017:絵描きと災厄獣 - 後編 -
カイム・アウルーラを中心に、周辺諸国を放浪して回っている綿毛人テラン・ブモーヴェは、首を回しながら、職人街のメインストリートを歩いていく。
アレンたちの様子を見る限りでは、災厄獣が出てくる可能性は低そうだが、警戒するに越したことはない。
とはいえ、必要以上に警戒する意味もない。つまるところ、結果が分かるまでは暇なのである。
彼が今、カイム・アウルーラの西側を歩いているのはただの散歩だ。
西門にいる顔見知りの門番とでも、今晩飲む約束でもしようかと、そう思った程度の理由だった。
しかし、テランはある人物を見かけて、そんな気分が吹っ飛んでしまう。
「お、おいッ!」
思わず、テランは声を掛ける。
メインストリートをフラフラと歩いていたのは、ユズリハに喰ってかかろうとしていた少年だ。なぜだかやたらと泥だらけである。
「どうしたんだ、その姿?」
「あ、昼頃はどうも……」
少年も、肩に手を乗せたこちらの顔を覚えていてくれたらしい。
軽く頭を下げてから、困ったような顔で、少年は訊ね返してくる。
「説明する前に、先に質問いいですかね?」
首肯して、先を促すと彼は肩のチカラを抜いた。
「フォーゲルって人、知ってます?」
「むしろ、お前さん知らなかったのか」
さすがは影の薄いフォーゲルだ――そんなことを思いながら、案内してやるから、話を聞かせろと、テランは共に歩き始めるのだった。
♪
ユノはブーノと共に、工房へと戻ってくると、大急ぎでレポートを書き上げた。
その間、ブーノは放置していたのだが、ユノは大して気にもかけない。
花学関連であれば、もっと丁寧に仕上げただろうが、今回はあまり花学には関係のない話だ。
長期的に見れば影響は出てくるかもしれないが、現状でレポートの中に対策を盛り込んでいくので、そこまで問題は起きないあろう。
頭の中でできていた文章を、走り書きのようにささっと書いて、ブーノに手渡す。
それをフォーゲル・ドーン・ノーミットに渡すように伝言をすると、ユノは触手採取の手伝い賃と、このレポートを届けて貰う手間賃を握らせた上で、彼を追い出した。
あとはもう自分の時間だ。
地震で棚から落ちた子たちの様子を伺い、ケガをしているようなら直していく。
それらの作業が全て終わったら、今度は、地震対策の花導具の作成である。
「理想通り動けば良いんだけど」
設計図はすでに作ってあるし、材料も用意した。
「さぁて、作りますかね」
ニンマリと笑いながら、ユノは作業に取りかかるのだった。
♪
アーティスはオクトローパーの刺激的な見た目に創造力が掻き立てられ、筆を執りたくて仕方がないので、帰りたいと訴えてきた。
アレンたちとしても、別に協会へと連れて行く必要もなかったので、必要な書類へのサインだけしてもらって、そこでお別れだ。
ユズリハも工房へ戻るということなので、途中で別れ、アレンとサイーニャだけが、協会へと戻ることになった。
二人が戻ると、珍しく支部長のフォーゲルがロビーに顔を出している。
「珍しいな、フォーゲルの旦那。ロビーにいるなんて」
「君たちが調査団に立候補した時からロビーにいたんだけどね」
フォーゲルは腕まくりをしたワイシャツに、黒いスラックスという一般的な協会員然とした姿の地味な男だ。
短くまとめた焦げ茶色の髪と同色の瞳という、あまり目立ったない風貌に苦笑を滲ませている。
「なんであれ、君たちが無事で何よりだ」
細身の男ではあるが、綿毛人協会の協会員だけあって、身体は鍛えているのだろう。決して痩せぎすには見えない。
緩めたネクタイの先端をワイシャツの胸ポケットに入れている姿はかなりフランクな雰囲気だ。
「ところで、オクトローパーはどれだけ狩れたかな?」
「支部長は気づかれていたのですか?」
フォーゲルの言葉にサイーニャが返すと、彼は顎でロビーの隅でベテランのテランと談笑している泥だらけの少年を示す。
「そこのブーノ君が、ユノ嬢のレポートを届けてくれたんだ。
