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056:始まりはいつも日常の中に

今回より第二部騒動編開始です。今回はそのプロローグ的なもの。


   決戦の地にして不浄の地

   精霊が忌避する爛れた地


   晴れぬ穢れを晴らすため

   貴女がその身で清めるならば

   私はこの地で見守ろう


   貴女がこの地を見守る限り

   私は貴女の覚悟を見守ろう


   いずれ花が咲き誇り

   いずれ華やかなりし地となれど


   貴女がこの地を慈しむなら

   私は貴女を慈しもう


   ここはかつての奈落の地

   今は栄華と美の都


   我らは白銀

   栄華の大地と 清らな乙女と

   過去も未来も共に逝く



     ♪



「実際のところは、清らの乙女が奈落の浄化を始めてから、だいぶ経ってから白銀の一族がここに来たわけなのですけど」


 ハニィロップ国営劇場の迎賓席で観劇をしていた少女が独りごちる。


「浄化までにだいぶ時間が掛かったらしいですしね」


 演目は、ハニィロップの興りをドラマチックに描いた、『清らの乙女と白薔薇の騎士』だ。

 清らの乙女と呼ばれた聖女を愛した騎士の物語である。


 ハニィロップでは定番となっている物語であり、また第三文明期の邪精戦争を描いた物語として、世界中で知られている有名な物語だ。


 清らの乙女マリア・クインがその身を生け贄に土地の穢れを払う。

 愛した聖女がその身を賭して救った大地を守り抜く為に、白薔薇の騎士カーサル・ブランカルスがこの穢れの晴れた大地にハニィロップ王国を興すという物語。


「それに、王家に伝わる歴史では、白薔薇の騎士カーサルがこの地に戻ったのは、聖女様の墓標代わりに作り上げた清らに(サンクトゥ・)水湧く(フェントゥス・)花噴水(リリランジア)の設置の為だそうですし」


 観劇の途中でこのような大きな独り言を言えば周囲の迷惑にしかならないが、ここは迎賓席。

 王侯貴族や国賓などの為の席として、一般席のみならず貴族席からも離れた、やや高い位置に作られた場所だ。多少の独り言など、下の席には聞こえない。

 まして、今日この席にいる客は少女だけであるし、周囲にいるのは皆、彼女の側近だ。独り言も特に問題はない。


「実際にハニィロップが興ったのは、もっと最近。

 今代――第四文明期となりだいぶ経ってから。今から三百年前程度のものですしね。

 逆に言うと、第三文明期終盤のその出来事から、人がまともに暮らせる環境になるまで、それだけ時間が掛かったとも言えますが」


 独り言を続けているのは別に劇がつまらないわけではない。むしろ、今講演しているこの劇団は、これまで見てきた同じ劇の中でもかなり上位に入るほどであり、彼女は大変満足している。


 それでも、少女がつまらなそうに独白しているのは、単純に気分の問題だった。


 一緒に見に来るはずだった双子の兄は、急な予定が入ったとかで姿を見せず、それでも気晴らしにと来てみたものの、面白いのにイマイチ気分が乗りきらないまま、物語は終盤へと突入してしまっている。


