023:逆鱗を撫でられる
常濡れの森海――それはカイム・アウルーラからほど近いところに広がる、南西の森林地帯だ。
泥濘を慎重に踏みしめるように、その森を歩く。
「ユズリハはここ初めてなのよね?」
「うん。なんか湿っぽいところだねー」
「クァゥ」
「はいはい。ドラは初めてじゃないでしょーが」
ユズリハと一緒になってうなずくドラに、ユノが苦笑する。
さすがにユズリハには、いくつか注意はしておいた方がいいだろう。
「常濡れの森海って名前はダテじゃないのよ」
この森に済む精霊は、なぜか水の精霊に偏っている。その為、まるで海や川の近くのごとく水のマナで溢れているのだ。
それ原因で、常にひんやりとした湿気が森全体を覆っている。
「ここの花って、全部が水の精霊の宿なの?」
「そうよ。本来、精霊は花の種類や色をえり好みするけれど、ここの森に関してはどんな花にも水の精霊が宿るの。まぁだからと言って、百パーセントってわけでもないんだけど」
必要以上に精霊やマナの属性が偏ると、それはその土地に影響する。それもあって、この森の木々草花は常に湿り、地面はぬかるんでいるのだ。
「戦闘用の格好してきて正解だったかな」
「あんたの普段着、足首くらいまで裾が伸びてるものね」
今のユズリハの格好は、東の最果ての民族衣装のツムギとやらをベースに、戦闘用に変えたもの。
普段着として着ているツムギは、裾が足首まで伸びている。だが、今着ている紫陽花柄の戦闘用のツムギの裾は太股の中程までで、見ようによってはミニスカートのようにも見える。
腰帯も普段しているリボンのような愛らしさを持つものではなく、防御の花術紋が編み込まれた丈夫なもの。それにいくつも小さなポシェットが付いている。
夜色のオーバーニーソックスは黒色の糸で花術紋の刺繍がされた、非常に丈夫な代物だ。靴も臑辺りまで覆う鉄板時込みの丈夫な編み上げブーツ。
さらに、腰の後ろのホルスターには刀身のやや短い東方式片刃剣――コダチというらしい――を横向きに付けていた。
大きめにダボついた袖や、無数のポシェットの中には、いくつもの武器や小道具が隠してあることだろう。
「完全武装ね」
「これでも隠し武器や暗器、即席花術弾は普段の半分以下だよ?」
「あ、そう」
どこにそんなに隠す場所があるのか、興味がないわけではないが――ユノがユズリハをなんとなく見ていると、彼女はユノを示した。
「ユノだって似たようなもんでしょ?」
見た目だけなら作業用の格好から、邪魔な改造ローブは脱ぎ捨てた格好だ。
だが、そこに花をあしらったアクセサリ類を増やしている。どれも自身の能力を高めたり、身を守る効果のある武護花導具だ。それにセットする種珠以外の部分はユノのお手製である。
「まぁ、否定はしないわ」
それともう一つ。ユノは杖を持っていた。
師匠の形見でもあるそれは、先端に大きく葉を開いた蓮の蕾が付いている。先端以外は古木の杖に見えるが、れっきとした先史花導武装で、銘を原始蓮の杖という。
ちなみに――余談に近い話だが、ドラは基本的に何も身につけていない。
「ドラ、アンタは帰ったら必ず水浴びしてから、家の中へ入るコト。いいわね」
「クァ~ゥ……」
間延びしたやる気のない返事をするが、頭の良いトカゲだ。分かってないわけではないだろう。
「とりあえず、先へ進みましょう。遺跡に向かうと、一体何が出てくるのかしら」
「騎士だと思うよ。たぶん。間違いなく」
「クアウ」
そんなやりとりをしながら、二人と一匹は常濡れの森海を、奥へ向かって歩いて行くのだった。
ユノたちがしばらく森を歩いていると――
「おい、そこの」
すぐそばの茂みから声を掛けられた。
そちらへと二人と一匹が視線を向ける。
道から外れた茂みをかき分けながら出てきたのは、グラジ皇国のエンブレムが刻まれた騎士鎧を身につけた男。
「何?」
騎士がどうしてそんな茂みから出てくるか気にはなるが、ここで変な騒ぎを起こすのは面白くない。
そこで、ユノはいつも通りの態度で、返事をした。
「こんな森で何をしている?」
「それはこっちの台詞なんだけど。
あたしはこの森の中央付近にある万年濡れ杉の枝を取りに来ただけよ」
それは嘘ではない。
「杉の枝などをどうする?」
「知らないの? 万年濡れ杉の枝は、花導品の修理や作製の材料になるのよ」
仮にカルーアからもらった情報がガセであったとしても、森に来るついでに取っていく予定だった。
「それで?
