004:未知に満ちた指輪
んべッ――という音が聞こえてきそうな様子で、岩喰いトカゲは舌を伸ばす。
丸まっていた舌が伸びて、ユノの目の前で広がりきった。
「……え?」
とっさに顔を守るようにしていたのだが、何も衝撃が来ない。
それに訝しみながら、ユノは恐る恐るといった様子でトカゲを見遣る。
見れば伸びきった舌の上に、指輪が一つ。
舌の鮮やかなピンク色は、指輪を乗せた絨毯のようにも思える。
「……受け取れってコト?」
我ながら間抜けな――と思うものの、ユノは岩喰いトカゲにそう訊ねると、彼(?)うなずくように首を動かして見せた。
さすがのユノも魔獣から指輪をプレゼントされた経験というのはないので――むしろ、そんな経験を持つ人間が世界にどれだけいるのかという話でもあるが――、おっかなびっくり、指輪に手を伸ばす。
ユノが指輪を手にすると、トカゲは満足そうな顔をしながら舌をくるくると巻き、その口の中へと収納した。
「ユノ? 平気か?」
「えーっと……平気は平気なんだけど……ターゲットから指輪貰った」
「は?」
アレンが目を丸くするのもわかる。だが、事実である。
それを証明するように、ユノは手の中の指輪をアレンに見せた。
「……指輪だな」
「指輪でしょ?」
とりあえず、このターゲットに敵意等はなさそうなので、アレンに見張りだけさせて、ユノは指輪を調べ始める。
リングは白銀。主役は大きめの水宝石のようだ。
その水宝石の中に、三枚のカエデの葉をバックに交差する二本の剣というデザインの紋章が浮かんでいるが、とりあえずそれは無視。
「おお……これは……!」
ユノが注目するのは、その宝石の台座となっている花だ。
アクアマリンの周囲を取り囲むように、小さな青い花が無数に咲いている。
この霊花――不枯の精花だ。しかも、年代物のようなので、この指輪は先史花導文明期に作られた物なのは間違いない。
「……先史花導具……!」
噛みしめるように口にすると、直後に笑みがこぼれてくる。
完全に近い状態だと思われる貴重品が、どうしてトカゲの口の中から出てきたのか気になるが、今はそれどころではない。
「ふふ……ふふふふふふふふふふ……」
無理矢理に笑顔を抑えてみるが、まったく落ち着くことはなく、口から声がこぼれでる。
横でアレンとトカゲが若干引いてるような気がするが、そんなものどうでもよかった。
ユノは馬車の荷台にある荷物の中から、一枚の紙を取り出してくる。
それを地面に広げると、上に指輪を乗せて、紙の隅にあしらわれた押し花からマナを流し、紙に描かれた花術紋を起動させた。
動き始めたマナが光を放ち、紙に描かれた複雑な花術紋の模様が淡く光を放ち出す。
ややして、何もなかったユノの周囲に、半透明の板がいくつか浮かび上がってくる。その板には、無数の情報が表示されていた。
「花導情報板ってさ、ずっと見てると疲れねぇ?」
「うふふふふ……別にぃ」
アレンの言葉を笑みとともに返答して、ユノは花導情報板に描かれた情報を読みとっていく。
先史文明人が作りだし、今なお花術師や花導職人達に愛されている情報表示技術。花導情報板。
使いこなすにはそれなりの技術と魔力が必要だが、簡素な花術紋でも、それなりの情報量を虚空に表示できるという代物である。
この紙は、ユノのオリジナルの花術紋を用いたものだ。
花導具を調べる術式をベースに、花導情報板の術式と組み合わせることで、その結果を表示させていた。
その情報を目で追っているユノが、徐々に興奮していっているのに気がつき、アレンはこっそり息を吐く。
こうなったらしばらくは落ち着くまい――という諦観混じりの嘆息だ。
「真ん中に水宝石が鎮座してるから分かりづらいけど、この不枯の精花はアジサイね」
アジサイは水の精霊が特に好む花の一つだ。
実際、この花には無数の水の精霊が出入りしている気配がある。
ユノは独りごちながら、得た情報を脳内で整理していく。
「この指輪……分類としては、武護花導具みたいなんだけど、武護機能を発揮させる為の種珠の代わりに、何故か水宝石がセットされてるのよねぇ……」
そこが謎である。しかも、とりあえず形が合ったからセットしてみたというよりも、最初からこの形だったようだ。
本来、武護花導具は、用途に合わせた種珠を付け変えて使うものだが、この指輪は水宝石を外すことができない。
どうしても、水宝石とセットでなければならない理由があったのだろうか?