 物語の揚げ足を取ってはいるが、史実を元にした架空の物語だと思えば気にもならない程度のこと。

 元々、少女はこの物語も芝居も大好きなのだ。今回だって、このような変な気分でなければ、満足していることだっただろう。



『白騎士よ、我も聖女にこの地を託された身。

 黒き我と白騎士では相容れぬ色ではあるが、願わくば争わず共に往きたい』

『ああ――闇の統括精霊シェイディーク・シャードゥ。そのようなコトは言わないでくれ。

 精霊にとって禁忌の地となったあの大地に、貴方が共に来てくれるのであれば、これほど心強いコトはない。

 だからこそ、貴方に唄を送ろう。これは、私から貴方への契りの唄だ』

『ならばこちらも唄を返そう。これは、我から白騎士への契りの唄だ』

『ありがとう。我ら白き闇の盟約に、乙女の慈悲を』

『こちらこそ感謝する。我ら白き闇の盟約に、聖女の祝福を』



 そうして、白薔薇の騎士と闇の統括精霊の二人旅が始まる。

 物語としては、そこで一応の完結だ。


 その後のエピローグとして、二人が聖女の墓標を中心に、村を興し、人が集まり、町となり、都市となり、国となる。

 それが、今のハニィロップである――そういう結末だ。


「歴史が物語の通りだとしたら、今のハニィロップの状況に、闇の統括精霊はどう思っているのでしょう」


 きっと――兄が来るのを止めたのも、その辺りの面倒ごとのせいなのであろうことは容易に考えつく。


「白き闇の盟約……か」


 ふと、その言葉が気になった。

 本でも芝居でも、この物語は散々楽しみ、何度もその単語を目にしておきながら、興味を持って調べたことがなかった――と、そう思ったのだ。


 国を興す下りはともかく、墓標として清らに(サンクトゥ・)水湧く(フェントゥス・)花噴水(リリランジア)を設置する為に、ある程度浄化がなされてすぐに、白薔薇の騎士がこの地へやってきたのは事実だったはずである。


 ならば、その時に闇の統括精霊と共に来ていても不思議ではない。

 ある程度の史実が元になっている以上、あのシーンにも元となった出来事があったのではないだろうか。


「興味が湧いてくると、途端やる気が出てくるものですしね――我ながら現金というべきかもしれませんが」


 物語が終わりを迎え、劇団員達が舞台の上に集結すると一礼する。

 それに併せて万雷の拍手が送られて、ゆっくりと幕が下りていく。


 遅ればせながら――と、彼女も手を叩いた。

 素晴らしい劇であったし、何より新しい興味を与えてくれた彼らに、拍手を惜しむ理由はない。


「今日は、特にこれと言って用事はなかったはずですしね。

 これから図書館へと参りましょう。とてもとても、興味が湧いてきてしまったコトですしね」


 そう言って、幕が下りきり拍手が止んできた頃に立ち上がる。


「さて、何の邪魔も入らないコトを祈りながら図書館へと赴くとしましょうか。善は急げと申しますから」



     ♪



 ガタゴトと音を立てながら進む馬車。

 御者をしている年嵩の執事ハインゼル・ロベリアンはさておくとして、ユノ・ルージュは自分の左右に座る者に数度視線を巡らせ、首を傾げた。


「……ユズはともかく、どうしてライラまで……?」


 今回ハニィロップ王国へ赴く表向きの理由は、貴族令嬢ユーノストメアとして、隣国との社交である。

 もう一つの目的は、花修理職人(フルール・リペイア)ユノ・ルージュとしての国宝修理だ。


 後者の理由から、業務上のパートナーとも言えるユズリハ・クスノイが同行するのはわかる。


 だが、貴族としても花修理(リペイア)としても、あまり関係のない少女ライラ・クックセンが同行しているのはなぜだろうか。

 しかも、クレマチラス家の侍従服にエプロンをつけて。


「表向きユノお嬢様の専属侍従見習いとして同道させて頂いております」


 ライラはこの一ヶ月ほどで身につけたのか――馬車の中なので座ったままではあるが――なかなかサマになっている仕草で、一礼してみせた。


「貴女の専属が家に居なかったから私が許可をしたのよ」

「ママ……」


 どこかイタズラを仕掛けた猫のような表情の養母――ネリネコリスの顔に、ユノは戸惑ったように首を傾げる。


「それに、ユズリハさん共々悪くはないでしょう?」


 そうなのだ。

 今回はユズリハも侍従服なのだ。

 身に纏っているのは、東の最果て式(イーステン・スタイル)の侍従向けツムギにエプロンを付けた姿になっている。


「貴女の暴走を止めるコトができるのは、ユズリハさんだけのようだしね」

「…………」


 二つ返事で即答しようとした時のことを指摘されると、何も言えない。

 ユノは諦めたように天を仰ぐと小さく息を吐いた。


「メアよ。

 カイム・アウルーラでならともかく、余所ではユーノストメアとユノはできるだけ同一人物だと思われたくないから、お嬢様でいる時に愛称で呼ぶならメアにして」


 それは別にユズリハとライラ――だけでなく、共に馬車に乗っているネリネコリスや、他の侍従であるハインゼルやムーシエにも聞こえるように口にする。


 その意図を全員理解したのだろう。

 その様子を確認して、ユノはまた吐息を漏らした。


 だけど、それは決して憂鬱な吐息ではなかった。


 元々社交の時間は、花導品(フィーロ)の為に耐えるモノ程度のつもりだったのだ。学術都市に居た頃のように微笑を浮かべた氷の仮面を張り付けて、氷の鎧で心を覆って――それで乗り切るつもりでいた。