はぐれローパーが増えている理由と、各地で繁殖してコロニーを作り出してるコトの原因と対策がまとめられていたよ」
「ユノちゃん。何だかんだで手伝ってくれたのね」
「あー……それはちょっと違うよ、サイーニャ」
安堵しながら微笑むサイーニャに、フォーゲルは待ったを掛ける。
「単純に、必要な素材を取りに常濡れの森海に用があったから、ついでに必要な調査をしてきただけらしい」
「ユノらしいっちゃ、ユノらしいな」
アレンが納得したように笑ってから、首を傾げた。
「ところで……えーっと、ブーノだっけか? なんで泥だらけなんだ?」
「聞いてくださいよッ! 聞いてくれますかッ! むしろ聞いてくださいお願いしますッ!」
その疑問に、当の本人がこちらの返答も待たずに語り始めた。
暑苦しさにアレンは若干引き気味になったが、話を聞いているうちにどんどん表情が苦笑に染まっていった。
「ほんと、コトあるごとに蹴られて……でも、途中で気づいたんですよね。
おれ――蹴られた以外のケガがないって……おれのコトを気遣いながら、色々教えてくれてたんだな、って。
考えてみたら実践で失敗したら、蹴られる痛みだけですまないじゃないですかッ!」
(おい、サイーニャ。どう思う?)
(連れて行ったものの、それで死なれたり大怪我したりされたら荷物になるから、必要最低限護ってただけだと思う)
(だよなぁ……指導する気なんかなくて、こいつが勝手にそう思い込みながら学習しただけだろ?)
(間違いない……でも、ブーノ君には黙っておこう)
(……だな、世の中知らない方が幸せなコトもある)
「それに気づいてから……なんですけど、なんか蹴られるのが、嬉しくなってきちゃって――蹴られて笑うな気持ち悪いって蹴られて……でも、悪くないなって……」
『え?』
話を聞いていた全員が目を丸くする。
(なぁフォーゲルの旦那……ブーノのやつ、綿毛人として一皮むけただけでなく……目覚めちゃいけないモンに目覚めてないか……?)
(若い頃の衝撃的な出来事は、色々歪みになるって話ですからねぇ……)
テランとフォーゲルも顔がひきつっている。
もっとも当の本人は、蹴られることに気分が良くなってきたことについて語っていた。
「それからここへ戻ってきて、更に気づいたんですッ!」
そう告げて、ブーノは飛びかかるように、サイーニャの元へと行くと、彼女の手を取った。
「サイーニャさんの罵倒も、おれの為だったってッ!
あの時の冷たい目と、罵倒を思い出すと、不思議とゾクゾクして、嬉しくなってきて……」
「ブーノ君、落ち着いて。こういう時の為のムチは、自宅にあるの」
「お前も落ち着けサイーニャ。どういう時の為のムチだそれは」
少年に対し、真顔であらぬことを口にするサイーニャに、アレンがツッコミを入れる。
このまま放置しておくと、どうにも話があらぬ方向へと向かってしまいそうなので、アレンは話題を変えるように、フォーゲルに訊ねた。
「フォーゲル。はぐれローパーが増えた原因ってのは何だったんだ?」
「オクトローパーを残しすぎてたのさ、僕らは」
「残しすぎていた?」
アレンが訝しむと、テランはハッとしたように顔をあげた。
「一本残し――あれのせいか」
「その通りです、テラン。
僕らはオクトローパーが数を減らさないように、一本残しをするようにしてきました。
ですが、一本残しは再生して元に戻る。一本残しは決して退治にはならないのですよ」
合点がいったようにアレンもうなずく。
「確かに、オクトローパーの退治とか間引きってイコールで一本残しになっていたな。
でも実際、それじゃあ減っていない。一本残しは再生すれば元に戻っちまうし、普通に繁殖もしてるだろうから、数が増える。
溢れたローパー同士がナワバリ争いを始めて、あぶれ者がはぐれローパーになり、どこかで腰を落ち着けてそこで繁殖する……」
そこまで言われればサイーニャも理解できる。
「それで、林道の方までやってきたはぐれ者たちが、あそこで繁殖した結果が、今回の騒ぎなんですね」
オクトローパーは、空腹になればどんな時間でも食事を行うものの、移動したりナワバリにマーキングしたりするのは、夜に行うのだ。
