死神は拾い、目覚めし少年は闇に惑う
――どれだけの時間が過ぎたのだろう?
「先生、あの……」
俐斗は、長い長い意識の旅から目覚めた。
「ごめん、僕は先生じゃないよ」
俐斗の目の前に映るのは、まるで美しい銀糸を纏ったかのような髪をしている人。その髪の長さは肩まである。一見、美しい女性のようだが、声の低さや一人称からして男のようだ、と俐斗は察した。
「お前は誰だ?」
寝ていた場所から、体勢を起こしながら聞く俐斗。そして俐斗は、とんでもない所にいることに気がついた。保健室じゃない。いや、それは目の前の男の人の恰好からして、薄々気づいてはいた。真っ白なブラウスの上に、真っ白なコート。真っ白な編み上げブーツ。その恰好は、息をのむほど高い天井、大理石のような床、というような、中世ヨーロッパを思わせる部屋によく合っていた。
――ここは、城か? 豪邸か? 何故、俺はこんなところにいるんだ? もしや、人質として連れ去られたのか……?
俐斗は、その賢い頭をフル回転させ、あらゆる可能性を考えた。
「すまないが、俺の家は身代金を払えるほどの金はない」
「ははは。別に、君は人質じゃない。聞きたいことはよくわかる。無理もない」
――人質じゃない。じゃあ、何故俺はこんなところに。
俐斗の身にまとっている制服は、やけにこの場所とは不釣り合いだった。
「君の名前は?」
「俐斗だ」
「ふ~ん、リト君か。見た目と違って男の子っぽい名前だね」
「俺は正真正銘の男だ」
俐斗は、何度も聞いたことのあるフレーズに顔を歪めた。
「ああ、ごめんごめん。悪気はないんだ」
俐斗の心は警鐘を鳴らし始めていたが、目の前にいる男が何を目的としているのか、全く読めずにいた。
「単刀直入に言うと、君はこの世界に転移されたんだ」
目の前の男の言葉によって、俐斗の思考回路は一瞬停止した。
――テンイ。こいつは、一体何を言っているのか。テンイとは、最近書店の片隅の、目が痛いほどに鮮やかな本が並ぶコーナーの表紙によく書いてある、あの転移のことだろうか。
彼の心の中の警戒レベルは一気に最高レベルに跳ね上がった。
「いやあ、驚いたよ、急に何もない所に現れたからね」
ハッハッハッ、と陽気に笑うロレンス。
「頭大丈夫ですか? 病院へ行かれた方が……」
「面白い反応するね、リト君。でも、僕は事実しか述べていない。僕はリト君を助けてあげた」
――助けられた?
俐斗は、もう我慢できずにいた。
「だまって聞いていれば変なことばかり。大体なんなんだよ、名乗りもせず。怪しすぎるんだよ!」
そう叫んで、俐斗は男にパンチをした……はずだった。しかし、彼の渾身の一撃はヒラリとかわされ、行き場をなくした力は、俐斗をソファの下へと落とした。俐斗はもう、泣いてしまいたい気分だった。
「何なんだよ、転異って。何が一体、どうなっているっていうんだよ」
一つ、二つ、とポタポタ流れ落ちていく、目からあふれ出る雫。
「あらら、泣かせちゃった」
――何が、あらら、泣かせちゃった、だ。
ロレンスは、こんなはずじゃなかったんだけどな、と呟き、俐斗の頭を撫でた。
「すみません。取り乱しました。そして、さっきの俺の姿は忘れろください」
――ああ、穴を掘って埋まりたい。できれば、この場から消え去りたい。あわよくば、さっきまでいた保健室に戻りたい。
「別にいいよ。受け入れがたい事実に直面すると、人間って泣きたくなるよね。でも、忘れるのはちょっと無理かな。ハハハハハ」
――うっ、完璧主義とよく人にいわれる俺がまさか、見ず知らずの人の前で感情をあらわにするとは、何たる失態だ。
「リト君が、泣いてまで俺の名前を教えてくれって言うならきちんと名乗るけどね」
――それは、かなり事実がねじ曲げられている。
「僕の名前は、ロレンス。死天王の一人だ」
「してんのう? それはなんだ」
「うん、死ぬの『死』に、天井の『天』、王様の『王』で四天王」
――死天王? 四天王じゃなくて?
「この世界は死神が政治を行っている。そうすれば、狩らなくてはいけない魂の管理や、戸籍の管理がしやすいからね」
――死神?
でも、もう彼は冷静だった。異世界が存在していて、転生があり得るのなら、死神ぐらいいてもおかしくないのかもしれない。そう思っていた。
「その中でも、それなりに強い位置にいるのが、死天王。僕はそのリーダーだ」
――ああ、頭をかかえたい気分だ。俺を拾ってくれた人は死神だったっていうのか?
「じ、じゃあ、お前は、死神なのか?」
「その通り。のみこみ早いね割と。また、泣かれたら、どうしようかと思っていたんだけど」
俐斗は数十分だけだが彼と過ごしていて、悪い人ではないな、と思っていた。なにも、危害を加えるようすもないことからむしろ、良い人そうだ、と思っていた。
――誰か、この事実を嘘だと言ってくれ。
「改めて、自己紹介をしよう。僕はロレンス。死神で、死天王のリーダーをしている。よろしく頼むよ」
――誰が、死神とよろしくするもんか。
元島俐斗。十六歳。全く信じがたいことに、転移してしまったら、死神に拾われていた。