少年は町を知り、町は少年を知る
「剣の使い方も良いみたいだし、町案内しようか。いくらかお金も渡すし、好きなもの買いなよ」
「良いのか」
俐斗は、気に食わない奴にこれ以上情けをかけてもらう事が嫌でたまらなかった。また、警戒してもいた。なんで、いきなり現れた見ず知らずの人間にここまでするのか。不思議でしかたなかった。何か、罠があるのではないか。そんな疑いを持ってロレンスを見てしまう自分に嫌気がさしてもいた。まとめて言うと、俐斗は、生まれてこの方無いくらいに機嫌が悪かった。
笑うだけ笑った後、ロレンスは言った。
「チェス勝負は勝ったけど、剣術では負けちゃったしね」
「良いんですよ、シュタルクさん。きっと、ロレンスは貴方がどんなに拒んでも、無理やりにでも渡しますから」
シュヴァルトにまで言われたら、もらうしか無いのかもしれない、と俐斗はたかをくくった。
町中の人は気が気ではなかった。さっきから、ひそひそ、ビクビク。反応は様々だが、ロレンスを見て警戒していることだけは俐斗が見ていても明らかだった。それだけ、死天王の及ぼす影響とは、大きいものらしい。
「お、おい、あれ、死天王のトップのロレンスだぞ!?」
「キャ~、ロレンス様よ! 大変、魂を狩りに来てくれたのかしら!? 珍しく、シュヴァルト様も一緒にいるわ!」
顔立ちが整い過ぎているほどに整っている二人は、人間からも人気が高かった。
「ロレンス、いちいち手を振り返す必要はないと思うのですが」
「何で? 手を振ってくれているのに、振り返さないなんて、普通じゃないね」
「そう……ですか」
納得してしまうシュヴァルト。しかし俐斗は、普通じゃないのは、ロレンスの方だ、という言葉を飲み込んだのが分かったような気がした。
「ここは学校が集まる地区だよ」
異世界にも学校はあるのか。ロレンスが指さす方向には、町の風景となじむように中世ヨーロッパ頃に建てられた教会のような建物が乱立していた。ロレンスの屋敷を出てから思っていたが、やはり、この世界はことごとくヨーロッパの文化に近い。しかし、産業革命前の、だが。灯りをともしているのは、ガス灯か蝋燭だし、道を走っているのは車ではなく馬車だ。俐斗は町の隅々までを観察していた。時折地面を影がよぎるものを俐斗は、大きな鳥だと思っていた。しかしそれは、箒に乗った魔女らしき物だった。
――馬車のスピードが異常に速くないか?
俐斗はその訳を、手を振り返すのに忙しいロレンスではなく、シュヴァルトに聞いてみた。
「シュヴァルト。何故、馬車があんなに速く走っているんだ?」
「ああ、あれは、魔法を使ってスピードをコントロールしているからです」
「魔女でなくとも、魔法は使えるのか?」
「大体どんな人でも魔法は使えますよ。貴方の世界に魔法は無かったのですか?」
この世界において、魔法を使える事は、普通のようだ。。さっきの箒に乗っていたのも、魔女とは限らないようだ、と俐斗は考えた。
「魔法という単語はあったが、迷信みたいなものだったな。魔法に値するものといえば、科学、か」
「カガク、ですか。」
科学は、この世界には存在しないため、シュヴァルトは聞いたことの無い言葉だった。その言葉をかみしめるように、シュヴァルトは繰り返した。
俐斗は、まるでビル街のように学校が立ち並ぶ地区を見上げた。
「この世界の学校ではどんなことを学ぶんだ?」
普通に数学や、社会などなのだろうか、と俐斗は考えを巡らせた。
「僕達、死神を倒すための技術とかかな」
――死神は、この世界で人間を支配していることは知っていた。初めに聞いたことだ。しかし、死神は人間に倒されなければいけないような立場にあったのか?
「そう、難しい顔をしなくてもいい」
俐斗は、ロレンスに言われてからいつの間にか全身に力がこもっていることに気付いた。握りしめていた右手を見て思う。
――この手でロレンスを殴るのか? いや、もうちょっと話は聞いた方がいいのではないか?
