閑話1 忘れかけた記憶は、夢の中で旅をする
俐斗は怒りに満ちていた。
「おい、お前ら。コイツがお前らに何したってんだよ」
怒りを露わにしたその眼は、目の前に対峙するクラスメイトをまっすぐに睨んでいた。
「何って、コイツ気持ち悪いだろ。ヒョロヒョロって背が高くってよお」
俐斗は、足元にうずくまっているクラスメイトを見やった。背を丸くしてうずくまっているのにも関わらず、そのクラスメイト――臼井珀の頭は、俐斗の腰のあたりにあった。
「っつうかお前、なんなんだよ。ぼっちの癖によお。この俺に口出しする権利なんて、ねえだろ」
話しあって通じる相手ではない、と俐斗は小学四年生ながらに感じた。なんだって、こんなにも利己主義的な考え方しかできないのか。俐斗にとっては甚だ疑問だった。
「……あ、あのいいよ俐斗君。僕が悪いんだ。僕の見た目が気持ち悪いから」
珀は突っ伏していた顔を上げて、ヘラヘラと笑って言った。俐斗にとっては、その笑顔が気に入らなかった。別に俐斗は、珀を助けたかった訳じゃない。珀をいじめている男子の態度が俐斗にとって許せなかったのだ。
「楽しくない時に笑ってんじゃねえよ」
そう言って珀を一瞥してから、さっきまで珀をいじめていた男子に向かって言った。
「お前、背がやたらと小せえよな。背が高いコイツが羨ましいんだろ。それを気持ち悪いからって、いじめる理由にしていいのかよ。背が高いのが羨ましいのなら、素直に自分のその心を受け止めればいいだろ。それじゃ、駄目なのかよ!」
そう言った瞬間に響く、ばちぃいん、という音と女子の悲鳴。
「お前、覚えてろよ! 明日から俺が全力をかけて、お前をいじめてやる!」
そう言って、そのクラスメイトは、教室を飛び出して行ってしまった。
――気に気わない奴に自分の時間を使うなんてな。アイツの考えていることは、多分一生かけても理解できないに違いない。
俐斗は、はたかれた右頬を抑えた。
「くっそ、痛てえな」
「り、俐斗君、大丈夫? ごめんね、僕のせいで……」
珀は立ち上がって、俐斗の顔を覗き込んだ。既に、傍観していた野次馬達は、思い思いの昼休みを過ごすべく、その場から立ち去って行っていた。
「本当にな」
――これで、ますます俺はクラスから孤立するんだろうな。まあ、もとから友達なんていなかったし、誰とも慣れ合うつもりもなかったから、構わないが。
そう思っていた俐斗には、思いがけない言葉を珀は発した。
「よ、良かったら……。もし、俐斗君が良かったら、僕と友達になってくれないかな?」
「はあ?」
俐斗は思わず間抜けな声が出てしまい、手で口を押さえる。
「きっと、僕のせいでますます俐斗君はクラスから浮いてしまう。だから、その代りに僕が俐斗君の友達になりたいな、って思って……」
俐斗は、戸惑った。今まで、こんな風に面と向かって「友達になってよ」なんて言われたことなんて無かったからだ。「一緒にはいられない」と言われことは、数知れないが。
「そうだ、もし、僕と友達になるなら、今度どこかに行こうよ。どこがいい?」
――コイツも今までの奴らと同じく、いつかは俺のもとから離れていくのかもしれない。それでも、こう言ってくれる奴なら、そばにいても良いかもしれない。たとえそれが、少しの間だとしても。
「……図書館。今週末、図書館に行こう」
珀は、満面の笑みをその顔に咲かせた。
「まだ、昼休みの時間は残っているし、何かしようよ。あ、俐斗君って、すごく頭良いよね? 僕に勉強を教えてよ、ぼく、どうしても算数が苦手で……」
俐斗は、戸惑った。教える事が苦手ではなかったが、その厳しさ故に相手が泣かないか。それが心配だった。それも、今は先ほどまでいじめられていて、対抗できずにいた人間だ。
「……俺は厳しいぞ。お前みたいなやつが耐えられるか?」
――俺はもう警告は舌。これで心がおれるようだったら、俺の知るところではない。コイツがそれまでの人間だったてことだ。
「臼井はどこが分からないんだ?」
「もう、同い年なんだから、名字で呼ぶなんて他人行儀だなあ、俐斗くんは。珀って呼んでよ。僕も、俐斗って呼ぶからさ。僕たち、友達でしょ?」
「友達でしょ?」と聞かれても、俐斗にはその感覚が良く分からなかった。でも、珀が言うのら、そうしておこう、と思った。
「分かった、珀。で、どこが分からないんだ?」
珀は、教科書を取るために自分の席へ向かった。俐斗もそれについていく。背の高さゆえ、教室の一番後ろだった。
「んっとね……」
珀は教科書をパラパラめくる。
「ここ!」
珀が指さしたのは、最近習った問題の、応用問題だった。
――まず基礎ができているかを確かめないとな。
そう思った俐斗は、珀にノートも見せるように促した。確かめると、基礎の問題は全て自力でできている。
――応用力がないだけか。
あまり、いじめ倒さずにすみそうなことに、俐斗はほっとした。
――コイツとなら、うまく「友達」をやっていけるかもしれない。
普段は、根拠のない事は考えない俐斗だが、今回は何の根拠がないにも関わらず、そう思った俐斗だった。