022:お昼休みと地震の話
声を掛けてきた男は、ユノも良く知っている男だった。
名前はカーネイリ・ショーンズ。
この街の――特に裏街と称される区画の――住人で、知らぬ者はいないほど有名な人物である。
彼が声を掛けてくれたのであればありがたい。
「いやさ、こっちのおっちゃんが、私の仕事の邪魔をするわけよ」
「ほう」
騎士の方を指差すと、カーネイリは元々鋭い眼差しをさらに細めて、視線を向けた。
「そいつはよくろしくないな騎士さん。この街で姫の仕事の邪魔するというのは、自分達の生活の首を絞めるも同義なのだがな」
多少大げさな物言いではある。
だが、実際にユノは表街裏街問わず、街路灯などの花導器メンテナンスもやっている。
それだけでなく、一般家庭用の生活必需品の花導具などの修理もだ。
もちろんこの街にはユノ以外にも花職人はいる。だが、その技量や知識で彼女に勝てるものは居ないのだ。
「この小娘がか?」
どこか小馬鹿にした口調の騎士に、カーネイリは露骨に嘆息してみせた。
「ふむ……人を見かけだけで判断するのは、あまり良いとは言えないな」
「なに?」
「この先史花導器の保守を任されてる。そんな姫を小娘呼ばわりとは……。
街の外から来てる騎士とは言え、些か人を人を見る目なさ過ぎやしないかな?」
「いくらウデが良かろうと小娘は小娘だろう?」
どうやら理屈が通じるタイプの騎士ではないらしい。
カーネイリが頭を抱えていると――
「ここで話をしててもユノの邪魔になってしまうだけでしょうから、どこか路地裏辺りで『お話』でもされてきたらどうですか?」
そこへ別の少女の声が割り込んできた。
声の主は、この辺りの地方では珍しい天然の黒髪を肩口で切り揃えている少女だ。着ている衣装も東の最果ての民族衣装であるツムギである。異国的な装いだが、仕草や雰囲気に浮いた空気がない。彼女はこの姿で、この街に馴染んでいるようだ。
そして何故か、岩喰いと思われるトカゲを連れている。
「また小娘が増えたか」
やはり、騎士は相手を小馬鹿したようにうめいた。
彼女――ユズリハ・クスノイは、目に掛かるか掛からないかの所まで伸びた前髪を揺らしながら、涼やかに微笑む。
「どうやら、こちらの騎士様は、グラジ皇国の威光がどこでも通用すると勘違いなさっているようですね」
「そのようだ。申し訳ないが、こちらへと来てもらえるかな?」
答えは聞かずに、カーネイリは騎士を引っ張っていく。
「な、何をするのだ? 離せッ!」
「暴れないでくれると助かる。こちらも手荒にはしたくない」
そうして、ズルズルと引きずられながら、東裏街のある通りへと連れて行かれる騎士。
それを見ながら、ユズリハは嘆息する。
「マイペースだねぇ……ユノ」
「クァゥ……」
ユズリハの言葉に、ドラも同意するように鳴いた。
もぞもぞと時計の中から這いだしてきたユノが、ユズリハの方へと視線を向ける。
「カーネイリさんに任せておけば、私が口を出す必要はなさそうだったからねぇ」
絡まれていたのは自分であろうに、この言い草である。
本気であの騎士のことなど、歯牙にもかけていなかったのだろう。
「それで終わり?」
「ええ」
ユズリハに訊ねられ、ユノはうなずいた。
それを見ながら、ユズリハが報告をする。
「そうそう。朝まで弄ってた黒バラのカンテラ。依頼人が取りに来たから渡しておいたけど、大丈夫だったよね?」
「そ。良く分かったわね」
「そりゃあ、作業完了棚に作業報告書と一緒に置いてあれば、これかなって思うよ」
「よしよし――あのカンテラ、もうちょっと眺めてたかったけど、依頼人が取りに来ちゃったなら仕方がないわ」
そんなやりとりをしてから、はて――とユノは首を傾げる。
「ところでアンタ、工房は?」
「もうとっくにいつもの休憩時間だよ」
「げ、もうそんな時間なの?」
などと言ってはいるが、ユノのことだ。時間が分かっていたところで、時間を気にせずに作業に没頭していたことだろう。
ユズリハが胸中で苦笑していると、女性の声が一つやってきた。
「相変わらずなのね、ユノちゃん」
「あれ? カルーア? お店はいいの? 書き入れタイムでしょ?」
緩くウェーブの掛かった肩より長いピーチブロンドをそよ風に揺らしながら――ユノやユズリハではこの先、持ち得ることが出来ないないだろう豊かな胸囲を持った――その女性、カルーアが笑う。
「ふふ。うちの店のランチタイムはもう終わってるわよ」
カルーアの琥珀色の瞳を眺めながら、ユノはキョトンした顔で首を傾げた。