だから、人が気がつかないうちに移動をして、生活範囲を広げているのに気づくのが遅れてしまったのだろう。
「これからは、退治と触手の採取をしっかりと区別する。それが、対策だね。ユノ嬢が常濡れの森海内をうろつくはぐれローパーはある程度間引いてきてはくれたそうだよ。
レポートが届いた時点で、ネリィ行政局長には手紙を出しておいたから、明日には行政局からの間引き依頼が張り出されると思う」
「そういうとこは抜け目ないな、フォーゲル。
それで、緊急警報はどうなってる?」
「君たちの報告を受けてから解除するつもりだったから、これからさ。
ユノ嬢からのレポートだけで解除しちゃうと、本当に災厄獣が居た時、後手になっちゃうからね」
フォーゲルのその言葉は、アレンたちの調査依頼完了の合図でもあった。
それに、アレンたちはうなずいて、大きく息を吐く。
仕事の内容そのものは大したことはなかったが、やはりそれなりのプレッシャーはあったのだ。
「アレン、ユズ嬢、サイーニャ、ユノ嬢……それからブーノ君の五名には、協会からの特別報酬を、それぞれの口座に振り込んでおくよ」
「え? おれも良いんですか?」
驚いた顔をするブーノに、フォーゲルはうなずいた。
「もちろん。ユノ嬢や君の思惑はさておいても、結果として解決に繋がるコトをしてくれたのだからね」
「でも、おれは迷惑をかけただけで……」
困った表情を浮かべて見せるブーノの肩をテランが叩く。
「もらっておけ、ブーノ。
納得が行かねぇってんなら、次から納得のできる仕事をするようにすれば良い。
今回の報酬は協会からの、お前の成長を願う投資だと思えばいいさ」
「……わかった」
うなずくブーノを見て、フォーゲルはラテンに視線で礼を告げる。
「サイーニャ、日帰りの強行軍だったんだ、疲れてるだろう?
今日はもう上がって構わないよ。あとの処理は残った僕らでやっておくからね」
「ありがとうございます、支部長。それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
そうして、災厄獣警戒令は解除され、綿毛人たちの緊張に満ちた一日が終わりを告げるのだった。
♪
災厄獣の調査から、花一つと半分ほど経った頃。
日が暮れ始め、朱に染まりだしたカイム・アウルーラの街中を、アーティスはのんびりと歩いていた。
ふと、メインストリートの脇に並ぶ街路灯が目に留まる。
それに近寄って、街路灯の花術紋が施されたでっぱりに触れた。
一般的な成人男性の頭よりやや高い位置――子供のイタズラ防止の為の高さらしい――にあるそれにマナを巡らせればは、街路灯の先端から、道路側へと枝垂れて咲いているシンビジウムの霊花に明かりが灯る。
周囲を見渡せば、自分もやりたいと親にねだって、抱き抱えられている幼子の姿もちらほらとあった。
この街に来たばかりの頃には驚いたが、今では見慣れたカイム・アウルーラの夕暮れ風景。
早朝になって明るくなれば、逆に街の人たちが灯りを消して回るのだ。
黄色く輝くシンビジウムの灯りに照らされた道を歩きながら、彼が向かう先はフルール・ユニック工房だ。
工房主のお嬢さんから許可が下りたとかで、ユズリハから夕飯に誘われたのである。
何でも、昼間に採取したオクトローパーの触手料理を、ユズリハ自らが調理して、ごちそうしてくれるらしい。
オクトローパーの見た目から受けたインパクトが薄れる前にとキャンパスに向かって描き殴ったものの、描き上がったものはあまり納得できる出来ではなかった。
そのまままた思い悩んでしまいそうなところでの招待だったので、気分転換に丁度良い。
幸いにして場所は知っていたので、迷うことなくたどり着く。
「ごめんください」
「いらっしゃい、アーティスさん」
迎えてくれたのは、昼間の動きやすそうな丈の短いツムギではなく、足首くらいまで裾が伸びているツムギに、エプロンをつけたユズリハだ。