今の段階ではその理由は不明である。
「ああ――……! この子にはいったいどんな役割があったのかしら……ッ!」
この指輪のかつての勇姿に思いを馳せながら、ユノは恍惚とした表情を浮かべると、吐息混じりに呟いた。
興奮に頬を赤らめ、瞳を潤まし、身をくねらせながら、熱と憂いを帯びた息を吐く。
その姿は、何も知らない者が見れば、誤解を招きかねないほど艶めかしい。
そんなユノの姿を見慣れているアレンからすれば、呆れるしかなかった。
何せ、こんな風になっている原因は、花導具なのだから。
完全に近い状態の、用途のまったく分からない、古い花導具。その姿と存在感に、ユノは酔いしれているのである。
しかも困ったことに、彼女がこういう表情を見せるのは、花導具を前にした時だけだ。
見た目だけなら美少女なのに――と、アレンは常々残念がっている。
「きっと、あの依頼人はこの指輪をあたしにプレゼントする為に、こんな依頼をしてきたのねッ!」
「絶対違うと思う」
自分の左の中指に付けて、うっとりと見つめているユノへとツッコミを入れてから、アレンは彼女の頭に手刀を落とす。
「痛っ?!」
「正気に戻れ」
「人が浸ってる時に……」
「花導具に欲情すんのは構わないが、家でやれ。おそらく依頼はそれをとってくるコトだろう? とりあえず帰るぞ」
アレンがそう告げて、周囲の片づけを始めると、ユノが慌てたように制する。
「待って。この指輪、内部に怪我があるっぽいから、ちょっと修理素材が欲しい」
「必要なものは?」
「この辺りに生えてる、褐色の刃物みたいな葉をした草あるでしょ? あれの根っこ。褐刃草って言うんだけど」
「量は?」
「えーっと……」
昔なじみだけあって、この辺りのやりとりには馴れたものである。
ユノが見立てた量より少し多めに採取して、麻袋にしまうと、馬車の荷台への放り込む。
ちなみに、採取作業も袋詰めも、荷台へ放り込むのもアレンの仕事だ。
ユノは指示を出すだけだしたあと、また指輪を堪能している。
「……ん?」
ふと、幌に覆われた荷台の中に麻袋を投げ込んだ時、その荷台の上に困ったものが存在しているのに気が付いた。
「……ユノ」
「なに? 指輪を眺めるのに忙しいんだけど」
採取の全てをアレンに任せて指輪を眺めていたユノが不機嫌に返事をする。
「それは悪かった。だが、できれば今すぐに俺の悩みを聞いて欲しい」
「……本当はイヤだけど、何?」
妙に深刻そうなアレンの声色に、ユノは訝った視線を向けた。
いくら花導具に欲情しているとはいえ、気持ちを切り替えることができるのは素晴らしいことだと、アレンは思う。
ともあれ、そんな彼女に、自分が直面している問題をどう説明して良いのかわからないアレンは、とりあえず馬車の中を指さすことで、見ろ――と示す。
「馬車の中がどうしたのよ?」
眉を顰めながら、アレンに促されるままに幌の中を覗いて……ユノも困惑した表情を浮かべる。
「どーするよ?」
「どーするって聞かれても……」
指輪をくれた赤線付き岩喰いトカゲが、まるで出発するのを楽しみにしているかのように、そこにいた。