「……ランチタイム、終わってる……?」
その言葉の意味を理解するなり、ユノは慌てて大時計の表面へと回って時刻を確認する。
「うあッ、本当だわッ!? もう二時半を過ぎてるッ!?」
「いつもの時間にお店を閉めて、散歩がてらに広場に来たら何かユノが変な騎士さんに絡まれてるんだもん」
「あいつが絡んで来た時点でそんな時間だったんだ……」
なるほど、確かにそれならカルーアが休憩がてらにこの広場に来るというものだ。
この広場には、元々食べ歩き向けの屋台が並んでいるし、ランチ向けの時間限定屋台なんかも出店している店も多い。
お客さんのランチタイムが終われば、今度はカルーア自身のランチタイムだ。
「日替わりランチの花飛魚のフライ……楽しみにしてたのに……」
「あら、それは残念ね。今日は日替わりランチ早々に終わっちゃったのよ」
どちらにせよ、食べれなかった可能性が高いようだ。
がっかりしながら、表から戻ってきたユノが、気怠げに告げる。
「ユズリハ。何でもいいから、屋台でランチ買ってきて」
「ん。りょーかい」
それにユズリハはうなずくと、軽く駆けていく。
ドラもそんなユズリハを追いかけて、ぴょこぴょこ走り出した。
せっかく大花時計を触れる日に、邪魔をされるわ、楽しみにしていたランチは食べれないわで散々である。
何とも沈んだ気持ちで、一人と一匹の背中を眺めていると、カルーアが何かを差し出してきた。
「……ユノちゃん、食べる?」
カルーアの手にしている褐色のミニコスモスが束ねられた小さな花束を見て、ユノはうなずく。
「もらう」
その花の花びらを一つ、口で摘んでそのまま引っ張る。
ぷちりという軽い手応えと一緒に、花びらがちぎれて、ユノの口の中へと収まった。
ショコラコスモス。この街で食用に品種改良されたチョコレートコスモスで、名前の通りの香りと味のする花である。
女性に人気で、こういうミニブーケ風にアレンジされ、一束いくらで売られている。カイム・アウルーラの名物とも言える食べ歩きデザートだ。
口にしたその花は確かに、疲れた身体に嬉しい甘さではあるのだが――
「おなか、満たされない」
「そりゃあねぇ……」
カルーアが苦笑する。
この花束一つ食べても、そこまでお腹に溜まるものでもない。
「どこかのベンチにでも座って、ユズちゃんを待ちましょう」
カルーアの提案に、ユノは素直にうなずくのだった。
「そういえば」
もぐもぐと、ユノは三枚目のショコラコスモスの花びらを口に含みながら、カルーアに問いかける。
「グラジの学術騎士達をいっぱい見かけるけど、何か知らない?」
それに、カルーアはショコラコスモスの花びらを一枚、口で引っ張りながら答える。
「あら? ユノちゃん知らなかったの?」
そのリアクションから、どうやらそこそこ有名な話だったようだ。
ショコラコスモスを嚥下してから、ユノは肩を竦める。
「いやー、実は先史花導具の修理依頼があって、ここ数日作業室に引きこもってたのよ」
あまりにも素敵な子だったから、思わず集中してしまい、ほぼ四日間徹夜で作業してしまった。
「ユズちゃんの想像を越えるハマりっぷりだったのね」
「まぁね」
ユズリハがいなければ、その上で飲まず食わずだったことだろう。
カルーアは首肯するユノに苦笑してから、訊ねる。
「そういえば、ユズちゃんがうちのカンテラに似てたって言ってたけど、そうなの?」
「ええ」
(言われてみれば、あの黒バラの子。カルーアの家に伝わる赤バラの子と様式がそっくりだったわね)
そんなことを考えていると、カルーアが何かに納得したようにうなずいた。
「なるほど。それなら徹夜も仕方ない……のかな?」
引っ張り取った花びらの甘みを楽しむように、口の中で弄びながら、カルーアが笑う。
「ここ最近地震が多いでしょ? 気づいてる?」
「いや、いくら集中しててもそれはね。別にここ数日以前からだし。
何より、私の花導具ちゃん達が倒れたり落ちたり壊れたりしないか気をつけてるくらいだし」
中にはカルーアの言う通り、気づかなかった地震もあったかもしれないが、それはわざわざ口にはしない。
「それなら話が早いわ」
そう言ってカルーアがうなずいた時、ちょうどユズリハとドラが戻ってきた。
「ただいまー」
「クァーゥ」
その手には、小さなバスケットが一つずつ。
ドラはドラで、小さな両手――というか前足――で器用にバスケットを一つ支えている。おそらくそれがドラの分なのだろう。