「お招きいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ来ていただいてありがとうございます。
まぁ関係者集めて、軽く打ち上げっぽいコトしたかっただけなんですけどね」
店舗部のカウンターを越え、居住部のダイニングへと案内される。
そこにはすでに、アレンとサイーニャも座っていた。
それともう一人、ブーノ・モネンセイという少年もいた。
彼は、この工房の二代目とともに、こちらとは別に調査を進めていたのだそうだ。
アーティスにイスを勧めると、ユズリハあそのままキッチンへと向かう。
この家のダイニングは非常に珍しい間取りになっていて、キッチンとの境目が、まるでカウンターのようになっている。おかげでキッチンの様子が見えるのだ。
食事処であれ、自宅であれ、料理人が料理をしている姿というのをあまり見たことがないアーティスには大変興味深い光景だ。
「ユズ姉、ユノちゃんは?」
「今、地下で作業中。なんかスイッチ入っちゃってるから、先に始めてていいって」
それだけで意味が分かったらしい、サイーニャとアレンがそれなら仕方がないと笑う。
「サイーニャ、手伝ってもらってもいい?」
「うん」
ユズリハに声を掛けられ、サイーニャは来ていた黒のブラウスの袖をまくりながら、キッチンへと向かう。
指示を受けながら食器を用意している姿は、なかなか馴れているように見えた。
「昼間の侍女服って、ここの綿毛人協会の従業員服なんですよね?」
「サイーニャは、猫の孤児館ってところの出身でな。あそこは望めば生きてく為の手段を色々と仕込んでもらえるんだよ」
アーティスの疑問に、サイーニャ本人ではなく、アレンが答える。
「色々仕込んでもらえる……? そんな場所あるんですか?」
ブーノも興味が沸いたのかアレンに訊ねた。
それに、アレンはうなずいてから、言葉を選ぶように返す。
「まぁ、いわゆる孤児院だよ。ちょっと特殊ではあるけどな」
アレンの言葉の濁し方と、昼間のユズリハとのやりとりを思い返し、アーティスは漠然と想像がついてしまった。
これはあまり触れない方が良さそうだ。ブーノには申し訳ないけれど、彼が深く突っ込む前に話題を変えるべきだろう。
「サイーニャさん。それだけ動けるなら、協会をやめてもどこかの富豪の侍女を出来そうですね」
「貴族の家の侍女――とは言ってくれませんか」
「そこを目指すにはまだまだですよ」
アーティスが素直に答えると、サイーニャは残念そうに肩を竦める。
「サイーニャさん、侍女を目指してるんですか?」
「目指してはいないけど、それくらの技量があると色々と便利そうじゃない?」
ブーノの疑問に、サイーニャが猫のようにふてぶてしいげな笑みを浮かべた。
色々と便利――に内包されている意味を、きっとブーノは正しくは理解できていないことだろう。
「性根だけは立派な貴族の侍女っぽけどね。割と狂犬寄りだと思うけど」
「酷いな、ユズ姉。寄り――じゃなくて、狂犬のつもりなんだけど」
口を尖らせるサイーニャに、アレンが呆れたようにうめく。
「女帝子飼いの狂犬かよ……タチ悪いな……」
「ご主人様の敵なら、誰であろうと喉仏食いちぎるから」
おどけた調子で嘯くサイーニャだが、目はあまり笑っていない。
その様子に気づいたアーティスとアレンは互いに顔を見合わせあって、肩を竦める。
サイーニャの扱いは互いに気をつけようと、そんなニュアンスのアイコンタクトだ。
アレンも相当な事情通のようで、自分のような貴族に近い存在とも話馴れている様子がある。
ユズリハも、サイーニャから姉と慕われているくらいなのだから、何かしらの秘密を抱えていることだろう。
「えーっと、おれもそういう含み喋りみたいの覚えた方がいいの?」
「キミはそのままでいいんじゃないかな」
サイーニャが即答すると、他の面々もうなずいていく。
「純粋なのは良いことだよ。うん。それだけで羨ましいくらいの美徳だよね」
「まぁ捻くれたなら捻くれたなりの生き方ってのはあるが、真っ直ぐには戻れねぇもんだしな」
