夢は転がり、物語の幕はようやく上がる
――魔物を倒した。命の危険を脅かす敵とはいえ、切りかかることに抵抗が無かったわけではない。切りつけた瞬間、剣の刃先から伝わってきたあの感触。あれを怖がっていては、この世界では生きていけない。あの感触を怖がるということは、剣が使えないことと同じことだろう。
「どうしました? 考え事ですか?」
鼻歌交じりに歩くロレンスは全く気にせずにシュヴァルトは聞いた。
「いや」
たいしたことではない、と付け加えて答える。俐斗にとっては、たいしたことではあるのだが、この世界の人間及び死神には、到底理解できない悩みだ。
「ん、シュタルク、どうかしたの?」
ロレンスが鼻歌を止め、振り返る。
「いや、本当に何でもない。ただ……」
「ただ? ああ、もしかして、お腹でも空いた? お昼ごはん食べていなかったからね」
そういうことではない、という俐斗の言葉は町のざわめきにかき消され、埋もれた。
「丁度いい。ここら辺に一風変わった良いお店があるんだ」
ロレンスに連行された店は、外見こそ町に合わせた造りだったが、店内に入ると、どことなく和を感じさせる。蕎麦屋のBGMに使われていそうな琴の音楽がかかっており、菊に似たような花が花瓶にいけられていた。
「ここのお店は変わった料理を出してくれるんだ。店員の対応も他のところとまるで違う」
「いらっしゃいませ。三名様ですか? あちらの席へどうぞ」
――今のところ変わっているところは、和風、というところだけだな。
「なかでも、天ぷらそばという料理が気に入っているんだよ」
――天ぷらそば。良くある料理だ。店員の対応も普通。しかし、ロレンスの言う、台詞にはひっかかるところがある。まさか……。
席につき、メニューを開くと、やはり俐斗が見たことがある料理ばかりが並んでいる。
「よし、今日はこの月見うどんというものにしようか」
「私は、から揚げ定食にします」
そう、ロレンスの反応はさながら、初めて日本へ訪れた観光客のようなのだ。
「ん、シュタルク? やっぱり最初は驚くよねえ。僕も最初はメニューを開いても知らない食べ物ばかりだったし、ハシっていう道具の使い方が難しくてね。世界は広いね。きっとこの世界のどこかにはこういう文化が根付いている国もあるんだろう」
「や、その、俺がいた世界の国の文化だ、これは。このメニューの料理も全て知っている。店員の対応も普通だ」
――きっと、このお店を開いた人が、俺と同じように転移されてしまった人なのではないだろうか。いや、でも、転移って、そんなに起こりやすいことなのか……?
俐斗は考えを、巡らせた。
「へ~、これがシュタルクの国の文化か」
「あの、このお店を開いた人は、俺と同じように転移されてしまった人だと思うんだが、どうなんだ? 転移ってそんなに高確率で起こることなのか」
日本の文化に浸っていた二人は、俐斗の問いかけによって別世界から帰ってきた。
「そのことについては、屋敷に戻ってから話そう。周りに聞こえたら、ややこしい事になるからね」
ロレンスに言われて、シュヴァルトも確かに、とうなずいた。この件については、屋敷に外ではあまり話さない方がいい。
――俺のやってみたいことは何だ?
俐斗は町から帰ってきてから、ずっと考えていた。思えば、転生する前も同じようなことで悩んでいた気がしていた。
――がむしゃらに勉強をしてきたそのあとは? スポーツもできる。でも、俺自身が本当にやりたいものは? なにもかも完璧にできれば生きていける。そんな世界は多分存在しない。きっと、この世界もそんなに甘くない。
思想の海に溺れかけていた俐斗を救ったのは、ドアのノック音だった。
「なんだ。ああ、シュヴァルトか。どうした?」
「剣の手入れが終わったので、持ってきました。あと、ロレンスが貴方を呼んでいましたよ。広間にいます」
「わかった」
剣。これが使えないと、人間はこの世界で簡単に死ぬ。逆を言えば、うまく使えれば生きていけるということなのだ。
「うん……」
俐斗は、やってみたいことがわかったような気がした。
「来たね。そっちのソファに座って」
「失礼する」
俐斗はロレンスさんと向かい合うような位置に座った。
「率直に言うと、転移は本来、禁忌。手を出してはならないものだ」
禁忌、という言葉に、俐斗は一瞬体が強張った。
「俺は、何も……」
「知っている。シュタルクの場合は、シュタルク自身ではない、誰かによって転移させられたんだ」
禁忌にしては、昨日のことを思いだしても、ロレンスはそんなに、驚いた様子ではなかった。ひどく、落ち着いていたことを俐斗は不思議に思った。
「この屋敷が持つ独自の情報網をたどってみたんだけど、昼間に会ったアイツがどうも怪しくてね。シュタルクが来る前から疑問に思うことはいくつもあったんだけど。そもそも裏切った時から怪しかった」
――裏切りの死神アラフィスタ。また、会うことはあるのだろうか。
「シュタルクや、あのお店の人以外にも、第三者によって転移されてしまった人はまだいると思う。すまないね、まだここまでしかわかっていないんだ」
謝られるとは思っておらず、俐斗は困惑した。やっぱり、ロレンスは根は良い奴なのだ。変なところはあるし、死神だが、と俐斗は思った。
「お前が謝る必要はない……と思う」
「そうか。おっと、そろそろ夕ご飯の時間だ」
――もし、俺のやりたいことをやったら、アラフィスタに会うことはできるのだろうか。
「ロレンス、俺がやってみたいこと見つけた」
ずっと探していた、やってみたいこと。本来は、探したり、考えたりするようなものではないとは思うが。「おお、以外と早いね」
「良かったですね」
ロレンスと、シュヴァルトは口ぐちに言った。しかし、ロレンスは口調は大げさだが、さほど、興味がないようだった。いや、絶対にない。せめて、夕食を漁る手を止めたって良いはずのだが。シュヴァルトは顎に手を当てて、見つけたものが何なのか考えていた。
「俺は、騎士団に入る」
学校が乱立していたあの地区には、騎士団もある、という話だった。ロレンスはようやく手を止めた。しかし、口は、さっき頬張った肉の租借に忙しかった。しばらく間が空く。
「……僕達を倒すのかい?」
騎士団だけでは、語弊があった。
「いや、死神討伐ではなく、魔物討伐の方だ」
「何という偶然だ。実はついさっき騎士団から手紙が届いてね」
ロレンスはポケットから手紙をとりだした。その封筒には、死神死天王様へ、としか書かれておらず、住所らしきものはかかれていない。
「いやあ、これだけで届くなんてね。この世界の郵便事情には驚かされたよ」
――異世界の郵便配達の人、素晴らしいな。
「で、騎士団が何の用かと思えば、シュタルクのことだった。どうやら、昼間の戦いを見ていた人がいたみたいでね。今、騎士団の間では、『あのよそ者は一体何者だ!?』っていう話で持ち切りらしいよ?」
しかし、ロレンスはとある可能性について気が付いていた。
――きっとこれは本当に騎士団から届いた手紙じゃないんだよな。
それでも一縷の希望にかけて、心優しい死神であるロレンスは、その可能性については話さないことにしていた。
「で、シュタルクはどうするの? どんな答えであろうと、僕達はシュタルクの考えを尊重するよ」
迷う理由はなかった。やっと、やってみたいことが見つかったのだ。俐斗の答えはもう決まっている。
「俺は騎士団に入る」