陽が昇り、少年の隠れた才能が開花する
「あ、おはよう、リト君。よく、眠れたかい?」
「ああ、まあな」
――ロレンスは、一体どういう地位何だ? 死天王というのは、よほど高い地位なのだろうか?
ロレンスの屋敷は、あの昨日目覚めた広間だけが豪華なわけではなかった。俐斗はあの後、様々な場所を教えられたが、どこもかしこも、華美だった。それは、俐斗に与えられた部屋も例外ではなく、高級ホテルと見まがうほどだった。むろん、俐斗が高級ホテルに泊ったことはない。俐斗は、高級ホテルは、こんなもんなんだろうな、と思いながらあの部屋で過ごした。
「リト君は、早起きさんだね。もうちょっと遅くなるかと思って、まだ朝ご飯の準備はできていなんだ」
広間のソファでくつろいでいるロレンス。
――わざわざ起きてきて、またソファに寝っ転がるのか……?起きてきた意味とは何なんだ?
「そうか。では手伝う。調理場までの行き方を教えてくれ」
俐斗は、居候の身として、至極当然のことを言ったつもりなのだが、ロレンスは、声をあげて笑った。
「そんなに、早くご飯を食べたいのかい?」
「そういうつもりではない」
「じゃ、もうちょっと、適当にして待っててよ」
「昨日から思っていたのだが」
「何だい?」
ロレンスは、大袈裟なほどに手を広げ、「何?」というような態度をとった。
――いちいち行動が気に食わない。なんて、思うのは失礼だろうか。
「その、話し方が気に食わない」
「僕も言わせてもらうとね、君の話し方が気に入らない」
何故だか、俐斗は今ロレンスさんと、チェスをしていた。
「何故、こんなことになったんだ?」
「あれ、最初に言わなかったけ? このチェス勝負で、負けた方が話し方を変えるっていう話」
――そんなこと、一言も聞いていない。俺が、ロレンスの話し方を気に入らないといったら、勝手に勝負をしようとか、ほざいたんだろ。
ロレンスのモットーは、「自分良ければすべてよし」だということを俐斗は知らなかった。
――絶対、この勝負おれの方が不利な気がする。普通、日本人ってあまりチェスやらないと思うし、俺自身、基本的なルールと、動き方ぐらいしか知らない。動き方に関しては、ウロ覚えだ。でも、さっきの流れからすると、この世界ではチェスは日常の一部のようだ。俐斗は文化の違いというものを痛感した。
「いやあ、リト君強いね。僕のほうが形成不利なんて、久しぶりのいい対戦相手だよ」
――俺、勝っているのか。勝っていて困ることはない。このままの勢いで勝たせてもらおう。
「チェックメイト」
そう言ったのは俐斗ではなかった。
「リト君、十分強かったよ。僕、負けるかと思ったよ」
――悔しい。途中まで俺は勝っていたのではなかったのか。
「でも、俺は負けた」
何が何だかわからない間に負けたのが悔しい。
俺が負けたのが悔しい。
無知な自分が許せない。
様々な思いが俐斗の心の中で渦巻いていた。
「俺は……負けた……」
「そう、君は負けた。だから、僕の気に食わないその話し方を直せ。これでも僕は君よりは年上のはずなんだよね」
下を向いていた俐斗がロレンスを見ると、今までの浮ついたような表情が嘘のように、冷たい眼をしていた。それは、まるで魂を狩るときの死神のような。
「君、友達少なかったでしょ。あ、もしかして、一人もいなかった?」
「うるさい、黙れ」
「直ってないよ、言葉。っていうか、図星だった?」
図星も図星だった。なんてったって、俐斗には珀以外いなかったのだから。しかし、今この世界には、その珀すらいない。俐斗は完全に一人だった。
「まあ、いいや。君がこの世界でどうなろうと、僕の知ったことじゃない。拾っただけでも感謝してほしいぐらいだよ」
「……感謝、する」
俐斗は絞り出すような声で一言だけ呟いた。
「あれ、そういや、君のフルネームを聞いていなかった気がするんだけど?」