「まだランチバスケット買えたんだ」
「うん。売れ残ったんだって。屋台のマギーお婆さんが今日は撤収するから、バスケットは明日返しに来いって言ってた」
ユズリハからバスケットを受け取って蓋を開く。
中にはトーストサンドが四つとミニサラダの入った小さな容器がある。
「いただきまーす」
ユノは小さくそう言うと、トーストサンドを一つ手に取った。
それを一つ、口にして――
「あれ……? ユズリハ、この挟まってるのって……」
「あ、うん。焼いた花飛魚の身をほぐして、スイートチリベースのタレで和えたやつ。フライを使ったのは無かったけどね」
わざわざ気を利かせて探してきてくれたようだ。
「あ……。べ、別に、いいのに……」
何か言おうと口を開きかけ、途中で言葉を変えた。
「まったくもう、お礼ぐらい素直に言いなさいな」
その様子に、カルーアが苦笑する。
だが、ユズリハも今のユノがお礼を言おうとして、照れくさくなったのは、短いつき合いながらも、知っている。
「いいって、カルーア。今の顔が見れただけで買ってきた甲斐があったってもんだから」
「ふふっ、確かにそうかもね」
「もう、二人してなんなのよーッ」
何やらほっぺたを膨らますユノに、ユズリハは笑い掛けると、その横に腰をかけた。
「いただきます」
それから、バスケットに向かって手を合わせ、蓋を開く。
バスケットを地面に置いたドラも、蓋を開けて中を覗いている。
「ところで、何の話をしてたの?」
中のトーストサンドを手に取りながら、ユズリハが訊ねる。
「地震の話」
もぐもぐとトーストサンドを食べながら、ユノが答える。
「ユノ。口にものを含みながら喋るの、お行儀悪いよー」
苦言を呈してから、ユズリハはカルーアに視線を向けた。
「地震って、ここ最近多発してる?」
「ええ」
カルーアは少し顔を赤らめながら、口元を手で軽く隠しつつうなずいた。
「頻発する地震のせいで、常濡れの森海の地形がちょっと変わったみたいなの」
それに、ユノとユズリハは顔を見合わせた。
「確かに大きいのもいくつかあったけど、地形が変わるほどでもないでしょ、どれも」
「そうね。正しくは常濡れの森海の地下に隠れてた何かが地震で動いたのかズレたのか……ってコトらしいわ。
そういう理由で、グラジの騎士さん達がこの街を拠点に調査をしてるみたい」
カルーアの話を吟味するように、ユノは自分の下唇を撫でる。
それから、何かを決めたようにユズリハへと向き直る。
「ユズリハ。食べ終わったら常濡れの森海に行ってくるわ」
「そう言うと思った。
出来れば私も連れてってほしいな。常濡れの森海って行ったコトないし」
ユズリハの返答に、ユノは少し思案する。
騎士だけに限らず、森に住む魔獣やら何やらに襲われた場合を思うと、ユズリハの戦闘能力はありがたい。
「おーけー。日が暮れると面倒くさい場所だから、ちゃちゃっと食べて向かうわよ」
「りょーかいッ」
「クァウ!」
どうやら、ドラも着いてくる気満々のようである。
(まぁ、戦力になるし、いいか)
そうして、一気にランチバスケットの征服に掛かる二人に、カルーアが妹を見守る姉のような眼差しで笑う。
「バスケット。私が預かっておくわ。今の二人だと、その辺に放り投げちゃいそうだし。もちろんドラちゃんの分もね」
「ユノじゃないんだから、さすがにそれは……」
ユズリハはそう苦笑するが、ユノは一瞬だけ手を止めたあと、敢えて何も言わずにミニサラダを手に取った。
「あ、自覚あるんだ」
その動きの意味を理解したユズリハがそう笑う。
「そりゃあ色々逸話があるもの」
それに、カルーアは柔和な微笑を浮かべながら、うなずく。
そうして、ランチを食べ終わった二人と一匹は、バスケットをカルーアに手渡した。
「それじゃあ行ってくる!」
「ええ。気を付けてね二人とも。ドラちゃんも」
ドタバタと、賑やかに広場を去っていく二人と一匹の背中を見ながら、カルーアはショコラコスモスを一口食べる。
(ユノちゃんと学術騎士さん達って、ちょっと相性良く無さそうなのよね。何もなければいいけど……)
そんなことを思いながらも、カルーアがのんびりとした心地で、もう一口ショコラコスモスを囓るのだった。
本文中にもある通り、カイム・アウルーラのショコラコスモスは、食用できるように品種改良されたものです。地球に実在するチョコレートコスモスは、チョコレートの香りがするだけで、食べるコトはできませんので注意。
カーネイリおじさんと、裏街の詳細などは、またそのうち。