 そうして冷え切った精神は、国宝たる花導品(フィーロ)に触れることで、暖め癒すのだ。


 それに加えて、母であるネリネコリスの足を引っ張りたくないという思いもある。

 だからこそ、念入り作った貴族のお嬢様という氷像が社交中に溶けてしまわないように注意しようと心に決めていた。


 そう思っていたのだが――


(ユズとライラが居るなら、そこまで冷え切らなくてもいいかもね……)


 不思議とそんな風に思える。

 そんな胸中のユノは無意識に嬉しそうな微笑を口元に湛えていた。




 穏やかな微笑を浮かべながら、ユズリハ越しに機嫌良く窓の外を眺め、鼻歌を歌いだしたユノを真正面から見たユズリハが、ネリネコリスへと視線を向ける。


(ネリィさん、やばいですッ! ご機嫌に微笑んでるユノがやばい……!!)

(皆まで言う必要はないわッ! うちの子、ほんと可愛いんだからッ!!)


 ご機嫌なユノの横で、アイコンタクトだけでネリネコリスとユズリハが心の声を投げ合った。その内容はお互いに完全に通じ合っていた。

 二人して胸中で身悶えはしているのだが、表面にはおくびにも出していないのは流石である。


 そんな二人の胸中に気づいた様子はなく、ライラは純粋な興味でユノに問いかける。 


「ねぇ、ユノお姉ちゃん。そのお歌は何?」

「ん? ああ、無意識に唄ってたわ」


 そういって、ユノは手持ちの鞄から、一つの古ぼけたオルゴールを取り出して鳴らして見せた。


「これよ」

「綺麗な曲だねぇ」


 オルゴールが奏でる曲に耳を傾けているライラと、侍従らしい澄まし顔を浮かべているユズリハを交互に見てから、ユノは思い切るように口を開く。


「曲の題名は盟友の唄って言うの。

 これに精霊語の歌詞乗せ、声にマナを乗せながら、統括精霊の前で歌えば、それが契約の儀式になるわ」


 もちろん、ただ歌えば良いのではなく、精霊と友になろうとする意志と、精霊の同意が必要であると、付け加えた。


「歌詞の写しも用意してあるわよ。

 ママとユズと、あとライラの分もね。歌詞は精霊語を現代語の発音に直してかるから。

 覚えておくともしかしたら役に立つかも知れないわね」


 元々、ライラには出発時の見送りの際に渡すつもりだったのだが、なぜか一緒に馬車に乗り込んできたので、このタイミングになってしまったが、問題はないだろう。


 養母も、ユズリハも、ライラも、これを悪用するようなことはしないはずだ。

 常に人を信じきれなくなったユノが、それでも改めて人を信じられるようにする為に、己に課したリハビリのようなものである。


 そしてそれを、ネリネコリスとユズリハは理解した上で、受け取った。


「この翻訳詞、とてつもなく貴重なモノで今はまだ流出させたくないから、絶対に紙をなくしたりしない。気軽に歌わないって、約束して」


 三人がうなずくのを見ながら、ユノは再び窓の外へと目を向ける。


 気がつけばカイム・アウルーラとハニィロップを隔てる峠を越えて、すでにハニィロップ領に入っていた。


 窓越しに見えるカイム・アウルーラとは異なる花畑の風情に、ユノは小さく口笛を吹く。


「綺麗な紫雲英(シニクス)の花畑ね」

大陸西部(こっち)だとそう呼ぶんだね。東の最果て(イーステン・ウェイ)だと、紫雲英(ゲンゲ)とか蓮華草(レンゲソウ)って呼ばれてたけど」

「アスタグラスとか、ハニーズミルクベッチなんて呼称もあるけど、ハニィロップじゃシニクスが一番通りが良いらしいわ」


 峠を越えた先で、湿り気のある空気と共に広がっていたのは、先端の紅紫が茎に向けて白くなっていく花が絨毯のように広がる光景だ。


 辺りにはふわふわもこもこした、小指の先ほどの大きさの虫が飛び回っている。


「飛び回っているのは何だろ?」


 ライラが首を傾げていると、ネリネコリスが微笑を浮かべながら横に座る侍女の名前を呼んだ。


「ムーシエ」

「かしこまりました」


 それだけで、彼女には伝わったらしい。

 ムーシエは窓を小さく開けると、そこから指をだす。


 しばらくそのままにしていたムーシエの指に、やがてふわもこな虫が一匹そこへ止まる。

 そうして彼女は虫の止まった指をゆっくりと引くと、ライラへとその虫の乗った指を向けた。


「こちらですよ、ライラ」

