノが造ったオリジナルで、先代もお気に入りだった一品でもある。
その先代がユノの許可を得て、販売権と設計図を信用できる筋に売ったところ、大量生産され、花学技術関係職だけでなく、他の様々な職業の人たちから受け入れられ、今なお売れ続けているロングセラー商品となっている。
「さてと」
とろけきった笑みを浮かべながら、ユノは指輪に手をかざす。
現代の花導具の多くは、ネジや接着剤を筆頭に、様々な物理的手段でもって、物質を接合しているが、古い時代のものは接合すらも花術紋などを用いていることが多い。
その為、分解するには、その先史花導具に用いられている接合術式を解読する必要がある。
「お?」
とはいえ、先史文明人もバカではないので、普段使いするような日用品などには共有の接合術式を用いている。それらは一部の職人や考古学研究者などは、それの解除と再構築くらいはできる者も多い。
「これはこれは……」
幸せそうな笑みを浮かべながら、ユノは一度手を離した。
「個有接合術式じゃない」
恍惚とした顔で、背筋を振るわせながら、息を吐く。
そんな先史花導具の中でも――この指輪のように何らかの理由があって、共有接合術式ではなく固有術式で接合している場合も希にある。
それらの先史花導具の多くは、日用品などではなく、特殊な用途のものであったり、個人所有のオーダーメイド品だったりするようだ。
「良いわぁ、あたしが優しく解除と再構築してあげるからねぇ……」
そんなレアアイテムに触れることができる喜びに身体を震わせながら、夢見心地のような表情で、ユノは情報花導板を表示させる花導具の用意を始めるのだった。
――そんなユノの様子を、気配を消しながら、呼吸荒くひっそりと眺めている居候が一人。
「あぁ……ユノが花導具にだけ向けるあの顔……すごい……もっと見たい……」
そんな二人の様子をやや遠巻きに見ながら、
(ダメだこいつら……はやく何とかしないと……)
などと、トカゲが思っていたとか、いなかったとか。