「貴族社会に身を置いてた自分からすると、純粋な平民の真っ直ぐさというのはとても眩しく見えるんですよね。羨ましい」
「……おれ、褒められてるんだよね?」
どうにも納得できないらしく、ブーノが半眼になった時――
「お?」
「あ!」
「うお!」
「……またか」
「最近、多いですね」
軽い地震が起きた。
アーティスがオクトローパーを見かけた時のような大きいものではなかったが、それなりに揺れている。
「うひゃぁぁぁぁ……ッ!」
それが落ち着いてきた頃、地下の方から悲鳴が聞こえてきた。
「ユノッ!?」
キッチンからユズリハが飛び出して行き、それをアレンとサイーニャが追いかける。
アーティスもブーノと顔を見合わせたが、互いにうなずきあって、二人を追いかけた。
♪
「ユノッ? どうしたのッ!?」
階段を駆け下りて、地下工房のドアを開けるが、ユノはいない。
「もしかして、保管庫の方かな?」
入ってきた扉の隣にある扉を開くと、そこに廊下が現れる。
ユズリハはそこを歩き、ユノがコレクションルームと呼んでいる部屋をノックした。
「ユノ?」
「ユズリハ? 悪いんだけど、助けてほしいんだけど」
「開けて平気?」
「飛び込まないで、ゆっくりと開けて入ってきて」
言われた通りゆっくりと、ユズリハは扉を開ける。
そうして、中に入ると――
「オクトローパーッ!?」
そう。部屋の四方八方から伸びているオクトローパーの触手に絡みつかれたユノがいた。
ユノがもがくと、逃がすまいと蠢いて、締まりを強くしているように見える。
だが、肝心の本体の姿がどこにも見えない。
「あーッ、ストップ! 斬らないでッ!」
ユズリハが隠し持っていた短刀を引き抜くのを見て、ユノがストップを掛ける。
「ユノ、どうした?」
「ユノちゃん、大丈夫?」
続けて、アレンとサイーニャも入ってきて、何ともいえない顔をした。
「みなさん、何があったんですか?」
「悲鳴聞こえたけど大丈夫かよ?」
アーティスとブーノもやってきて、部屋をのぞき込むと固まった。
「誰でもいいわ……ドアの横にある照明用の花術紋わかる?」
「どっちだ?」
即座に動いたアレンが、ユノに訊ねる。
ドアの側には、花術紋が二つ設置してあった。
「照明は上なんだけど、マナを止めて欲しいのは下」
「普通に止めていいんだな?」
ユノがうなずくのを確認すると、アレンは言われた通り、下の花術紋を巡るマナを止めた。
すると、うねっていた触手が徐々に鈍っていく。
よく見れば、何本も部屋の中にある触手のそれぞれが花導具を握っている。
ユノ共々、それらをゆっくりと床に置くと、触手たちは部屋の四隅に設置されていた箱の中へと、するすると収まっていった。
「……なんだ、それ」
ブーノがみんなを代表するように、うめく。
それに、ユノはバツが悪そうに答えた。
「オクトローパーの触手を素材にして作った、コレクション落下防止花導具の試作品。
今の地震で誤作動して、部屋の中にいたあたしも巻き付かれちゃったんだけど……」
♪
ユズリハの作ってくれたオクト料理づくしは非常に美味だった。
軽く塩茹でしたものから始まり、唐揚げ、マリネ、炒め物……。
珍味だと言って出されたオクわさという料理は、鼻を抜け涙が滲むような爽快な辛みと、オクトの歯ごたえと旨味が合わさって最高だった。
オクト料理自体が、白ワインとの相性が良かったのだが、最後のオクわさだけは、麦酒との相性こそが一番だと思えた。
お腹も満たされ、ほろ酔いで、気分は最高ではあった。
だが、アーティスはどうにもベッドの中に入る気が起きず、自宅に着くなり筆を執る。
食事に行って良かったと、心底思う。
出かける前に描いたオクトローパーの絵――それに足りないモノが何か分かったのだ。
オクトローパーの実物だけでなく、ユズリハ、サイーニャ……そしてユノ。彼女たちと出会わなければ、今回の絵の構想は纏まらなかっただろう。
「さぁ、描くぞ!」
そうして彼が今回、描き上げる新作『オクトローパーと少女』が好評を得て、画家アーティス・トルス・ティストンの名前が有名になるのは、もう少し先の話である。