「ふわ……かわいい」


 楕円のような白い身体はふわふわもこもこの毛のようなものに覆われていて、黒い触覚や足がチマっと生えている。

 大きめの目は、その黒い色のせいで、くりっとして見えた。

 もこもこの毛のせいか、手足も触覚もチマっと生えているようで、何とも愛らしい。


「この子、なんて虫なの?」

花蜂(フルービィ)ですよ。大人しく人懐っこい気質の蜂で、蜂蜜を作るのが得意なのです。

 蜂なので針は持っていますが、普段は体毛の中に隠れてしまっていますし、優しく接する分には、まず刺されません。

 刺されたとしても基本的には痛いだけです。もっとも、怒らせる――いえ、激怒させると針が毒針に変わると言われておりますが」

「え?」

「大丈夫ですよ。そこまで怒らせなければ良いのです」


 指を出してください――と言われて、ライラがおずおずと指を出すと、ムーシエは自分の指に乗っていた花蜂を優しく、そちらへと移す。


「ふわわわ……」


 可愛いけどどうしたら良いのか分からないと戸惑うライラ。

 そんなライラの様子に気づいたのか、花蜂はライラの指から飛び立つと、彼女のほっぺたにキスするように軽くぶつかって、また指へと戻っていった。


「大丈夫、怖くないよ――って言ってるみたいね」

「本能的なモノなのか理性のようなモノなのかは分からないけれど、こういう仕草をするおかげで、この国ではマスコットのように愛されてるんでしょうね」

「実際、ハニィロップでは、聖蜂(せいほう)として崇められておりますし」


 しばらくは目を煌めかせて指に乗る花蜂(フルービィ)を見ていたライラだったが、やがて窓を開けると、そこから外へと指を出した。


「お仕事中だったのに、呼び出しちゃってごめんね」


 ライラがそう口にすると、花蜂(フルービィ)は再びライラに頬にこつんとぶつかってから外へと飛び立っていった。


「えへへ、可愛かった」


 嬉しそうに笑うライラに皆で和んでいると、ユノが何かに反応したように外へと視線を巡らせる。


「相変わらずの紫雲英(シニクス)畑だけど、精霊達の様子が変わってきたわね。

 物語の通り、ハニィロップは首都に近いほど精霊の数が減ってって、闇の精霊ばかりになるのね……」

「あれ? ユノってハニィロップ初めてなの?」

「ええ。学術都市はカイム・アウルーラとグラジを挟んで逆方向だったし。師匠と出会ったのも、学術都市からグラジの首都へ向かってる途中だったから。その後、グラジ国内を軽く回ってあとはカイム・アウルーラ。それ以降はほとんどカイム・アウルーラ領から出てなかったからねぇ……」


 意外そうな顔をしているユズリハに、ユノは肩を竦めるように答えた。


「精霊は少ないながらも肥沃の大地が広がる土地――その話に偽りはないから、やることやったあとの観光を楽しみにしておけばいいわ」

「そうね。そうする」


 ネリネコリスの言葉にうなずきながら、ユノはまだ見ぬ土地に思いを馳せる。


「観光名所や名産品よりも、きっと存在するだろう闇の精霊の聖域を見に行きたいわね」

「それって、常濡れの森海にある聖池みたいな?」


 どこか呆れた顔でのユズリハの問いに、ユノは大真面目にうなずいた。



     ♪



 ――カイム・アウルーラ

   アウルーラ城・守護会棟休憩室。


「…………」


 サルタン・セントレアル・クレマチラス守護会長は、難しい顔をしてその席に着いていた。

 腕を組み、眉を顰め、むーむーと唸っている。


 紙巻きタバコは、火を付けて一口吸ったきり、灰皿の上でその姿を灰に変えている。それほどの時間、彼はずっとそうしていた。


 行政局長並びにその娘の護衛隊士は守護会から選出されており、今回会長は留守番となっている。


 そう。留守番なのである。

 愛する妻と娘の護衛隊士をしたくてしたくて仕方なかったものの、彼は留守番なのであった。


(おい、誰か総長に声を掛けてこいよ)

(いや無理だろあれ。怖ぇよ)


 守護団、警邏団、双方の団員達も遠巻きにしながらこんな様子であり、誰も彼に近づこうとはしない。

 それほどまでに、彼はとてつもなく近寄り難い空気を醸し出していた。


 そんな中で、一人――いや一匹。躊躇わず彼に近づいていく存在があった。


(ドラ……お前、まさかッ!)