普段、カイム・アウルーラの花職人以外が滅多に人が立ち入らないこの森で、グラジの騎士様が何やってるのよ?」
わざとらしい半眼で、ユノが騎士を見遣る。
「それは……」
言葉を詰まらせる彼に、畳みかけるようにユズリハが訊ねた。
「もしかして、ここ最近の地震と関係ある?」
「べ、別に関係ないぞ」
一瞬だが、この男はギクリと身体を強ばらせた。
それだけで充分である。
「まぁそういうコトにしておいてあげるわ」
肩を竦めて、ユノはそのまま男を無視して先に進もうとする。それに、ユズリハも続いた。
「待て」
「何よ。こっちは仕事で来てるの」
「も、森の奥は調査中なんだ。悪いが出直して……」
「そっちの都合なんて知らないわ。こっちにだって都合があるの」
「だが、我々とて重要な調査が――」
「だったら、今ここでその重要だって証拠を出しなさい。ここはカイム・アウルーラ領内よ。
余所の国の人間が、地元の人間遮って好き勝手やっていい理由があるんら、相応の書状とかあるんでしょう?」
男の言葉を遮って、ユノはピシャリと言い放つ。
それに、男は何も言い返してこない。むしろ、言い返せないのかもしれない。
「無いのならこの件は、カイム・アウルーラ行政局へ報告してあげる。そのままうちのトップから、アンタの故郷へ文句が飛ぶだろうから、覚悟しておきなさい」
ユノは軽く息を吐いてから、そのままズンズンと進んでいく。それをユズリハとドラが追いかける。
一歩遅れて、何か色々と喚きながら追いかけてくる騎士。だが、やがて言葉では止まらないと判断したからか、腰に吊していた折り畳み式の槍に手を伸ばした。
「待てッ! 止まれッ!」
「さすがに強引すぎると思うよ、それ」
ユズリハが冷ややかな視線を向ける。
だが、彼は構わずそれを掴み取ると、素早く組み立て、こちらに向けた。
「止まれ」
「嫌」
にべもなく言い返し、さらに歩調を早めていく。
「止まれと言っているッ!」
そしてついに、苛立ちを露わにした騎士は、二人の正面へと回り込んで槍を構えた。
「実力行使……本気でする気なら、相応の覚悟が必要よ?」
手に持っている杖を肩に担ぐようにしながら、ユノは嘆息する。
「小娘風情が……下手に出てやれば調子に乗りやがってッ! グラジ皇国の騎士である俺の手を煩わせるなッ!