豪華な料理が並ぶ、朝食。いや、並んでるものはトースト、サラダ、肉料理、フルーツと言った感じで普通なのだ。しかし、今まで俐斗が口にしていてものとは、比べ物にならないほどに質が高いのだ。それにもかかわらず、漂っている空気は、並んでいる料理にはそぐわない、険悪なものだった。
「気のせいだと思いますけど?」
気のせいではなかった。真偽のほどは別として、俐斗が使う敬語は、とげとげしさを伴っており、ロレンスは、内心いらだちを増していた。決して、顔には出さずにいたが。
「もう、君今まで通りの言葉づかいでいいから、フルネームを教えてくれ」
我慢の限界だった。
「何故、その必要がある?」
「それを教える義理は僕にはない。ただ、命の恩人が教えてくれ、と言っているのだから。教えれば、ただで済むことだよね」
俐斗の話し方が元に戻っても、ロレンスの苛立ちが治まることはなかった。なぜなら、俐斗の話す言葉のとげとげしさは、ロレンスに対する態度そのものだったからだ。
ロレンスの質問に対し、俐斗は、さもしかたない、とでもいうかのように深くため息を吐いてから答えた。
「俺の名は、元島俐斗」
「リトは、名字だったのかい?」
「違う」
言ってから、俐斗は、面倒くさいことをした、と思った。どう考えても、この世界の文化は日本のそれではない。名前だってそうだ、と。
「俺がいた世界の国は、他の国と違ったんだ。名字が先に来て、名前が後に来る」
「モトシマ、ねえ。変わった名字だね。君の住んでいた世界ではそういう名前が普通なの?」
住んでいた世界、と言う言葉に、俐斗はなんだか哀愁を感じた。つい、昨日までいた世界が、とても遠くに感じた。
「国によって変わる。この世界みたいな名前のところもあれば、俺みたいな名前が多い国もある。俺にいた国は、こういうのが普通だった」
「ふ~ん。でも呼びづらいなあ。よし、じゃ、僕が君にこの世界での名前を与えよう。う~ん、どういうのが良いかな」
思わぬ方向に話が進んでいることに、俐斗は、動揺を隠せずにいた。しかし、この世界は、限りなく西洋の文化に近いことも事実。
――この男の言うとおり、かもしれんな。
「よし、決めた。君の名前は今日からリト・シュタルク。シュタルクは力強いっていう意味だ。大層な名前だろう?」
「……感謝する」
表面上ではそう言ったが、心にもない言葉だった。いくら死天王だからって、強引過ぎやしないか。俐斗はそう思っていた。
「ところでシュタルクは、これからどうする気なんだい?」
名づけられたばかりの名前で呼ばれ、俐斗は一瞬呼ばれた気がしなかった。
「……俺は、早く、働く場所を見つけて一人暮らしができる状態にしたいと思っている」
「じゃ、この世界の一員として生きていくってことだね?」
どうやら、元の世界に戻るという手段もあるらしかった。しかし、あのつまらない退屈な世界に戻って、一体何があるというのだろうか。どんなことが起きるのか全く予想もつかないこの世界で一から嫌っていく方が断然面白い。俐斗はそう考えた。
「そうだ。俺は、この世界を選ぶ。良く分からないが、とても面白そうだからな」
そう告げると、ロレンスは、また実に陽気な笑いを響かせた。
「そう。奇遇だね。僕もそう思っている。じゃ、一つ聞きたいことがある。君は剣をつかったことがあるかい?」
「無いが、それがどうかしたのか」
ロレンスは俐斗の質問に対して、一呼吸おいて答えた。
「剣を使えないと、人間はこの世界で簡単に死ぬ。呆気ないほどにね」
俐斗は、ロレンスの紫色の双眸が、やけに輝いたように見えた。
ロレンスに導かれ、俐斗は中庭にいた。しかし、当のロレンスは、忙しいから、と言って、いなくなってしまった。代わりに中庭には、違う男が現れた。ロレンス同様背が高いが、筋肉がしっかり付いていたロレンスとは違い、細い体付きをしている。
――こいつ、大丈夫なのか?