(行くのか? ドラ、お前行くのかッ!?)


 周囲が見守る中、レッドラインリザードのドラはペタペタと歩きながら、ある程度の間合いまでサルタンへと近寄り――


「――……ッ!!」


 見守っていた団員達すら、一瞬で意識が戦闘モードに切り替わるほどの殺気を放った。


 瞬間――ドラはその口から、先端の鋭く尖った石の欠片を無数に吐き出す。


 サルタンへと殺気と共に放たれた刺殺針の吐息(スティレットブレス)

 だが、サルタンは即座に反応すると、テーブルを蹴り上げて壁を作り横へと跳んだ。


(ぼーっとしててもさすが総長)

(本能的に殺気に反応してんだろうな)


 ドラの口から放たれた石片は、分厚い木のテーブルを貫通していた。


刺殺針の吐息(スティレットブレス)こわいな……ッ!?)

(威力やばすぎるだろ……!)


 団員達はドラがマナを用いて威力を上げられることを知っている。

 今回は素のまま吐き出されたが、これにマナが乗っていた場合どうなるのか――考えるとゾッとする。


「何のつもりだ、ドラ?」


 サルタンは剣を抜き、ドラへ向けながら険しい目線を向けて訊ねた。

 それに対して、ドラの方はむしろ殺気を霧散させ、呆れたような鳴き声を出して、遠巻きから様子を見ている団員達へと視線を向ける。


「お前達? どうした?」

「あー……えーっと」

「総長が怖くて休憩室を使えなかったといいますか……」


 言われて、地面に転がるロクに吸っていないタバコが、ほとんど灰になっているのに気づいたらしい。


「むぅ……やはりイカンな……」


 サルタンはそう独りごちると、大きく息を吐いた。

 タバコと灰皿を拾い、まだ火が消えてないたばこを灰皿に押しつけて火を消して、机と椅子を直す。


 それからドラに視線を合わせるようにしゃがみ込むと、ニヤリと笑う。


「ドラ、お前もユノちゃんやユズリハに会いたいだろう?」

「クァウ……(会いたいか会いたくないかで言えば会いたいが、どうせ一ヶ月程度でまた会えるから無理して会う必要はないな)」

「そうだろうそうだろう」

「クぅぅくぁぅ……(話が通じないのがここまでモドカシイと思ったのは初めてだ)」

「ならばやはり会いに行くしかない」

「クゥァァァウ……(勝手に決めないで頂きたい……)」

「いざ往かん、ハニィロップ!!」

「クァァァァゥゥゥゥ……(前の飼い主に迷惑になるから、あの国には戻りたくないんだが……)」


 ガシっと首根っこを捕まれて持ち上げられてしまえば、ドラとしても諦めるしかない。

 嘆息したついでに、ポロっと刺殺針(スティレット)が漏れるのも許して欲しい。


(ドラ、嫌そうじゃない?)

(絶対、会話成立してないよな、あれ)

(……誰か副総長に報告してこい。止まらないだろ、あれ)

(うっす。行ってくる)

(奥さんと娘が関わらない時は、とてつもなく頼りになる人なんだけどなぁ……)


 そうして、守護会傘下の守護・警邏の両団員達から生暖かい眼差しを受けて、サルタンとドラも一足遅れでハニィロップへと向かう運びとなったのだった。




「……クァァァウ……(やれやれだ……)」


 道中、何度もため息をついて、その都度、ポロポロと刺殺針(スティレット)が口から漏れてしまったけれど、仕方のないことだろう。



     ♪



  『出張修理依頼による遠征につき、しばらく店を閉めます』



「あー……そういえば、ユノは出張するって言ってたけ」


 フルール・ズユニック工房のドアに飾られた休業中のプレートを見て、エーデルは残念そうに口を尖らせた。

 諦めて(きびす)を返したところで、エーデルは目を瞬く。


 そこにいたのは黒いフード付きローブを纏った、見覚えのある少女。だがなぜかフードも目深に被っていて顔も見えない。


「あれ? 出張なんじゃないの? 忘れ物?」

「……いえ、わたしは……」

「んんー? あれ?」


 栗色の髪に、赤い瞳――顔は完全にユノそっくりなのだが、最近の特徴と一致しない。

 彼女の左目は赤いままなのだ。それに髪型も違う。目の前にいる客人はユノよりも髪が長い。後ろ髪は肩口よりも伸びていた。これは作業の邪魔だからと髪を伸ばすことを嫌うユノらしくない。