どうせどっかの工房の使いの木っ端職人だろう? 調子に乗るなよッ!」
その発言に、ユノは露骨に舌打ちをして見せた。
「自分の都合が通らないと、すぐに大声で人を侮蔑するエリート気取り。
アンタみたいなのを、私は馬鹿って呼ぶようにしてるのよね」
明らかな嫌悪感を見せるユノに、ユズリハは横で平静を装いながらも、内心では驚愕していた。
確かに短気でわがままで怒りっぽい人物ではあるが、ここまで強烈で露骨な嫌悪を露わにする姿は珍しい。
「それで、馬鹿。アンタはどれだけ偉いのよ馬鹿。
この天才が足を止めて、わざわざ真面目にコトを構える価値が馬鹿にあるのかしら。
馬鹿なら馬鹿らしく、天才に道を開けなさい。どれだけエリート気取ったところで、所詮はただの気取り屋なんだからさ、馬鹿は」
その発言からは、先ほどのような軽くあしらう気などさらさら感じなかった。
徹底的に侮蔑し、見下す。
大花時計の時に似たようなことを口にしていた、ダンダルシアなる男への対応とはまったくの別物だ。
「本当の秀才ってのはね。そのプライドの高さと、その振る舞いに釣り合う、相応の実力あってこそなの。
そもそもからして。グラジ騎士ってだけでありがたがられるのは、アンタが偉いんじゃなくて、グラジ皇国の国力故の威光があるからでしょう」
別に声を荒立てている訳ではない。
淡々と、事実を並べるだけのように。
振る舞いは、工房に来るお客さんに、花導具の使い方を丁寧にレクチャーするようだ。
だというのに、ユノは、ただそれだけで騎士を圧倒していた。
ユズリハが知る限り、ユノが小娘呼ばわりされるのは初めてではない。だが、これだけの様子を見せたのは初めてである。
「小娘ぇ……言わせておけば……ッ!」
ギリリッと歯ぎしりしながら、騎士は槍を構えた。
そこへ、
「どうした?」
「いいところに来た。こいつら……無理矢理に森の奥へ行こうとしやがるんだよッ!」
「ほう……?」
騎士が一人追加された。
「……仕事で、万年濡れ杉に行きたいってだけなんだけどねぇ……」
先に居た騎士の報告を疑うことなく聞き入れた様子の騎士にユズリハが苦笑する。
後から来た方も、騎士団支給の折り畳み式の槍に手を掛けているのだ。
「嘘を付け。『濡れ沈む遺口』に向かう気であろうが」
「……馬鹿な上に、人の話を聞かない。
救いようがない馬鹿が二人とか、相手にするのも疲れるわ」
そう告げて、ユノは手に持っていた杖を構えてマナを巡らせる。ユノの力に反応して、その杖の先端に付けられていた蓮の蕾が花開いた。
「その杖、ただの花導武装ではないな……」
「だったら、なんだってーのよ」
どこまでも不機嫌に、ユノがうめく。
横でその様子を見ながら、ユズリハはどうしたものかと考える。
ここで、騎士達を吹き飛ばすのはあまりよろしくない気もする。だが、だからと言ってここへ来た目的を思えば素直に帰りたくもない。
(『濡れ沈む遺口』ね……)
それが騎士団の付けた、この森で見つかったという何かの名称だろう。
チラと横を見れば、ユノの杖の先端の花に赤いマナが集まってきている。
とりあえず、釘だけ刺しておこう――と、ユズリハは苦笑した。
「殺しちゃダメだよ」
「あら、残酷ねユズリハ。馬鹿は死んでも直らないとはいえ、本当かどうか体験する機会を与えないなんて」
「いや。そういうワケじゃないんだけど……っていうか、ちょっとユノのキャラ変わりすぎてて付いてけないというか」
初めて見た、ユノの一面に戸惑っているのだと、ユズリハは素直に告げる。
「……変わってないわよ。あいつ等が――あー、いや、そっか……うん」
何か言い掛けて、ユノは何かに気づいたらしい。そこから急速に彼女の怒気が収まっていく。
ユノは大きく息を吐いてから、投げやりに杖の先端を騎士達に向けた。