俐斗は少し不安になった。細さで行けば、二人はどんぐりの背比べみたいなものなのだが。
「私は、シュヴァルトと言います。ロレンスの義兄弟です。よろしくお願いします」
シュヴェルト。俐斗は、心の中で名前を呟いた。綺麗な青い髪の毛をしていたが、前髪が長く、片方の目が隠れてしまっていた。
「あの、ロレンスは?」
――そもそも、言いだしたのは、ロレンスではなかったか。
「ああ、あの御――ロレンスは、死天王としての仕事で忙しいんです。私ではない方が良かったのなら、すみません。」
俐斗は、シュヴァルトの口ぶりから、忙しいというのが嘘ではないことを察した。
「なんだ? そんなに僕がいいのかい?」
中庭のすぐ近く。シュヴァルトが潜っていた、武器庫の屋根の上から飛び降りた影。
「いや、安心しろ。そんなことはない。っていうか、忙しかったんじゃなかったのか」
「いやあ、やっぱり、気になっちゃてね。集中せずにだらだらやるよりは、追い込まれてから集中して一気にやったほうがいいと思ってさ」
馬鹿がやりがちなことをやろうとしている、と俐斗は思った。
――勝手にしてろ。どうなっても、俺の責任ではない。
「非力な人は大体レイピアとか、短剣とか、短めのブロードソードを良く使います。普通の人は、長めのブロードソードや、エストック、フランベルクですね。力に自信のある人は、大剣を使います。片っぱしから試してみたらいいと思いますよ」
シュヴァルトの言葉通り、俐斗は片っぱしから試すことにした。
「大剣以外なら、どれもうまく使いこなせそうですね。騎士団にも入れそうなレベルです。どれでも使いこなせるようだったら、好きなものを選んでください」
俐斗は、エストックと呼ばれているものを手に取った。剣は俐斗が思っていたよりも重くかった。もちろん、知識としては、剣が見た目以上に重いことを知ってはいたのだが、知識としてだけでは分からないこともあるものだ、と痛感していた。エストックは、ブロードソードに比べて軽めだった。フランベルクは、不思議な形をしていて、いまいちどう使うべきか分らずにいた。その結果俐斗は、エストックを使うことに至った。
「では、模造のやつで、実践しみましょう。ロレンスと」
「何、言っているんだい、シュヴァルト。どんなに素質があるからって俺?」
――いやいやいや。初戦の相手ロレンスって。見るからに強そうだし。どんなことをしているのか、いまいちよくわからないが死天王って呼ばれているみたいだし。
「はい、ロレンスはこれです」
シュヴァルトが渡したのは、百八十センチはあるロレンスの身長よりも長い柄のついたリーチの広い大鎌。いかにも死神が持っていそう、というような感じのもの。
「はあ、いきなりじゃないか」
「はい、貴方にはこれです。大丈夫。死にはしませんから」
――そういう問題では無い気が……。
「じゃ、行くよ、シュタルク」
最初はやる気のなかったロレンスまで、ノリ気になっていた。
真っ先に仕掛けてきたのは、ロレンス。
――くっそ、最初は乗り気じゃなかったくせに!
ロレンスが大鎌を一振りすると、強い風が巻き起こる。俐斗はをそれを利用して高く、ジャンプすることにした。
――あれ、俺こんなにジャンプ力あったけ?
高く跳んだ分滞空時間も長い。斬りかかるには、長すぎるほどだ。ロレンスはまたあの大鎌を振り上げた。俐斗このままだと、当たってしまうと思っていたが、幸い大鎌は俐斗のすぐ横をかすめた。
――危ないな。
俐斗は大鎌を利用して、もう一回跳んだ。そして、斬りかかるフリをした。
「この勝負とった」
俐斗は、得に喜ぶようでもなくそう言って、着地した。二人は唖然としている。
「シュタルクさん、貴方は本当に初心者ですか?」
シュヴァルトは俐斗を揺さぶりながら聞く。不意に、ロレンスは笑い始めた。
「本当に人間は面白い。本当に君は面白い。さて、これからはどうやって私を楽しませてくれるのかな?」
太陽が高く昇る昼前の中庭に、ロレンスの笑い声が響きわたる。