 何よりエーデルに声を掛けられて、こんなに戸惑った様子を本来の彼女は見せないだろう。どっちかというとうんざりした顔をするはずだ。


「あの……わたしの容姿が、ここの店主とソックリだと言われたから、ちょっと興味が湧いて会ってみたかったのだけれど」


 その言葉で、彼女がユノでないのだとエーデルは確信を持った。

 それにしても、声も結構似ている気がする。 


「それは残念だ。今は出張でいないよ。

 だけど、キミの見た目の話なら、ソックリっていうか双子レベルさッ! ユノとよく遊ぶ天才の僕が保証しよう」

「その保証にどれだけの価値があるかは分からないのだけれど、そんなのに似てるの?」

「僕ですら一瞬見間違えるくらいさッ!」

「そう」


 エーデルが太鼓判を押すと、彼女は小さく微笑んだ。

 その微笑は、馬車の中でユズリハとネリネコリスが身悶えしていた笑みに似ていたのだが、さすがの彼もそれを知りようはなかった。


「店主へ何か伝言とかあるかい?

 何なら、名前と一緒に伝えておくよ」

「ただの好奇心だったから特には……でもそうね。せっかくだから、会いたがってる人がいた――程度はお願いしようかしら」

「了解した。それで、キミの名前は?」

「わたしは……」


 彼女はそこで少し考える素振りを見せる。

 仕草の端々から相応の教育を受けた様子を見受けられることから、恐らくは貴族。

 それ故に、本名を名乗るか忍名(しのびな)を名乗るかを考えているのだろう。


(……実は貴族だなんて、ますますユノっぽい)


 そんなことをエーデルは考えていたのだが、彼女が名乗る忍名に、エーデルは思わず声を上げた。


「……忍名はユノよ。ユノ・ルージュ」

「ほんとにッ!? ここの店主とソックリさんな上に同姓同名だなんて、すごい偶然だ!」

「そうね。本当に――すごい偶然」

「もしかして、キミも花術(フーラ)とか花導技術(フィオレクトロジー)とかに目が無かったりする?」

「そういうのは無いわ。どちらかというと目の敵にしてるかしら」

「……それって……」

「ええ、そういうコトよ」


 達観したような目をしながら、笑みを浮かべる彼女を、エーデルは真っ直ぐ見ていた。


「バカにしないの?」

「するもんか。僕の研究はキミの為にしてるみたいなものだからねッ!」

「それはどういう……」

「キミは綿毛人(フラウマー)?」


 聞き返す前に問われて、彼女は素直にうなずいた。

 それに、エーデルは満足そうにうなずくと、続けて告げる。


「暇ならば是非、僕の研究を見に来てくれたまえ。これからでも構わないくらいだけれども」

「悪いけど、これから仕事でハニィロップに行く予定なの。店主とは話の種に会っておきたかったんだけど」

「それは残念だが……うん。なら都合が付く時には是非訊ねて来てくれたまえ。僕はエーデル・スノーレオン・ブランゲルバー! この街でユノと対を成す天才さッ!」

「ええ、覚えておくわ。エーデル君」

「うむ。覚えておくコトに損はさせないよ。キミの為に、僕は研究をより高みへと押し上げると決めたからねッ!」

「……そう。よく分からないけど、がんばって。機会があれば、また」

「うん! ばいばーい!」



 そうして、もう一人のユノ・ルージュは工房を去っていく。

 そんな彼女の背に手を振っていたエーデルは、やがて手を止めて空を仰ぐ。


 白い雲が流れる蒼穹を見上げながら、小さく――本当に小さく言葉を漏らした。


「偶然……偶然ね……。

 それならそれでいいさ。僕としては俄然やる気ができてたよ」


 その声はすぐに穏やかな風に溶け、誰の耳にも届くことはなかった。


 そんなワケで第二部騒動編のプロローグでした。


 次回でユノ達はハニィロップの首都到着の予定です。

 到着しないならいしないなりに何かイベントが発生する……はず。

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