愛も憎悪も一緒にやって来る
人に打たれる経験は、決してゼロではないが、同時に多くもなかった。
思いの外ジンジンと熱を孕む痛みに、自然と指先を頬に寄せたところで、視界の隅にガタリと椅子の音を立てながら立ち上がった幼馴染みが映る。
大丈夫の意味を込めて、一度頬から手を離してひらりと手の平を揺らしたが、不服そうな顔は変わらなかった。
立ち上がったのは赤い髪の幼馴染みだけで、残り二人の幼馴染みは険しい顔で座っている。
目の前では、手を振り下ろした女の子がいて、どうしたものかと思う。
フーッフーッと威嚇した猫のように呼吸を荒らげ、肩を揺らす女の子は、先程知り合ったばかりの他人だった。
いや、もう少し詳しく言えばクラスメイトの妹、らしい。
「私、アナタが嫌いです!」
うん、と言いそうになって唇を結ぶ。
多分素直に頷いても、首を捻ってみても、火に油を注ぐだけだろう。
仕方なく痛む頬を一撫でして、目の前に置いてあるロイヤルミルクティーに映り込む自分を見た。
個人的な見解だが、ボク自身、嫌われても仕方ないとは思っている。
ボクは所謂、世間一般が言うには死にたがりらしい。
それに対して「誰だって一度くらい思うでしょう」と言ったものの、付き合いの長い幼馴染み全員が首を横に振り「思っても普通は行動に移さない」と口を揃えて言った。
まぁ、つまり、ボクは死にたがりで、その死にたいと思う気持ちをそのまま行動に移すのだ。
何度か警察沙汰になったこともあるし、怪我をして入院したこともある。
しかし、何度自殺をしてみても、それは全て自殺未遂に終わるのだ。
首を吊れば新品の縄でも切れる。
海に沈めば通りすがりのダイバーに助けられる。
飛び込もうとした電車は来ない。
練炭を使って見た時は幼馴染みがやって来て換気されてしまった。
なんてタイミングの悪い人生だろう、と嘆いた数は数え切れない。
そうしてその嘆いた数だけ、自殺未遂を繰り返した。
傍から見れば精神に異常をきたしていると言われるだろうが、やりたいことをしているだけなので、赤の他人に文句を言われる筋合いはない。
……ない、のだが、まぁ、やはり今回は仕方の無いことなのだろう、とも思う。
息を荒くしながらも、再度ボックス席であるソファーに腰を下ろした女の子は、先程も言った通り、クラスメイトの妹だ。
そしてそのクラスメイトは、自意識過剰自信過剰と思われても仕方ないが、ボクのことが好きだ。
目の前のロイヤルミルクティーみたいに、柔らかな色をした髪を揺らして、表情筋が切れてしまったくらいにヘラヘラとした笑みを浮かべる男の子。
作ちゃん、作ちゃん、とボクを呼んで話し掛けて、時折赤い眼鏡の奥で、愛おしそうに目を細める彼のことは、よく覚えている。
周りは「アイツ本当に好きだよな」なんて言っているから、多分、間違いない。
「死ぬなら、一人で死ねばいい」
彼と同じような癖毛を持つ彼の妹は、可愛らしい顔を憎々しいと言うように歪めて吐き捨てた。
司会の端っこでは、離れた席から黙ってこちらを見つめる幼馴染みが、顔を強ばらせる。
一触即発、という言葉が良く似合う雰囲気だ。
それでも、女の子の放った言葉はあながち間違いでもないので、無言で一つ頷いておく。
先日、学校の屋上に忍び込み――鍵の入手経路に関しては秘密である――飛び降りの算段を立てていたところに、何故か彼がやって来たのだ。
作ちゃん、といつもより少し硬い声でボクを呼んでいた、気がする。
いつもの、失礼ながら締りのない顔とは違い、眉を寄せて眉間にシワを刻んだ彼を思い出しながら、ロイヤルミルクティーの入ったティーカップを持ち上げた。
女の子の目の前に置かれたアイスココアは、悲しいかな、水との分離が始まっている。
「安心してよ。ボクは誰とも一緒に死にたいなんて思わないから」
カップに口を付けて言えば、目の前で女の子がボクに視線を向けた。
やはり彼に似て色素の薄い瞳をしている。
その奥の光も、彼に似て強かった。
「ボクは独りで死ぬよ」
カップを置いたボクに対して、女の子は勢い良く自分で注文したアイスココアのグラスを持ち上げる。
一応ストローも付いているそれだが、煽るように飲み干してしまった。
おやまあ、と僅かに目を見開くボク。
女の子の顔は強ばっていて、あの日の彼の言葉を思い出すには十分だった。
「一緒に死んでくれるの?」と、乾いた笑い声を上げながら問い掛けた時、彼は目の前の女の子と同じ顔をしていたのだから。
「兄にもしものことがあったら、許しませんから」
「具体的には?」
どう、許さないの?
テーブルの上で肘を付いて、目の前の女の子にそう、言葉を投げた。
火に油を注いだ。
緩く口角を上げた瞬間に、女の子の目が釣り上がり、再度手が振り上げられる。
しかし、その手が振り下ろされることなく、ボクの胸倉を掴んだ。
「私がアンタを殺す」
抵抗することもせずに、ただ引き寄せられた方へと体を傾け、口角を引き上げたまま、女の子を見ていた。
吐き出されて言葉には、本当に、ほんの少しの殺意が滲んでいて、笑い声が出てしまう。
カウンターの奥でカップを拭いていたマスターも、目を見開いてこちらを凝視していた。
「良いね。素敵」
胸倉が離され、まるで道の吐瀉物でも見るような目でボクを見た女の子は、随分と可愛らしいワンちゃんの小銭入れを取り出す。
その中から取り出されたのは、アイスココアの金額が丁度。
そしてそれを、テーブルに叩き付けるように置いて、女の子は席を立って店を出て行ってしまった。
ボクは座り直して、カップを持ち上げる。
すっかり温くなってしまったけれど、相変わらずこのお店のロイヤルミルクティーは美味しい。
しっかりと茶葉をミルクで煮出している。
拭いていたカップを置いたマスターが、呆れ顔で保冷剤を渡しに来てくれたので、ケタケタと笑ってみた。
カウンター席から、ずっと見守っていた幼馴染み達も、神妙な顔をしている。
それでもボクは笑いながら、最後の一滴までロイヤルミルクティーを飲み干すのだった。
あの日の彼は「一緒に生きて欲しい」なんて、プロポーズ紛いの言葉を吐いたけれど、どうしたってそれは叶えてあげられないのだ。