どうしようもない、行き場のない、喜怒哀楽のどれにも当てはまらない複雑な感情を一体どうすればいいのか。俐斗は困り果てていた。
「……お前ら死神は、一体どんな政治を行ってきたんだよ」
もっとはっきり伝えたかった言葉は、得体のしれない感情を押し殺したせいで、思っていたよりもずっと小さな振動となって空中を伝わった。
「君が本気で睨むと結構迫力があるな、シュタルク」
ロレンスは、俐斗が今まで見たことのないような笑い方をした。陽気じゃない、困ったような笑い。こんなときでも笑うのか、と俐斗は半ば呆れていた。ただ、今までとは違う笑い方で、不満を口にすることは憚られた。
「僕達は、私利私欲に呑みこまれない賢い人間が行うのと同じように政治を行ってきた。重い税をかけたりとかはしていないし、飢饉がおこれば、それなりの対応をしてきた」
下を向いていた俐斗が、少しだけ目線を元に戻すと、ロレンスは哀しそうに目を伏せていた。シュヴァルトは、なんとも言い難い顔をしている。俐斗には、この場を鎮めようともしているようにも見えた。
「死神は死神。人間の輪に溶け込めたりはしない。ヒトの命を狩ることが仕事。別に誰かれ構わず魂を狩っているわけではない。『その時』が来たヒトの魂だけ――」
ロレンスが言いかけた時、耳に突き刺さるような音が鳴り響いた。
「警鐘だ! 魔物が来るぞー!」
町中の人が基地口に言っては逃げ惑う。
「魔物か。よし、行くか」
「シュタルクさんはここにいて下さい。私達がすぐに討伐してきて参ります」
つい、さっきまでのは一体何だったのだろうか? そう、思わせるほどの凛々しい顔をしている二人。しかし――。
「ま、待てよ! 二人とも大鎌なんて持ってないじゃないか!」
「うん、まあ、僕は人間ですし」
シュヴァルトが自重気味に言った。いや、俐斗が聞きたかったのはそこじゃない。二人とも武器なんてどこにも持っていない。そう、俐斗は疑問に思っていた。ロレンスが使うあんな大きな武器は一体どうやって持ち運ぶのか。
「魔法で呼べばいいんだよ。ツァウバー、剣よ、出てこい」
ロレンスとシュヴァルトがそれぞれ呪文を唱えて、魔物が出現した方向へと駆けて行った。――俺にも、魔法は使えるだろうか。
「ツァウバー、剣よ、出てこい」
試しに呟いてみると、右手の中が光り輝き、練習で使っていたあの剣が出てきた。今日から練習を初めて、もう実践する勇気を出すのは多少の怖さが伴った。
「シュタルク、なんでここにいる!?」
「試しに魔法を使ってみたら剣が出てきたんだよ」
魔物は大型の狼を足して二で割ったような見た目をしており、毛足が長く、赤い色をしている。それが、十匹ほど。
「せいっ!」
魔物の動きは素早く、危うく避けられるところだったが、一撃で倒れた。
――なんだ、雑魚か。
ものの数分で魔物は全ていなくなった。
「町中に急に魔物が現れるなんて、おかしいんだよね。誰かが何かを企んでいるとしか考えられない」
ロレンスがそう言った瞬間に、声がした。ロレンスでも、シュヴァルトの声でもない。
「あ~あ、すぐに倒されちゃった。すごかったね~、そこの少年」
俐斗は辺りを見回した。しばらくして声の主らしき人葉見つかった。高い建物の上に人がいた。大鎌を持っている。
――こいつも死神かよ。
「死天王サマのひとり、ロレンスが、人間を連れてなにをやっているかと思えば、転移者か。半分棺桶に入っているようなものじゃないか。おとなしく魂を狩られればいい」
限り無く黒に近い青色の長いローブをまとった死神は、建物から、タッと身軽そうに舞い降りた。普通だったら、骨折ですめばまだ良いような高さから。
「でも、ロレンス。君はそうしなかった。おもしろそうだと感じたから。君は昔から優しすぎる所があるけど、今回は良い判断だと思うよ」
「……裏切りの死神さんが、今さら僕に何の用だ? さっきの魔物を出したのもお前だろう?」
苦虫をつぶしたような表情でロレンスは言った。
「さあ、どうだろうねえ。私はただ、この子に興味があった。ただそれだけのことさ」
裏切りの死神と呼ばれた死神は、俐斗を指指して品定めするように、まじまじと眺めた。
「風の噂で聞いてはいたけど、本当におもしろそうだ。私を充分楽しませてね? 君は物語の主人公なのだから。では、また会おう」
それだけ言うと、死神は大鎌を持ち直した。振り上げる、かと思いきや、孤を描くように横にぐるりと回した後には、死神の姿はもうそこには無かった。
しばらく、辺りの時間が止まっているように感じた。私はやっとの思いで口を開く。
「一体何だったんだ?」
「裏切りの死神、アラフィスタ・ミブ。僕の前に、死天王のトップをやっていた奴だ」
ロレンスは、憤りを抑えているような顔で答えた。アラフィスタについては、もう何も聞いてはいけない。そんな気がした。