「この森の中で炎のマナを用いた術式などッ!」
「我々の鎧は対花術処理が施された花導武装だぞッ!」
勝ち誇る二人に、ユノは躊躇うことなく、言葉を紡ぐ。
「始まりは我先にと集う炎。続章は膨らみ弾ける果実。終章は咲き誇る焔歌……」
杖の先端の花に集まった赤いマナが収束する。
「重ねて三つッ!」
杖に宿ったマナが、ユノが重ねた三つの詠唱にその方向性を示される。
花と精霊が、詠唱とともに巡らされるマナを利用して、術者が示したその方向性の在りようを形にするべく、世界を塗り替えやすく変化させていく。
そして花銘を口にすることで、花と精霊たちが待ってましたとばかりに、示された方向性通りにマナを開放し、世界を塗り替える。
「其は高らかに芽吹く華焔の種ッ!」
杖の先端に集まったマナは、火球となって、二人の騎士の足下へと放たれた。
「こんな森だから、炎の術を使うのよ」
その小さな火球がぬかるんだ地面に着弾すると、炎が炸裂しながら広がって、泥土と共に舞い踊る。
「この森なら、多少威力を高めても引火の心配がないからね」
例え鎧が丈夫で術へ耐性があろうと、巻き上げられた土砂には耐えられまい。
そのまま二人は宙を舞って、みっともなく地面に叩き付けられる。
それで溜飲が下がったわけではないだろうが、ユノは小さく息を吐くと、杖に咲いた花を閉じた。
「ユズリハ、ドラ、別の道から行くわ」
「ん、了解」
「クァウ」
ユノの言葉にユズリハとドラがうなずく。
同時に、遠巻きから声が聞こえてくる。
「なんだ今の爆発音はッ!?」「あっちから聞こえたぞ!」
「火炎系の花術の類かッ!?」「誰か見てこい!」
「昔を思いだして頭に血が昇ちゃったとはいえ、マズった」
「自覚があるなら結構」
頭を掻くユノに、ユズリハが笑みを浮かべた。
「別の道とやら、先導してユノ」
告げて、ユズリハはその手に子供が握り隠せるほどのサイズをした筒を取り出した。
それが何であるかをユノは敢えて訊ねない。
だが、この場でユズリハが取り出したのだ。役に立たないものではないだろう。
「了解。露払い任せた」
それにユノはうなずくと、走り出す。
ユズリハは手に持ったそれの栓を抜いて、いくつかランダムに――かつ力一杯――周囲に放り投げてから、ユノを追いかける。
地面に落ちたり、木々にぶつかったその筒は、ややした後に周囲のマナに反応する。
そして、その筒の中に収まった粉末霊花が、同じく中に収まっていた術式を起動させた。
筒の中身はそれぞれ別の術式だ。ゆえに、あちこちで電気が放電され、周辺が氷結し、土砂が舞う。
今、ユズリハが投げたのは即席花術弾。即術弾と略されることもある使い捨ての花導武具である。
中に入っている粉末霊花と、炸術式――そう呼ばれる花術紋の一種だ――が刻まれた起動札という紙が、周辺のマナと反応しあって、まるで花術のような効果をその場にもたらす。
投げ終えるなり、横へとやってくるユズリハに、ユノは走りながら訊ねる。
「もしかして、手作り?」
「うん。趣味と実益を兼ねてるの」
ユズリハから時々粉末霊花の匂いがしたのは、これの中身を調合していたからだったようだ。
「くそッ、何だこれはッ!?」「何者かの襲撃なのかッ!?」
「それにしては発生位置が無茶苦茶すぎるぞッ!?」
「話は後にするとして……」
「うん、逃げようッ!」
「クァウ!」
見回り騎士達のパニックを音楽に、二人と一匹は、走る速度を上げて、その場から走り去っていくのだった。
同じ「見下し」「小娘扱い」その他諸々なアレこれに、ユノの中では分類わけがあります。
今回の騎士はその中でも、機嫌悪くなるランクが上位のもの。トラウマみたいなものが蘇って不機嫌になりました。
そして、明日はちょっと更新が難しいかもしれません。